生まれ
ほんだまさとも
1599~1638
どんな人?
江戸時代の大名
上総大多喜藩主→播磨龍野藩主→播磨姫路新田藩主→播磨姫路藩主
徳川四天王といわれた本多忠勝の長男・本多忠政の次男として生まれた
1615年に叔父の本多忠朝が大阪夏の陣で戦死すると、忠朝の子・本多政勝?がまだ幼かったため、政朝が代わりに相続し、大多喜藩の二代目藩主となった
1626年に兄の本田忠刻?(徳川秀忠の娘・千姫の二度目の夫)が死去すると、本田宗家の嫡子となる
1631年に父親が死去してしまい、家督を相続し姫路藩の二代目藩主となった
1638年に死去
逸話
●
●
●
関連のある人々
父親・・・本多忠政
兄・・・本多忠刻
弟・・・本多忠義?
正室・・・本多忠朝の娘
息子
本多政長?
本多政信?
養子・・・本多政勝?
祐筆の人物批評
祐筆
●一番手・・・