石田正澄

Last-modified: 2009-11-05 (木) 13:21:54

生まれ

いしだまさずみ

1556年生まれ
1600年没

どんな人?

戦国時代の武将

石田三成の兄

おいたち

石田正継の長男として生まれる。
豊臣秀吉の中国征伐の時に弟の石田三成とともに豊臣秀吉の家臣になった。
弟同様頭がよく、代官職や堺町奉行などをこなし、豊臣秀吉から北近江に1万5,000石を与えられた。

文禄の役では物資を朝鮮半島に送るための準備など、石田三成とともに活躍した。
関ヶ原の合戦の時はもちろん西軍で、愛知川に関を設けて東軍の参戦を阻止することに。
軍勢を西軍に回らせるなどして、三成に協力した。
そして父の石田正継と共に佐和山城を守備に入った。
が、本戦で西軍が敗れてしまい石田三成は負けて逃げてしまう。
その後、小早川秀秋らの軍が佐和山城を攻撃してきた。
正澄は大手門を守備し、果敢に戦うも数に勝る東軍には叶わず、とうとう父の石田正継とともに自害したのでした。

逸話



関連のある人々

石田正継・・・父親

石田三成・・・弟

石田朝成・・・息子

大村由己?・・・仲良し

藤原惺窩?・・・仲良し

西笑承兌?・・・仲良し

祐筆の人物批評

祐筆

●一番手・・・ハガクレ