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加賀

Last-modified: 2017-09-26 (火) 13:35:56
No.007
航空母艦、加賀です。あなたが私の提督なの?それなりに期待はしているわ。加賀(かが)加賀型 1番艦 正規空母
艦船ステータス(初期値/最大値)
耐久71火力0 / 39
装甲29 / 59雷装0
回避27 / 49対空28 / 69
搭載93対潜0
速力高速索敵40 / 69
射程10 / 49
最大消費量
燃料60弾薬55
艦載装備
18零式艦戦21型
18九九式艦爆
45九七式艦攻
12未装備
改造チャート
加賀加賀改(Lv30)
図鑑説明
私、加賀は八八艦隊三番艦として建造されました。
様々な運命のいたずらもあって、最終的に大型航空母艦として完成しました。
赤城さんと共に、栄光の第一航空戦隊、その主力を担います。

※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。

CV:井口裕香、イラストレーター:しばふ (クリックするとセリフ一覧が開きます)

ゲームにおいて Edit

  • ステータス全てが高水準に名を連ね、改二の増えた現在も依然として選択肢に入る航空母艦。
  • 端的にステータスの比較を上げると
    • 搭載数が最大、耐久値もTOP
    • 火力は赤城と共に49まで上がるため砲撃戦でも高火力を期待できる。
    • 装甲が正規空母としては最大の79と高い。ただ装甲空母である大鳳の84、翔鶴改二甲の83には届かない。
    • 運は飛龍/瑞鶴の二名が特別高くなっているだけなので、加賀自体は正規空母の平均値を取っている。
  • 改造前で搭載数93と他の追随を許さず、改に至っては搭載数98と圧倒的な数を誇る搭載数が最大の強み。
    • 彩雲と爆撃機にスロットを割いて最大66機を搭載でき、複数の敵空母相手にも制空権を譲らない程度の航空戦力を確保できる。
    • 現在は極小スロットを持つ艦娘も多いので、彩雲をそちらに任せ98機フルに活用できる場面が増えている。
    • その搭載により、制空権確保に他の空母ならば2隻必要な場合でも加賀1隻で十分だったり、制空と対艦をハイレベルで両立したり。
  • 特に1スロットで45機/46機を補えるのは非常に強く、戦闘機で制空、艦攻or艦爆で対艦と要所別に特化した運用が出来る。
    • 実効値で比較しても、2位赤城3番(32機)の1.2倍、18機スロットの2倍を誇る。
    • 烈風改など一点ものを乗せた際も、性能差と搭載実効の差が乗算されるため、他と隔絶したパフォーマンスを叩き出す。
    • ツ級の対空砲火によるスロット全滅への対策としても優秀である。だが過信は禁物。
  • 序盤〜中盤にかけて、レア〜ホロ艦載機を優先的に回すとより活躍してくれるだろう。
    • 空母対空の計算式が解明されだした現在、最大スロットには同レアリティ帯なら制空のための艦戦よりも、火力を高める艦攻を積んだ方が効率がよいと考えられている。打撃力重視か対空重視かで上手く使い分けていきたい。
    • が、アップデート2014/04/23で新ギミック「弾着観測射撃」が実装された事と2014春E-1のクリア報酬烈風改の普及によって事態は一変。制空権の重要性が甚大なものとなり、3番スロットは可能な限り高位の艦戦を積み込むのが定石化していた。
    • アップデート2015/08/10にて新ギミック「艦載機熟練度」が実装され、制空権争いが大幅に緩和された。また熟練度ボーナスは搭載機数によらないスロット毎の固定値上昇のため、第3スロットの必要性は減少した。
    • しかし同時にツ級による対空砲火が深刻化。連戦を強いられるイベント海域では運が悪いと加賀の第3スロットですら全滅する始末である。よって艦爆や艦攻の全滅の可能性を減らすためにも、今後は制空面でなく全滅対策として第3スロットが輝く機会が多くなるだろう。
  • 正規空母ゆえ仕方ないが燃費の重さに加え、ボーキサイトの被害が最も大きくなるのも特徴。
    • スロットの搭載機数に比例して艦載機の被害が増えるため、艦載機の多さはそのまま被害の大きさに直結する。ボーキサイトの女王も真っ青の大喰いの一面も。
    • その事から序盤では資材への負荷が大きいため、遠征などによる資源の供給体制が整うまでは海域突破の運用に留める等で消費に気を付けながら上手く運用したい。
    • ボーキサイトの消費を抑える方法として艦戦を多めに積み熟練度を向上させ、制空権を確保することがあげられる。ボーキサイトの消費が激しいと思ったらまずは装備を見直そう。しっかりと制空権を確保すれば負担もかなり軽減されるはずだ。
  • 入手方法としては通常&大型での建造でも可能であるが、何気に金背景なので通常海域の通常マスからドロップ入手が狙える。
    • 初ドロップは2-1ボス、以後もボス戦ならほとんどドロップする。
    • マップ全域でドロップするのは3-1、3-4、4-2。周回しやすい海域も含まれているので狙い目である。
  • 2014/01/22 のアップデートにて補給と放置のボイスが追加された。
  • 2014/07/28 のアップデートにて出撃と母港、及び時報ボイスが追加された。前者二つの内容は次回のイベントに合わせてのものであろう。
  • 2015/07/17 のアップデートで自身の曲「加賀岬」を披露するようになった。ジュークボックスまたは今夏に限り西方海域までの○-4ボスで2番の途中まで聞けるので持っている人&ボスへ行った際は聞いてみよう。なお現在、出撃では4-4ボスのみでしか聴くことができない。少し残念です。
  • ゲーム内では無感情で冷徹そうに見えるが、しばふ氏のツイートによると実際は顔に出て無いだけで感情の起伏はかなり激しいらしい。
    • 台詞の内容を見てみると普段は少し高慢とも取れる態度を取っておきながら被弾時に唖然としたりと、激しい本性を冷徹な雰囲気で隠しているようにも見える。
      おっとりとして優しい雰囲気ながら、戦闘中は艦載機への命令、母港でもほとんど戦闘や作戦のことしか喋らない赤城と比べるとわかりやすい。
    • それと対照的にゲーム外での媒体上(特にアンソロジー版だと分かりやすいが)では、作者ごとによっては提督LOVE勢にもなってたり、口数も多かったりする等、
      ゲーム上での彼女と比べるとキャラは比較的変わりやすかったりもする。
  • イラストでは髪型が判りづらいが、ショートやミディアムではなくサイドテール。ポニーではなくサイドにする辺りが彼女なりのオシャレなのだろうか。
    • デザイナーしばふ氏は、当初右側頭部にまとめるつもりだった髪を「射の邪魔になりそうだ」という判断で移動したらしい。(ソース募集中です、しばふ氏のインタビューに有ったらしい)現実の弓競技でも、放れた弦・矢が髪を絡んで巻き込む事故は、和洋問わず射手さんの警戒する処である。

小ネタ Edit

戦歴
艦長

空母への改装、そして竣工 Edit

  • 八八艦隊計画三番艦、加賀型戦艦一番艦「加賀」として神戸川崎造船所で建造される。
    • 1921年(大正10年)に10万人の観衆が見守る中、華々しく進水。しかし艤装を前にしてワシントン海軍軍縮条約が締結され、数奇な運命の末に空母として生まれ変わる事となる。
  • 元々は加賀型戦艦一番艦だったが軍縮会議で廃艦され、天城型巡洋戦艦「天城」「赤城」の空母化資材になる予定だった。
    しかし、「天城」が関東大震災で竜骨を破損して廃艦が決定。そこで加賀が代艦として空母化される事になり、廃艦を免れて空母としての道を歩む事となった。画像・横須賀工廠ドック内で横転している天城
    • なお、2015冬のイベントで追加された「天城」は雲龍型航空母艦二番艦であり、天城型巡洋戦艦一番艦として起工された上記の「天城」とは別物である
    • 主砲には41cm連装砲5基を搭載し、煙路防御や傾斜装甲を取り入れるなどの進歩的な設計が見られた戦艦でもあった。
    • ちなみに加賀型戦艦二番艦「土佐」は進水したばかりの所で建造中止。
      長崎から呉へ曳航され標的艦として各種の試験に使われた後、土佐国(高知県)宿毛湾の沖ノ島西方約10海里の地点に沈められた。
      なお、長崎市の端島の別名「軍艦島」は、横から見た形が土佐の艦影に似ていたことからつけられた物である。
    • 空母で「信濃」(未実装)と加賀のみ旧国名由来なのは、上記の通り戦艦として建造されていた事による。
    • もし空母に改装されなかったとすれば、長門陸奥の義理の妹のような存在になる。つまり扶桑山城に対する伊勢古鷹加古に対する青葉の立ち位置である。
      計画当初は長門型の3番艦として計画されていたため、長門型に取り入れられなかった防御方式などを取り入れる予定だった。
      • 計画途中で長門型で見つかった不具合の改良点などを盛り込んだ結果、長門型から加賀型のネームシップへと変わった。
        おもな変更点は主砲を4基8門→5基10門へ増設・重油石炭混焼ボイラーを廃止し大型ボイラーの比率を高め、ボイラー数を22基→12基へ削減しつつ速度を維持・煙突を2本→1本へ集約・上部装甲の強化など。
        そのせいか、新造計画時の常備排水量は長門の33,800トンから39,979トンへと大幅に増加した。
    • ちなみにこれらの事情について艦これではあまり深く言及してないせいもあってなのか、アンソロジーコミックの舞鶴鎮守府編第4巻では加賀が天城の事を自身の姉というミスが生まれたりもするというかなんで誰もそこを指摘されなかったのか…
  • 空母としての竣工時は煙突を艦尾まで引き延ばす誘導煙突を採用していた。現在までに3例だけの珍しい方式である。
    • しかしこれが大失敗。煙路周辺の室温は40度を越え、ほぼ居住不能と化してしまった。おまけに排煙は艦尾に乱気流を起こして着艦の障害に。
      搭乗員は蒸し焼き、航空機は燻り焼き…この有り様を揶揄して曰く「海鷲の焼き鳥製造機」。あんまりである。
    • 公式4コマ第16話の鳳翔のおかず選び、第18話のコタツにおける排熱、第24話の他の空母に暖とりに抱きつかれる、81話の沸騰する温泉、93話の加賀の入った後の風呂、160話のジンギスカン鍋の熱源など「異様に体温が高い」ネタはここから来ている。
      • アンソロジーコミックの佐世保鎮守府編第2巻の第2話でも、金剛が「加賀がいるからアツイネー」と言っていたことからここでも、排熱ネタが使われている。
      • 間宮の使用による士気回復で一気にキラキラまでいくのもコレ(暑がりなのでアイス好き)からか?
    • 当時は空母の設計すら手探りの時代で、先行して配備されていた英国海軍の空母アーガスの設計を参考にして煙突を誘導式にしたのが原因だったとか。
      なお加賀の欠陥はアーガスや、同じ排煙方式の空母フューリアスも同様に抱えており、しかもアーガスは1944年に戦力外通告で退役させられるまでそれを是正する気配すらなかった。
      最も息も凍る冬の北海を航行する際には乗員から喜ばれたらしい。
  • まだ空母向きだった赤城と違い、こちらは速力と全長が足りない戦艦を改装した上に煙突配置まで失敗したため、あらゆる点で欠陥を抱える空母として竣工してしまった。
    • 支那事変当時に「加賀」の甲板士官として務めていた板倉光馬少佐の著書によると、この頃の加賀の艦内風紀は上記のような欠陥による居住性の悪化もあってか、他の大型艦と同様にとても乱れていたという。
      ギンバイ(食料等のかっぱらい)や、航空隊士官による艦乗組員への私的制裁も酷く、その陰湿な気風で自殺者や逃亡者も多かったという。板倉氏は著書内でこれを「大型艦はどこも大差ない」と回想している。
      更には横須賀在泊中に高級将校が艦内に芸者を招いて宴会をしていたり、新任甲板士官が着任したら面当てに飛行甲板へ人糞が落ちていたこともあったそうだ。
      • その後「加賀」の艦内風紀の乱れは、結果的に太平洋戦争の開戦前には改善に成功した。
        当時の「加賀」において鬼の甲板士官と言われた板倉氏の著書には『彼らはちゃんと叱れば素直に従ってくれた』とあり、
        板倉が駆逐艦「如月」に転勤するため加賀から去る際、加賀の乗員達は涙を流して別れを惜しみ、千切れんばかりに帽子を振りながら見送ったと記されている。
    • さらに赤城と同じあのロマンと艦橋と20cm砲の載った三段飛行甲板も完備!その結果は赤城の項でお察しください。

改装〜海軍最強の空母へ Edit

  • 流石にまずいと感じた海軍により、日本海軍史上一〜二を争うほどの大改修が行われ、開戦時には速度を除けば日本でトップクラスの性能を有する空母として生まれ変わった。
    • 煙突誘導を赤城同様の湾曲煙突に変え、三段甲板も一段に絞り、高角砲をより強力なものに換装。
      • 湾曲煙突に変えたことで重量がおよそ100トン節約できた。さらに乗員も煙突の煙路が原因による灼熱地獄から解放され、居住性の向上につながった。航空機運用の観点でも、艦尾から排煙してたころと比べ気流を乱して着艦を妨げるようなことが無くなった。
    • 特に格納庫の広さはその後の日本空母含め最大。3段ある格納庫のうち、艦載機運用に使用している2段*2だけで7493屬發△蝓∪崗襪茲蠅盥垢北1000屬曚匹眤腓い。基準排水量も信濃に次ぐ大きさである。
      何しろ、真珠湾攻撃作戦時は、当初は「『加賀+翔鶴瑞鶴』に『一航戦+二航戦』を載せればいい」と言われたほど。
      当初この3隻が選ばれたのは赤城飛龍蒼龍には航続距離に不安があったからであるが、運用する側としては緊急時以外には出す事のない最高速度の優劣を機動部隊所属艦艇の選別の基準にするのではなく、自艦の搭載燃料でどれだけ作戦行動できるのかを重視しており、後述する加賀が6空母で一番低速であった事を「足手まといだった」というかつての論調が間違いであった事を示している。*3
    • 艦橋も新調。右側に立てたので赤城や飛龍より良好と言われる。
      • これはレシプロ機の特性の問題であり、推力を上げれば上げるほど機体はプロペラの高速回転の反動で左に寄ってしまう(この現象をカウンタートルクという。なお普通は発艦の際機体の舵を右方向に切ってカウンタートルクを打ち消すが、それでも機体がふら付くので完全な直進は難しい)左に艦橋がある赤城や飛龍では、このカウンタートルクの特性もあって発艦する際グングン艦橋に寄ってしまうことがあり危ないのだ。よって左側ではなく右側に艦橋のある方が万一にも艦橋に突っ込むことはないことが評価の一つとして存在する。
      • しかし一方で、本来は大型の艦橋を設置するハズだったのが、友鶴事件の影響でトップヘビーを回避するべく、加賀の艦橋は羅針艦橋、操舵室、発艦指揮所のみと非常にシンプルかつ四層という小型な造りになってしまった。この艦橋は自前の航空隊の指揮と操舵や航海には差し支えが無く欠点と言えるほど致命的だったわけでもないのだが、小型故に艦隊司令部を設置する余裕はあまりなかった。*5
    • 全長が足りないので8m延長。開戦時の6空母で船体より長い飛行甲板を持っていたのは加賀のみ。
    • 当時27.5ktという鈍足も機関を取り換えてそれなりに向上したが、それでも28.3ktが精一杯だった。*6
      速力について

    • またボディが戦艦だけあって安定性には確かなものがあり、その点は着艦するパイロットから好評だった。
      荒天の真珠湾攻撃においても船体の揺れは新型の翔鶴よりも少なかったと報告されている(横揺れについては最大で加賀3度、飛龍11度、翔鶴20度*10
      • 速力が足りなくて新型艦載機を発艦できないのではとも言われているが、マリアナ沖海戦では加賀より飛行甲板が短く26ノットの龍鳳天山を発艦していた記録も残っているように、実際は26ノット程度でも十分運用可能であった。
        信濃では20ノット程度の航行状態で流星天山紫電改の離着陸テストに成功しており、さらにテストパイロット*11も離着陸は良好だったと証言している。
        速力が遅くとも十分な長さの飛行甲板があれば、その分艦載機は加速できるので問題ない。信濃の事例がそうであり、加賀も同様のことが言える。
        • ただし、三式制動装置を装備し新型機を見据えた設計が施されている大鳳雲龍、信濃といった最新鋭艦とは違い、翔鶴型までの前級艦ではエレベーターの寸法上の問題や旧式の着艦制動装置の問題もあり、流星等の大型重量艦載機の運用には未対応だった。*12運用するのならそういった改修工事が必要だっただろう。
    • この改装による全通一段甲板、右舷前部の小型艦橋、下向き湾曲型煙突、飛行甲板周囲の対空砲火という艦形は蒼龍に受け継がれ後に続く日本空母の多くに採用されることになる。
    • 上記されている二次改装の際の工数はどの艦の改装工数よりも多く、他にも、空母への改造*13、近代化改修*14などでも加賀の工事はかなり大掛かりな内容になっている。
      • それを反映したのか、加賀は全空母中最大の運用コストを誇っていた。(現在は翔鶴改二/改二甲、大鳳改に次ぐ3位)
      • もともと長門より強くて大きい戦艦になる予定だったので当然と言えば当然だが
      • しかし上記の改装(第二次改装)の際に使われた改装費、実は赤城より加賀のほうがやや控えめだったりする。*15
        と言うのも、加賀の上海事変での運用実績があたりまえだが決して良好とは言えなかったので*16*17単一甲板へ大変貌を遂げる二次改装の際は加賀が優先され先に予算がおろされたため、赤城改装時は友鶴事件及び第四艦隊事件*18、新艦建造*19…とにかく間が悪く、予算不足に人手不足で工期が加賀より約2年ほど長くなっており、結果として、大掛かりな改装を満足に行えなかった*20割に費用がかさむ事になったのだ。
        ただし改造空母化や三段空母時代の改装・改修予算は赤城に優先(と言うか加賀の改装費を流用)して使われている。この時は逆に加賀の方が予算不足に陥って改装がなかなか進まず*21、まだ工事が残っているのに竣工するという面白いことになっている。*22
    • 空母の運用が定まっていない時代の艦艇なので、砲火力は充実している。近代化改装後は赤城より火力が強力で20センチ砲10基10門、12.7センチ連装高角砲8基16門を搭載。
      片舷射撃しか出来ないので実質5門とは言え、古鷹青葉型重巡洋艦並の大火力。
      • しかも予算不足で減らした赤城と違い後部に移動させただけで、沈没するその時まで10門を維持していた。
    • 昭和14年の「戦時艦船飛行機搭載標準」で定められた加賀の搭載機数は、零戦18機(補用2機)、九九式艦爆18機(補用5機)、九七式艦攻45機(補用5機)であった。
      補用機*23の合計を4スロ目に配分すると、艦これにおける加賀(改造前)のスロット配分と合致する。
      ただしこの「搭載標準」とはあくまで書類上の、戦時になったらこの数字を搭載する計画であるという類のものであり、実際の加賀が搭載した機数とは必ずしも合致しない。これは他の空母についても同様である。


    初陣、日中戦争 Edit

    • 初陣は1932年(昭和7年)の第一次上海事変。鳳翔と共に世界史上初の空母の実戦参加となった。日本機動部隊の誕生である。
      ここで加賀戦闘機隊*24は日本初の艦載機隊による敵機撃墜を記録し、その戦果を称えられ感状を賜っている。
      • ただその一方で「日本海軍初の艦載機被撃墜」という記録も与えられた。*25
        余談だが、この時に戦死した艦攻隊の藤井斉大尉は所謂「昭和維新」の中心人物であり、のちの5・15事件の主犯格とも深いつながりを持っていた。
    • 日華事変では予備艦籍にあって横須賀工廠で限定的な改装を行っていた赤城に代わり、一航戦の文字通りの中核として大車輪の活躍を見せた。
      • 南京・広徳・蘇州飛行場の同時攻撃、上海周辺軍事施設の攻撃破壊、上海やバイアス湾の上陸支援水平爆撃、
        敵巡洋艦「平海」の大破着底、南支方面の沿岸攻撃など、加賀の船体は連日の出撃によって錆だらけになっていたという。
      • 世界初の機動部隊を率いて日華事変を戦い、激戦と試行錯誤の末に部隊練度を無比なレベルにまで上げている。
        鳳翔龍驤と共に世界で活躍を報道され、その名を知らしめた。
      • 後の大戦時に飛行隊長や分隊長として活躍したエースパイロット達は、この時に加賀や龍驤に乗組した経験者が多い。
        • この頃に活躍した加賀乗組飛行士の中に、「親分」こと高橋赫一大佐や、真珠湾攻撃の軍状奏上を行った嶋崎重和少将が所属している。
          この二人は義兄弟の間柄であり、さらに奇しくも真珠湾攻撃では翔鶴型の姉妹艦翔鶴瑞鶴の飛行隊長をそれぞれ務めている。
        • 他にも後にベテラン搭乗員として活躍する磯崎千利大尉、零戦初陣に参加し「赤城」分隊長を務めた進藤三郎少佐、
          「飛龍」の「友永隊」で知られる友永丈市中佐、「赤城」「翔鶴」飛行隊長の「雷撃の神様」村田重治大佐などが加賀搭乗員として参加・初陣している。
      • 日華事変での実戦経験を蓄積し、新型艦載機の開発と試行に貢献している。
        当時複葉機が中心だった艦載機を、後の九六式艦戦零戦といった単葉機へ進化させたのは加賀の功績と言って良い。
        これまで日華双方共に多大な損害を出しながらも激戦を繰り広げていた加賀だったが、新型艦上機の登場で相手を圧倒するようになる。*26*27
      • 翔鶴型の建造にも貢献。加賀の運用実績のノウハウを詰め込み、蒼龍飛龍の発展型として設計されている。*28
      • 加賀は当時世界最強と謳われた日本機動部隊、第一航空艦隊の礎であり、日本単葉艦載機の育ての親なのである。
      • 一方で事変における活躍が仇となったのか、1937年12月12日に起きたパネー号撃沈の濡れ衣を着せられたこともある。
        パネー号事件について
  • のちに日本空母の基本かつ重要な装備となった着艦指導灯を自艦工作で開発・装備するに至っており、これは加賀の艦歴の中でも一際映える功績と言えるだろう。*33
  • 大戦前の演習では龍驤とコンビを組んで連合艦隊旗艦である長門に挑み、見事に翻弄している。

太平洋戦争開戦 Edit

  • 太平洋戦争が始まると、加賀は一航戦、ひいては南雲機動部隊の中核として太平洋戦線を転戦。初期の快進撃を支えた主力の一隻として活躍した。
  • 真珠湾攻撃では加賀航空隊が最も危険度の高い目標を担当する。それだけ加賀航空隊の実力が認められてい証拠でもある。
    • 空襲第一波で最も対空砲火が濃密な箇所及び熾烈化した時に攻撃を担当したのが加賀雷撃隊であり、敵が攻撃を予測し待ち構えている所を攻撃する第2波攻撃で最も多く攻撃を担当したのが加賀艦爆隊である。
      共同戦果を含めてアメリカ太平洋艦隊の戦艦8隻中5隻沈没、3隻中破という戦果を挙げ、功勲の筆頭格に数えられている。
      • 現在平和記念館にもなっている戦艦アリゾナは、真珠湾攻撃で沈められた唯一の戦艦*34だが、これを沈めたのは加賀の水平爆撃隊である。
      • なお、アリゾナは「敵の攻撃で沈められた唯一の米戦艦」であり、加賀は「米戦艦を沈めた唯一の日本軍艦」でもある。
      • 「真珠湾偉勲の三勇士(海鷲三士官)」の内の二名は加賀搭乗員*35。もう一名は蒼龍の搭乗員*36
      • 加賀乗組員ご本人による真珠湾攻撃当日の証言がこちら
  • 真珠湾攻撃後、加賀参加の主な作戦は、ラバウル攻撃・カビエン攻撃・オーストラリア要衝ポートダーウィン攻撃・ジャワ島チラチャップ攻撃など。
    連合国の軍事拠点に対して上陸作戦や軍港、飛行場攻撃、制空権確保などで戦果を挙げて日本の勢力圏を拡大。
    当時世界最強という名に恥じない日本機動部隊の中核として破竹の快進撃を続けた。
    • 因みに教官要員までかき集めた真珠湾攻撃の後、翔鶴・瑞鶴・赤城の常用機定数は蒼龍・飛龍と同じ54機まで減らされたが(翔鶴・瑞鶴は艦攻・艦爆を各3分の2、もともと艦爆の定数が蒼龍・飛龍と同じだった赤城は艦攻を3分の2に削減)、加賀も艦爆を3分の2に削減されたものの、艦攻の常用機定数は27機のまま据え置かれ、常用機合計63機と、ミッドウェー海戦時には日本海軍の空母で最強の攻撃力を持っていた。
    • 加賀と赤城は重要軍事拠点であるラバウルやカビエンを徹底的に攻撃し、第二次ラバウル攻撃により攻略作戦を成功させている。
      迎撃する敵戦闘機を撃墜すると同時に、カビエンを航空攻撃により守備不能にさせ、全く抵抗を受ける事無く無血上陸を果たすなど戦果を挙げている。零戦1機が不時着、艦攻1機を喪失。
    • ポートダーウィンでは在泊46隻中、21隻を撃沈、湾外で2隻撃沈。米軍水上機母艦、大型貨物船9隻が大破。合計4万3429トンを海に沈めた。艦爆1機を喪失。
    • クリスマス島沖では給油艦ペコス、駆逐艦エドサルを撃沈。
    • ジャワ島チラチャップでは商船3隻を撃沈、商船14隻を撃破。日本軍占領の際に14隻を自沈。
大戦時の主な加賀飛行士

損傷、そしてミッドウェー海戦 Edit

  • ポートダーウィン攻撃後、加賀はパラオ泊地で海図にない暗礁に座礁して艦底を損傷してしまう。当座の作戦行動には支障がない程度であったので応急修理をすまして作戦を継続、チラちゃっプでの作戦後に内地に帰投し修理を受けた。このためその後のインド洋での作戦には参加しなかった。
    • 印度洋作戦と同時期に計画されたポートモレスビー攻略を目指したMO作戦に、最初は空母としては加賀1隻が参加する予定だった。しかしいくら加賀でも1隻だけでは厳しいと判断される。現地指揮部隊である第四艦隊からは二航戦(蒼龍飛龍)の参加が要請されるが、練度向上を考慮して五航戦(翔鶴瑞鶴)と竣役したての祥鳳が参加する事になり、加賀の参加自体もなくなった。
  • 開戦から半年後、加賀は運命のミッドウェー海戦に他の3空母と共に参加する。その間、米空母を発見した事による艦載機の収容、出撃準備で艦隊が手間取っている間に米艦爆の奇襲攻撃を受ける。加賀にはマクラスキ―少佐率いるエンタープライズ所属機30機のうち25機が襲来、最初の3発までは回避に成功するが4発目が命中、これを含め計5発が命中し艦体は火達磨、特に艦橋の直前に置かれていた小型燃料車に爆弾が直撃したため、それの引火・爆発によって艦橋が吹き飛び艦長以下幹部がほぼ戦死してしまう。
    全艦が火達磨となったため、ガソリン庫に引火して大爆発を起こし沈没。なお同海戦において死者が一番多かった。*49
    戦闘詳報によると、沈没時刻は日本時間6月5日16時25分。
    • 来襲した敵雷撃機を回避中突然急降下する敵艦爆9機を発見、「加賀」は直ちに右に転舵して防空砲火で反撃。敵の第1〜第3弾はかわしたが、第4弾は右舷後部、第7、第8弾は前部昇降機付近、第9弾は飛行甲板中央に命中。
      第8弾の爆発により、岡田艦長以下艦橋にあった者ほとんど全員が戦死し、第9弾は格納庫内で爆発、大火災となった。
      • 来襲したエンタープライズ艦爆隊30機のうち、5機は加賀の損傷から沈没は確実と判断し、攻撃を受けていなかった赤城に目標を変更し攻撃、たった5機の襲来ながら見事に1〜2発を命中させ、赤城も火達磨にしている。
    • 尚、被弾したのが7時22分なので、誘爆、炎上を繰り返しつつもほぼ9時間浮いていた計算になる。
      赤城も加賀より長く浮いており流石元戦艦設計、とも言える。最後は転覆せずほぼ水平に沈んでいったといわれる。
    • 加賀の最期はガソリン庫引火による大爆発以外にも生存者の救助に来た駆逐艦「舞風」「萩風」によって雷撃処分されたという説もある。
      駆逐艦「萩風」に救助された加賀艦攻搭乗員の吉野治男一飛曹(後に少尉)の証言では、「加賀の艦首から艦尾にかけての格納庫は焼け落ちて、ほんの数時間前までの威容はまったくありません。それでも上甲板以下はしっかりしていて、元は戦艦として建造された面影をとどめていました」
      その後、吉野氏を救出した「萩風」「舞風」から2本づつ魚雷を加賀に発射(舞風の魚雷は命中しなかったとされる)。
      沈んでいく加賀に乗員達は挙手の礼でこれを見送った。鉄塊と化して沈んでゆく加賀の姿に、吉野氏は涙も出なかったという。
    • 艦橋の将校が戦死する中、唯一生き残った天谷中佐(加賀飛行長)が先任士官として指揮をとり、全力で消火に努めている。*50後に天谷中佐が中心となって残存空母のダメージコントロール対策に尽力し、その能力向上に貢献している。
  • ミッドウェー海戦では一方的にやられたような記載が多いが、直掩の零戦パイロット達は活躍ししっかり戦果をあげている。
    米海軍側で最も被害が大きかったのが各空母所属の雷撃隊で、出撃した40機に対し無事母艦に生還したのはたった3機。
    そして雷撃隊の隊長含め搭乗員79名も生還できず戦死し、雷撃隊壊滅という被害を受けた。
    • この時、米空母の雷撃隊が装備していた機体がTBDデバステーターで、新型後継機TBFアヴェンジャーの搭載は間に合わなかった。
      その為、新型機はミッドウェー基地に配備されることとなり、ミッドウェー海戦にて初陣を飾ることになる。
      しかし、この新型機を装備した雷撃隊もミッドウェー海戦で日本軍の零戦隊により1機を除き全て撃墜され最悪のデビュー戦となった。
  • 長く日本空母が脆いかのような象徴とされている加賀だが、実際に同じ目にあわされた米空母ワスプも雷撃処分の憂き目にあっており(詳細は伊19の項にて)、アメリカのダメコン技術をもってしてもここまで打たれたらどうしようもないともいえる。日本海軍でも図上演習などでは空母は爆弾5発以上を受けると大抵大破航行不能と認定されており、兵装転換のごたごたや、搭載爆弾や魚雷の放置がなかったとしても加賀は助からなかっただろう。
  • 6空母で一番の大型艦ながら、座礁やら何やらで米英空母の撃沈に関わっていないのは加賀だけ。空母撃沈戦果を加味すると一番戦果が少ないと言える。
    • 嘘です。前述の通り加賀は支那事変の頃から長く活躍した歴戦の艦であり、空母撃沈だけが戦果だと考えるのは間違いである。
      • 大戦時の加賀の戦略的貢献度(作戦成功数、対損害比率)、特に真珠湾攻撃後からの艦載機搭乗員の生還率については素晴らしい戦績を残している。
        そもそも武勲武功の優劣に明確な算定基準があるわけではなく、何を重視するかによってその艦の評価も変わる事も補足しておきたい。
    • 前述の通り真珠湾攻撃では唯一戦艦を撃沈しているし勲功の筆頭とされている。他にも米給油艦ペコスや駆逐艦エドサルの撃沈にも関わっているのは前述の通りである。

五航戦との関係 Edit

  • 五航戦に対して辛辣な台詞があるが、史実において一航戦の搭乗員達が錬度の低い五航戦の搭乗員達を見下していたという通説に由来している。
    • ただしその五航戦の搭乗員も、欧米に行けば教官クラスの熟練搭乗員だった。中支以来戦い続けてきた一航戦やニ航戦の搭乗員たちが特別すぎたのも理由。
    • 五航戦は瑞鶴就役からわずか二か月ちょっとで真珠湾攻撃に参加している。無茶な話です。*51
    • 五航戦が珊瑚海海戦で米空母レキシントンを撃沈したことを知った一航戦の搭乗員が「妾の子(あとから来た五航戦のこと)でもできたんだから」「我々なら鎧袖一触だ」とミッドウェー出撃前に述べた逸話が残っている。*52
      • これらは当時の海軍上層部が五航戦に対して発言したものであり*53、実際の一航戦と五航戦の関係は、上層部に虐げられていた五航戦搭乗員に対し、一航戦搭乗員から励ましの言葉が送られている程に良好であったという証言や文献がある。*54
        当時、翔鶴の高橋赫一飛行隊長、瑞鶴の嶋崎重和飛行隊長など、元加賀搭乗員も在籍しており、当時配属されたばかりの五航戦搭乗員に発着艦訓練を教えたりと交流があった。
        真珠湾攻撃では飛行場攻撃を担当した五航戦の救援に向かったり、第一次ラバウル攻撃でも並行して五航戦の支援も行っている。
        珊瑚海海戦で五航戦搭乗員が多数戦死してしまった事を知って言葉を失ったという証言もあり、現場では当然ながら仲間意識があったものと思われる。
    • そんな一、二航戦も搭乗員の補充・交代と、作戦続きによる訓練不足から搭乗員の技量低下に悩まされていた。
      • MI作戦の第一航空艦隊戦闘詳報によると、新規搭乗員は漸く着艦が可能になった程度で、旧搭乗員も夜間攻撃に対し編隊規模の連携は無理で成果は期待できないとされた。
        また作戦前に行われた横須賀航空隊による雷撃隊の技量審査では、成績極めて不良とされた上、(母艦搭乗員全体に向けて)「この程度の技量の者が珊瑚海で成果を収めたのが不思議でならない」とまで酷評されており、実射訓練では投下魚雷の1/3が航走に失敗している。
        さらに水平爆撃訓練は嚮導機のみで、編隊規模では一度も行われず、急降下爆撃は設営基地の九州から訓練海域の内海への往復に時間を取られ、動的目標に対し一日一回だけ。
        空戦も一部を除き単機による基礎訓練のみに留まった。
        加えて出港の直前まで機材の整備に追われた為、訓練に使用可能な機材自体が少なく、戦闘詳報には「技量低下は相当大なるものあり」と書かれている。

戦後の加賀 Edit

  • 1999年5月、米深海調査会社ノーティコスと米海軍海洋局により音響装置を用いた協同調査が行われ、深度5,200mで日本空母らしき残骸が発見された。
    同年9月、米海軍海洋調査船サムナーが残骸を撮影・調査した結果、格納庫隔壁や25mm機銃座、着艦指導灯が確認され、加賀のものだという事が判明した。
    残骸の写真映像(3:42〜から)
  • 艦名は加賀国(現、石川県南部)に由来。元々戦艦として建造されたので旧国名由来である。
    艦内神社は加賀国一宮の白山比弯声劼らの勧請である。
    • 「加賀」(かが)という艦船名は、帝国海軍では他に使用されておらず、海自・海保でも長らく使用されていなかった*55
      2015年8月27日にいずも型護衛艦2番艦JMSDF DDH-184の進水式・命名式が行われ、艦名が「かが」に決定した。この名は日本の艦艇としては二代目となる。
      • 排水量こそ正規空母であった前代「加賀」に劣るものの、いずも型は全長248m全幅38m。海自始まって以来最大の護衛艦である。とても大きいフネに思えるが、汎用ヘリ運用と車両他の機材搭載空間を一杯に取った結果自衛装備さえ限界まで切り詰められたぎりぎりの設計で、DDG他の護衛艦との連携なしでは実戦で動けないという。
        ちなみに先代である航空母艦加賀は全長248.6m全幅32.5mであり、ほぼ同じサイズである。
      • 2017年3月22日(水)に、正式に海上自衛隊に引き渡され就役を迎えた。奇しくもその受け渡し場所は「加賀」が空母となるきっかけになった「巡洋戦艦天城」の浮き桟橋で、姉である「いずも」に見守られながらのデビューとなった。
      • 母港は呉に決定し、就役とともにDDH-182「いせ」と入れ替わる形で入港、以後同港を拠点として活動中。停泊していれば呉港南東のアレイからすこじま公園からよく見える他、1日に4〜5便運行(火曜日運休)されている遊覧船呉艦船めぐりに乗れば間近から見る事ができる。が、しょっちゅう外海に出ているので要確認。年末年始はドック入りしている可能性もある。
      • 2017/07/15、石川県金沢市の金沢港でDDH-184が一般公開された。予想通りというか何というか艦内に設営された説明ポップの案内役が艦娘加賀だった。これらのポップは二次創作由来のもので、当然と言えば当然だが元絵師さんには使用許可を求める連絡がきちんと有ったそうな。
    • 他に、日本郵船でも「加賀丸」という名前の船が2隻*56おり、3代目の加賀丸はコンテナ船「加賀(KAGA)」という名で使用されていた。昨今では珍しくなった日本船籍のコンテナ船でもあったが、2010年に廃船・解体された。
      • 1909年9月12日、ワシントンに計画されている公園に植える桜の苗木2,000本が日本郵船シアトル航路加賀丸(初代)によって無償で運ばれている。しかしこの苗は植物検疫で外来種の害虫や細菌が多く発見され、全て焼却処分になってしまった。
        その後、米国での桜の植樹を実現させるため人々は試行錯誤し、農事試験場長の古在由直博士の調査で伊丹市東野の種が害虫に強いことがわかる。日本で初めての「青酸ガス薫蒸」施設も建てられ厳重な管理のもとで育成されて再度輸送された桜は、今度は無事にワシントン・ポトマック河畔に植えられた。公園での桜の植樹をタフト大統領夫人に提案したのは隅田川に沿う向島の桜に心奪われた米国人、エリザ・R・シドモア女史。彼女からニューヨークで桜の植樹運動をしていた(製薬会社三共の事実上の創業者)高峰譲吉博士、東京市の尾崎行雄市長に、高平駐米大使から小村寿太郎外務大臣に、支援の輪が広がり実現したのだ。尾崎行雄は後に「日露戦争の際米国が日本に対して示してくれた好意への感謝であった」と伝記に記している。
    • 石川県に「加賀市」があるが、加賀市は旧加賀国の南端のごく一部を占めるに過ぎない。
      なお、艦これ的には加賀市は「DMM創業の地」であり、現在もDMMグループの加賀事業所が加賀市美町(みさきまち)に存在する。

この艦娘についてのコメント Edit

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過去ログ

最新の15件を表示しています。 コメントページを参照

  • サラトガの改二より一航戦の改二の方が欲しい…そろそろ本気で欲しいわ、いつまで引っ張んねん… -- 2017-09-20 (水) 00:39:57
  • ラジオでの井口さんの観艦式の裏話し(加賀さんサービスも有り)。おもしろかったー。ここに藤田さん(赤城)がいれば、どうなってたことやら。艦これラジオみたいの作ればいいのにね。 -- 2017-09-21 (木) 06:09:28
    • 面白かったというか、着替え中の裏話は果たして明かしていい話だったのかというか…w -- 2017-09-21 (木) 22:59:54
      • 加賀さんのスカートの意外な短さとか。お尻の件は凡ミスということでw。 -- 2017-09-22 (金) 14:59:00
    • ゆかちのソロラジオはカオスだから是非ともそれを御せる相方が欲しい -- 2017-10-02 (月) 22:55:44
  • 3年前の新規着任当日に空母レシピ回して出てくれた加賀さん、当然うちの空母勢再古参 一応ケッコンもしてるけど、「嫁」というより大事な相棒って感じ 今じゃうちの鎮守府も大所帯になったけど、未だにここぞというときの正規空母枠は加賀さんが第一候補になる -- 2017-09-23 (土) 05:45:39
  • 加賀の赤城好きが中の人公認だったとか草を禁じ得ない -- 2017-09-26 (火) 05:04:45
    • 実は割と前々からラジオで艦これの話題をやるときはそういう発言してる。 -- 2017-09-27 (水) 23:16:16
  • 少し前に貰った梅酒に使ってる梅が「白加賀梅」って名前でびっくりしたなぁ(しかもめっちゃ美味い梅酒だった) -- 2017-10-02 (月) 22:54:15
  • 焼き鳥と言うとファイアローを思い出す。ファイアロー加賀、つまり加賀は炎タイプ!? -- 2017-10-06 (金) 14:10:06
    • リングネームかな?入場時に加賀岬流れそう -- 2017-10-06 (金) 18:51:53
  • 今更だけど、アケ版新アドバタイズの瑞鶴に背中を預ける加賀いいね!このくらいの距離感が個人的にはベスト -- 2017-10-08 (日) 23:58:57
  • 烈風改を載せたなら〜♪制空グぅっと高くなる〜♪ -- 2017-10-10 (火) 06:03:57
  • ???「フフフ…護衛艦になったかがさんの一般公開楽しみズイ。ナカをナマで堪能してくるズイ。」 -- [[@呉カレーフェスタ2017 ]] 2017-10-14 (土) 08:50:33
    • 20時45分からのNHKニュースに「かが」カレー -- 2017-10-14 (土) 21:04:12
  • 一般公開行ってきた。 -- 2017-10-14 (土) 21:39:24
    • 誤送信失礼。あの飛行甲板の広さは浪漫にあふれていますね。なおカレーは開場2時間半で売り切れた模様 -- 2017-10-14 (土) 21:40:49
  • 3-3回ってたらあっという間に5隻も泥した。いやボクが欲しいのは占・・・イエナンデモナイデス -- 2017-10-17 (火) 23:52:20
    • 卿もか?うちも昨日は加賀さん祭りだったwまあたった4人だったが -- 2017-10-18 (水) 17:13:28
  • 加賀さんに暖めてもらいたいだけの人生だった…。 -- 2017-10-18 (水) 20:08:54
    • 加賀さんのナカあったか…アツゥイ!! -- 2017-10-18 (水) 22:43:14 New
  • 寒くなってくると加賀さんに暖を求める鎮守府の面々って二次創作では当たり前のようにあったけど公式でも遂に言及されたか -- 2017-10-19 (木) 10:57:50 New
  • とても馴染む(しばふ村的な意味で)@公式4コマ -- 2017-10-20 (金) 12:23:00 New
    • なんちゅうメタな理由だw -- 2017-10-20 (金) 23:18:18 New
  • 春日丸が五航戦所属してたの知らなかったぽいな加賀さん@公式4コマ -- 2017-10-20 (金) 12:50:16 New
    • 一ヶ月もいなかったからね -- 2017-10-22 (日) 19:40:51 New
お名前: URL B I U SIZE Black Maroon Green Olive Navy Purple Teal Gray Silver Red Lime Yellow Blue Fuchsia Aqua White

建造成果の報告は建造レシピ内にあるコメント欄に、
ドロップ報告に関しては出撃ドロップ内にあるコメント欄にて行なっていただけると幸いです。


戦闘後は撃墜されるので艦載機の搭載数が減りますが、「補給」でMAXまで回復します。
艦載機搭載数が減ったと報告する前に補給を行いましょう。





*1 戦死により少将に特進
*2 最下層の格納庫は補用機を分解収納するのに利用されていたという
*3 艦隊は基本は12〜18ノット程度の「巡航速度」で行動し、作戦行動時も20ノット代であり、30ノット以上も出すことは敵の攻撃を回避したり、敵を振り切るなど限られた時にしか必要としない。燃費が悪くなるからである。また日本の艦載機は無風状態でも空母が26ノット出していれば発着艦が可能なように設計されているので、発着作業で30ノット以上出すことはない。それどころか30ノット以上も出すと船体が揺れだし重量のある97式艦攻などは発着が出来なくなる場合がある。基本的に敵艦隊と距離を取って行動する空母機動部隊が敵艦隊を振り切るたりする必要が起こるなどの状況は考えづらく、その点からも「空母機動部隊所属艦は30ノット以上が必要だった」という話は実際の運用を知らない者の考えである
*4 零戦と十六試艦爆兼艦攻(流星)との組み合わせによる昭和17年4月当時の試算
*5 この懸念は蒼龍建造時も問題視されていて、結果蒼龍の艦橋も加賀同様小さいものとなっている
*6 昭和13年12月の航空資料では、最大速力は28.47ノットとされる。
*7 大和の元乗組員には完成後の試験航行で大和が29ノットを出したという証言もある
*8 当時海軍で艦艇が行動する際の速力は「微速」から「半速」「原速」「強速」「一戦速」「二戦速」・・・「最大戦速」「一杯」までと前進速力が分けられていた。各艦は3〜4ノット間隔で空けられたこれら速力を設定し、指揮官の「第一戦速」とか「半速」とかの命令を受けて速力を変更しており、1ノット間隔で動かす事はまずない。また最大速力で行動することは常に「一杯」の速さで走行することを意味するが、その様な指令が出る事はまずなく、あったとしてもそれは艦ごとの緊急時の際で艦艦隊が集団で一斉に一杯の命令が出る事は殆どない
*9 特に外洋ではベタ凪になることは珍しく、空母は絶えず波を乗り越えローリング、ピッチング、ヨーイングが複雑に絡み合って揺れ動いている。
*10 元戦艦の加賀や元客船の飛鷹型のように低重心化に重きを置いた艦と比べて、翔鶴型は船体が細長く重心が高かった事が原因)。
*11 山本重久大尉
*12 昭和19年10月空母及搭載艦関係報告資料。
*13 装甲を薄いものに再設計し直さねばならないためほぼ新造状態にして改装を行っている。もっとも、空母に改造する際、赤城も巡洋戦艦としての装甲を再圧延しており、改造要領において加賀と赤城に大した差はない。
*14 昭和7年末から翌8年1月末にかけて仮設艦橋の設置、発着艦照明灯および発艦信号灯の新設、新型艦上機対応のための艤装改正を含めた比較的大規模な改修が実施されている。歴史群像2015No129「加賀」より
*15 加賀の大改装約1年・改装費674万5,104円、赤城の改装約3年・改装費731万7,644円(昭和造船史巻1)
*16 煙突は予算不足に阻まれ改善出来ないまま、(この時はまだ一段式より優れているとみなされていた)三段の飛行甲板で初陣を飾っている。空母黎明期の中でも加賀のこの時点での仕上がりはひどく、世界広しと言えど多段式甲板で実戦を戦った空母は加賀のみ。
*17 様々な欠陥を抱えた状態だったが、上海事変における約二ヶ月の戦闘航海で、海軍機が地上戦闘に有効に使用できること、遠距離目標への偵察・攻撃が可能であることを実証するなど一定の成果を納めていたのだから搭乗員たちの練度の高さが窺える。この時の戦闘行動は海軍航空の威力を再認識させ、以後の航空戦力の発展に大きな影響を与えた。
*18 昭和9年に起こったこの事件に起因する多くの艦艇の大規模性能改善工事には、予算、加えて海軍工廠の人手も取られていたようである。
*19 マル3計画・大和型2隻1億0793万3,075円×2、翔鶴型8,449万6,983円×2その他
*20 新規エレベーターの設置数やほぼ全面木甲板にする(加賀は発着区域、格納庫など必要な部分のみ)など、加賀より手を加えた部分もある。
*21 日本空母物語(福井静夫著)および歴史群像"「加賀」出撃す"より。上海事変の火蓋が切って落とされた時も赤城は先に近代化改修に入っており、これに対処できる唯一の大型空母であった加賀に出動命令が下った。例の煙突のままであった。
*22 加賀の改装は横須賀工廠にて大正12年12月13日から始まり昭和3年3月31日付けで竣工となったのだが、実際には昭和4年11月30日に艦隊配備されるまで予備艦として工事を行っていた。空母化におよそ6年かけている。
*23 事故や戦闘で損耗した分を補充するために、分解格納されていた機体のこと。
*24 三式艦戦による記録。ただし、鳳翔の戦闘機隊であるとも。少なくとも両艦共に戦闘機隊による敵機撃墜を記録。
*25 戦争をしている以上、撃墜され戦死者が出るのは当然であり、「不名誉」というそれまでの記述は誤り。逆に海軍航空隊の先兵として選ばれた名誉である
*26 当時の中華民国(現台湾)空軍は欧米から教官を招き、アメリカやソ連から供与された陸上機を多数配備させていた。また、高志航率いる「志航大隊」や、加賀と鳳翔に単機で挑んだ「空の趙子龍」劉粋剛などを含めた通称「四大金剛」を擁し、アメリカやソ連など各国から集まった義勇兵も加えたエースパイロットを揃えていた。義勇軍としては「フライング・タイガース」や「ソ連空軍志願隊」などが有名である。
*27 戦後中国共産党の支配になると、抗日の英雄は八路軍などの共産党軍であるとされた。実際に日本と激戦を繰り広げた中華民国(現台湾)のパイロット達は反革命分子として中国で迫害される憂き目に遭う。特に文化大革命では彼らの遺構が破壊され、遺族が吊し上げにあうなど酷い有様だったという。
*28 赤城や加賀の改装は航空本部が主体であり、翔鶴型の造艦は艦政本部が主体。赤城加賀は飛行機屋が艦載機を飛ばすために改装を繰り返したのに対して、翔鶴型は造艦屋が艦を作ってから艦載機を乗せようという思想の違いがあった。蒼龍飛龍の建造実績が活かされたのは事実だが、加賀の運用実績を翔鶴型に上手く反映できていたのかは議論が分かれる。実際に、翔鶴型は甲板の幅や艦橋が甲板に食い込んで設置される等、航空本部や一航艦司令部から運用面での指摘を多く受けている。
*29 分派により第十三航空隊も一部入っていた。
*30 ジョン・トーランド著/毎日新聞社訳ハヤカワ文庫NF刊行『大日本帝国の興亡<新版>1"暁のZ作戦"』p.117,118
*31 雷撃の神様、パネー号事件の際は第十三航空隊分隊長であった。村田大尉に限らずこの事件に関与した隊長への譴責処分は、海軍懲罰令にもとづいて軍令部が正式に処分したものではなく、事実上お咎め無しである。
*32 第二連合航空隊司令。謝罪の場において「陸軍の要請に従ったまでであり海軍に責任はない」といった旨の発言をしている。一度更迭されるも、水上機母艦、空母、基地及び空母の航空戦隊などの指揮経験のある数少ない海軍将校だったためか、12月15日付で第二航空戦隊司令官に栄転した。
*33 昭和八年一月末に鳳翔が仮装備してテストを行った結果、その効果は絶大であるとされ制式化された。
*34 攻撃を受けた戦艦群はアリゾナ以外は全て攻撃後に浮遊され修理を受け、回航途上で沈没したQオクラホマ以外は全て戦線復帰している。戦没と認定され修復されなかったのはアリゾナだけである
*35 第二次攻撃隊加賀爆撃隊指揮官の牧野三郎大尉と、第一次攻撃隊加賀雷撃隊第二中隊長の鈴木三守大尉
*36 飯田房太大尉
*37 階級は最終のもの。以後も判明できるものは同じように記載。
*38 他に岩本徹三・赤松貞明など。
*39 ナンバー1は杉田庄一、他に田中國義、尾関行治など。
*40 女学生たちが小遣いを節約して貯金し奉納した爆撃機であり、山川自身言い知れぬ力強さを感じたという愛機。
*41 艦攻は魚雷攻撃と爆撃に使用され、魚雷の時は雷撃機、爆弾の時は水平爆撃機と呼ばれる。艦攻は艦爆と違って急降下爆撃は行えない。
*42 ちなみに加賀艦長の岡田次作少将も海軍爆撃術の第一人者で、爆撃の名手として知られていた。
*43 橋口少佐は真珠湾攻撃で参加した中で淵田中佐についで(同期生の「翔鶴」飛行隊長の高橋赫一少佐とともに)飛行経歴が長かった。
*44 操・佐藤一飛曹、偵・福田大尉、電・大西二飛曹。
*45 牧少佐が指揮を執った九三一空には、かつて真珠湾で少佐の三番機を勤めた徳丸三飛曹(三番機・偵察員)と渡邊二飛曹(三番機・電信員)も参加していた(両名とも931空にて戦死)。
*46 ミッドウェーにて発進した偵察機で下士官ながら機長として参加したのは吉野一飛曹と利根4号機の甘利一飛曹のみ。この時、吉野機は雲の下600mの低空を飛んでいた。
*47 ただし、参加者名簿では電信員となっている。が、彼の経歴を見ると1940年に飛行練習生として鈴鹿海軍航空隊で、偵察員の教育を受けているので偵察員で間違いないと思われる。
*48 ちなみに終戦の年に夜間雷撃を行なった際、砲撃してきたのが魚雷7発命中して撃沈したハズの「ウェスト・ヴァージニア」だったらしい。それを後から知って、これじゃ勝てないなと思ったものだ。と感想を残している
*49 死者の多くは格納庫の爆発大火災で脱出が出来なくなった機関科兵員である
*50 しかしながら火勢が強く、炭酸ガス消火装置発動が間に合わず消火ポンプも破壊されていた。鎮火の見込みが立たないので、10時25分、まず御真影を「萩風」に移し、飛行長は14時00分頃総員退去を命じた。16時25分、前部ガソリン庫に引火して大爆発2回を起こし、16時26分に沈没した。戦死者は艦長岡田大佐以下811名に及び、火災により脱出出来なくなった機関科要員が多かった。定員は1,708名であるが実員数は不明。
*51 当時の五航戦には特に魚雷攻撃を遂行することが困難と判断され、五航戦は主に基地への急降下爆撃(第一次攻撃時)と水平爆撃(第二次攻撃時)を担当している。
*52 ミッドウェー海戦の敗因は一航戦搭乗員の慢心だという意見も見受けられるが、既に発艦していた直掩機は十分な戦果を挙げており、その他の艦載機の多くは発艦前に空母への攻撃を受けたために出撃する機会そのものがなく、慢心という精神的要因とは関係がない。
*53 「鎧袖一触」と発言したのは航空参謀の源田実少佐であるとされている。
*54 詳細はコメントページ(2014-08-10 06:43:20)ツリーを参照。
*55 似た名前で、海保・金沢海上保安部に配属された巡視艇に、「かがゆき」(漢字をあてれば「加賀雪」)という名前が2度使われている。
*56 初代は明治時代に就役した加賀丸型客船、2代目は戦後就役したK型高速貨物船