生まれ
生年月日は不明
本名も不明。呼び方に「早川殿」「早河殿」「蔵春院」
どんな人?
北条氏康の長女と言われてます
たぶん、北条氏康の嫡男である北条氏政のおねーさん
生涯
17歳・・・結婚
北条・今川・武田の間でかわされた三国同盟を成功させるための一つとして
今川義元の嫡男・今川氏真と北条氏康の娘が婚姻を結ぶことになった
政略結婚のため選ばれたのがこのお姫様・早川殿でした
結婚生活は不明なんだけど、少なくとも2人の子供がいる
今川義元が織田信長に桶狭間の戦いで殺されると、武田信玄が今川領の駿府侵攻を開始し、ついに今川氏真は逃げることになった
この時、早川殿も一緒に逃げる
ちなみに逃げる時に「駕籠」も用意できない状態だった
その後、早川殿は氏康を頼りにし、夫の氏真も一緒に小田原の早川へ移った
この時、長男の今川範以を産んだ
こののち、北条と武田が同盟を組んだため、二人は徳川家康の元へ行く
以後、氏真と行動をともにしたかどうかは不明で、1613年に江戸にて死去した
逸話
●早川殿が嫁ぐ時の行列はものすごい豪華だった
●結婚する時、北条氏康が伊豆三島から駿河側へ水を通す千貫樋が建設された
関連のある人々
今川氏真・・・夫
北条氏康・・・実父
今川義元・・・義父
今川範以・・・長男
品川高久・・・次男
祐筆の人物批評
ハガクレ・・・ちょっと気の毒なお姫様だよね
祐筆
●一番手・・・ハガクレ