本多忠政

Last-modified: 2010-01-06 (水) 16:20:49

生まれ

ほんだただまさ
1575~1631

どんな人?

戦国時代の武将
伊勢桑名藩第2代藩主
播磨姫路藩初代藩主

徳川家康の重臣・本多忠勝の長男として生まれる

15歳・・・小田原征伐初陣に出る

?歳・・・徳川家康の長男・松平信康の次女・熊姫と結婚

?歳・・・息子の本多忠刻千姫と結婚

34歳・・・父親が隠居。家督を継ぐ

42歳・・・姫路城城主となり15万石を貰う

57歳・・・死去

逸話

●長男の本多忠刻が早死にしてしまったため、本多家は次男の本多政朝が継いだ
●お姉さんの夫が真田信之で仲が良かった
関ヶ原の合戦の際、真田信之と一緒に真田昌幸を説得しに行った
●父親の本多忠勝が死去した時、遺産相続で弟の本多忠朝と揉めた

関連のある人々

父親・・・本多忠勝
母親・・・阿知和右衛門の娘
姉・・・小松姫真田信之の妻)
姉・・・もり姫(奥平家昌の妻)
弟・・・本多忠朝
正室・・・松平信康の次女・熊姫
長男・・・本多忠刻
次男・・・本多政朝
三男・・・本多忠義
長女・・・国姫(堀忠俊の正室→有馬直純の正室)
次女・・・亀姫(小笠原忠脩?の正室→小笠原忠真の正室)

祐筆

●一番手・・・ハガクレ