生まれ
どんな人?
戦国時代の武将 家康後期のブレーン
おいたち年表
身分の低い出身で、鷹匠だったとも言われている
貧しさのため一向宗にハマり、三河一向一揆の時は、一向宗側の「参謀」として大活躍
一揆は鎮圧され、正信は「改宗しろ」と言われたが、信仰を諦めなかったため徳川家を追放された
その後、戦国腹黒代表選手・松永久秀に仕え、久秀に「稀にみる逸材じゃ!」と褒められるものの、あまり気が合わず出て行った
それからは貧乏生活突入!明日の食べ物もないくらいのどん底生活に
それを見かねて助けてくれたのが、徳川家の家臣・大久保忠世
徳川家康にお願いして本多正信をもう一度徳川家に仕えるようにしてくれました
戻ってきた正信は、姉川の合戦の時に危うく捕虜にされそうになったところを助け出されるという失態を侵し「佐渡の腰抜け」とバカにされる
が、徳川家康は正信を側近にした
どうやら正信の政治能力を見抜いたらしい
おもしろくないのは徳川の武功派
さらに合戦の時代が終わり、江戸幕府を開く頃になると武功派(戦い屋)は活躍の場がなし
代わりに活躍の場を与えられることになったのが正信ら文治派(政治屋)
こうなってくるともうおもしろくない
「裏切りモノのくせに!」「味噌や豆の勘定しかできないくせに!」などなどブーイングの嵐
さらには正信を助けてくれた大久保忠世の息子・大久保忠隣とケンカをおっぱじめる
グッドタイミングで「大久保長安事件」とうのが勃発し、それに連座して大久保忠隣は失脚
が、最後は嫌われすぎて家康亡き後、本多家は失脚する
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その他
大久保彦左衛門談(忠世の弟)・・・「ええ書きましたよ!三河物語に書いて書いて書きまくってやリしたよ!だいたい我ら大久保家は飯も食べずに徳川のために尽くしてきたんですよ?それを何ですか!今の世の中で出世するヤツの極意をお教えしましょう。①以前主君に背いておきながら舞い戻った奴 ②卑怯な振る舞いで人に笑われる奴 ③行儀作法が完璧で城内でうまく立ち回れる奴 ④ソロバン勘定が得意な奴 ついでに出世できない人もお教えしましょう ①主君一筋で働いてきた者 ②礼儀作法が下手な者 ③ソロバンが苦手な者 は?何か文句ありますか?」
榊原康政談・・・「ケッ!あいつはな、秀忠殿より上座にすわっとるんじゃぞ?腰抜けのくせによくも・・・」
徳川家康談・・・「いやな、正信はツーと言えばカーなのじゃよ・・・。このワシの頭脳についてこれる男なのじゃよ・・・。それにな、正信は欲がないのじゃよ。」
徳川武功派談・・・「とにかく大嫌いじゃあ!」
特技・・・ソロバン
逸話
●家康、正信の怒りにヒヤヒヤする
正信は家康の右腕として活躍しておりました
ある日、隣の部屋から主君である家康がものすごーーーい怒声で家臣を叱っていました
何をやったのかわからないけど、家康の怒りは相当なもので今にもその家臣を斬り殺しそうな勢いでした
正信は家康のもとへ行き「どうしたんですか?」と聞くと、家康は理由を述べました
すると正信「なるほど、上様のお怒りはごもっともでございます・・・」と言うや、すぐさまその家臣に向かって「お前は何て奴だ!上様が怒るのも当たり前出る!ばか者!マヌケ!!」と、烈火のごとく怒り出したのです
これに驚いたのは家康
「ま・・・正信、なにもそんなに怒らなくても・・・。よいよい、もうそのくらいにしておけ」とストップをかけました
正信の機転をきかせた逸話であります
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祐筆の人物批評
祐筆
●一番手・・・ハガクレ