石川忠総

Last-modified: 2009-11-18 (水) 17:09:05

生まれ

いしかわただふさ
1582年生まれ
1651年没

どんな人?

大久保忠隣の次男として生まれる。
16歳の時に徳川家康の小姓となる。
18歳の時に関ヶ原の合戦に参加した。
ちょうどその頃、母のおじいちゃんである石川家成の養子になり、石川忠総となる。
で、家成の息子が死んでしまったため、徳川家康の命令で忠総が家督を継ぐことになった。
が、大久保長安事件が起きてしまい、実の父が改易されてしまうと、忠総も蟄居となってしまった。
大阪の陣が始まる頃、罪を許してもらい従軍。
功をあげたため、加増してもらった。

逸話

徳川家康は死ぬ前に徳川秀忠に「忠総は大事にしろ」と言った
徳川秀忠もとても忠総を信頼していた
徳川秀忠より名前の一字を拝領し、「忠総」と名乗った

関連のある人々

父親・・・大久保忠隣
母・・・石川家成の娘
正室・・・堀尾吉晴の娘
継室・・・前田玄以の娘

石川廉勝(長男)・・・早死にしたので、家督は廉勝の孫がついだ
石川総長(次男)
石川貞当(四男)
石川泰総(五男)
石川邦総(六男)
石川総氏(七男)
娘(中川久清正室)

祐筆の人物批評

祐筆

●一番手・・・ハガクレ