ポーランド国(通称:Independent State poland)
とは、ポーランドにおいて1918年5月20日から同年6月21日のまでのごく短期間存在した国家である。
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国旗 | |||
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領土 | |||
公用語 | ポーランド語 | ||
首都 | Warszawa | ||
最大都市 | Warszawa | ||
国家元首 | Jozef Pjwstk | ||
首相 | Jędrzej Moraczewski |
変遷 | ピウスツキ政権発足 | 1918年5月10日 | ||
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独立宣言 | 1918年5月20日 | |||
帝国軍侵攻開始 | 1918年6月1日 | |||
消滅 | 1918年6月21日 |
独立運動の活発化
ドイツ帝国の間接的な支配下にあった立憲公国は、戦争への協力を強いられる状況にあった。そしてポーランド人の貢献に見合った対価は一切支払われておらず、これが彼らの反感を買う一因となっていた。
この不満が爆発したのは1918年初頭で、ワルシャワでの暴動に端を発した大規模な独立運動はたちまち広まり、同盟国の占領していた中東欧ではストや蜂起が頻発した。
ワルシャワ革命
1918年3月12日、ワルシャワに集結した暴徒が当時のポーランド総督、ハンス・ベゼラーを殺害した後、ワルシャワ市の全域を占拠する事件が起こる。
マッケンゼン率いる第六軍集団が急行し、武力をもってこれを鎮圧したものの、ウッチ市やクラクフ市でも同様の暴動が起こっており、鎮圧にはかなりの犠牲が伴った。
摂政議会はこの大事件に影響を受け、祖国ポーランドの独立へ向けて動き出す事となる。
ポーランド独立宣言
1918年5月20日、新たに摂政となったピウスツキは独自の憲法を強引に制定し、ドイツからの独立を宣言。国号をポーランド国とし、大戦からの離脱交渉を始める。
この強引な独立と戦線離脱に激怒した参謀総長ルーデンドルフは、ポーランドに駐屯する第六軍集団を同国へ差し向け、ポーランドを再びドイツの支配下に入れるよう指示した。
帝国軍政権の発足
ドイツ帝国軍第六軍集団は参謀本部の指示通り行軍し、ポーランド国における政治中枢の大部分を確保した。
1918年6月21日、司令官マッケンゼンはピウスツキを逮捕、弾劾し、自らが摂政へ就任した。摂政議会も同様に第六軍集団へ掌握され、ポーランド国はあえなく消滅することとなる。
後継となったマッケンゼン内閣、ルーデンドルフ内閣は、「帝国軍政権」と呼称されている。