生まれ
いしかわただふさ
1582年生まれ
1651年没
どんな人?
大久保忠隣の次男として生まれる。
16歳の時に徳川家康の小姓となる。
18歳の時に関ヶ原の合戦に参加した。
ちょうどその頃、母のおじいちゃんである石川家成の養子になり、石川忠総となる。
で、家成の息子が死んでしまったため、徳川家康の命令で忠総が家督を継ぐことになった。
が、大久保長安事件が起きてしまい、実の父が改易されてしまうと、忠総も蟄居となってしまった。
大阪の陣が始まる頃、罪を許してもらい従軍。
功をあげたため、加増してもらった。
逸話
●徳川家康は死ぬ前に徳川秀忠に「忠総は大事にしろ」と言った
●徳川秀忠もとても忠総を信頼していた
●徳川秀忠より名前の一字を拝領し、「忠総」と名乗った
関連のある人々
父親・・・大久保忠隣
母・・・石川家成の娘
正室・・・堀尾吉晴の娘
継室・・・前田玄以の娘
子
石川廉勝(長男)・・・早死にしたので、家督は廉勝の孫がついだ
石川総長(次男)
石川貞当(四男)
石川泰総(五男)
石川邦総(六男)
石川総氏(七男)
娘(中川久清正室)
祐筆の人物批評
祐筆
●一番手・・・ハガクレ