本多忠朝

Last-modified: 2009-11-10 (火) 16:03:34

生まれ

ほんだただとも
1582年生まれ
1615年没

どんな人?

戦国時代の武将
酒封じの神としても有名

父親は徳川四天王の一人・本多忠勝
父親と同じく勇将で、関ヶ原の合戦では大活躍をした
その戦功により、戦後本多忠勝が伊勢に移封されると、忠勝がそれまで関東で領していた上総国大多喜5万石を与えられた。
28才の時に父の忠勝が死ぬと、遺産を兄の本多忠政にほとんど横取りだれた。でも、忠朝は何も文句を言わなかった。

このため「兄よりも忠勝に似ている!武将としてふさわしい!」と、徳川家康からめっちゃ誉められた

大坂冬の陣?でも活躍したんだけど、このときお酒をガブのみしてしまい、敵の猛攻に遭って敗退した。

それを徳川家康に怒られてしまう。
翌年の大坂夏の陣?のとき、汚名を返上しようと天王寺・岡山の戦いで大将となり奮戦。
が、毛利勝永に討ち取られてしまった。

死ぬ時に、「戒むべきは酒なり、今後わが墓に詣でる者は、必ず酒嫌いとなるべし」と言ったとされることから、死後「酒封じの神」として知られるように

家康は亡父の忠勝に劣らぬ猛者であった忠朝の死を悲しみ、忠朝の遺児・本多政勝?を大和国郡山城主にした。

逸話

●お墓は天王寺区の一心寺。「禁酒を誓う人がよくくる
徳川家康は自分が怒ったことをめっちゃ悔やんだらしい

関連のある人々

父親・・・本多忠勝

兄・・・本多忠政

正室・・・一柳直盛の娘

息子・・・本多政勝?
娘・・・千代(本多政朝の正室)

祐筆の人物批評

祐筆

●一番手・・・ハガクレ