松平忠吉

Last-modified: 2009-11-18 (水) 13:50:08

生まれ

まつだいらただよし
1580年生まれ
1607年没

どんな人?

安土桃山時代から江戸時代の大名
徳川家康の4男

おいたち年表

1580年0歳遠江国浜松(静岡県浜松市)で誕生!
1581年1歳東条松平家の松平家忠が病死した後その家督を継ぐ。
このとき名を松平忠康と改める  
1582年2歳駿河国沼津城4万石に転封される  
1592年12歳武蔵国忍城(埼玉県行田市)の城主となる   
1592年12歳元服し松平忠吉と改める   
1600年20歳関ヶ原の合戦初陣を飾る。福島正則と先陣を争った。
関ヶ原において島津豊久を討ち取った功により戦後、尾張国清洲に52万石を与えられる
1607年28歳関ヶ原の合戦で負傷した傷がもとで江戸で死去  

逸話

●忠吉には嗣子がなかったため、清洲藩は弟の徳川義直が後を継ぐ
●同母兄の徳川秀忠は彼の死を非常に悲しんだ

関連のある人々

徳川家康・・・父親
西郷局・・・母親
松平家忠・・・義父

徳川秀忠・・・実の兄

井伊直政の娘・・・正室

祐筆の人物批評

祐筆

●一番手・・・ハガクレ