生まれ
いしだまさつぐ
生まれは不明
1600年の関ヶ原の戦いの時に死去
どんな人?
戦国時代の武将
石田三成の父親
おいたち
出生は不明
たぶん近江国坂田郡にある石田村出身の侍
息子の石田三成が豊臣秀吉に使えるようになると、三成を補佐する役目にまわる。
そして三成が佐和山城主?になると、正継も近江に3万石を貰う
正継は三成がいない時の佐和山城を守り、政治も行った
朝鮮出兵の時は、楠木正虎とともに肥前名護屋城で帳簿関係を担当
関ヶ原の合戦では息子・石田三成のいる西軍に入り、石田正澄とともに佐和山城を守備。
が、三成は負けてしまい敗走してしまう。
その後、小早川秀秋らが佐和山城を攻めてきたため、自刃した。
逸話
●京極家の家臣だったという説もある
●和歌や文学に造詣が深い才人と言われていた
●「正継」と名乗るようになったのは石田三成が生まれてから。それ以前は色んな名前を名乗ってたらしい
関連のある人々
祐筆の人物批評
鱒・・・根っからの文化人というイメージがありますね。平和な時代でこそ活きる人物であると思います。
祐筆
●一番手・・・ハガクレ
●二番手・・・鱒