青木一矩

Last-modified: 2009-12-22 (火) 10:44:58

生まれ

あおきかずのり

1541年生まれ
1600年没

どんな人?

戦国時代の武将
豊臣秀吉の従兄弟

おいたち

1541年誕生
青木重矩の子として生まれる。異説もある
母が秀吉の養父・竹阿弥の縁者に当たることから、秀吉とは従兄弟の関係に当たるという

秀吉に仕える
豊臣秀吉に早くから仕えた

1583年 賤ヶ岳の戦いに参加

1587年 城主になる
九州征伐で功をあげたため播磨立石城主となる。

1600年関ヶ原の合戦

大谷吉継の誘われ西軍に入る
北陸の西軍方の諸将とともに東軍の前田利長と戦った(浅井畷の戦い
が、敗れてしまい北之庄城に籠城するんだけど、関ヶ原本戦で西軍が敗戦したことを知ると土方雄久の斡旋により嫡男青木俊矩を人質に前田利長に差し出して降伏した

60歳で病死
戦後の10月6日に病死。

逸話

千利休に師事する茶人でもあった

●嫡男の青木俊矩は一矩の死後、前田利長を通じて家督相続は認めてもらえるよう徳川家康にお願いしたものの、許されずに改易されてしまった。
●孫の青木久矩は大坂の陣の際に豊臣方に味方し戦死。ちなみに娘のお梅徳川家康の側室の1人

関連のある人々

青木重矩・・・父親
関弥五郎の三女・・・母親
青木俊矩・・・息子
お梅徳川家康側室のち本多正純の正室)・・・娘

祐筆の人物批評

祐筆

●一番手・・・ハガクレ