神州丸

Last-modified: 2024-04-29 (月) 00:43:41
No.421
陸軍特種船「神州丸」です。統合的な上陸戦力を投射できる本格的な強襲揚陸艦の先駆けとして建造されました。神州丸(しんしゅうまる)陸軍特種船(R1) 揚陸艦
艦船ステータス(初期値/最大値)
耐久37火力5 / 22
装甲9 / 35雷装0
回避13 / 38対空10 / 32
搭載12対潜20 / 40
速力低速索敵20 / 52
射程14 / 54
最大消費量
燃料35弾薬5
搭載装備
2大発動艇
2未装備
8未装備
装備不可
改造チャート
神州丸神州丸改(Lv48)
図鑑説明
日本陸軍が建造した本格的な上陸用船艇母艦、現代でいう強襲揚陸艦、その一番艦、神州丸です。
完全武装した陸戦部隊*1を載せた大発動艇などを満載、その泛水装備で連続発進が可能です。
緒戦の上陸戦、そして末期の輸送作戦でも奮闘しました。提督殿、覚えていてくださいね。

※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。

CV:豊口めぐみ、イラストレーター:パセリ (クリックするとセリフ一覧が開きます)

CV:豊口めぐみ、イラストレーター:パセリ

定型ボイス一覧

イベントセリフ改装段階備考追加



 




 
追加
入手/ログイン陸軍特種船「神州丸」です。
統合的な上陸戦力を投射できる本格的な強襲揚陸艦の
先駆けとして建造されました。揚陸作戦はお任せください。
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改装された、陸軍特種船「神州丸」です。
統合的な上陸戦力を投射できる、本格的な強襲揚陸艦。
さらにその能力は向上しました。揚陸作戦は、お任せください。
×編集
母港*2編集
母港1詳細あーる……いえ。神州丸を、お呼びでありますか。×編集
G.L.……いえ、この神州丸を、お呼びですか?×編集
母港2詳細揚陸作戦ですか? 輸送作戦? ……ならば、投入のご検討を。編集
母港3提督殿。この船尾舟艇発進口が気になるご様子。ご覧になりますか? こちらです。多くの大発の連続発進が可能であります。
……提督殿? そこは、舷側ですが。
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提督殿。この、船尾泛水(へんすい)装置が気になるご様子。ご覧になりますか? 多くの大発の連続発進が可能で……。
あ……提督殿? そこは、船尾ではなく、舷側ハッチです。
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ケッコンカッコカリ提督殿? 本艦を? …本当で、ありますか? 嬉しい。ほんか…わ、わたくし、着替えてきます!編集
ケッコン後母港提督殿。わたくしも、兵食を作ってみたのですが…味見してもらっても…あ、ありがとう。 お、おいしい?編集
放置時G.L.、ゴッドランド……。ある種そのままではありますが 秘匿名というのは中々味わい深いものであります。ふぅ……編集
編成出撃編集
編成陸軍特種船、神州丸、抜錨です。みんな、頼むぞ。編集
出撃本艦、M.T.はこれより抜錨する。行くぞ!編集
開戦・攻撃*3編集
戦闘1昼戦開始前方に敵を発見した。是非もない。戦闘用意!編集
戦闘2昼戦攻撃てぇっ!編集
戦闘3夜戦開始夜か……警戒を怠るな。編集
戦闘4夜戦攻撃やらせるな!編集
戦闘時ステータス*4編集
小破くっ!編集
小破2うわあああっ!?編集
中破/大破被害を報告せよ。浅瀬に突っ込む必要は……ないな。編集
轟沈ついに本艦も、ここで沈むか。海は…冷たいな。編集
戦闘終了*5編集
勝利MVP本艦が、最も功績を? ……この栄誉、戦友殿と共に。編集
旗艦大破うわあああっ!?編集
装備・改修*6編集
装備1改修/改造その装備は、有り難いです。編集
装備2感謝、申し上げます。×編集
いえ、そこは馬用の部屋ではなく、格納庫……。×編集
装備3改修/改造/開発/バケツ/遠征/発見大発を出します。編集
その他編集
帰投提督殿、船団帰投。作戦は、完了であります。編集
補給輜重(しちょう)は、今なら大事なことだと、感じます。編集
入渠(小破以下)申し訳ない、少し下がります。編集
入渠(中破以上)提督殿、申し訳ない。しばし修繕を、急ぎます。編集
建造完了ついに、建造が完了しました。就役であります。編集
戦績表示情報は大切であります。お持ちしましょう。編集

各ボイス項目の詳しい説明はこちらをご覧ください


時報ボイス一覧

時刻セリフ改装段階備考追加



 




 
追加
00本日は不肖、この本艦が、秘書艦を務めます。現在時刻、マルマル、マルマル。×編集
01現在時刻、マルヒトマルマル。提督室、異常……なし。×編集
02現在時刻、マルフタマルマル。提督室、正面廊下。ここも異常、なし。×編集
03現在時刻、マルサンマルマル。提督殿、深夜の見回り、続行します。お任せください! 大浴場、異常、なし!×編集
04現在時刻、マルヨンマルマル。食堂、異常な……ん? 機影? なんだ? ……友軍母艦の、艦上偵察機? はて……。×編集
05現在時刻、マルゴーマルマル。総員起床をかけよう。起床ラッパでいいな。ふぅ……。×編集
06現在時刻、マルロクマルマル。提督殿。昨日は結構お酒を召し上がっていたので、朝食は飯盒で炊いた神州丸特製のおかゆにしてみました。たくあんと漬物も、よかったら。×編集
07現在時刻、マルナナマルマル。提督殿。食後のお茶、新しい物をお持ちしましょうか。お待ち下さい。×編集
08現在時刻、マルハチマルマル。さあ、港に参りましょうか。皆も待っています。×編集
09現在時刻、マルキューマルマル。ん……貴様らは、七戦隊。最上、三隈か。×編集
10現在時刻、ヒトマルマルマル。なに、最上気にするな。大切なのは、今この時。そして、これからです。×編集
11現在時刻、ヒトヒトマルマル。提督殿。もうすぐ、お昼であります。はい、用意はここに。×編集
12現在時刻、ヒトフタマルマル。お昼。昼食の時間であります。我らの握り飯は、一合飯。……少し、大きいですか。さ、お茶もここに。召し上がれ。×編集
13現在時刻、ヒトサンマルマル。提督殿。海の上も、気持ちの良いものであります、ね。×編集
14現在時刻、ヒトヨンマルマル。や、貴様は……あきつ丸。壮健か? それはなにより。共に励もう。×編集
15現在時刻、ヒトゴーマルマル。提督殿。甘い物は、どうですか? ミルクキャラメル。ほら、幸せであります。×編集
16現在時刻、ヒトロクマルマル。そろそろ夕方ですね。夜は危険です、船団を港に。×編集
17現在時刻、ヒトナナマルマル。提督殿、見てください。海に落ちる夕日が……綺麗であります。ああ……綺麗。×編集
18現在時刻、ヒトハチマルマル。提督殿、夕食はどうしましょう? え、来客? どなたでありますか?×編集
19貴様達は、二戦隊。……いや、今は四航戦か。日向、伊勢。現在時刻、ヒトキューマルマル。×編集
20日向、煙突の件は世話になった。……なに? 覚えてない? なんて奴だ。現在時刻は、フタマルマルマル。×編集
21現在時刻、フタヒトマルマル。まあいい。折角だ、飲もう。さあ、提督殿も。乾杯。×編集
22日向、この酒は? ……美味いな。信州諏訪の酒か。……いい! えっと……現在時刻は、フタフタヒック! ……マルマル。×編集
23やっと帰った……。提督殿、お互い少し飲みすぎましたか。お冷はここに。現在時刻、フタサン、マルマル。……はぁ。×編集


季節ボイス一覧


イベントセリフ改装段階備考追加



 




 
追加
桃の節句編集
春の訪れ編集
ホワイトデーこれは、あの! 提督殿……有り難いです。編集
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春本番編集
梅雨梅雨の季節であります。提督殿、てるてる坊主ですか? 上手ですね。風情があって、いいですね。編集
初夏編集
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盛夏編集
夏祭り編集
いいですね……この匂い、この雰囲気。これが、鎮守府の秋祭り。
……あっ、あれは何でありますか? 提督殿、ご一緒に!
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秋刀魚編集
晩秋編集
ハロウィン編集
秋のワイン編集
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師走編集
クリスマスはあ……これが、クリスマス。不思議な料理。でも、でもこの、ケーキというもの、とっても好みです、とっても!編集
年末師走となりました。年の瀬ですね。この季節になると、なんだか、少し悲しい気持ちになります。何故でしょうね。編集
新年提督殿。新年、あけましておめでとうございます。本年もこの神州丸、どうぞ運用下さい。お願いします。編集
節分編集
バレンタイン提督殿。あの……艦隊の、あ、船団の慣例ということなので。このチョコレートを、あの、宜しければ。編集

七周年記念提督殿。艦隊は、七周年だそうであります。おめでとうございます。本艦も……本艦も、祝賀致します。編集
八周年記念提督殿。艦隊は、遂に八周年であります。おめでとうございます。本艦も……本艦も、祝賀致します。編集
九周年記念提督殿。艦隊は、まさかの九周年であります。おめでとうございます。本艦も……本艦も、祝賀致します。編集


ゲームにおいて

  • あきつ丸に続く、2隻目の揚陸艦。
    • 未改造時点で装備可能な兵装は、小口径主砲/副砲/水上偵察機/水上戦闘機/小型電探/爆雷/大型ソナー/機関部強化/対空機銃/上陸用舟艇/特型内火艇/ドラム缶/中型バルジ/艦隊司令部施設/対地装備/水上艦要員
      • 改造後は大型電探/探照灯/大型探照灯/水上爆撃機/高射装置/回転翼機/ソナーも装備可能になる。
      • あきつ丸とは違い、艦上戦闘機/対潜哨戒機を装備できない代わりに水上偵察機/水上戦闘機/中型バルジ/水上艦要員を装備可能になっている。
    • 改装前のみではあるが、高射装置を装備できない珍しい水上艦である。
    • 対潜値を持ち爆雷と大型ソナーを装備可能だが水上爆撃機や回転翼機を搭載できず、未改造状態では対潜攻撃できない。
    • 補強増設装甲艇(AB艇)を装備することができる。
    • 主砲と水上偵察機を積めるので、装備次第では弾着観測射撃を行うことができる。
  • 未改造状態では弾薬消費が5と非常に少ない。

アップデート履歴

キャラクター設定について

  • 史実では日本陸軍虎の子の秘密兵器としてその存在を秘匿していたためか、艦娘の中でもかなり珍しいフード持ち。
    あきつ丸と同じ陸軍系艦娘ということもあって、こちらを「提督殿」と呼ぶ。
  • 目のハイライトが極めて弱く、一見いわゆる「死んだ目」に見える*7。誤射とはいえ味方に撃沈されサルベージを経験しているからだろうか…。もがみん……。
    • さらにその見事な「無表情」っぷりも相まって、いかにも感情が……という印象も。しかし実際にはキャラメル*8に幸せを感じていたり、鎮守府の行事を無邪気に楽しんでくれている*9といったような、素直で可愛らしい一面も見せてくれる。
      • 一方で、戦闘時などに見せる勇ましさや戦友達に対する堂々とした態度は、数多くの作戦で司令部指定船*10として上陸船団の中核を担い、最前線で戦い続けた歴戦の船であったという史実ゆえか。
        陸軍内ではそんな彼女に憧れるものも多いのだろうか、山汐丸熊野丸のテンションも爆上がりである*11
    • 改になって追加される時報ではその件で最上に謝られたようだが、本人は全く気にしていない模様。
    • 公式4コマではこの事件繋がりで、あきつ丸が着任回において最上を異様に敵視しているという形で存在が示唆されていた。2人が会話している場面はないまま公式4コマは連載終了してしまったので、あきつ丸が最上を許したのかは不明。*12
  • 同じ特種船でも「空母らしさ」はあるあきつ丸熊野丸とは異なりどうやって航空機を扱っているのか、一見するとよく分からない艤装となっている。というのも実船では艦橋の下に帆布が張られており、ここにカタパルトによって射出される航空機用の搬出口と格納庫が隠されていた。そしてこの格納庫を「馬欄甲板」、馬欄とは馬小屋のことであり、要するにここは馬用スペースだとして秘匿しているのである。艦橋のすぐ下に馬、というのもかなり無理があるんじゃこのような対応からも分かるように、神州丸の航空機運用設備はトップシークレット扱いだった。
    • 神州丸がこの能力について明言するセリフは、今の所なし。改になると「馬用の部屋ではない」事を本人から教えてくれるが、ここでも「航空機用」とまでは言わないあたり神州丸自身普段から機密情報として気を使っているのかもしれない。
    • そして実際には、カタパルトに対応していた航空機そのものが時と共に旧式化した事もあり、航空機用格納庫は将兵の居住スペースまたは物資用の倉庫として活用されてしまうことに…。*13
  • 箱型の船体を模した大きな艤装に煙突が2本描かれているが、このうち中央部にある太い煙突は航空機用格納庫など船内設備を誤魔化す為のダミー煙突であり、実際には見えている部分しかない。つまりはハリボテである…。
    • この煙突、実は日向が改装時に不要になったものを譲り受けたものだったりする。基本的には乗せているだけなので自由に取り外し可能。この件については改の時報で日向にお礼を言っているが、当の日向は覚えていない模様。なんて奴だ。史実では後に改造されてそのまま兵員用の待機所になった、という話もあるとか。*14
  • 通常時はコートや手で隠れていて分かりにくいが、中破するとあきつ丸以上に立派な胸部装甲があることが確認できる。

小ネタ

  • 日本陸軍が建造した『陸軍特種船』の第一号。
    「大量の上陸用舟艇と支援舟艇に加え、カタパルトにより射出される航空機を搭載。陸・海・空の戦力を総合運用し、大戦力を一気に揚陸する」まさに近代強襲揚陸艦の原点と言うべき存在だった。海軍ではなく陸軍、という時点で驚くべきことだが、この発想は大戦中どころか21世紀の今日でさえ通用する非常に先進的なものであったのだ。
  • 神州」とは日本そのものを指す雅称。つまり扶桑秋津洲などとルーツは同じである。*15神州丸の登場で日本の雅称艦隊が組めるようになった。
    • 建造時の仮名称は「R1運送船」であった。このRは「Rikugun(陸軍)」の意。つまり「R1」=「陸軍最初(1号)の船」*16ということになる。
      令和元年でも乳酸菌でもお笑いないよ。
    • 「R1運送船」の他に「G.L.」「M.T.」「龍城丸」といった秘匿名称もあった。「G.L.」は「神州」の直訳(God Land)。「M.T.」は「軍隊輸送船」(Military Transport)、または命名当時の初代船舶輸送司令官である松田巻平中将(Matsuda)及び2代目司令官の田尻昌次中将(Tajiri)のイニシャルから採られたものであるとされる。「龍城丸(龍城)」は同音異字である航空母艦龍驤とあえて船名を被らせる事で秘匿を図ったともいわれる。

陸軍さんが語りたがっているので格納

  • 海国の陸軍として「海を渡る」事を避けては通れない日本陸軍が、より効率的且つ迅速な近代上陸作戦を遂行するべく建造した陸軍特種船の第一号。
    • 神州丸を近代的揚陸艦たらしめた機能こそ、船首から船尾迄の船内空間に最大25隻もの大発動艇搭載を可能とした『全通式格納庫』*17、そしてそれらの上陸用舟艇を兵員・戦車を始めとする軍用車両・火砲や物資を満載した状態で迅速に展開する『船尾舟艇泛水装置』*18だろう。
    • これにより「空の状態で輸送船の甲板に積んだ舟艇をデリックによって海上へと降ろし、縄梯子を伝って1人ずつ乗り込む」、「火砲や車両などの重量兵器も1門1両ずつ吊り上げて、輸送船へと接舷した舟艇に搭載していく」といった危険と時間を伴う従来方式の問題点を一挙に解決できるという、画期的な新機能となっていた。*19

「提督殿。この、船尾泛水装置が気になるご様子。」

船尾舟艇泛水装置による発進・収容手順解説

船尾舟艇泛水装置による発進・収容手順解説

  • 神州丸は泛水作業隊*20の高い技量とその優れた機能により、第一艇の発進開始から格納庫内全隻の泛水完了まで約30分という連続発進を可能としていた。大発動艇1隻には完全武装兵がおよそ70名乗り込める為、大隊単位での迅速な戦力展開を実現しているのである。以下、大まかな流れではあるが、全通式格納庫からの発進手順を解説する。
    • まず、格納庫内には回転式硬質木台*21が埋め込まれた軌道が右舷側・左舷側の船尾泛水口へと並列に敷かれ、大発は軌道上及びその内側に各種兵器類を搭載したまま収容、固定されている。
    • この軌道に沿って天井部に架設されるトロリーワイヤーからは数組の牽引用曳索(ワイヤー)が降ろされており、固定を解除した大発の艇首・艇尾2箇所へと連結する。
    • 上陸泊地へと進航後、神州丸は船尾大型ハッチ(泛水扉)を開放。2箇所の泛水口から滑走台(スロープ)を展張して後部バラストタンクに注水、船尾の吃水を深くする事で滑走台を着水させる。
    • 大発艇長と泛水作業隊分隊長が示し合わせて「泛水」の号令を下すと、舟艇隊出撃!反転台(シーソー)前方に設置された30t電動ウィンチの駆動と共に、トロリーワイヤーと牽引用曳索で繋がれた大発も曳行を開始、軌道上を船尾方向へと滑動していく。
    • 反転台手前で大発艇尾の曳索を解除し、そのまま反転台へ。
    • 反転台中央部を通過すると大発は後方に傾き、艇首部の牽引用曳索は自動で解除される。そして反転台と滑走台の傾斜角度が同一になると同時に滑走台を滑り出し、海面へ!
    • 軌道上の大発発進に伴い、軌道内側に搭載された大発を軌道上へと移す作業が行われる。大発中央部にワイヤーを巻き付け、ウィンチと横移動用木台によって軌道上へと移動。同じ要領で順次発進させていき、泛水作業完了!
    • なお、上陸作戦においては特に急速泛水が重視*22されるため、泛水作業隊は泊地への進入前から持ち場*23について舟艇隊員と共に作業を開始することとなるが、この舟艇格納庫内においても「あらかじめ船尾大型ハッチを開く」「軌道上の全艇に牽引用曳索を連結する」「発進第一艇を反転台まで曳行しておく」といった事前準備がなされていた。
  • 大発25隻の収容所要時間は作業開始から約1時間であったという。だが発進作業と異なり波の高さといった海上の影響を強く受けるため、泛水隊員と舟艇隊員の技量によっても大きく左右された。収容手順は以下の通り。
    • 船尾大型ハッチ(泛水扉)を開放し、泛水口から滑走台を展張。船橋と連絡を取りつつ、状況によってはバラストタンクの注水・排水を行ない滑走台の吃水を調節する。
    • 吃水が適切な深さとなれば、船尾で待機している大発に「進入よし」の合図を送る。
    • 合図をうけた大発は滑走台へ達着。素早く艇首部に牽引用の曳索を掛け、反転台を傾斜させてからトロリーを稼働、格納庫内に曳き揚げて艇尾にも曳索を繋ぎ、そのまま船首方向へ。
    • 所定の位置まで移動後、ウィンチと横移動用木台によって軌道内側、次いで軌道上に大発を格納していく。
    • 全艇の格納を終えたのち滑走台を収容、後部甲板作業区に対して「船尾門閉鎖」を要求する。船尾扉を降ろした後は水密を保つため金具によって固定、収容作業完了!
  • この泛水機構は神州丸の時点でほぼ完成されており、あきつ丸ほか以降の特種船にもほぼそのままの形で受け継がれ、陸軍特種船最大の特徴となっていった。
    • そして無論、神州丸の搭載する舟艇は格納庫内の大発だけではない。船体前後の上甲板や最上部の端艇甲板も合わせれば、およそ50隻に及ぶ舟艇の搭載が可能なのだ。
      いざ上陸作戦となれば軍属船員と泛水作業隊はもちろん、最前にたって部隊・物資の揚陸を行なう船舶工兵1個中隊、歩兵1~2個大隊と上陸部隊の上級司令部、上陸船団を護る船砲隊*24、主に船舶間・船舶―基地間の連絡を担当する船舶通信隊など様々な部隊が乗船。「あの…飛行隊は……?」協同一致して揚陸艦、さらには司令船としての任務に邁進する事となる
  • このような特性ゆえ、陸軍は神州丸を『第一級秘密兵器』として扱い、存在を厳重に秘匿している。その為に普段は『馬匹及び重材料輸送船』と称され新聞・雑誌を始めとする公刊印刷物への記載はもちろん禁止、日本の保有するあらゆる船が登録される筈の日本船舶名簿にもその名はなく、「幻の船」ともいえるような存在だった。極一部の関係者を除き見学や写真撮影、写生に研究のための模型作成など神州丸に対する事柄は全て原則として陸軍大臣の許可が必要といわれ、乗船する陸軍部隊にすらその性能の全容は知らされていなかったとか。
    その割には日中戦争の最初期から最前線に出動しまくっているが…。その際には現地の米海軍に、至近距離から神州丸を盗撮写真撮影されてしまったことも。



  • あきつ丸など量産型特種船が民間から徴用した形になっているのと異なり、神州丸は陸軍省に所属。まさしく「陸軍の船」となっている。
    • その初期案(R1)は、もちろん日本陸軍が中心となり設計が行われた…のだが、この時に完成した設計図はなんとも奇想天外なものであった。
      • 船橋下の前方部分がトンネル状になっており、ここから運び出された搭載機*25船首まで続く滑走路により自力で発進する。もはや空母じゃん?
      • さらに船体後部にも航空機格納庫が存在し、エレベーターによって甲板上に移動させ2基のカタパルトから射出可能。
      • 兵員や物資を満載した搭載舟艇を船体内の舟艇格納庫から迅速に出撃させるスロープ式発進装置に加え、船体両舷にも上陸用舟艇用のボートダビットを多数装備
        等々、上陸作戦に必要と思われる要素をこれでもかと詰め込んだ、まさしく陸軍の望む夢の船、といった形に仕上がってしまったのである…。
    • 陸軍によるこの設計案があまりに変態的現実離れしていたため海軍艦政本部によって手直しを受ける事となるが…結局特異な形状は変わらぬまま、ついに陸軍念願の揚陸艦は完成する事となる。
      • まず全長は初期設計よりもひと回り大きな144mとなり、主機関もディーゼル3基3軸(4000馬力)から蒸気タービン1基1軸(7500馬力)へ変更。ボイラーには海軍の艦本式が採用され、最大速力20.4ktを発揮した。海軍艦に見慣れてしまえば遅いと感じるかもしれないが、実の所この速力は当時日本が保有していた最優秀の貨物船*26と同等以上。つまり、輸送船としては非常に速い。優秀船で構成された高速船団を司令船として率いるには十分な速力といえる。
      • そして何よりもR1最大の特徴であった船首部分の飛行甲板やむき出しのカタパルトが廃止され、船体上部が巨大な箱型となる。更に目立つようになったといえばまあ…その通りなのだが、航空機関連の機能を全てこの船体上部に集中する事で舟艇用スペースが大幅に増加。舟艇格納庫は船首から船尾まで船体内部を貫く全通式となり、運用効率の向上を実現した。*27
      • この大型化に伴い兵員用の居住空間を拡大する事にも成功。冷房機能や換気設備、大人数に対応できる厠*28など船内環境も整備され、「軍隊輸送船」としての能力も洗練されている。*29
      • また、重量級兵器の取り扱いを容易にするためにデリックも強化。イラストで大発を吊り上げている大型デリックも、この再設計で追加されたもの。
    • このように一見良いとこ尽くめの進化を遂げた神州丸であったが、彼女にはその構造上、新たな弱点が生まれてしまっている。
      上がどデカく中にはぶっ通しの格納庫……。そう、トップヘビー なのである。
      • ひとたび海が荒れだすと激しいローリング(横)とピッチング(縦)が共に襲い掛かり、波と風に弄ばれるかの如く揺れに揺れまくった。神州丸に乗船予定であったとある部隊の参謀が会議の際「乗りたくないから船を変わってくれないか」と申し出てきた…なんて話もある程だったのだ。*30
    • しかしながらこの形状は偶然か必然か、現代のドック型揚陸艦とよく似ている。確かにこれまで経験のない、新たな艦種だった事もありいくつかの不備こそあったが、兎にも角にも陸軍と海軍の非常に先進的な見識で生み出された船であったとも言っていいだろう。
    • なお 一目見て特別と分かるという点は陸軍も非常に気にしていたようで、この後量産された陸軍特種船はあきつ丸など空母型を除き、一般的な「貨物船型」となる。*31



  • 箱型の船体上部には前述のように『航空機格納庫(馬欄甲板)』があり、分解したものも含めて最大12機の戦闘機や偵察機を搭載可能となっている。これら搭載機は出撃の際、船体前部の大型デリックによってカタパルト上に運ばれ、射出される。ちなみに 着船設備などない
    • とはいえ、神州丸の建造当時は航空機の航続距離がまだまだ短く、戦闘機といった小型機による渡洋飛行など非常に難しい話であった。確かに運用こそ制限されるものの「分解して輸送船に積み込み、現地で降ろして再び組み立て、試験飛行などを行った後にようやく実戦」という非常に面倒な手順を踏まず即座に戦場へ航空戦力を送り込む事も可能なこの能力は、空母のような母艦を持たない陸軍にとってこの一面だけ見れば有用であったともいえるだろう。*32
      • もっとも、当の陸軍は起工開始後も再設計を担当した海軍に「飛行甲板がほしい」と要請する等、最後まで空母型を諦めきれていなかったようである。
        この熱意?が後に……
  • 艦娘グラフィックの艤装では背中部分にデリックが確認できるが、これは神州丸の船体前部甲板に装備され大きな特徴にもなっていた『トラス式大型デリック』がモデルとなっている。トラス式、つまり三角形の骨組みで構成された容量30tの巨大なデリックで、イラストのように大発はもちろん戦車砲塔や双連機関銃塔を装備した装甲艇*33や上陸地点の強行偵察を行なう高速艇甲といった支援舟艇も泛水または搭載、戦車・重砲等の重量兵器だって容易く吊り上げられる、見た目通り強力なもの。*34
    • 前部上甲板は大発なら4隻の搭載が可能となっている他、中央部に船体中心線から両舷方向へとスライドさせて開放できる『マッカンキング式特大倉口蓋』があり、縦14m・横7mもの倉口を開くことで直接格納庫へと各種兵器を収容可能となっていた。
  • 後部甲板にも前部甲板にあるものと似た三脚のデリックポストが立っており、ここにも『後部大型デリック』が存在する。通常は船体に対して水平に倒れている為あまり目立たないが、このデリックが可動し立ち上がると揚貨重量50tに及ぶ強力なデリックとなり、各種舟艇を後部甲板へ搭載または泛水させることができた。
    • 上陸作戦の際は、この後部甲板に乗船した船舶工兵隊が運用する装甲艇と高速艇甲を各2隻ずつ、計4隻の搭載が基本となっている。そのため、重量級舟艇である装甲艇の吊り上げ時に輪として重心部前後へ艇を底から抱えるように掛ける長大なワイヤーロープや、流線型をしている高速艇甲の専用架台などが常備されていた。
    • これら舟艇の泛水所要時間は最短で約30分、搭載なら約1時間であった。ただ、搭載艇ではもっとも大きく重い装甲艇のバランスを保つ事、そして高速艇甲の専用架台への積載などは特に慎重な作業が求められる為、泛水作業隊と作業に協力する舟艇隊員の練度や海上の状況によって所要時間も大きく左右されたという。
  • 独特の箱型船体を模した艤装の側面に見えている枠は『中門扉』*35。船体中央両舷、つまり全通式舟艇格納庫部分へ配置されたこの中門を開き、上部に収納されているホイストクレーン用支持台及び補助レール*36を展開する事で、大発など格納庫内の舟艇を直接取り扱う事ができる。実は航空機運用能力、船尾泛水装置に並ぶ機密設備であったようで、あきつ丸のような特種船仲間にも見られない神州丸唯一無二の機能だった。*37
    • 中門のホイストクレーンは吊揚荷重15tまでとなっており、多数の兵員や戦車を載せた状態の上陸用舟艇を扱う事はできなかったが…しかし運用面ではかなり使える設備だったらしく、舟艇の泛水や搭載をはじめ様々な場面で多用されていたという便利機能なのである。



  • 艤装に多数装備された大発や小発*38からも「舟艇母船」「舟母」とも称された陸軍特種船の特性がよく分かるが、上陸作戦時はその護衛艇となる『装甲艇』(AB艇)や高速偵察艇の『高速艇甲』(HB-K艇)といった支援舟艇も搭載する。
    • 日本軍舟艇の代表格と言えるであろうお馴染み『大発動艇』(LB艇)、通称「大発」はかねてより上陸戦への関心を強く持っていた日本陸軍が、第一次世界大戦中に建造された連合国軍の歩板付舟艇からもヒントを得て研究、開発したとされる。搭載能力としては最大11t、八九式中戦車・軽戦車・自動貨車等なら1輌、兵員の場合60~70名まで乗艇可能。なお、大発の採用から暫くあとに開発された九七式中戦車(チハ)は重量と車体サイズの関係上、大発に搭載する事ができなかった。そのため大発を大型化した特大発動艇*39が新たに開発され、主に機甲部隊の揚陸用として整備されている。
      • 艇首が倒れてそのまま歩板となる揚搭用機能、艇を安定して海岸に固定できるW型の艇底、鋼板製艇体による比較的良好な耐弾性と高い耐波性能、岩礁など障害に強く浅瀬での運用に適した推進装置(スパイラル・スクリュー)等、開発当時は世界の先端を行く上陸用舟艇であった。
      • 上陸時の手順としてはまず着岸と同時に艇首を開き、大発に繋がれたロープを持つ2名の艇員が飛び出して伏せながらロープを引っ張り、大発を海岸に固定。これに続くように乗り込んでいた部隊が一斉に上陸するのだ。上陸後はあらかじめ落としていた錨を巻き上げ、大発を離岸させる。
      • 総生産数は5千隻を超え、日本陸海軍が行なうあらゆる上陸作戦や輸送任務に投入されたこの大発だが、前線では各種火砲や重機関銃などで武装を施し装甲艇代わりの武装大発として運用した部隊も存在する。
    • イラストでは艤装の上、甲板上の砲塔を装備した艇が『装甲艇』である。こちらは上陸作戦時に海岸へ接近して搭載銃砲により対地支援、また上陸援護の為の煙幕展張を行う戦闘支援艇で、八九式中戦車の九〇式57mm戦車砲塔1基と八九式旋回機関銃塔2基(7.7mm双連式機銃)、煙幕展張装置、通信設備などを備えていた。*40
      • 装甲艇は比較的小型*41であるため輸送船の甲板にも大発と同じように搭載でき、上陸作戦はもちろん河川でのパトロールや渡河作戦支援、船舶護衛など幅広い任務で運用された。神州丸には高速艇甲と共に前部または後部甲板へそれぞれ各2隻ずつ、最大4隻搭載可能となっている。
      • しかし武装化・装甲化されているだけあって結構な重量があり、舷外で吊り上げていると、神州丸でもそちら側へ船体が傾斜してしまう程だったようだ。
    • 『高速艇甲』は、艤装には描かれていない。陸軍が研究のため輸入したイギリス製魚雷艇を原型として独自開発したものであり、その高速性能によって上陸地点の強行偵察及び部隊間・船舶間の連絡を任務としている。また装甲艇のような固定武装はないが、武装兵を最大8名まで乗艇させ、高速の軽輸送艇として運用する事もできた。
      • 日本海軍が同じく高速艇として運用していたものより遥かに性能が高く、陸軍の船舶関係者達はこれを指して「海軍のいわゆる高速艇」揶揄区別していたらしい…。仲良くしろよ…
      • 一方、高速艇の開発に難航していた海軍は陸軍から高速艇甲などの技術提供を受け艇体をほぼそのままコピーした魚雷艇を開発していたりする。
  • ちなみにこれら陸軍舟艇へ割り当てられた略称は、それぞれ「LB艇」(Large・Boat=大発動艇)、「SB艇」(Small・Boat=小発動艇)、「AB艇」(Armored・Boat=装甲艇)、「HB-K艇」(High-speed・Boat・Kou=高速艇甲)を意味しているのだとか。
    GL「やっぱりそのままであります。」



  • 他、陸軍独自の装備としては対潜水艦水中音響兵器『す号装置』を搭載している。
    • これはフランス製のコピーであった海軍の九三式水中探信儀*42と異なり、独自開発された日本初の国産アクティブソナーである。元々太平洋方面を重視していた海軍に代わり日本海方面に出没するであろうソ連潜水艦隊への対策、つまり拠点防衛のために開発されたソナーとされ、日米開戦前までには既に各要地に配備されていた。ただ装置自体が非常に大掛かりな物で、生産にも船舶への搭載にも手間がかかり、積める船は設計に余裕のある「考慮された船」程度に限られていたとも。またこの手の日本製兵器の例に漏れず、なかなか動作が安定せず、操作は大変で、性能自体もあまり良くなかったという。*43
      • だが『これまでにもす号、ら号により敵潜を探知し、わが方から先制爆雷攻撃を仕掛けたことはたびたびで』*44といった証言もあり全く使えない兵器、という訳ではなかったともいえるだろう。
  • 防御面では対雷障壁*45などを有してはいたものの、喫水線付近に巨大な舟艇格納庫が存在する事により浸水を防ぐ隔壁が少なく、そのため魚雷を始めとする喫水線以下の攻撃にはとてつもなく脆かった。その太ももはそういう。もっともこれは神州丸に限らない事で、揚陸艦の宿命といえばそうなのだが……。
  • 「暁の宇品」によると、杭州湾上陸時には大発81、小発94、特大発9、高速艇14、大小艀113が投入されたそうなので、TP2000位?
    参考文献

    参考文献
    沖修二「山下奉文-至誠通天」秋田書店 1968
    今村均「私記・一軍人六十年の哀歓」芙蓉書房 1970年
    駒宮真七郎「船舶砲兵-血で綴られた戦時輸送船史」出版協同社 1977
    渦潮会戦史編集委員会「陸軍特殊船-独立工兵第六聯隊泛水作業隊の記録」渦潮会 戦誌刊行会 1984
    松原茂生、遠藤昭「陸軍船舶戦争」戦誌刊行会 1996
    伊藤正徳「帝国陸軍の最後 進攻篇」光人社NF文庫 1998
    寺本弘「戦車隊よもやま物語 部隊創設から実戦まで」光人社NF文庫 2004
    藤田昌雄「『陸軍船舶隊』の知られざる記録」丸2008年4月号 潮書房
    岩重多四郎「戦時輸送船ビジュアルガイド 日の丸船隊ギャラリー」大日本絵画 2009
    梅本弘「オスプレイ軍用機シリーズ56 第二次大戦の隼のエース」大日本絵画 2010
    奥本剛「日本陸軍の航空母艦 舟艇母船から護衛空母まで」大日本絵画 2011
    学研パブリッシング「日本の軍用船 (歴史群像シリーズ)」学研プラス 2011
    大内健二「揚陸艦艇入門 敵前上陸するための数多くの艦船」光人社NF文庫 2013
    佐山二郎「工兵入門 技術兵科徹底研究 新装版」光人社NF文庫 2021
    堀川惠子「暁の宇品 陸軍船舶司令官たちのヒロシマ」講談社 2021

戦歴

  • 1933年4月8日、播磨造船所にて起工。
  • 1934年2月、「神州丸」と改名。3月14日進水。
    • 同12月15日、竣工式。播磨造船所を出港した神州丸は陸軍船舶部隊の拠点であり、以降の母港となる広島県宇品港へ向かった。
  • 1935年1月、KS機(航空機射出機の秘匿名)及び関連装置を搭載するため、呉海軍工廠に廻航。改修工事が行われる。
    • 同3月、豊後水道において秩父宮殿下台臨の元、九一式戦闘機の射出試験。次々発進した戦闘機は無事広島練兵場に着陸し、試験は大成功に終わる。
  • 完成した神州丸は金輪島*46の島陰で秘匿名「GL」として身を隠すように繋留しており、特に機密とされた泛水機能に関する訓練(特殊泛水手教育)は、ごく一部の船舶工兵隊に対してのみ行われていた。
    1937年7月、その工兵隊内の第三中隊が独立工兵第六連隊へと改編。さらにこの連隊が母隊となり、陸軍初の「泛水作業隊」も編成される。泛水作業隊は特種船専門部隊としてはじめて神州丸に乗船し、神州丸は名実ともに特種船(揚陸艦)となった。
  • 初陣と共に秘匿名「GL」から「MT」となった神州丸は日中戦争最初期から最前線で活動している。そのため戦歴も多数ある*47が、ここではゲームとの関わりが強い太平洋戦争の部分のみを記載することとする。
    南方作戦開始から、蘭印方面での被雷まで

    南方作戦開始から、蘭印方面での被雷まで

    • 1941年8月、日本とアジアに領地を持つ米英中心の国々との緊張が高まり続ける中、神州丸は播磨造船所へ入渠。対空火器の増強や対潜ソナー、磁気機雷防御装置*48の追加など、改装工事が10月末頃まで行われた。
      • 南方での大規模上陸作戦に対応するため陸軍内に「揚陸団」が新設されると、神州丸泛水作業隊はマレー半島方面の上陸作戦を担当する第二揚陸団に配属。マレー・シンガポール攻略軍である第25軍の指揮下に入った。そして「開戦劈頭における軍司令部揚陸」という大任を担う事となる。
        • なお、揚陸団とは独立工兵連隊(船舶工兵)・碇泊場司令部*49・船舶工作廠*50・各種勤務中隊*51など、軍隊が上陸する際に欠く事のできない部隊を統轄する揚陸専門の上級機関となっている。
    • 11月15日、作戦にあたり秘匿名を「MT」から「龍城丸(龍城)」へ改めた神州丸は装甲艇2隻、高速艇甲・乙各2隻、大・小発動艇42隻を搭載。更に燃料や食糧といった物資を満載して17時、宇品を出港。上海、台湾高雄を経由しつつ各地の部隊を乗船させ、輸送船団の集結地点である海南島を目指した。
      • このような軍隊の移動は、防諜の為陸軍内においても情報秘匿が徹底されていた。*52神州丸船内には「いよいよ南方作戦か」という空気こそあったものの、この段階では「どこで、どのような軍事行動を起こすのか」といった具体的な事は大多数が知らなかったようだ。
    • 11月28日、海南島三亜に入港。この時の神州丸には軍属船員に泛水作業隊、船舶砲兵隊はもちろん、工兵1個中隊とその連隊本部、歩兵2個大隊、通信隊、車輌部隊など多数の部隊が乗船していたようで、かなりの大所帯であった。翌日、第25軍司令官山下奉文中将が司令部高官と共に乗船。同時に軍司令部も龍城丸(神州丸)へと移っている。
      • 実は、山下司令官は陸軍省勤務時代、神州丸の建造に携わっていた。この日の日記にも『午後竜城丸に乗船す。もとの神州丸なり。建造に関係せし馴染みのものなれば嬉し。』*53と書き記し、懐かしそうに船内を見て回っていたという。その後、12月に入ってからは船内の高官公室に籠もって、じっとマレー半島の地図を眺めているような事が多くなり、出港後も上陸作戦が開始されるまでほとんど外に出る事はなかったといわれている。

    日本はこのような戦争準備を進める一方で、日米交渉等による平和的解決の道も探ってはいた。しかし、日本側が密かに外交期限としていた日時までの合意とは至らず、ついに南方資源獲得を目的とした武力発動を決定。「ヒノデハヤマガタトス」の暗号電文により、開戦日は12月8日と伝えられた。

    • 12月4日7時、部隊の乗船替え、そして最後の上陸演習を終えた日本軍輸送船団は第25軍主力を乗せ、上陸地点マレー半島を目指し三亜を出港。輸送船団は南遣艦隊、そして陸軍飛行第64戦隊の上空援護を受けつつ欺瞞航路をとりながらマレーへと向かった。
      『一億の一つ心に引く弓の箭ははなたれたり月日照る朝』 *54



    12月8日、日本陸軍はシンゴラ、パタニ、コタバル、ターペなどマレー半島各地点に同時上陸を開始。軍司令官山下中将が座乗する龍城丸は、軍司令部船として輸送船10隻を率い「シンゴラ上陸作戦」に参加している。

    • 8日深夜、船団はシンゴラ泊地に進入。無事投錨を完了して第二揚陸団長の号令一下、一斉に泛水を開始した。しかし、天候は次第に崩れて海は大荒れ。強風と波頭2mに及ぶ高波の中での泛水と舟艇への移乗は危険極まりなく、上陸部隊も月明かりの中、声援や助言の声を送られてなんとか舟艇に乗り込んでいった。
      このような状況では波の影響を受けづらい神州丸の泛水方式が非常に有利で、船尾泛水口からは大発が次々発進。各輸送船へと配当した。後部甲板に搭載された装甲艇や高速艇甲といった支援舟艇、端艇甲板(最上部甲板)からボートダビットにより降ろされる小発の直接泛水には相当な苦労があったものの、無事搭載する全艇の泛水を成功させている。
      • 上陸部隊の中でも特に困難を極めたのが戦車で、なにせ全長18mの特大発動艇が輸送船へと接舷、輸送船側は強風と大揺れの中、デリックによって船倉から戦車を吊り上げ、同じように大揺れする特大発に積み下ろさなければならない。*55船・舟艇・戦車の呼吸が合わなければいずれもたちまち損傷、最悪特大発と戦車が諸共沈んでしまう。搭載はできても15tのチハ戦車と共に高波に乗り、荒れ狂う水際の巻浪を突破するのは容易ではない。
        実際、重量兵器の扱いは危険だとして一時中止されていたのだが、中には輸送指揮官へ直訴までして作業の続行を求める戦車隊もあった。これが受け入れられそのまま作業を続行、見事に戦車を搭載して荒波を突破。第一陣の歩兵部隊と共に上陸を果たし、『ほとんど不可能に近い戦車の上陸をなし遂げた』*56という部隊も存在した。
    • 午前3時40分頃、「一斉発進」を示す白灯信号が掲げられ、第一陣を乗せた約100隻の舟艇隊は横隊に展開しつつ、シンゴラの海岸へと突入していった。悪天候のため、波にのまれて海面へ叩きつけられるように転覆してしまう艇もある中で、海岸へ到達した舟艇からは第一次上陸部隊がずぶ濡れになりながらも上陸。この時、攻撃を受ける事はなく、山下軍司令官の立つ龍城丸船橋にもやがて打ち上がった「上陸成功」の信号弾がはっきりと見えている。
      • そして第二陣にて、格納庫内で第25軍司令官と幕僚を乗艇させた大発が船尾泛水口より発進、上陸を成功。のち「マレーの虎」として全国民の知るところとなる山下中将も無事、東洋におけるイギリスの一大拠点シンガポール攻略の第一歩を踏み出した。なお山下軍司令官を補佐する専属副官、鈴木大尉が記した副官日誌にはシンゴラ上陸、激戦となったコタバル、そして開戦直後に伝えられた情報について次のように述べられている。

        『一時頃投錨す。敵未だ察知せず、三時四十分第一回上陸す。波浪約三メートルにて困難なり。コタバル上陸の佗美支隊は敵の攻撃を受けつつあり。淡路山丸、綾戸山丸は爆沈されたりとの無電あり、悲愴なり。五時二十分、軍司令官は後方玄門より大発動艇に乗船のまま、無事上陸す。その地点に寺院あり、煌々と電燈を点じあり、敵の爆撃目標となる故これを避け、浜辺に小休止をなす。』*57
        『竜城丸の荷物揚陸終りたる由、第一連隊無線中隊の太田少尉、ニュースを持って連絡に来る。大本営の発表、宣戦布告せられたり。軍司令官の気にしていられたること解消。ハワイ、フィリピン、香港を猛攻、大なる戦果を挙げたる由。コタバルの佗美支隊は苦戦ながら士気旺盛、戦果拡大しあり。』*58

    • ちなみに第25軍司令部は当初、神州丸の船尾泛水口からの発進をあまり考えていなかったようである。これには『しかし軍司令部の高官は、船尾から突き出される大発に乗っての出発は、いかにも軍司令官の出師にふさわしくないという考え』*59もあったようなのだが、悪天候のため接舷した大発がなかなか移乗できる状態にならない中、『そこで軍司令部の高官が、上甲板で軍司令官をモッコー(物を移載するのに使う網)に乗って貰って、デリックブームで大発の胴の間(胴の間というのは船員言葉で大発の中央という意味)に移せばよいという風に話している』*60事態にまでなってしまい、慌てて泛水作業隊が「それでは閣下があまりにも危険過ぎる」と進言。既に中甲板(舟艇格納庫)の反転台上で歩板を開き待機させていた大発まで案内して、無事一番安全な船尾から発進する山下軍司令官ほか司令部一同を見送ったという。
      • 軍司令部の揚陸成功後も、神州丸は舟艇母船としての任務*61に就いた。その後は増援部隊・物資の揚陸も行ない、マレー半島をひたすらに突進してシンガポールを目指す地上部隊の作戦を支援している。



    1942年2月、日本軍はABDA連合軍8万人が守備する蘭印の中心地、ジャワ島の制圧を開始。開戦前のいわゆるABCD包囲網などにより石油供給も断たれていた日本にとって、大規模な油田地帯を有する蘭印の攻略は、南方作戦における最重要目標の一つであった。18日、56隻からなる第16軍主力上陸船団は仏印カムラン湾を出港。龍城丸(神州丸)には第16軍司令官今村均中将が座乗し、再び軍司令部船としてジャワ島西部での「バンタム上陸作戦」に参加する。なお蘭印攻略戦が初陣となった妹船あきつ丸は「メラク上陸作戦」を担当しており別行動となっていた。*62

    • なお、作戦前の協定会議において海軍は「敵の攻撃を受ける可能性が高く、また龍城丸は目立つから、司令部船は別の船にした方がよい」と奨めていた。しかし「どの船にするか」と聞かれて「龍城丸」と即座に答えていた今村中将は考えを変えず、そのまま龍城丸は軍司令部船に決定したといわれている。
      陸軍の南方上陸作戦と小沢治三郎海軍中将

      陸軍の南方上陸作戦と小沢治三郎海軍中将

      • カムラン湾出航前、軍司令部船を龍城丸に決め作戦準備を進めていた今村軍司令官の元に船団護衛を担当していた第5水雷戦隊司令官、原顕三郎少将が訪ねてきた。原少将は「今頃こんな事を申すのは、時機が遅れておりますが…。」と申し訳なさそうに前置きした上で、「私は現状の戦力による船団護衛に不安を感じており、今日まで色々手を尽くしてみたが、遂に私の希望は認められない事となった。このままでは万一の場合、主力船団を守りきる事は難しい。」と率直に自らの意見を述べたという。
        • そこで今村軍司令官はすぐに第16軍参謀長岡崎少将と作戦主任参謀於田中佐を南方総軍司令部に派遣。南方総軍経由で、陸軍側から海上護衛戦力の増援を連合艦隊に要請するよう上申したのだが、塚田総軍参謀長からの返答は「海上護衛の戦力も総軍と連合艦隊との作戦協定で既に決定された事であり、陸軍からそのような不安を伝えるのは避けたい。海上護衛はすべて海軍の責任である。」といったもので、要は陸軍としてはなんの対処もしない、というものであった。
        • しかし、このような事務的といえる決定に納得できず、南方軍総司令官寺内大将に直接交渉しようと考えていた今村軍司令官に手を差し伸べたのが第一南遣艦隊司令長官、小沢治三郎中将だった。まずは海軍側の意見も把握しようと小沢長官の元に出向いた今村軍司令官に対し小沢長官は「今から総軍と交渉して、それを連合艦隊に伝えるようでは時間が足りない。自分の部下の艦隊から戦力を引き抜いて、護衛に増援しましょう。」と第16軍の要請を二つ返事で快諾してくれたのである。今村軍司令官は『この提督は、万一にも連合艦隊の不承認があったらいけないと思ってか、全くの独断により、こんな大きな兵力転用を断行』*63し、直掩だけでなく船団出航後も重巡の派遣までしてくれた、小沢長官の決断がなければこの上陸作戦は一体どうなっていたか、と深く感謝しており、この出来事について『私は今に、その時の感激を忘れないでいる。』*64という言葉を残している。
      • また、小沢中将は開戦劈頭のマレー作戦においても、その作戦遂行に大きく貢献している。マレー上陸の主眼は複数地点への同時上陸にあったのだが、海軍は当初、イギリス軍飛行場が存在し、防衛の為の戦力も充実していると予想されるコタバル方面への敵前上陸を問題視していた。しかし陸軍としては、輸送船団と上陸部隊を危険に晒し続ける前線の敵飛行場を野放しにする訳にもいかず、かといって航空作戦により連合国軍の航空戦力撃破を待っているような時間的余裕もなく、さらに飛行場を奪取したあとは素早く航空兵力を進出させ迅速な制空権確保のために活用したい、という思惑もあり、危険とわかっていても簡単に折れる訳にはいかなかった。
        • 陸海軍の対立はなかなか決着せず、結局現地部隊の判断に委ねるような形になってしまったのだが、山下中将(第25軍司令官)・菅原中将(第3飛行集団長)・小沢中将(南遣艦隊司令長官)が揃った協議の場で、小沢中将が「海軍は喜んで陸軍に協力する。」と自らの意思を表明。これにより陸軍は、ぎりぎりであったものの計画通りの上陸作戦を進める事が可能となったのである。協定成立の当日、山下司令官は日記に『十六時協定終了、必勝の信念成る。天気晴朗神気爽快なり。』*65『特別なる御馳走なきも和気あいあい裡に会食せり。予は本協定により何の不安もなく上陸作戦を決行すべし。而して本作戦は国家のため、是が非でも成功せざるべからず。又必勝を期す。一同此上更に努力し、何の手落ちなきを期せられたき旨高調す。一同欣然たり。又海軍司令長官も最善を尽し、協力すべきを誓言せり。』*66と記しており、理想的な形で協定を結ぶことが出来た山下軍司令官の心情や陸海軍協同の姿勢がよく分かるものとなっている。
          • 大作戦を直前に控えてこのごたつき具合、というそもそもの大問題はひとまず置いておくとして、このような事もあり小沢中将は「陸軍に理解を示した、数少ない海軍軍人の一人」として語られることも多い。小沢中将自身は戦後、「陸軍もだいぶ無茶をやると思ったが、当時は他に良策がなかった。決死の覚悟に続こうと思ったからやった事であって、あの判断が偉いとか、そういう事ではない。」といったように語ったといわれている。
    • 2月27日、日本軍とジャワ島守備ABDA連合軍の間でスラバヤ沖海戦が勃発。日本軍は勝利するも、重巡ヒューストンと軽巡パースを逃してしまう。
      その結果、翌日夜、この2隻と日本軍との間でバタビヤ沖海戦が勃発。既にバンタム湾泊地への進入を完了して、上陸作戦中であった輸送船団の船上からも艦砲の砲声や閃光など海戦の様子がはっきりとわかり、多くの将兵がこれを見守っていたという。
    • 3月1日深夜、そのような中で、悲劇が起きてしまった。陸軍船団の護衛として参加していた第2号掃海艇が突然轟沈。病院船「蓬莱丸」にも魚雷が命中、続いて龍城丸も右舷中央に被雷。防空基幹船「佐倉丸」も瞬く間に転覆、輸送船「龍野丸」も中破してしまったのである。
      • 当時、龍城丸では第16軍司令部が上陸のため舟艇に乗り換えている最中であったが、この被雷により彼らは甲板から海に転落。今村軍司令官以下、司令部要員と約500~600名の将兵は龍城丸からあふれ出した重油の海を漂う事となってしまう。
      • 軍司令部より命令を受け、保有する大発2隻で通信参謀以下戦闘指令所の開設要員、および携帯用無線機などの揚陸任務に就いていた泛水作業隊は魚雷命中の大音響を聞きすぐさま帰投。大きく傾斜している龍城丸の姿に衝撃を受けながらも直ちに救助活動を開始して、他の舟艇部隊と共に片っ端から漂流する友軍を引き上げていった。
        • 第16軍参謀長岡崎清三郎少将も、この時泛水作業隊によって引き上げられた内の一人といわれており、「全身に重油を浴びて真っ黒になり、顔も階級章も分からなかったが、参謀肩章の飾緒を付けた将校を救助したのですぐに報告するとありがとう、岡崎だという返事が返ってきた。」といった証言が残されている。

          『このようにして泛水作業隊は大発二隻を駆使してなおも懸命に救助活動を続け、海面にまったく遭難将兵のいないことを確認してからようやく陸岸に回航し、上陸軍の将兵を揚陸しましたが、この海戦と悲運の状況は、ついこの間の出来事のように思い出します。』*67

    • ジャワ島へ上陸した陸軍部隊は快進撃を続け、各方面で連合国軍を撃破。早くも8日には日・蘭両軍司令官の停戦に関する交渉が行われて連合国軍の降伏が決定し、ジャワ島攻略作戦は成功に終わった。
    • 戦闘後の調査で、これらの被雷は最上がヒューストンを狙って撃った魚雷が射線上にいた龍城丸達に当たってしまった、ということが判明した。*68サルベージ後、清掃作業中の神州丸船底からも「九三式」と刻印の入った魚雷の破片が見つかっているが、『この破片を神州丸に保存しておくことは怨念の塊りにも等しいこととして、縁起をきらってバンタム湾の海中に投棄してしまった。』*69とされており、証拠は失われている。*70
      • 龍城丸では第1次部隊がすでに上陸完了しており、また月が明るく救助がしやすい状況だったため人的被害は少ないものだったが、それでも徴用船員や陸海軍将兵など合わせて約100名が死亡してしまった。
      • その後陸軍は、この海戦での海軍の勝利にケチがつかないようこの事件における責任を不問とし、敵軍の攻撃にやられたという事にする」という形で決着をつけた。忖度……。
    • 龍城丸沈没により第16軍司令部はあわや全滅。軍司令部用の遠距離無線機が海没した事で別方面に上陸した部隊との連絡も一時的に取れなくなり、作戦そのものが崩壊しかねない状況だった。ヒューストンとパースの突入によって輸送船団は確かに危機的状況であったが、とどめを刺すためとはいえ上陸船団が密集しているような海域で超射程超威力の魚雷を放つという事自体、海軍の重大な失態だったとも言える。なお「人情将軍」として知られる第16軍司令官今村中将は後日揃って謝罪に訪れた海軍司令部を許している。
      • 被雷する直前まで、甲板上で龍城丸の佐々木船長と海戦を眺めていたという今村軍司令官は戦後、「敵に狙われないよう全ての船が灯火を遮蔽している中、舳に強い光を輝かせて湾内を駆け巡る2隻の発動艇を見た。」と回想している。

        『「敵の高速魚雷艇だぞ!」竜城の船長が叫んだ。隣り二百米ほどはなれたところの輸送船のほうに大きな音がし、同時に沈みかけるのが、うすあかりで見える。「やられたな」と思った瞬間、私たちの乗ってる船が「どかん」という大音響といっしょに、ビリビリと震動し、急に傾きはじめた。敵の魚雷に射ち貫かれたものであろう。上甲板に立っていた私のからだは、甲板上を斜めに滑りだし、海水の上に浮かんだ。』*71

    • ちなみに海へ投げ出されて漂流するはめになった今村均中将なのだが、深夜の戦場で、しかも重油まみれで誰が誰だか見分けがつかない状態の時である。救助された今村中将が「俺は今村だ」と救助艇の兵へ声をかけたところ「今村も昨日村もあるか!このクソ忙しい時に黙っとれ!」と怒鳴られ、一説によればブン殴られたなんて噂話も。
      • ただし「軍司令官の漂流」については当時から色々な逸話と共に語られていたようで、これもあくまで広まった噂話のひとつ。中には「漂流した今村軍司令官はそのまま海岸まで泳ぎきって、自力でジャワ島上陸を果たした。」といった話まであったようだ。
    • また、この時に彼は自慢の銘刀を海没させてしまっている。正宗門下十哲の一人、志津三郎兼氏作となる約600年前に鍛えられた古刀であり、まさに重要文化財級であったという。その後、蘭印作戦成功を祝して朝日新聞社の村山社長が、のちの人間国宝高橋貞次刀匠に代わりの新しい軍刀を打ってもらい、今村軍司令官に贈ったと伝えられている。
    サルベージと戦列復帰、そして撃沈まで

    サルベージと戦列復帰、そして撃沈まで

    • 陸軍の対応により現地においてはなんとか丸く収まったのだが軍全体となるとそうはいかず、陸軍船舶部隊の旗艦的存在である神州丸の損失は今後の軍事輸送に重大な影響をもたらすと判断され、早くも3月4日には第一揚陸団長、伊藤忍少将より神州丸サルベージの命令が発せられた。
      • 他の輸送船に避難していた神州丸乗組員は一部がそのままバンタム湾に残り、船員は湾内遭難船の救助と整備に、泛水作業隊は清水少尉指揮する13名が保有する舟艇で遭難船及び湾内の警備任務に就いている。そしてサルベージ船の到着後、その浮上作業も支援する事となった。
      • なおこの頃から次第に秘匿名を使わなくなり、本名の「神州丸」に戻っていった。特に命令があった訳でもなく、作戦も終わったからと自然に呼び始めたそうである。
    • バンタム湾は浅瀬の泊地だったため、神州丸も完全沈没という事態には至っていなかった。しかし約1カ月後に到着したサルベージ船「静波丸」がこの船の設備では手には負えないと判断してサルベージ中止となる等、擱座した神州丸の状況は、以下のようにかなり深刻であった。

      『船橋操舵室の傾斜計は四十六、五度を示し、機関室は全く沈没し、中甲板は約七十パーセント、上甲板室は約五十パーセントが海水の中に没していたので手が付けられる状態ではなかった。しかし機関室後部左舷にある発電機室だけが海水の侵入をまぬがれていたので、正に幸運と言う外なかった。』*72

    • 静波丸では浮上不可、という報告を受けた宇品の船舶司令部では直ちに協議がなされ、日本郵船株式会社の「大隅丸」を派遣する事に決定。サルベージ作業隊の編成と各種器材、必要資材の積載が進められた。
    • 5月初旬、バンタム湾に約100名の作業隊を乗せた大隅丸が到着。潜水士による調査の結果、魚雷が直撃した右舷中央部には縦が舟艇格納庫のある中甲板の下2mから船底まで、横は6mにもなる破口が開き中門扉(舷側ハッチ)も損傷、さらにその右舷船底は泥砂(ヘドロ)に沈み込んでいる事を確認した。*73
      そこで「まずは作業の障害となる破口部付近の泥砂を長さ20m、幅4m、深さ1mに渡り除去。続いて中門扉を含む右舷開口部を木材で覆い密封することで水密を保ち、船内の排水を行ないながら船体を曳き起こしていく」というサルベージの計画が立てられ、実行に移された。
      • 船体が約45度傾斜している関係上、泥砂除去と破口密閉作業は船体のほぼ真下で行なわれる事となる。もしバランスが崩れて作業中に転覆すれば逃げる間もなく巻き込まれてしまううえ、魚雷の炸裂により開口部が大きく変形しているせいで木材の取付けも難しい等、これらの作業は非常に困難かつ危険なものとなった。それでもサルベージ作業隊の高い技量と努力によって、8月中旬までに密閉を完了する。また、この頃になると日本本土へ一時帰国していた神州丸乗組員主力も合流し、浮上準備に協力した。
    • 9月15日、入念な準備を終えていよいよ神州丸の浮上作業が開始された。左舷中甲板に設置された24台もの排水ポンプを一斉に駆動、船内の排水を行ないながらウィンチで少しずつ船体を曳き起こし、徐々に傾斜を復元させていく。
      そして23日、船内から海水は完全に排水されて船体も水平に復元、神州丸はついに浮上した。『神州丸にとって、昭和十七年三月一日こそは真に痛恨の日と言えるが、また九月二十三日は、別の意味で記念すべき再生の日』*74となって、サルベージ作業隊と神州丸の乗組員で構成された救助隊はお互いに手をとり、涙を流して喜び合ったという。
      • その後は船内の消毒、堆積した泥砂や至る所に付着した重油の除去、あらゆる機器類の分解・点検清掃・再組立てなど神州丸を再び航行可能な状態とするための努力が続けられた。
    • 12月12日、船体の総合試運転に合格、自力での航海が可能であると判断された。とは言っても、木材で覆ったとはいえ右舷の大穴は開いたままである。日本本土への回航は不安視されたため、昭南(日本占領下のシンガポール)へ向かう事となる。およそ10カ月ぶりとなる航海のさなかには、僅かに取り除き損ねた重油が熱により煙を上げ始めそのうち機関室のあちらこちらから発火、急いでこれを消火するといったトラブルもあったが、なんとか無事に昭南へと入港。さすがに海軍も配慮したのか、入渠にこそ2カ月かかったものの優先的に軍港セレターの乾ドックで修理を受ける事ができた。
      • 船体の応急補強とお色直しを終えた神州丸は本土帰還者と生ゴムなどの軍需物資を乗せ昭南を出港。台湾、馬公に寄港した際には「内地では見る事もできなくなったからお土産に」と大量のバナナを積み込み、日本へと向かった。
    • 1943年5月16日、母港宇品に帰還。南方作戦参加のために出港して以来一年半ぶり、そしてサルベージという困難を乗り越えての帰港であり、船舶部隊の幹部や兵員達から温かく迎えられている。
      7月~10月にかけて生まれ故郷播磨造船所で修繕・調整工事を行い11月、戦列へ復帰した。既に攻守は逆転、輸送船団の被害も日々増え続けている厳しい戦況の中で、神州丸は高速と大収容能力を持つ最優秀輸送船の一隻、そして船団防空船としての大きな期待を受け直ちに南方輸送の最前線に参戦。パラオやシンガポール、台湾等各方面で輸送作戦へ従事した。



    • 1944年6月2日、「ヒ65船団」の一員として活動中に突如「敵潜水艦来襲」警報、船団は一斉に逃避行動へと移った。しかし、その際に僚船の有馬山丸が神州丸船尾へ激突。船尾上甲板に搭載していた10発の対潜用爆雷が誘爆してしまう。

      『船橋からは「前進微速」のテレグラフ指示があったので主機械の回転を再開し前進微速にしたところ、今度は船橋から「舵がきかない」と通報してきた。そこで先ほどの大音響から船尾の異常を懸念して、スルースドアー*75を開けようとしたが開かないので、上甲板まで上ったところ、上甲板室は真暗闇で、乗組員及び乗船者が騒然としていた。ともかく手探りで後部甲板に出て船尾に行ってみると、舵取機械室への昇降口から船尾が全くなくなっていた。』 *76

    • この爆発により船尾泛水装置を含め、船尾部分を大きく損傷。戦闘態勢をとっていた機関砲隊、爆雷隊、後部甲板に出て涼んでいた乗船部隊など、およそ200名が犠牲となった。
    • 操舵不能に陥った神州丸は乗船部隊と資材を船団に託し、練習巡洋艦「香椎」に曳航されて基隆に入港、応急修理が行われる。
    • 7月29日、応急修理を完了した神州丸は単独で母港宇品へ、宇品へ到着後は日立造船の因島造船所に回航される。この因島造船所は神州丸の妹船といえる量産型陸軍特種船「吉備津丸」「日向丸」「摂津丸」なども建造された、陸軍特種船にとっても縁のある場所となっている。しかし、本格修理が行われる程の時間と余裕は既に残されていなかった。
      • この修復工事の際にも船尾損傷部の甲板を2mほど下げる、船尾門を廃止して外板で塞ぐ、船尾門内側にある滑走台を撤去するといった緊急の対応がとられたという。つまり、神州丸最大の特徴であった船尾舟艇泛水装置は失われた事となる。*77
    • 9月12日、再び戦線復帰した神州丸は宇品へと帰港。直ちに妹船*78「吉備津丸」と共に宇品-釜山間の軍隊及び物資輸送に従事。この輸送作戦を11月初旬まで計7回行なっている。



    10月、連合国軍はフィリピン奪還を目指して本格反攻を開始、マッカーサー大将率いる大部隊がレイテ島に上陸した。当時の日本にとってフィリピンを失う事は南方資源地帯と日本本土を結ぶ海上輸送路が遮断されることも意味しており、日本陸海軍共に大兵力を集結して決戦を挑む構えであった。

    • 11月14日、「ヒ81船団」の一員として日本を出発。この船団には第23師団をフィリピンへと輸送する、神州丸の他あきつ丸、摩耶山丸、吉備津丸の陸軍特種船3隻が含まれていた。
      • 翌日、米軍潜水艦の攻撃により妹分ともいえる存在であるあきつ丸を失ってしまう。神州丸の前方を航行していたあきつ丸は潜水艦クイーンフィッシュの攻撃を受け、魚雷は船体後部に命中。対潜迫撃砲の砲弾や爆雷が誘爆をはじめ、続いて主汽缶が爆発。船体はあっという間に裏返しになり沈んでいった。これにより約2400名が戦死。
      • 11月17日、神州丸の右舷側を並進していた摩耶山丸が米軍潜水艦ピクーダの雷撃を受け沈没、3000名以上が戦死。乗船していた23師団司令部も壊滅し、23師団は指揮機能を喪失した。魚雷2本命中による凄まじい水煙が消えた頃には既に跡形もなく、見ている側には何が起きたのかわからない程の轟沈であったという。
        同じ日の深夜、護衛空母神鷹に米軍潜水艦スペードフィッシュの魚雷が命中。流れ出た航空機用ガソリンに引火して辺り一面は火の海と化し、救助隊が満足に近づけないまま、漂流者達は海上で炎にまかれて1100名以上が戦死。最終的にこの船団の死者数は計6200名以上を数え、輸送中であった第23師団も戦力の約半数を喪失、また多数の装備や軍馬、物資を失ってしまった。
      • 11月26日、満身創痍の輸送船団は高雄港に到着。「タマ33船団」として改編され30日、ルソン島サンフェルナンドを目指し出航する。神州丸も共にヒ81船団を生き残った吉備津丸とこの船団に加わり、4日までに輸送部隊の揚陸任務を完了した。
    • 12月19日、「吉備津丸」「日向丸」「青葉山丸」らと共に第十九師団など増援部隊を乗せ、再びフィリピンへ。なお「日向丸」は先月に竣工したばかり、新造の陸軍特種船である。
      • 29日夕方、船団は無事にルソン島サンフェルナンドへ投錨するが、米軍爆撃機による空襲が絶え間なく続き、部隊・物資の上陸は激しい対空戦闘を繰り広げながらの強行揚陸となる。この戦闘により護衛の「第二十号海防艦」が撃沈、さらに「青葉山丸」が被弾炎上、船体が分断され沈没してしまった。
    • 昭和20年(1945)1月1日、本土帰還者を乗せた「神州丸」「吉備津丸」「日向丸」は「マタ40船団」を組み日本帰還のため出港。
    • 1月3日、護衛の海防艦の速力に合わせつつ、ひたすら突き進んだ船団は高雄沖に到着。この時「台湾は目下、敵艦載機の空襲を受けている」という情報を受け、これを回避するために高雄への入港中止を指令、船団は急遽中国大陸方面へと進路を変更した。
      • 7時50分、索敵機2機が船団上空に飛来。直後に艦爆3機による空襲をうけたものの、対空射撃で撃退している。
      • 11時20分、約50機からなる大編隊が飛来。特異な船型をしていた神州丸は優先的に敵機に狙われ、激しい攻撃を受けることとなった。
        • 巧みな操船と船砲隊の奮戦により十数発の爆撃・雷撃を回避したものの、ついに船橋部高射機関砲座付近に爆弾2発が直撃。続いて煙突付近に被爆してしまう。これらの爆弾は馬欄甲板を突き破り上甲板で爆発して火災が発生、乗組員と乗船者は必死に消火活動に当たったものの消し止め切れず、火災はさらに激しさを増していった。
      • 12時30分、中村船長の「総員退船命令」に続き今野部隊長も退船命令を出し、数百人に及ぶ乗員たちは脱出を開始、一斉に海へ飛び出していった。彼らは海防艦に救出され、高雄へと向かった。
      • 救助活動が終わった頃、海防艦の1隻が神州丸へと接舷。すぐに沈むような事はないと、未だに甲板に留まり様子を見守っていた中村船長他、船員と乗船部隊の一部は別れを惜しみつつ海防艦へと移乗、神州丸を離れた。最後の戦闘における戦死者は船員・乗船部隊・便乗者合わせて382名である。
        • この時船舶司令部からは「神州丸を曳航すべし」という命令が発せられていたが、陸上では曳航用のロープなどの準備が行われていたものの、ついに断念されてしまった。
      • 神州丸の最期に関し、のちに海防艦乗組員から「神州丸は砲撃により沈めた」との説明を受けたという証言が残されており、海防艦の主砲で神州丸を沈められると思えず、信じられなかったが、このような海軍側の説明に対しては『海防艦の乗組員は、神州丸の乗組員を安心させる意味でそう説明したのかも知れない。』*79とも記されている。
        • 神州丸は水線下に被害がなかった為、そのまま炎上しつつ漂流していた。しかし23時37分、炎に照らされる姿を目標とした潜水艦「アスプロ」によって雷撃され、沈没する事となる。
    • 2月15日、応急修理を完了した「吉備津丸」*80に乗船し宇品へ帰還していた神州丸乗組員の解散式が行われ、神州丸はここに船歴を終えた。
      • 最後に、『船舶司令官佐伯文郎中将は、いまはなき神州丸の功績に対し、武功旗を授与』*81したという。


この艦娘についてのコメント

  • ふともも -- 2023-08-21 (月) 06:45:44
  • 陸軍が秋刀魚のガチ勢すぎるわけだが…君はどうなんだね -- 2023-11-15 (水) 20:40:58
  • オリョルでデイリー南西やってたら3匹目がドロップ!びっくりしたわ -- 2023-11-25 (土) 08:19:59
  • 陸軍駆逐艦とか聞かないけど揚陸艦や特設護衛空母みたいな陸軍艦艇を誰が護衛していたのかと思ったら、そこは海軍が護衛してたんだな。いくら仲の悪さに定評のある陸海とはいえ、さすがに陸軍自前の機動艦隊組んだり丸腰で海に乗り出すようなことはしなかったか…… -- 2023-12-14 (木) 18:30:25
    • 元々、揚陸艦や特設護衛空母、そしてまるゆなど陸軍の軍用船はあくまで「本職の海軍が(こちらの思惑通りに)やってくれないから、しょうがないから自分らで建造から運用までやろう」と言うもの。仲が悪いから、というのは事実の部分もあるが、大半は「そんなの協力してやったらどうなのさ?味方同士でしょ?」と言いたくなるようなことをバラバラにやっていたりしていたことによる後世の評価によるものが多い。だいたいの原因は 味方同士とはいえお金をもらえる場所は一つで、互いに少しでも多く融通してもらおうとしていたから、という事に尽きるんだけども。 -- 2023-12-14 (木) 20:10:25
  • 大発を出しますって言って本当に大発を出してくれる神州丸すき -- 2023-12-24 (日) 02:42:19
    • 大発を出します(予告ホームラン)すき -- 2024-02-06 (火) 22:59:20
  • 実に見事な大根×2ではないか!(旬だけに?)6隻目来たけど、見事過ぎて整理するに忍びない。
    何、船尾泛水装置?チョット、指で”くぱぁ”と開いて見せてくれないか? -- 2023-12-27 (水) 10:10:47
    • 陸軍おじさん「しょうがないにゃあ~おじさんので良ければ(*^^*)」 -- 2023-12-27 (水) 12:23:33
  • CVよく見たらレヴィで草 -- 2024-01-18 (木) 23:31:13
  • 2024・1・19 2の3でドロップ確認。まだドロップするっぽい。 -- 2024-01-19 (金) 18:08:54
  • 意外にも、節分ボイス無いのね。(トゥーハンドの面目躍如な暴れっぷり・・・は無いか、残念) -- 2024-01-28 (日) 15:50:12
  • 【Valentine】限定邂逅にはのっていないが、1-1キラづけしていたらドロップ! -- 2024-02-17 (土) 16:17:54
  • 2-3ドロップ まだ続いてるんだ -- 2024-02-28 (水) 01:12:13
    • 今日8人目が来たよ、さすがに改まで育てて迫撃砲貰うまでにしとこうかな -- 2024-02-28 (水) 19:23:54
  • 2-3でドロップ。ドロップするんだ,,, -- 2024-04-03 (水) 22:25:00
  • かわいいかわいいかわいいかわいい -- 2024-04-07 (日) 13:29:29
  • 阿武隈ドロ狙って2-3周回してるけどこの娘にも回向しないなぁ -- 2024-04-18 (木) 07:31:22
    • ナカーマ自分も邂逅する気配が全くないもう100回以上2-3周回してるんだけど。期間限定の夕雲型とFlecherは既に複数隻落としたのに・・・ -- 2024-04-24 (水) 14:22:24
      • 長鯨は来たけど今日も神州丸は来ない・・・ -- 2024-04-25 (木) 23:39:40
  • やったーやっと来た苦節200回弱の2-3周回の苦労がやっと実った!! -- 2024-04-28 (日) 22:03:51
    • おめでとう!みごとな太腿だろう?(ただ残念ながら、膝枕の申し出はしてこないのだよ orz) -- 2024-04-29 (月) 00:43:38

*1 ボイスでは「陸軍部隊」
*2 母港ボイスは各艦娘につき3つ割り当てられています。「詳細」ボイスは編成画面の「詳細」ボタンをクリックすることで聞くことが出来るボイスです。母港画面でも聞くことが出来ます。「母港3」ボイスは「母港画面でのクリック」もしくは「母港画面への遷移」でのみ聞くことが出来る、いわゆる「提督お触りボイス」です。編成画面での「詳細」ボタンでは聞くことが出来ません
*3 4つの基本ボイス(昼戦開始・昼戦攻撃・夜戦開始・夜戦攻撃)がありますが、各ボイスはその他の色々な場面でも使われます。各ボイスをどのフェーズ(航空戦/開幕雷撃/先制対潜/昼戦攻撃/各種CI...など)に割り当てるかは艦娘によって異なり、例えば開戦ボイスを攻撃でも使ったり、夜戦攻撃ボイスを昼戦でも使ったりします)
*4 「小破」ボイスの2つ目と戦闘撤退時の「旗艦大破」ボイスは共用化されています
*5 「小破」ボイスの2つ目と戦闘撤退時の「旗艦大破」ボイスは共用化されています
*6 装備ボイスは3ボイスありますが、改修/改造ボイスと共用化されています。また、ボイス3は「改修/改造」「開発」「バケツによる即時修復」「遠征出撃」「アイテム発見」ボイスと共用化されています
*7 拡大するとちゃんとハイライトが描かれていることが確認できる。
*8 ちなみに日本陸軍でもキャラメルは補助栄養食や嗜好品として広く支給されていた。もっとも、こちらは軍粮精(ぐんろうせい)という少々お堅い名称ではあったが。
*9 秋やクリスマスの季節ボイスなど
*10 上陸部隊の師団長や軍司令官、揚陸作業等を指揮監督する船舶部隊指揮官といった上級指揮官が乗り込み、作戦時における文字通りの司令部となる船。
*11 山汐丸と熊野丸それぞれの15時時報ボイス参照。特種船という存在はやはり特別なのか、特に山汐丸はあきつ丸に関する時報ボイスでも大感激している
*12 最終巻おまけ漫画で神州丸が着任して最上との一件を水に流したが、あきつ丸はこの時登場しなかった。
*13 カタパルトも当然撤去されてしまったが、その前に一度だけ、乗船させていた飛行部隊(独立飛行第4中隊)の所属機を実戦で射出したことがある。
*14 なお、改になるとイラストの偽装煙突が無くなり本来の煙突だけとなっている。実船でも何度かの改装工事を経て、南方作戦が開始される頃には偽装煙突を撤去していたようである。
*15 音は同じだが「信州」ではない。こちらは主に長野県を指す。
*16 陸軍が初めて保有した大型船、という訳ではなく、神州丸以前にも陸軍は軍隊輸送船「宇品丸」や起重機船 (クレーン船)「蜻州丸」を独自に保有、運用している
*17 簡単に言うなら、空母艦載機の舟艇バージョン。
*18 泛水(へんすい)とは舟艇を海面に降ろし、発進させること。イラストでは手に持っている銃のような装置で船尾からの舟艇発進が表現されている。
*19 また、舟艇を船内に収容する事は修理など維持管理の面で格段に有利となる他、機銃掃射や炸裂時に飛び散る爆弾の破片といった脅威に直接晒される事がなく、舟艇をある程度守る事ができるという利点もあった。
*20 泛水設備の整備や運用、搭載舟艇の管理、発進・収容作業等を担当した特種船専門の工兵部隊。乗船した舟艇部隊の隊員と共に船上の舟艇運用に関するあらゆる任務に就く、神州丸を名実ともに揚陸艦たらしめる部隊であったといえる。
*21 いわゆるコロ(丸太)。これら木台と後述の反転台、滑走台には油とラードを混ぜ込んだヘットが塗布されており、大発のスムーズな移動ができるようになっていた。
*22 神州丸乗船部隊の揚陸はもちろん、迅速に泛水した大量の上陸用舟艇を各輸送船に配当し、船団の上陸作業全体を支援する事も神州丸の重要な任務の一つとなっている
*23 神州丸の泛水作業隊は8個作業区分隊を中心に編成されており、それぞれが前部甲板、後部甲板、端艇甲板(最上部甲板)右舷・左舷、中門(舷側ハッチ)右舷・左舷、船尾門(船尾ハッチ)右舷・左舷での泛水作業を担当していた。
*24 開戦時、神州丸は船上砲兵陣地に展開する対空火器により船団の防空を担う「防空基幹船」の一隻に指定されている。大戦後期になると八八式七糎半高射砲11基・九八式二十粍高射機関砲6基、他にも対潜中迫撃砲や爆雷投下器等を装備しており、日本の輸送船団内では相当の重武装船となっていた。
*25 船橋の中には船首飛行甲板の下に存在する飛行機格納庫とつながった昇降機があり、ここから船橋下に搭載機を運び込める構造になっていた
*26 いわゆるニューヨークライナー。主に日本とニューヨークをパナマ運河経由で結んでいた貨物船。陸軍の初期設計版『R1』はこのニューヨークライナーが原型となっている。
*27 「上陸用舟艇を船内に直接搭載して船内から発進させる」発想に至った陸軍であったものの、R1では貨物船ベースの船体に飛行機用格納庫や昇降機など様々な設備(もちろん兵員室といった軍隊輸送船として求められるものも加わる)を組み込んでいたため、どうしても舟艇の搭載方式や運用効率といった面で課題を残してしまっていた。
*28 海水を使った水洗便所で実に衛生的。用を足したら、便器の上のバルブを手でひねって水を流し、逆にひねって止める手動式ではあるが簡単な機構と動作の確実性から、現在の軍艦でも採用される事が多いという。だが、時として2000名以上の大所帯となる神州丸ではこれでも数が足らず、作戦前の船内では毎朝大行列ができていたとも
*29 あくまで軍が建造した軍用船であり、貨客船には遠く及ばない。実際、それらに乗船しての輸送経験のある軍人の中には神州丸に「乗ってみてがっかり」した者もいたという。しかし日本の軍隊輸送の多くは、保有大型船舶の大部分を占めている、という関係上、本来人を運ぶための船ではない「貨物船」で行わざるを得なかった。こうなると兵員の為のあらゆる設備が臨時のものになってしまい、「換気が悪いせいで船内はまるで蒸し風呂」「照明は裸電球が数個」「まったく余裕の無い蚕棚状の寝床に押し込まれる」「厠もまったく足りない」という過酷な船内生活が待っている。当時、日本陸軍乗船部隊の多くが置かれていた状況を考えると、本格的な設備が整っている上で多人数の輸送ができる特種船の輸送能力は破格とも言える。
*30 その構造上どうしても安定性や復原性能が悪くなるという点は建造時から指摘され、バラストタンクの増設やビルジキールの改修が行われたとされている。だが、このような対応でもやはり限界があったようだ
*31 姿かたちは一般的な輸送船でも、全通式格納庫と船尾舟艇泛水装置、舟艇や重量兵器の取り扱いを容易にする為の強力なデリック、大規模な軍隊輸送に対応するために広くとられた居住スペース、強力な通信設備など、特種船(揚陸艦)としての能力は共通。
*32 まず、カタパルトに対応させるため航空機そのものを改修しなければ運用自体できなかったり、空中勤務者に対する教育も必要だったりととにかく手間と費用がかかる。また発進するにしても、航空機の運用が可能な拠点の確保と維持が絶対条件となり不確定要素も大きいなど、現実的には問題が山積みだった
*33 艤装の甲板上に描かれている砲塔がある艇。
*34 神州丸の建造当時、貨物船が搭載するデリックは通常5~10t。強力なものでも15t程、というのが一般的とされており、実際非常に強力である
*35 母港ボイスで触れている「舷側ハッチ」がここ
*36 この部分は一応艦娘グラフィックでも確認でき、中門の枠と上部にあるそれが合わさって、少し「凸」のような形に見えている。展開する際は、まず船体外板に折り畳まれた支持台を舷の外側方向へ水平に倒し、次に補助レールを固定する。舟艇の吊り揚げに必要な頑丈さが求められている部分だけあってかなり大きく、実船でも「秘匿に注意すること」と指示されていた割りによく目立っていたという。
*37 元々、この中門は舟艇格納庫がある中甲板への貨物積載や、船尾泛水装置が損傷する等した場合の備えとして設けられたという。かなり重要そうなこの設備が、なぜのちの特種船で廃止されたのか、はっきりとした理由は分からないが、中門扉のデメリット部分(大発を取り扱える程大きな扉が船体両舷に存在する事による船体強度面への不安、ただでさえ建造に時間と費用が掛かる特種船の建造工程や建造費用が更に増える、構造上外から見てもよく目立つ等)が大きな問題となっていた可能性もある
*38 小発動艇(SB艇)。イラストの艤装でも並列2隻で配置されている大発よりも小型の上陸用舟艇で、搭載能力としては貨物なら約3t、兵員の場合30人程を乗艇させる事ができる。神州丸は端艇甲板に最大16隻の搭載が可能で、ボートダビットによって降ろされるようになっていた(舟艇格納庫等にも搭載は可能)。だが、のちに甲板上の高射砲など対空火器が増設されると、搭載数も減少していった。
*39 通称「特大発」。こちらは最大16.5tの搭載能力を持ち、九七式中戦車なら1輌、軽戦車・自動貨車等なら2輌、兵員の場合およそ100名を乗艇させる事ができた。大型化した以外、外観や上陸用舟艇としての機能は基本的に大発と変わらないが、機関を大発と同型のディーゼルエンジン2基に増設している。
*40 建造数自体はそれほど多くない装甲艇だが、試作艇「さきがけ」以降も改修を続けつつ昭和18年頃まで長く生産されていた為、建造時期によって武装といった艇の仕様が変更されている場合がある。例えば戦車砲塔を2基に増強したタイプや艇首砲塔を廃止して操艇室両側に八九式旋回機関銃が追加されたタイプ等があり、また武装兵の輸送や物資搭載も考慮して艇体を若干延長した拡大型も9隻建造されたという。
*41 全長は約17mで、大発よりも2mほど大きいくらい。なお乗員は13名(艇長1名、機関手3名、舵手1名、砲手3名、機関銃手4名、通信手1名。武装等により若干の変動あり)となっており、複数隻で装甲艇隊が編成される場合など、状況によっては更に部隊指揮官も乗り込む。
*42 ゲームに実装されている九三式水中聴音機ではない。秋刀魚漁に使えるはずのアクティブソナーであり未実装。
*43 す号装置はアクティブソナーではなく「水中聴音機(パッシブソナー)」であったとする場合も多い
*44 出典 引用文献:駒宮真七郎「船舶砲兵-血で綴られた戦時輸送船史」出版協同社 1977年 169ページ
*45 対魚雷防御として二重の25mmDS鋼板により舷側を守っていた
*46 宇品港の離れに位置する島。陸軍船舶隊関連の工場や諸施設が置かれていた「陸軍の軍島」であった。
*47 大陸戦線における太沽、川沙鎮、呉淞鎮、杭州湾、白茆口、白耶士湾及び珠江、海南島、欽州湾といった主要な上陸作戦に加え、北部仏印進駐、南部仏印進駐にも参戦。また、輸送作戦や上陸戦研究の為の演習などにも数多く参加していた。
*48 磁気機雷対策として装着された舷外消磁電路。船体の水面下外板に電線を巻き付けることで磁気を打ち消し、磁気に反応して起爆する機雷の感応を防ぐ防御装置であったという
*49 主に貨物の積み下ろしや部隊の乗船・下船など港湾業務の指揮を執る
*50 各種舟艇の修理や整備を支援する部隊
*51 港湾地や上陸地点で浅橋、物資用倉庫などの建築を担当する「建築勤務中隊」、輸送船からの貨物の積み下ろしや舟艇での水路輸送を担当する「水上勤務中隊」、貨物の積み下ろしなどを支援する「陸上勤務中隊」の3部隊。のちにこれら部隊と任務を併せた「揚陸隊」も編制されるが、こちらは特に前線での輸送と揚陸、桟橋など設備の建築を担っていた。
*52 例えば作戦前、第25軍司令部が海南島へ移動する際は、司令部用の積み荷に「満州向け」を示す荷札が貼られていたという
*53 参考引用文献:沖修二「山下奉文-至誠通天」秋田書店 1968年 189ページ
*54 参考引用文献:沖修二「山下奉文-至誠通天」秋田書店 1968年 190ページ この短歌は三亜出港の当日、12月4日に山下軍司令官が記した日誌の欄外にしたためられていたという
*55 なお神州丸はその建造時期もあってか、新式である九七式中戦車チハに対応するため大型化した特大発を船内の格納庫に搭載する事ができなかった。この点は後の特種船で改善されており、例えば「吉備津丸」の場合、中甲板舟艇格納庫に九七式中戦車を載せた特大発12隻、さらに大発12隻を搭載できたという。
*56 参考引用文献:寺本 弘「戦車隊よもやま物語 部隊創設から実戦まで」光人社NF文庫 2004 76ページ
*57 参考引用文献:沖修二「山下奉文-至誠通天」秋田書店 1968年 193ページ
*58 参考引用文献:沖修二「山下奉文-至誠通天」秋田書店 1968年 194ページ
*59 参考引用文献:渦潮会戦史編集委員会「陸軍特殊船-独立工兵第六聯隊泛水作業隊の記録」渦潮会 戦誌刊行会 1984 423ページ
*60 参考引用文献:渦潮会戦史編集委員会「陸軍特殊船-独立工兵第六聯隊泛水作業隊の記録」渦潮会 戦誌刊行会 1984 423ページ
*61 上陸作戦時、泊地における神州丸は「船舶工兵の基地」「舟艇基地」ともいえるような役割を担う事も多く、各種部品の供給や泛水作業隊による舟艇修理の援助などによって作戦に参加する舟艇部隊を支援していたという。
*62 なお、この上陸作戦に参加した陸軍徴用商船の中には神州丸と同名の「神州丸」がいた。巴組汽船所有、4180総トンの貨物船で、1934年2月竣工の同世代船だが、こちらは宏山丸という姉妹船がいる。低出力ディーゼル機関2基の回転軸を国産フルカンギアで1つの推進軸に接続した特殊な機関部を持つ。大戦初期は陸軍徴用船だったが、この特殊な機関部が災いしたのか機関不調のためジャワ上陸作戦後徴用解除。応急油槽船に改造後は海軍に徴用され、1944年10月13日、仏印沿岸で米潜バーガルの雷撃を受け沈没した。
*63 出典 引用文献:今村均「私記・一軍人六十年の哀歓」芙蓉書房 1970年 355ページ
*64 出典 引用文献:今村均「私記・一軍人六十年の哀歓」芙蓉書房 1970年 355ページ
*65 参考引用文献:沖修二「山下奉文-至誠通天」秋田書店 1968年 185ページ
*66 参考引用文献:沖修二「山下奉文-至誠通天」秋田書店 1968年 185-186ページ
*67 参考引用文献: 渦潮会戦史編集委員会「陸軍特殊船-独立工兵第六聯隊泛水作業隊の記録」渦潮会 戦誌刊行会 1984 442ページ 元龍城丸泛水作業隊、飛子曹長の回想より引用
*68 他艦が放った魚雷という可能性も無い訳ではなく、「最上で確定」とまでは言いきれないようである
*69 参考引用文献:渦潮会戦史編集委員会「陸軍特殊船―独立工兵第六聯隊泛水作業隊の記録」渦潮会 戦誌刊行会 1984 460ページ
*70 また、上陸地点付近からも九三式魚雷の尾部が引き揚げられた、ともいわれている
*71 出典 引用文献:今村均「私記・一軍人六十年の哀歓」芙蓉書房 1970年 357ページ
*72 参考引用文献: 渦潮会戦史編集委員会「陸軍特殊船-独立工兵第六聯隊泛水作業隊の記録」渦潮会 戦誌刊行会 1984 449-450ページ 元神州丸乗組員、栗林一等航海士の回想より引用
*73 魚雷は船体外板に大穴をあけ防雷隔壁(改修で追加された二重の25mmDS鋼板)外側の一層目も破壊していたが、内側の隔壁二層目は破られていなかったという。
*74 参考引用文献: 渦潮会戦史編集委員会「陸軍特殊船-独立工兵第六聯隊泛水作業隊の記録」渦潮会 戦誌刊行会 1984 459ページ
*75 機械室から軸室へと通じていた扉
*76 参考引用文献: 渦潮会戦史編集委員会「陸軍特殊船-独立工兵第六聯隊泛水作業隊の記録」渦潮会 戦誌刊行会 1984 485ページ 元神州丸乗組員、上村一等機関士の回想より引用
*77 なお、神州丸は基隆での応急修理の際に新しい舵取機械が手に入らなかった為、装備している舵取機械が神州丸へ換装可能な型であるとわかった現地で大規模修理中のT型貨物船「鳥羽丸」から「日本本土への回航まで一時的に」という条件で、舵取機械を換装させてもらっていたという。しかし今回の修理でも新品の舵取機械が間に合わず、予定されていた換装作業が行われなかったので、返却もできなかったのである。その後は入渠して換装工事をする余裕もなく、神州丸は鳥羽丸の舵取機械を使い続ける事となった。一方、鳥羽丸は航行不能な状態のまま基隆に留まっており、空襲で損傷しながらも、同地で終戦を迎えている。
*78 陸軍特種船のうち、外観を一般的な貨客船、貨物船に偽装した甲型特種船。神州丸と同じく舟艇格納庫・船尾泛水装置を持ち大規模な軍隊輸送にも対応、いずれも最大速力20ノット超を発揮したという優秀船であった。
*79 参考引用文献: 渦潮会戦史編集委員会「陸軍特殊船-独立工兵第六聯隊泛水作業隊の記録」渦潮会 戦誌刊行会 1984 509ページ
*80 吉備津丸は船首・船橋付近に2発の直撃弾、さらに多数の至近弾を受け、弾薬が誘爆するなど危機的な状況に陥ったもののなんとか鎮火に成功、高雄へと入港した。なお日向丸も被害をだしたが爆弾の直撃はなかったようであり、こちらもその後高雄に入港する事ができた。
*81 参考引用文献: 渦潮会戦史編集委員会「陸軍特殊船-独立工兵第六聯隊泛水作業隊の記録」渦潮会 戦誌刊行会 1984 510ページ