フランスルートに刺さった苦行 苦行
三つ並んで苦行 苦行
装甲抜かれて苦行 苦行 フランス三兄弟!
一番上はB1 B1 一番下はD1 D1 間に挟まれD2 D2
次作できてくるときも願いはそろって同じルート
できれば今度はマッチ優遇の強戦車! 団子!
苦行って?
- KV-1くらいのスピードでとろとろもったいぶって登場しながら40mmの微妙装甲だし
- 特別に柔らかくないけど機関砲に安心できたり格下の弾を弾いたらラッキー程度で硬いとはいえないし・・・
(Tire2のHotchkiss H35のせいで微妙感が増してるし) - そのくせしっかりドライバーハッチと覗き穴の弱点が存在(30mm)するのが泣けるし
- 特別に柔らかくないけど機関砲に安心できたり格下の弾を弾いたらラッキー程度で硬いとはいえないし・・・
- 一応砲塔と防盾を含めれば90mm弱が存在するけどこんなでかい車体隠せるところなんて早々はないし
- その代り砲塔はTire3では最も固い ハルダウンで車体を隠せればTD以外のTire3の砲ならほとんど弾ける
小さいキューポラを打たれなければムテキアティチュードできるのだ
Tire3に舞い降りたT29ちゃんなのだ
問題はTire3戦ではハルダウンしながらじっくり戦うのが難しいことなのだが - 砲はましになったけどだけど所詮Tire3平均レベルだし・・・(ペネ66、APCR98)
- でもTire4であるB1と同じ主砲を持ってると思えば心強いし!もちろん負け惜しみだし...
じゃあどうすればいいの?
聖書の一説にはこう記されてあります
わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます
見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです
(コリントの信徒への手紙Ⅱ 四章一八節)
「見えるもの」とは、この世のすべての現象、またわたしたちがこの世で体験するすべての出来事です。
それに対して「見えないもの」とは、永遠界に属する事柄であり、来るべき世の栄光であって、わたしたちが直接五感で感じたり(つまりWOT的強さとして)体験することはできません。
「見えるもの」か「見えないもの」か、どちらに目を注ぐかによって、人生はまったく違ってきますし、WOTは全然別の様相を示します。
あなたがこの戦車に乗ったとき装甲があてにならないとか主砲が貫通しないだとか動きがトロくて使えないだとかはあなたが体感できることです。
それは事実ではあるかもしれませんがそれは「目に見えるもの」でありこの戦車のすべてではありません。
私たちはついつい敵弾を弾く装甲だとか、大火力で敵を吹き飛ばすことだけに目をやりがちですが、
フランスの戦車を見て「なんと素晴しい出来合い、様式美。フランス人はなんと素晴らしいものを造られたのかしら」という、見えないものに心を向けられない。これが現実です。
私たちが、ただ、目に見えているところ、強い戦車で敵を倒す事柄だけを拠り所にしてゲームをやっているのだったら、このゲームを本当の意味で楽しんでるとはいえません。
自分に与えられたゲーム、見える状況、事柄の中に、その背後に主の御愛とフランス人の御計画と御思いを悟るのは大切です。
確かにこの戦車は強いとはいえないかもしれませんが主は「わが恵み汝に足れり」と、「お前はそれでよろしい」と言われる。
そこで主に従うことがある。足らない装甲火力機動力、欠けた所があり、不自由を感じながらも、
主はそこに私を置いて下さっていると、認めて悟ることは、現実だけを見ていてはできません。
また主はこうも言われます
体のともし火は目である 目が澄んでいればあなたの全身が明るいが濁っていれば全身が暗い
だからあなたの体の中にある光が消えれば、その暗さはどれほどのものであろうか
(ルカの福音書16章13節)
あなたがフランスルートを選んだ初心を決して忘れないでください。
これからも苦難は続くでしょうがその初心を忘れずゲームをしてください。フランス戦車は弱いと言われて、ついそれを聞くと、自己憐憫に陥りがちです。
「やっぱりそうか、この戦車は弱いんだな」と思い込んでしまいますが、それは間違いです。
そうではなく「フランス戦車は苦行だね」「いいえ大丈夫、WOGナスは私に『これでよろしい』といって、この様な素晴しいフランス戦車を実装をしてくれたので、感謝です」というのです。
また、ありのままを受け入れるのだから強化する必要がないから、そんな事はしなくてよろしいと仰って下さっている主をWOGナスを信じるのです。
そうする時、私たちは心強い。何も心配しないでいい、思い煩う事がいらない。
ヨハネによる福音書 14章に言われている様に、
「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい」というのは、その
事なのです。
心を騒がせるのは、見える物を当てにしてゲームをしようとするからでしょう。
コリント人への第二の手紙 5 章 7 節以下に
「わたしたちは、見えるものによらないで、信仰によって歩いているのである。それで、わたしたちは心強い」。
ここには「装甲が頼れるから心強い、主砲が強いから心強い、逃げれる足があるから」とは書いてありません。
「(フランス戦車がすきという)信仰によって歩いているのである。それで私は心強い」。
私たちはKV-1や田尻が跋扈するマッチに放り込まれたり味方があっという間に撃破されたり絶望的な状況に陥ってもそれに心を煩わされては駄目です。
まずこの素晴しいフランス戦車に乗っているという今に感謝しこれからもフランス戦車に乗り続けられる喜びに希望を託すのです。
そうすればあなたのフランス戦車への愛は永遠のものとなる。
その愛という永遠は決して失われることなくまたあなたは永遠にフランス戦車の愛に包まれることでしょう。
Vive laFrance!
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コメント
- D2は主が我々に課された試練だったのか… -- 2014-03-09 (日) 10:05:36
- 試練ではない…・光だ -- 2014-03-30 (日) 16:26:30
- 怪文書……いや戒文書だ -- 2014-03-09 (日) 14:41:02
- 信仰を盾にすれば収支も戦績もどこ吹く風なんやなでも低Tireだけなんやな悲劇なんやな -- 2014-03-31 (月) 12:33:14
- これは...仏教徒... -- 2014-05-06 (火) 00:21:54
- こいつら乗り越えたら天国....と信じたい -- 2014-05-25 (日) 00:23:20
- ほかルートで稼いだフリーで飛ばせや -- 2015-06-19 (金) 18:46:52