遊撃部隊 艦隊司令部

Last-modified: 2024-01-05 (金) 13:08:08
No.272
遊撃部隊 艦隊司令部遊撃部隊 艦隊司令部司令部施設
装備ステータス
火力雷装
爆装対空
対潜索敵+1
命中+1回避+1
射程
装備可能艦種
駆逐艦軽巡洋艦重巡洋艦戦艦
軽空母正規空母水上機母艦航空戦艦
備考
開発不可、改修不可、搭載可能艦
任務『「遊撃部隊」艦隊司令部の創設』報酬
洋上において遊撃部隊を指揮する艦隊司令部です。
司令部施設を開設できるある一定以上の大きさ(の)艦に設営可能です。
同司令部を旗艦に設営した艦隊は、「遊撃部隊」として出撃している際に、
損害の大きい艦を単艦で戦場から離脱させる「単艦退避」を実施可能です。

ゲームにおいて

  • 2017年11月19日実装。一部の期間限定海域において運用可能な「遊撃部隊」(7隻編成)において有効な装備。
    道中で大破艦が発生した際、大破艦1隻を戦場から退避させる「単艦退避」が使用できる。
    運営twitterより

    運営twitterより

    「遊撃部隊」で実施可能な新機能【単艦退避】は、敵艦隊との交戦後、大きなダメージを受けた「遊撃部隊」構成艦一隻を、単艦で戦場離脱させることが可能です。

    ※【単艦退避】中に損害がさらに大きくなる場合もあります。

    ※「連合艦隊」の【護衛退避】と違い、護衛の駆逐艦の随伴は不要です。

    新装備【遊撃部隊 艦隊司令部】の「遊撃部隊」旗艦運用で可能となる【単艦退避】の補足事項です。

    ※同退避に護衛駆逐艦は不要です。

    ※同退避艦の燃料/弾薬は全消費となります。

    ※一交戦につき、最大一隻の退避が可能です。

    ※損害が拡大する場合がありますが、同退避中の轟沈はありません。

  • 同日実装された『「遊撃部隊」艦隊司令部の創設』任務をクリアすることで入手できる。
    • 入手には、艦隊司令部施設戦闘詳報2個、開発資材x10、鋼材x2,000、電探系x3が必要。
      また、達成には秘書艦一番上の装備スロットに装備させておく必要があるので注意。
      装備ロック外し忘れともども気を付けよう。
      もしも、ロック解除済で装備箇所を間違えた場合、ドラッグで装備スロットを入れ替えれば任務達成となる。
      逆に、変換を考え直す場合は任務達成アイコンを押す前に装備を外せばキャンセルできる。
    • 連合艦隊用の艦隊司令部施設と引き換えの入手である点に注意。
      2回きりの出番と思われていた遊撃部隊がまさかの復活を遂げた2021年春イベント以降、本装備も毎回出番が回ってくるようになったため、
      出来れば両方とも確保しておきたいところだが、司令部施設(を持参する大淀)の確保が非常に大変である点は覚悟しておきたい。
  • 当たり前だが、第三艦隊かつ7隻編成遊撃部隊以外では発動しない
    • 通常艦隊や、第三艦隊だが6隻以下の編成(≒通常艦隊扱い)で出撃した場合、旗艦に装備されていても発動しない。
      • 残念ながら、通常海域で使用しても退避できる様にはならない。
  • 仕様比較(詳細については各項目を参照)
     艦隊司令部施設遊撃部隊 艦隊司令部精鋭水雷戦隊 司令部
    適用海域イベント海域のみ通常海域/イベント海域
    対象編成連合艦隊遊撃部隊遊撃部隊/通常艦隊
    旗艦制限なし軽巡/駆逐のみ*1
    編成制限なし水雷戦隊編成のみ*2
    退避艦数
    補強増設使用不可一部可
    ボーナス無し一部有り

搭載可能な艦について

単艦退避の手順

  • 遊撃部隊編成において、旗艦に「遊撃部隊 艦隊司令部」を装備する。
    • 連合艦隊用艦隊司令部施設間違えて装備しないように(逆も然り)。
  • 道中の戦闘終了後、大破艦が発生した場合に発動。
    リザルト画面と「進撃 or 母港撤退」画面の間に「離脱判定(意見具申)」画面が表示される。
    • 「離脱判定(意見具申)」画面では大破艦が提示され、「退避」or「退避せず」の選択ができる。
    • ここで「退避」を選択する。
    • 通常と同じく、「進撃 or 母港撤退」の画面が表示されるので「進撃」を押す。
    • 次の戦闘から大破艦はバナーがグレーアウトして「退避」と表示され、戦闘から除外される。轟沈と見間違えてヒヤッとする。

使用上の注意

  • 随伴艦に装備させても単艦退避はできないので、必ず旗艦に装備させること。
    • また連合艦隊の場合、装備させても護衛退避はできないので、装備を間違えないように注意すること。指差し呼称推奨
  • 一回の戦闘で2隻以上大破した場合でも、退避できるのは1隻のみ
    また、連続して「離脱判定(意見具申)」は発生しない
    このため、1隻分の退避は可能だが、基本的に拒否して撤退しよう
    • 優先順位は《2番艦》→《3番艦》→…→《7番艦》
      • この優先順を逆手に取れば、仮に《2番艦》と《7番艦》が大破した時に《7番艦》にダメコンを装備している場合。
        《2番艦》だけ退避させて、進撃するということも可能だが…くれぐれも慢心しないように
  • 退避時は連合艦隊の護衛退避と同じく弾薬燃料を全消費。
    また、cond値が大きく低下し、そこそこの確率で退避中に耐久が更に減少することがある。
    • ただこの退避中の耐久減少で轟沈はしない(かならず1で踏みとどまる)
    • 退避した=大破している訳であり、帰投後即バケツなことも多いので修理時間・修理費用が若干増えるくらいのものでしかない。
  • 護衛退避を複数回行って艦数が4隻以下になると輪形陣が使用不可となり、3隻以下になると単縦陣固定になる。
  • 遊撃部隊は「精鋭水雷戦隊 司令部」でも退避可能であるが、使用条件が厳しくなっている。

小ネタ

  • 妖精さんは那智、最上、山城の3人。鉢巻き姿が似合っているかわいい

ネタ元

  • 遊撃部隊艦隊司令部」という名前と実装された際のイベントのネタ元などから、レイテ沖海戦に参加した第二遊撃部隊(2YB)、通称「志摩艦隊」の司令部がネタ元ではないかと思われる。
    因みに旗艦は妖精にもなっている那智である。
  • また「遊撃部隊」を「本隊と別に行動してこれを支援する部隊」と考えると、第一遊撃部隊(通称「栗田艦隊」)の別動隊として行動した同第三部隊(1YBH3)、通称「西村艦隊」の司令部もネタ元として考えられる。
    因みに、山城最上は第一遊撃部隊第三部隊の所属(山城は旗艦)として参戦している。

第二遊撃部隊(志摩艦隊)

  • 第二遊撃部隊は捷号作戦に合わせて第五艦隊を中核に編成された軍隊区分での部隊であり、指揮官は同艦隊司令長官の志摩清英中将が務めたので、「志摩艦隊」と呼称される場合が多い。
    作戦立案当初は扶桑山城や第五戦隊、練習部隊の第十一水雷戦隊、秋月型駆逐艦で構成する第61駆逐隊なども含めた大規模な部隊として編成される予定だった。
    またその役割は攻略部隊攻撃の任を受けて従来の「機動部隊の前衛」の役割を解かれた第二艦隊*3の代わりに前衛を務めることとしていた。
  • だがその後の作戦内容の変転で部隊の基幹戦力として期待された扶桑姉妹は栗田艦隊への戦力増強として引き抜かれ、第61駆等の編入の話も流れてしまい、10月の時点では第五艦隊の所属艦艇のみで構成する小部隊となっていた。
    そして10月12日より発生した台湾沖航空戦で敵機動部隊を壊滅させたと信じた連合艦隊は志摩長官に急遽残敵掃討を指示する。
  • 慌てて出撃した志摩艦隊だが16日に無傷の米機動部隊が発見され状況が一変、追撃を中止して奄美大島に後退する。
    その翌日に米軍がレイテ湾入口にあるスルアン島に上陸、18日に捷一号作戦が発動しレイテ沖海戦が開始される。
  • 瀬戸内海にいる機動部隊本隊と合流する事も不可能ではなかった志摩艦隊だが、フィリピンの近くにいるという第二遊撃部隊の状況が、以後の同部隊の運用方法の決定に混乱を生む事になる。
    • 元々海軍には米軍上陸の際、陸軍の増援部隊を現地に送り込む「海上反撃機動作戦」という作戦構想があり、その護衛戦力として志摩艦隊を充てようという考えが連合艦隊内で起こった。
      そのため機動部隊本隊指揮下だった志摩艦隊を急きょフィリピン方面を担当する南西方面部隊(南西方面艦隊基幹)に異動させ、増援部隊の逆上陸の際の護衛戦力に志摩艦隊を充てようとしたのだった。
    • しかし南西方面部隊の方ではそのような反撃作戦は懐疑的であり、当の志摩艦隊側も機動部隊への復帰か、栗田艦隊と共に上陸部隊攻撃に向かうべしという考えだった。
      現地陸軍部隊でも上陸地点へ送れるまとまった兵力を早期に集結させて輸送艦艇に乗せる事が不可能と考えていたのだが、連合艦隊側はこの案に固執し、南西方面部隊と志摩艦隊の運用について電報のやりあいが続き志摩艦隊を困惑させた。
      • 結局21日午後になるまで志摩艦隊の作戦は決定せず、台湾の馬公に待機する羽目になった。
        更にこのごたごたの間に第二航空艦隊から緊急輸送のための駆逐艦の派遣要請が来たので第21駆逐隊の3隻(若葉初春初霜)を分派し、戦力が低下している。
  • 出撃が遅れた志摩艦隊は慌ててマニラに向かう。ここにはこれも急遽決まった増援戦力の第16戦隊*4が待機していて合流する筈だったのだが、
    出港後に届いた栗田艦隊の作戦行動を見てこれでは間に合わないと判断した志摩長官はマニラ入港を中止してコロン湾に向かい、そこにいるはずの油槽船から最終補給を受けてレイテ湾に向かおうと判断する。
    しかしコロン湾に着いてみるとあてにした油槽船はなく、やむなく燃料に余裕のある重巡の燃料を駆逐艦に分け与えて、同部隊は西村艦隊の後を追ってレイテ湾に向かう事になる。
    もしこういった運用決定の混乱がなく、当初から突入が決まっていたら西村艦隊と連携した行動がとれたかもしれず、史実もまた違ったものになっていただろう。
    • 因みに連合艦隊が固執した「海上反撃機動作戦」の方はマニラで待っていた第16戦隊の鬼怒浦波で実施される事になり作戦名は多号作戦となる。
      マニラを出撃した2隻は南下し、25日にミンダナオ島ミヤガンにて陸軍兵約350名を搭載してレイテ島に向かう。翌日にはオルモック湾に到着し300名ほどの増員兵力を無事送り届けたが、マニラへの帰路に米軍機の空襲を受け2隻は沈むことになる。
      そして以後多号作戦は9度にわたって実施され、多くの将兵をレイテ島に送り込むが、護衛の艦艇にも多くの被害を生む事になる。

第一遊撃部隊第三部隊(西村艦隊)

  • もう一つのモデルと思われる西村艦隊だが、この部隊は攻略部隊攻撃を任務とする栗田艦隊内で急きょ編成された別動隊で、10月4日に合流したばかりの第二戦隊を基幹に編成された。
    • 元々栗田艦隊は栗田提督が率いる第一部隊、第三戦隊司令官の鈴木義尾中将が指揮する第二部隊に別れ、第一部隊が攻略部隊を護衛する米艦隊を攻撃し、第二部隊が輸送船などを攻撃する手筈となっていた。
      そしてこの時点では第二戦隊と最上、時雨は第一部隊、満潮、朝雲、山雲は第二部隊に所属していた。
  • しかし第二戦隊は9月に再編されたばかり*5。艦自体は古豪だが部隊としての経歴は未熟であった。
    その部隊が10月4日に合流した事で部隊内での連携訓練が未了の状態で17日の作戦開始を迎えることになってしまい、足手まといになる危険があった。
    18日に作戦発動準備を受けて出撃拠点とされるブルネイに進出している間、栗田艦隊では新たにもう1部隊を編成し、本隊とは別ルートで進出させ挟撃行動をとらせることを考える。
    • 挟撃行動に関しては連合艦隊側も「その方が望ましい」と打電しており、連合艦隊の考えにも沿うものであった。
  • こうして連携訓練が未了の第二戦隊に、第五戦隊と行動を共にしていた最上、本隊の通るルートは航続力的に負担となる時雨満潮朝雲山雲が加わり第一遊撃部隊第三部隊が誕生する。
    • 扶桑姉妹が低速であるという事から部隊を分けたという説もあるが、一方でほぼ同速力の長門が栗田艦隊の本隊として参加している事から、不安要素ではあるが要因ではなかった可能性もある。*6
      • 因みに長門を「最大速力27ノットの大和型と行動を共にできるか否か」に関しては海軍部内でも認識に隔たりがあったようで、
        マリアナ沖海戦直後の1944年6月27日、第一機動艦隊司令長官の小澤治三郎中将が
        「長門は速力、戦力の関係上、大和、武蔵と別個の行動をとらしめ、山城、扶桑と共に第二戦隊を編成、遊撃部隊に編入するを可と認む。以下省略」
        と意見具申し連合艦隊や軍令部もそれを是としたが、実際に指揮する第二艦隊司令部や長門が所属する第一戦隊司令部は
        「運用上問題ないから作戦前に計画を変更しないといけないようなことはしないでくれ」と反対し、この話は流れている。
        実際10月25日に起こったサマール沖海戦で、長門は最大速力で進軍する大和の後方に終始追従しており、速力差は運用上問題なかった事を実証している。

西村・志摩艦隊の進撃、そして壊滅

  • 同じ針路でレイテ湾を向かう事になった2つの部隊だが、前述の通り志摩艦隊の運用方法決定が遅れた事で連携についての協議も連絡も取れないまま進撃する事になり、2つの小部隊が別個に大部隊の待ち構える海峡に突入し西村艦隊は壊滅する羽目になった。
    また西村艦隊と志摩艦隊とは所属する部隊が異なり、指示系統が違っていた事も連携が取れない要因であった。*7
  • もっとも、仮に2艦隊が合流、若しくは密接に連携をしていたとしても、戦艦2隻・重巡3隻・軽巡1隻、駆逐艦8隻という小戦力に対し、米軍はオルデンドルフ艦隊だけでも戦艦6隻・重巡4隻・軽巡4隻・駆逐艦26隻・魚雷艇39隻であり、結末は史実と大同小異ではあっただろう。
    • これに関しては分派自体は栗田艦隊と西村艦隊は同時刻にレイテ湾にそれぞれ突入し、双方どちらかが敵を引き付ける間にもう一方がその敵の後方を衝いたり、
      がら空きの輸送船団を攻撃したりとする挟撃戦を想定したものであり、連携せぬままの単独突入など自殺行為であることは日本側も判っていた。
      だが24日日中に敵機動部隊を北方に吊り上げるという小沢艦隊の任務は成功せず、栗田艦隊はシブヤン海で大空襲を受けて武蔵が沈んでしまい、攻撃を躱す為に一時反転せざるを得なかった結果、同時突入が不可能となってしまった。

艦隊区分と軍隊区分

  • 前述にもある「軍隊区分」とは作戦の都合でその都度編成される部隊の事で、その逆で常設のものは「艦隊区分」と言われる。
    第二遊撃部隊の場合、その司令部と中核の第五艦隊の司令部は同一なのだが、組織上は全く別のものとされる。
    • 艦隊区分」とは平時から設けている部隊組織で、「~艦隊」と命名されているのが大抵そうである。
      その指揮官は司令長官と言われ中将以上の者が選ばれるのだが、他の中将の階級の者が任命される役職とは異なり、艦隊司令長官は天皇から任命される「親補職(親任官)」*8であるので、軍令部や連合艦隊が作戦の都合で編成替えをしたり解隊、合流したりするのは問題が多かった*9
    • またこの編成は平時の訓練や、実際には起こらなかったが米主力部隊との一大決戦などでは有効であったが、太平洋戦争の大半はそういった規模の海戦とはならず各種各様の作戦が行われており、それを艦隊区分の組織で運用するには無駄も多かった。
    • そこで考え出されたのが、作戦の度に必要な戦力を艦隊間の垣根を越えて集めて臨時に「部隊」を編制して行動させ、終わればその部隊は解隊する…というものであり、
      これが「軍隊区分」といわれる編成である。「~部隊」などと命名されるものが多かった。
    • これにより作戦毎に無駄のない、情況に則した現実的な編成で戦う事が出来るようになった。
      ただ、どのような組織編成でもそうだが弊害がなかったわけではない。
      あくまでもこの編成は戦時の作戦遂行のための臨時のものであり、訓練や人事構成は艦隊区分で行っていた。
      その為、軍隊区分での部隊間の訓練がしずらく意思疎通も取りにくい事があった。
      基本的には部隊司令部は艦隊司令部が兼務し、その構成艦艇もその艦隊に所属する艦が中核となる場合が多かった*10
      中には各艦隊から分派された艦艇の割合が大きく、作戦時にしか集まらないので中々艦隊訓練の時間を割くことが出来ない場合が多かった。
      • そういった代表例が開戦時の機動部隊で、真珠湾攻撃に機動部隊として向かった艦艇の各所属艦隊は
        ・第一航空艦隊所属(赤城加賀蒼龍飛龍翔鶴瑞鶴秋雲
        ・第一艦隊所属(比叡霧島阿武隈浦風磯風浜風谷風
        ・第二艦隊所属(利根筑摩陽炎不知火
        ・第六艦隊所属(伊19、伊21、伊23)
        と見事にバラバラだった。
      • こういった不便さは早い段階から問題となっており、ミッドウェー海戦の前から機動部隊などから指摘されていた。
        こういった問題を解消するために、艦隊区分自体で護衛艦艇も含めた組織にするように改めたのが、ミッドウェー海戦後に第一航空艦隊を解隊して編成された新編の第三艦隊である。

単独退避

  • 被害艦を退避させる際、護衛をつけるのは基本であり、同システムでの単独退避というのは史実的には稀なケースである。
  • 被害を受けた艦はいわゆる「何時沈んでもおかしくない」状態であり、それも敵の勢力下である場合が多いので、護衛にある程度健全な艦を1~2隻つけるのは生存者救助の観点から見ても必要だった。
    また護衛も付けてもらえずに単独で退避する同僚を見て、健全な艦艇の乗員に「やられたら見捨てられる」という風に受け止められて士気が下がる危険もあった。
    • やられた味方を見捨てないという姿勢は近代では重要であり、現在でも陸海空軍問わずそうである。
      負傷者が出たら、兵士数が減るのを覚悟で健在な兵士を介護につけるし、行方不明者がでたら危険を承知で戦場に舞い戻って捜索する。
      捕虜がでたら、特殊部隊を送り込んで救助したりするのも、こういった「仲間を見捨てない」という姿勢を重視するからであり、戦場では大切なものである*11
  • 単独で退避させられると、もし退避中に敵に見つかると回避も反撃もままならない状態なので殆どは撃沈され、救助してくれる味方もないというパターンが多い。レイテ沖海戦での多摩や、熊野などがそうである。
  • 但し護衛をつけるにも、それによって本隊の方が艦艇数が減少するので、多くの脱落艦がでたらそう何隻も付ける事は出来なくなる。
    特にガダルカナル戦などで多くの駆逐艦を失い、数が不足していたレイテ沖海戦の頃は護衛をつける事すら困難だった。
    • この為第一遊撃部隊では高雄や武蔵など緒戦での脱落艦には護衛を2隻つけていたが、脱落艦が続出した事で護衛につける駆逐艦が足りなくなり、途中で1隻につき護衛を1隻のみとしている。
  • なお遊撃部隊の意味として「パルチサン」「ゲリラ」も含む場合がある。

この装備についてのコメント

  • 退避しても陣形選ぶ時7隻表示のままだからビビる -- 2021-05-22 (土) 21:44:37
    • 俺も。そして万が一が怖くなってブラウザを閉じてしまった(慢心ダメ絶対) -- 2021-05-25 (火) 00:22:31
    • 自分も遭遇したわ レイテの時は退避した分、表示数が減ってたからこれは改悪だなあ -- 2021-06-04 (金) 04:46:21
  • 装備可能艦種の駆逐が暗くなってるから当然装備できないと思ってたが、秋月型やフレッチャーとかの一部駆逐は持てるんだな。今回初めて知った -- 2021-06-11 (金) 01:53:37
  • これ警戒陣の判定ってどうなるんだっけ?3番艦が退避したら繰り上がったりするのか? -- 2021-06-23 (水) 00:10:45
    • 退避艦が枠を埋めたままなので席順が繰り上がったりはしない。 -- 2021-06-23 (水) 15:44:13
  • せっかくの使いどころさんだったのに、精鋭水雷戦隊司令部のおかげで存在を忘れてたわ。 -- 2021-06-23 (水) 13:20:47
    • うちは、E-5-1で使ったわ。航戦2重4航巡1で周回したら楽勝だったよ。 -- 2021-06-26 (土) 07:47:32
  • 今回のイベント任務で諜報手に入ったはいいけれど、今後も遊撃出てきそうだし、これを機に作ります。今諜報5個あるので -- 2021-09-24 (金) 12:44:25
    • 戦闘詳報(せんとうしょうほう、くわしい戦闘報告書)かな。 -- 2021-11-11 (木) 14:35:07
  • 艦隊で唯一の戦艦が単艦退避しても二巡特性は残るのね…びっくり -- 2021-12-09 (木) 21:28:19
  • 今回のE2輸送でも出番ある? -- 2022-06-02 (木) 08:29:58
  • そろそろ作ろうかな。これからは毎回あると言ってもいいレベルだし -- 2022-06-04 (土) 09:03:43
  • 今回のE3の詳報2枚で作らせて貰いました。遊撃使いまくりなんでE4から使わせて頂きます。 -- 2022-07-04 (月) 14:47:51
  • 久々に使ったので、6隻だと発動しないのすっかり忘れてた、危なかった -- 2022-09-16 (金) 23:31:45
  • 山城妖精さんアニメデビュー -- 2022-11-11 (金) 01:52:22
  • これで戦闘詳報つかっちゃって時雨改三にできないー -- 2023-06-24 (土) 10:48:08
  • 艦隊司令部施設は2艦撤退でルート制限や索敵値に引っかかる、戦力減少でほぼ勝てない等、結構使いにくいけど、遊撃の場合はなんとかなるケース多いから 頑張ってこっち作った方がいい -- 2023-09-05 (火) 07:20:48
  • 遊撃部隊で行くギミックでけちって6艦にしてたら、発動しないのか -- 2023-09-27 (水) 12:53:55
    • それはただの「第3艦隊で出撃した通常部隊」やな・・・ -- 2023-09-27 (水) 18:52:04
  • 現状使い道のないこの装備は、艦娘を全員改二にしたあとに入手しても問題ないと思う。先走ってこの任務を片付けたら、改二改装分の詳報が足りなくなってしまった(おもに時雨) -- 2024-01-05 (金) 03:20:14
    • 航戦だの空母だの入れた遊撃艦隊で輸送とか前回イベントでも普通にあったので、そこまで優先度落ちるものでもないかな・・・ -- 2024-01-05 (金) 12:41:03
      • 遊撃部隊は使うけど、特に低レベル艦隊だと「退避すると(索敵不足とかで)逸れる」「人数減ってボスが倒せない」とかもあるから、遊撃司令部の優先度は確かに低めかも? -- 2024-01-05 (金) 13:08:08

*1 練巡は不可
*2 軽巡/雷巡/駆逐のみ
*3 実際マリアナ沖海戦までの第二艦隊の軍隊区分呼称は「前衛部隊」であった
*4 元々は第一遊撃部隊に所属しリンガ泊地を出撃しブルネイに向かっていたが、その途上で第二遊撃部隊への編成替えとなり、ブルネイ到着後すぐさまマニラに向かった。その途上で旗艦青葉が被雷大破し、行動可能な艦は鬼怒浦波の2隻だった。
*5 それまで山城は訓練艦としての任務につき、扶桑は長門と共に第二戦隊を編成していたが、1944年2月25日に第二戦隊解隊により連合艦隊直轄となり別々に行動していた
*6 扶桑姉妹の近代化改装後の速力は最大24.7ノットだが、長門の近代化改装後の速力は25ノットであり、ほぼ同速である。
*7 第二遊撃部隊を第一遊撃部隊の指揮下に入れるという案もあったようだが実行されなかった
*8 このほか鎮守府司令長官、警備府司令長官、軍事参議官が中将で任命される親任職である。これらの職は在任中は大将や各省の国務大臣と同格の扱いを受ける
*9 同様に陸軍でも中将が務める師団長が親任官で、幾ら上司の軍司令であっても師団長を勝手に変える事は出来ない
*10 レイテ沖海戦での第一遊撃部隊(栗田艦隊)では第二艦隊の所属艦艇が中核となり、第三艦隊から派遣の第十戦隊から旗艦矢矧と4駆、17駆が加わって構成されている
*11 それを逆手に取って殺さず重症を負わせておく程度で止め敵の兵力を削いだり救援に来たところを一網打尽にするという、ある意味卑怯な戦法が存在するのもまた然りである