織田頼長

Last-modified: 2010-02-23 (火) 11:11:23

生まれ

おだよりなが
1582-1620

どんな人?

織田長益の次男として生まれる

母親は長益の正室である平手政秀の娘

生まれた年に本能寺の変があり、織田信長が死去

織田家は力を失い、豊臣秀吉が台頭してきていた

頼長は父の長益とともに豊臣秀頼に仕えた

1608年には秀頼の命令で江戸へ年賀の使者になったりしていたが、公家猪熊教利のスキャンダルに巻き込まれてしまう

頼長はこの時、猪熊教利の逃亡を手助けしたため処罰され、浪人となった

が、大阪の陣が始まると豊臣方に入った

そして父親とともに大阪冬の陣では大阪城に籠城し、指揮をまかされた

が、藤堂高虎隊が攻撃を開始すると、頼長は「具合が悪い」といって指揮をしなかった

大阪夏の陣では大阪城から出てしまった

そして退去後は京都で茶の湯に専念する

父の長益も茶の湯の世界では有名人だったので、頼長は有楽流を継承した

そして39歳の時に京都で死去した

逸話

●別名は秀信
●大阪城を退去したのは、総大将になりたいと願ったところ、却下されたからと言われている
●父親の長益は頼長が豊臣家の武将だったため、幕府に遠慮して領地を分与しなかった

関連のある人々

父・・・織田長益(織田有楽斎)

妻・・・本願寺教如?の娘

長男・・・織田長良?

娘・・・一条昭良?の妻

祐筆の人物批評

祐筆

●一番手・・・ハガクレ