朝倉義景

Last-modified: 2010-04-23 (金) 11:15:53

生まれ

あさくらよしかげ

1533-1573

どんな人?

越前の戦国大名

おいたち年表

戦国時代の大名

名門朝倉家に生まれた義景

当主となるべく教育を受けていたが、当の本人は京風大好きなお坊ちゃま

初代当主で戦上手・政治上手であった朝倉孝景は一生懸命、義景に帝王学を教えていたものの、老人だったため死んでしまった

すると義景「うるせーじじぃがいなくなったぜ!」と、さらに京風に磨きがかかり始めた

そんな頃、織田信長が15代将軍・足利義昭と大喧嘩

将軍家と仲良しの朝倉家はもちろん信長のターゲットに

信長は朝倉家をやっつけようとするが、ここで問題が

というのも、朝倉家と浅井家は昔から大の仲良し

織田信長の妹、お市の方は、この浅井家の当主、浅井長政と結婚している

「でもいいや」と、信長は、浅井長政に無断で朝倉家を攻めちゃった

これにビックリしたのは、浅井長政 「どうしよう・・・」と、考えた末、昔からの仲良しだった朝倉家の味方をすることに

怒った信長は、同盟者である、徳川家康とタッグを組み、浅井朝倉VS織田徳川の姉川の合戦が始まる

ここで浅井・朝倉はボロ負けし、とりあえず家に戻っていった

朝倉家はその後も何度か信長をやっつけるチャンスがあったというのに、すべて「どうしようかなぁ」と言ってる間にチャンスをフイにしまくり

とうとう最後は信頼していた家来に「この人についていってもろくなことない」と見限られ、自刃させられるというお気の毒な最後となった

0歳誕生!
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その他

マイドリーム・・・小京都作り

趣味・・・京都の小物集め

怖い人・・・おじいちゃん

自慢その① 「僕の家、超名門なんだよ」
自慢その② 「僕の家、足利将軍家と超仲良しなんだよ」
自慢その③ 「僕の名前、将軍足利義輝から「義」の字を貰ったんだよ」
自慢その④ 「僕の一乗谷、京都みたいなんだよ」

武田信玄談・・・「あいつはバカだ!今動けば信長に勝てたというのに!手紙を何度も送ったというのに動きもしない!本物のバカじゃあ!」

逸話



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祐筆の人物批評

祐筆

●一番手・・・ハガクレ
●二番手・・・愛