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山城

Last-modified: 2017-04-23 (日) 15:50:51
No.027
扶桑型戦艦姉妹、妹のほう、山城です。あの、扶桑姉さま、見ませんでした?山城(やましろ)扶桑型 2番艦 戦艦
艦船ステータス(初期値/最大値)
耐久67火力74 / 94
装甲59 / 79雷装0
回避19 / 39対空23 / 79
搭載12対潜0
速力低速索敵9 / 33
射程5 / 39
最大消費量
燃料85弾薬120
搭載装備
335.6cm連装砲
315.2cm単装砲
3零式水上偵察機
3未装備
改造チャート
山城山城改(Lv20) → 山城改二(LV80+改装設計図)
図鑑説明
扶桑型戦艦2番艦、山城です。
「欠陥戦艦」とか「艦隊にいる方が珍しい」とか、いいたい放題ね…。
でも、いいの。最後の時も、扶桑姉さまと一緒に戦えれば……

※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。

CV:藤田咲、イラストレーター:六花 (クリックするとセリフ一覧が開きます)

ゲームにおいて Edit


  • 2016年年始限定で、期間限定グラフィック「新年の晴れ着mode」が公開された。
    晴れ着バージョンのグラフィックは立ち絵限定で、カードイラストはそのまま。
    他の限定グラフィック同様、限定期間終了後に図鑑に格納された。
    • 扶桑型姉妹は初のゲーム中へのグラ実装で、山城提督は歓喜した。
      砲塔に並んだマークは国際信号旗で「NEW YEAR」の意味。
      晴れ着に襷掛け、羽子板を手にした羽根つきスタイル…なのだが、無傷状態ですでに被弾(墨入れ)している(入れられたマークから下手人がある程度推定できる)。
      更に中破すると…  と、何とも彼女らしいというか、声をかけにくい艶姿に。
    限定イラスト:新年の晴れ着mode
  • 2016/07/15のアップデートで夏の季節限定グラフィックの水着modeが実装された。
    限定イラスト:夏季限定(2016)Ver.
  • 2016年10月05日のアップデートでなか卯コラボ限定グラフィックとして【買い出しmode】が実装された。
    • 大破絵では2つ持っていたレジ袋うちの1つ(恐らく姉の物)を庇うように抱き抱えており、彼女の姉に対する愛情が窺える。
    限定イラスト:なか卯コラボVer.
    • 大破絵

  • 秘書艦と時間帯によって置かれる飲み物が変わる鎮守府カウンターバーにおいて、朝5時まで日本酒が置かれている。いわゆる「朝まで呑み勢」の一人である。
    • 2015年1月23日アップデートにて同家具が実装された段階では、深夜1時まで日本酒という設定であった。その後、2015年2月23日アップデートでの修正より、不幸にも「朝まで呑み勢」の仲間入りとなった。
    • ゲーム中の台詞に酒が絡むものは見当たらない。彼女がどのような飲み方・酔い方をするのかは、提督諸氏の想像に依るところであろう。しかし普段の言動からして、山城さんってやっぱり絡み酒か泣き上戸か、或いは…
    • なお、他に朝まで日本酒が置かれる艦娘は、霧島千歳木曾*1、そして(改二以降)*2である。不幸だわ…。
      • 全くの余談だが付け加えておくと、陸奥も朝までウィスキーを嗜んでおり、別の家具ではボトルキープも確認出来る。やっぱり不幸だわ…。

小ネタ Edit

  • 艦名の由来は旧国名「山城国」で、現在の京都府南部一帯を指す。
    • かつての日本の首都のある国名をつけたあたりに、帝国海軍のかけた期待がうかがえる。
  • 元々扶桑型姉妹は、火力重視が過ぎて極端にバランスの悪い艦になってしまったと厳しい評価がされている。
    • しかも山城は二番艦なので、先に竣工した一番艦扶桑の酷評を元に、竣工前から欠陥戦艦呼ばわりされてしまったとか。
      これには扶桑の竣工と同時期に15インチ砲搭載のクイーンエリザベス級が登場したことや第一次大戦の戦訓などで当時の日本が保有するすべての戦艦や巡洋戦艦の水平防御などが不足していると判断されたことなどが関係しているとされる。
      姉に比べてやさぐれているのはそれが原因かもしれない。
  • いざ竣工後も、実際に動かしてみたら次々に欠陥が発覚した。
    • 改修の繰り返しでドックの常連になった結果、艦隊で行動した時間よりドックにいた時間の方が長くなってしまった。
      特に山城は大改装の際、有事になった場合に素早く艦隊復帰できるように改装が進められたため、改装期間が長くなってしまった。
      「艦隊にいるほうが珍しい」というセリフは、まさにこの事を指している。
  • 姉妹艦である扶桑との見極めは容易である。
    • 第一次近代化改装時に、扶桑は3番砲塔の向きが前方向に変更され、違法建築全開で新たに増設された艦橋が一度見ると忘れられない独特なフォルムになったためである*3
      • 見た目が普通の戦艦で三番砲塔が後ろ向きの方が山城、ジャックと豆の木が真ん中から生えていて三番砲塔が前向きなのが扶桑。山城の性格が後ろ向きなのは砲塔の向きのせいか…?
    • その似てなさぶりは、大和のテストベースとして改良を受けた比叡との差をも上回る。主に艦橋のせい。
  • 艦これでは不幸キャラとなっているが、基礎設計の無茶振りのせいとはいえ、不幸と呼ばれるようなエピソードは見当たらない。
    • なにせポンコツ過ぎてドックの常連*4だったため艦隊にいる方が珍しかった(度々出撃しているが会敵できず、戦闘参加経験がほぼない)。
      • もっとも戦闘機会が少なかった件に関しては、古くて壊されてもあまり痛くなかった高速で使い勝手の良かった金剛型が引っ張りだこだっただけで、金剛型以外の戦艦全てに言えることでもあった。
        が、その中でも最弱だった儚くか弱かった扶桑型姉妹は大抵扱いがひどい。
    • また扶桑型は、他の艦と比べ砲塔などが占める割合が大きい構造だった。
      そのため、初の戦闘で討ち死にしたのは、運がどうとかいうレベルの問題ではないわけで…まぁ結局彼女の運は姉とお揃いの5なんだが。
    • しかし、航空戦艦に改装されエンガノ岬沖海戦の囮役や北号作戦などの困難な任務を遂行して成功させ、最後は浮き砲台となって果てた伊勢
      戦果は皆無に等しいが、終戦まで何とか生き残り、ビキニ環礁での核実験で日本戦艦の設計の優秀さをアメリカに見せつけた長門
      これらと比べてしまうと、どうしても当時の戦艦としての評価が下がるのもやむを得ないかもしれない。
    • ちなみに山城の艦内神社は京都府の「岩清水八幡宮」からの分祀。日本三大厄神に数えられる国内有数の厄除け神社である。
      • ところで『文集 戦艦山城』には、艦内神社についてのこんなエピソードが残されている。
        昭和16年当時の主計科には理由もなく部下を殴りつけるSという二等水兵がいて、主計科の兵隊たちは迷惑していた。
        ある兵は思い余って「Sが反省して部下をいじめないように、しかしいくら憎い奴でも神罰が当たりすぎて死んだり片輪になったり、
        長い病気になったりしては可哀想なので、後遺症の残らない程度に」と艦内神社へ祈願してみた。
        するとその日のうちから霊験がたちまち表れた。祈願した兵隊の顔や頭をSが殴ると、Sは途端に胃痙攣の症状を起こし、脂汗を流しつつ15分ほども苦しむ。
        その後、殴るたびにそうなるのでSも薄気味悪がり、「あいつには神様がついている」「あいつを殴ると神罰を当てられる」と言い出し、ついに暴力を振るうのを止めた。
      • 私的制裁が蔓延していた山城だけに、神様の対応も素早いのだろうか。まことに厄除けの霊験あらたかな、不思議な艦内神社だったらしい。
  • 開戦後は扶桑と共に行動していたが、ミッドウェー作戦以降は防御の危険性と低速故に、砲術学校練習艦という平時なら日露戦争時代の老朽艦がやる役目で戦争の大半を過ごした。
    • かつて(太平洋戦争開戦前)連合艦隊旗艦をつとめた栄光の山城が、なぜこのような任務に甘んじなければならないのか。
      なぜ悪化する戦況を練習艦として傍観しなければならないのか。
      乗員たちは嘆息し、学生たちを相手に鬱鬱とした日々を送っていたという。
      またこの頃は、士官たちもいわゆる「静養配置」の、胸を病んだあとの療養中のような人が多かったともいわれる。
      • その一方、乗員たちの士気は衰えず整備は決して怠らなかった。
        見学に来た学生は、他の古い練習艦とは明らかに違う威容と、隅々まで入念に整備されピカピカに磨き上げられた山城に感嘆したという。*5
      • ちなみに、訓練内容は過酷の一言につきる。乗り込んだ候補生の手記によると「昼間は甲板勤務、夜は坐学、深夜に天観の訓練で叩き起こされ、さらに居住区は14糎副砲の砲廓の中」だったとのこと。
        候補生達からは「鬼の山城」と恐れられていた。*6
      • また、「鬼の山城」の異名には制裁の苛烈さも込められている。「鬼の山城、地獄の金剛、音に聞こえた蛇の長門」の戯れ歌シリーズはよく知られているが、
        わけても横須賀の山城と佐世保の金剛は鬼と地獄で表現される通り、制裁の凄まじさにかけては東西の双璧だったという。*7
        下士官や古参兵のお説教ののちに海軍精神注入棒が唸りを上げて尻に食い込むまでは普通の艦と同じだが、
        それだけでは「鬼の山城」の伝統と名誉が許さないとばかりに、解散後あらためて「二等兵以下は下甲板用器庫に整列」の号令がかかる。
        そして普通はどれか一つのバッター、グランジパイプ、ストッパー*8の海軍制裁用具オールスターズがフル出動、
        ほとんど八つ当たりのように、各兵最低3回は制裁を喰らわされるのが常だった。
    • 山城の戦友・遺族会である軍艦山城会の会長高野明氏は、会の結成時の挨拶で次のように述べている。
      地味で面白くもない、しかし重要な教務艦としての仕事を、恐れられ忌み嫌われつつも務め上げ、
      多くの海軍軍人を育ててきた彼女の存在とその「武勲」を端的にあらわしている言葉といえよう。
      • 「十二隻ある戦艦の中でこの山城ほど多くの海軍将兵に親しまれ、懐かしがられてきた艦もめずらしいのです」
        「その偉容を世界に知らしめた本艦も、永い歳月の中でいつしか旧型化し、その後に行われた近代化への改装も充分なされないがまま、
        殆どが海兵団の艦務実習・砲術学校の射撃練習艦として、各鎮守府所轄の多くの砲術関係練習生を乗艦させ、
        「閻魔」とか「蛇」とか陰口をたたかれながら、教務艦という地道な使命をまっとうしてきました。
        軍紀・風紀の一段と厳しい中にも、尊敬に値する親父のように、ゆったりとした、鷹揚さと、ほのぼのと伝わる温みが肌に感じられる、そのような艦だったのです」
  • このように日本本土でくすぶっている日々が長かった山城だが、姉の扶桑がいるトラック泊地に、伊勢と輸送任務で出向いたこともある。
    • ちなみに、積み荷は扶桑の35.6センチ砲弾や大和型の46センチ砲弾などだった。
  • マリアナ沖海戦後に扶桑型一隻を用いたサイパン奪還作戦が提案されたが却下された。
    「山城もしくは扶桑でサイパンに特攻し乗り上げ浮き砲台とし、特別陸戦隊2,000名を用いて奪還する。」と言う内容だった。
    発案者は神重徳大佐*9
  • レイテ湾出撃が決まった時には、乗員たちはやっとお役に立てると涙を流して喜んだという。
    • それまで山城は横須賀方面海軍諸学校の練習艦であったのだが、7月20日に任を解かれ、8月1日付けて最初は第二遊撃部隊(第五艦隊基幹:通称志摩艦隊)に戦艦では1隻だけ配備され、13日には桂島に第二十一駆逐隊と共に到着し合流している。その後姉の扶桑も合流し、9月5日から3日間にかけて行われた第二遊撃部隊総合出動訓練にも参加した。しかし小沢提督の「突入する栗田艦隊にもっと水上艦艇をつけた方がよくない?」の進言が入れられ2隻は10日付けで第二戦隊を編成し、栗田艦隊所属に替わる事になる。山城に第二戦隊司令西村祥治が座乗、23日に第十七駆逐隊護衛のもと出撃し、栗田艦隊のいるリンガ泊地に向かう。
      • なお第二遊撃部隊とは、本来機動部隊主力を護衛する前衛戦力だった第一遊撃部隊が攻略部隊攻撃に割り振られたので、その代わりを務めるために北方担当だった第五艦隊を基幹に編成された部隊である。つまり扶桑型の低速力は実際は機動部隊との同一行動に支障はないと判断された訳である。最も空母機動部隊には扶桑型と同速力の飛鷹型空母が普通に運用されていたのだから25ノット程度だったのだし、日本の戦艦群も空母機動部隊に随伴するのは実際のところ問題ないと認識されていた事がわかる。
        問題となっていたのは速力ではない(燃費や損失時の国民に与える悪影響など)という訳である。
      • この時同時に第一戦隊の長門の、第二戦隊編入も発令された。しかし栗田艦隊や第一戦隊の反対を受け実現しなかった。仮に実現していたら、スリガオ海峡で長門対メリーランド、ウエストバージニアのビック7同士の海戦が実現したかもしれない。その結末は悲劇的だっただろうが...。
    • こうして迎えたレイテ沖海戦だが、初手から日本海軍は問題が起こる。作戦発動を受けて最終補給地点であるブルネイに10月20日に栗田艦隊が来てみると、補給を受ける補給船が1隻もいない。唯一栗田提督がもしものことを考えて手配した2隻が翌日に到着する見込みで連合艦隊の用意した船は間に合いそうになかった。このため突入日時が24日から25日に変更されたが、それでも劣速で航続力の少ない山城・扶桑を基幹とする第三部隊と行動を共にしていては、距離的に一番短いスリガオ海峡を通過するルートしかなく、それだと敵のモロタイ島の哨戒網にすぐさま発見される可能性が高く、狭いスリガオ海峡で待ち伏せされたら大艦隊では不利だった。
      そこで栗田艦隊は、第三部隊を分離行動させこのルートから進撃、残りの主力はパラワン水道を通過するコースを選び2隊がレイテ湾で挟撃する事に作戦を一部修正(連合艦隊も突入は挟撃の方が望ましいとしていた事も考慮されている)、ここに後々西村艦隊と呼称される第一遊撃部隊の別動隊が誕生、山城が引き続き旗艦を務めることになる。
    • 主力から遅れて出撃し、スリガオ海峡に向かう西村艦隊、24日に一度空襲を受けるが空襲もそれ一度だけで終わる(ハルゼー機動部隊が栗田艦隊攻撃に全力を入れ出したため)しかし、スリガオ海峡に入り北上してレイテ湾を目指す西村艦隊は待ち伏せ攻撃を受けることになる。
      • 待ち伏せる側の戦力は、
        戦艦6隻、重巡洋艦4隻、軽巡洋艦4隻、駆逐艦26隻、魚雷艇39隻
      • これに対し西村艦隊は、
        旗艦山城、扶桑、重巡洋艦最上、駆逐艦満潮・朝雲・山雲・時雨の計7隻
        と、戦力差は歴然。
        本来ならば栗田艦隊が呼応して、レイテ湾に向けて同時突入する予定だったが叶わなかった。
      • しかも昼間の空襲で山城は電探破損使用不能、扶桑は艦尾と右舷1番副砲大破、さらに前部水圧機室大破により1、2番主砲塔操作に支障と、とても万全とは言えない状態だった。
    • スリガオ海峡突入後、山城らは魚雷艇群へ探照灯を照射、副砲で蹴散らしつつ進撃するも、待ち受けていた米駆逐艦群の先制雷撃により山雲が瞬時に轟沈。満潮、朝雲は艦首をもぎ取られ落伍。
      扶桑も被雷して通信・航行不能に陥り、沈黙したまま山城の知らぬ間に落伍、しばらくして轟然と弾薬庫爆発を起こし真っ二つになってしまった。
      そしてまた山城も被雷し速力が低下するも、残った最上、時雨と共に湾内を目指し突進を続け駆逐艦隊を振り切ったかに見えた。だが…
    • 次いで山城の眼前に現れたのは、完璧な丁字を引き射撃体勢で待ち受ける巡洋艦隊、そして、格上の40.6cm砲搭載艦を含む6隻の戦艦。
      絶望的な戦力からの猛烈な十字砲火を受け、海戦は凄惨な殲滅戦となった。
      • 被弾時の台詞「私に構わず前進を云々」は、この時の艦隊司令官西村中将の
        『我魚雷を受く。各艦は我に省みず前進し、敵を攻撃すべし』
        という、旗艦から発せられた最後の命令が元ネタである。
      • 西村司令官はこのあと更に「われレイテ湾に向け突撃、玉砕す」と最期の電文を送るよう命令しているが、栗田艦隊には届いていない。おそらく既に山城の通信能力は失われていたのだろう。
      • 米艦隊が西村艦隊へ撃ち込んだ弾は大口径弾300発、小口径弾4,000発に及ぶ。このうち何発が山城を狙ったもので何発が命中したか、もはや定かではない。
        それでも、山城の主砲弾は命中こそしなかったものの軽巡デンバーを夾叉、さらに副砲弾は駆逐艦アルバート・W・グラントに7発が命中(詳細は下記)した。
        電探は使えず全て目視、数多の命中弾により艦の機能が失われてゆく中で、である。まさに山城と乗員の最期の意地、執念というべき反撃であった。
    • 山城も乗員の執念を受けてであろうか、派手に炎上しつつも行き足は止まらず突進を続けていた。危機感を覚えたアメリカ軍第56駆逐艦戦隊司令のローランド・N・スムート大佐は麾下の駆逐艦3隻を率いて水雷突撃を敢行した
      • 旗艦ニューコム以下リチャード・P・リアリー、アルバート・W・グラントは副砲を乱射する山城に向かって突撃した。むろん味方戦艦、巡洋艦の誤射の危険は承知の上であった
      • 途中、アルバート・W・グラントが山城の集中砲火を浴びて炎上して脱落するも、ニューコム、リチャード・P・リアリーは雷撃に成功、結果的にこの雷撃により山城は航行不能となり、上記の最後の命令へと繋がった
      • なお、リチャード・P・リアリーは戦後、昭和34年に自衛隊へと貸与され護衛艦DD-184「ゆうぐれ」として就役する
    • 最終的に、魚雷4発をはじめ無数の命中弾を浴びて破壊しつくされた彼女は浸水によって刻一刻と傾斜が増大し機関も停止。彼女の特徴ある大艦橋は衝撃で崩落したともいう。
      もはや沈没必至と見た篠田勝清艦長は「総員退艦」を命令したものの、わずか2分後には横転し、完全に転覆。
      付き添っていた最上,に見守られながら、艦首を70度ほども高々と突き上げつつ、静かに沈んでいった。乗員の殆どが彼女と運命を共にし、生存者は扶桑と同様の10名程度だった。*10
      最期の瞬間まで、彼女の一番主砲は敵艦隊めがけて火を噴き続けていたという。
      そしてまた、総員退艦が命令されても、艦橋の中は椅子に座したままの西村司令官や篠田艦長を中心に静寂そのもので、心穏やかに山城と運命を共にしていったという。*11
      時に昭和19年10月25日午前4時19分。地点北緯10度22分3秒、東経125度21分3秒であった。
  • 任務(クエスト)でお目にかかる「西村艦隊」はこの時の編成を元にしたものである。
    • 編成条件に一部艦艇が含まれていないが、枠が空いているため提督の好みで参加させてみるのも一興。
    • 追加された西村艦隊再編成・出撃任務では満潮も必須となっている。
    • 2014年秋イベントで朝雲、そして同年12月26日のアップデートで山雲が実装されたことにより、ついに西村艦隊の全艦が艦これに実装された……のだが。
      合計7隻のため、システム上誰かが艦隊からあぶれてしまうという事態に。*12
  • 「世界戦史に比類なき猛突撃」「鬼神も慟哭するその最期」。『文集戦艦山城』で山城の最期はそう讃えられ、悼まれている。
    扶桑姉妹が突入したスリガオ海峡では、たとえそれが長門大和であっても同じ悲惨な結果になったのは間違いない。
    ようやく与えられた出番でそんな戦場に突き進み、文字通り死力を尽くして戦い散っていった姉妹に思いを馳せよう。
  • 山城と運命を共にした艦長篠田勝清大佐(海兵44期)*13は、前任は軽巡大淀艦長であった。
    大淀では100機以上の敵機の攻撃をことごとく退けて、不発弾1発の被弾のみで切り抜けた実績を持ち、将兵の信頼も非常に厚かった艦長である。

  • こんな彼女だが、当時の日本海軍における最枢要施設である横須賀鎮守府に最初に配備された超弩級戦艦という誉れ高い実績を持つ。
    • 今も神奈川県横須賀市のヴェルニー公園内に当時の実績を称える記念碑が残されている。
  • 1922年3月、山城の第2砲塔の上に滑走台を載せて陸上機(この頃、艦載機という分類の飛行機はまだ存在していない)を射出する実験が行われた。
    山城「鳳翔の完成がこの年の終わりだから、私が日本で初めて陸上機を飛ばした艦になるわ。姉さま見ててくれた?!」
    • 山城が行った実験の2年前に、航空母艦「若宮(艦これ未実装)」に仮設の滑走路を設置して陸上機の発艦試験が行われた。
      この時の成功が山城での試験につながっている。
      彼女の航空機実験の成功により、5,500トン型は飛行機の運用能力を付加されることになった。
  • また、1940年には94式水偵を改造した無線操縦飛行機の発艦実験も実施している。
    何気に航空機の革新的な実験にたずさわることが多い艦でもあったのである。
    • この実験では、1機目は艦長の無理解により艦を向ける方向が風向き的に不適切で発艦直後墜落し失敗。
      しかし2機目はうまく発進でき、水平線上に見えなくなるまで飛行させることに成功した。
    • こうした実験を経て実用段階にまでこぎつけた無線操縦機だったが、1機の製造にかかる費用が実に5万円。
      パイロット1人を養成するのにかかるのが1万円なのに比べてベラボウに高額なこともあり、ついに量産されることは無かった。
  • 2001年の4月に、フィリピンで活動したこともあるイギリス出身のとあるダイバーが、山城の残骸を発見したと発表したが、今に至るまでその裏付け(証言を元にしての捜索及び発見)はなされていない。
  • 海軍・海自・海保では他に「山城(やましろ)」という艦名は使われていない。
    • 商船では日本郵船で3度「山城丸」という船名が使用されており、そのうち戦前に建造された初代・2代は陸軍に徴用され、2代目は太平洋戦争中に米潜の雷撃を受け沈没している。
    • 3代目山城丸は日本郵船の高速貨物船として1963年に進水・竣工し、日本・ヨーロッパ間の航路に就航した。
      1973年10月、シリアのラタキア港に停泊中に第4次中東戦争が勃発し、港の沖で発生した戦闘でイスラエル海軍の発射した対艦ミサイルが流れ弾となり、運悪く山城丸に命中。
      消火に失敗し船体は焼きつくされ、残骸はラタキア港に長い間残り、2年後にようやく解体された。やっぱり不幸だわ!
      この三代目山城丸は日本郵船博物館に模型が存在する。
  • セリフにある「不幸の手紙」もまたもらって嬉しい類のものではない。
    良心ある提督諸氏は、間違っても他人に送るような真似はしないようお願いしたい。

この艦娘についてのコメント Edit

過去ログ

最新の20件を表示しています。 コメントページを参照

  • 今年も愉快な限定グラをありがとうw 山城かわいいよ   「新年からネタにされて、不幸だわ・・・」 -- 2017-01-02 (月) 18:05:25
  • 幸という字が扶桑型の艦橋に見えてきた・・・ -- 2017-01-02 (月) 22:49:58
  • 限定グラがちょっとうつむき加減なもんで、戦闘で表示されると一瞬中/大破に見間違えてビビる -- 2017-01-09 (月) 23:09:55
  • 節分ボイス怖いんですけど... -- 2017-01-25 (水) 23:18:08
  • この前沖ノ島でレベル20までいった山城さん沈めちゃったんだけど、ここ数日で5、6人ドロップしてきてちょっと怖い -- 2017-01-27 (金) 18:31:33
  • 本文中にある沈没地点の座標見てみたら、本当にレイテ湾の目前にまで斬り込んだんだなあ…… -- 2017-02-08 (水) 22:27:47
    • 結構近くだね。レイテは勝てないことを知って、死ぬことを知った上で連合艦隊とその乗員たちは出撃したんだろうな...。 -- 2017-02-08 (水) 22:34:47
  • 今年も山城からバレンタインチョコもらったぜひゃっほおおおおおう! -- 2017-02-12 (日) 00:41:24
    • 姉様のついでだけどな -- 2017-02-12 (日) 02:38:19
      • それがいいんじゃん(真顔) -- 2017-02-12 (日) 04:34:38
  • ツイン違法建築@4コマ -- 2017-02-17 (金) 12:42:35
    • 鬼じゃ 鬼がおるぞ!! -- 2017-02-17 (金) 14:59:07
    • すっげぇ強そうに見えるな -- 2017-02-17 (金) 18:15:36
    • 電撃が出そう(小並 -- 2017-02-17 (金) 22:26:11
  • 艦橋合体!ゴー!ヤマ(ry -- 2017-02-17 (金) 18:20:14
    • いや、これこそセツブンガーでしょ(錯乱) -- 2017-02-17 (金) 18:31:44
    • 「乗るな山城、鬼より怖い」までネタにぶっこんでくるとは -- 2017-02-17 (金) 18:47:57
      • というかむしろ他の戦艦が暴走しすぎて『地獄榛名に鬼金剛、羅刹霧島夜叉比叡』が一人も出番なかったのに吹いた(苦笑) -- 2017-02-17 (金) 23:23:33
  • 【悲報】2本目を生やされる【4コマ】 -- 2017-02-18 (土) 04:38:15
  • 4コマ山城って姉様絡みで壊れることもあるけど割と冷静なツッコミ役するよな -- 2017-02-18 (土) 14:16:37
  • 姉様でなく長門に苦情を言うのは不当だと思うの -- 2017-02-19 (日) 02:44:57
  • 声低くて草。藤田提督の演技好きだわあ。 -- 2017-02-19 (日) 02:46:20
  • 山城鬼かわいい -- 2017-02-19 (日) 14:32:24
  • 最近になって父方の親戚が艦長だったことを知った。折角なので最初の指輪をささげようかと -- 2017-02-25 (土) 10:41:26
    • モノホンの軍人が親戚ってすげえ。お前さんも親戚の方同様これで山城に乗れるな...。親戚の人に感謝するんやで。 -- 2017-02-25 (土) 10:48:52
  • 私・・・大体ドッグにいますよね(# ゚Д゚) -- 2017-03-07 (火) 22:21:49
    • いぬのなかにいる -- 2017-03-15 (水) 12:52:13
    • 「もしもし、私、山城です。今ドッグの中に居るの」 -- 2017-03-25 (土) 02:12:11
    • ??? 「食べられたっぽい!?」  ??? 「おいしいおいしい!!」 -- 2017-04-16 (日) 03:09:14
  • 目安箱1巻ゲットしたけど山城×夕立に目覚めそう -- 2017-03-27 (月) 23:13:41
  • さっきぃが稲川淳二氏主催の『コワイコエ 稲川淳二のお葬式』出演決定した事だし、戦艦山城の怪談をやってくれないかな?勿論山城の口調で -- 2017-04-13 (木) 14:34:17
  • 限定グラが追加されるたびに山城のロリ化が話題になるけど、六花さんにそろそろ駆逐艦娘を担当して欲しいかな〜 とってもカワイイ子が期待できるっ -- 2017-04-15 (土) 22:49:48
    • 不運な駆逐艦って言うと他に何かあっただろうか? -- 2017-04-15 (土) 22:56:16
      • 日本側で最初の戦没艦「疾風」とか -- 2017-04-16 (日) 03:48:12
      • 「担当絵師が不幸艦専門だなんて、不幸だわ・・・」  って、ちがーう!! 六花さんがフツーに駆逐艦描いてもいいだろっ!!ww -- 木主? 2017-04-17 (月) 01:26:53
  • すまん山城、扶桑はちょうど演習が終わって入れ替わったんだ(四周年ボイスのやつ) -- 2017-04-23 (日) 15:56:08 New
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*1 2015年2月23日アップデート時点。
*2 2015年12月8日アップデートにて追加。
*3 水面から艦橋頂上まで50m以上。高さそのものは山城も変わらない。
*4 ドックにいる期間は金剛型も同じくらい長い。
*5 光人社『巡洋艦「大淀」16歳の海戦』より。
*6 所謂「地獄榛名に鬼金剛、羅刹霧島、夜叉比叡 乗るな山城、鬼より怖い」。公式4コマ第28話にてネタにされた。
*7 この戯れ歌、山城の戦友会追悼誌である『文集 戦艦山城』への寄稿文の中だけでも「鬼の山城、地獄の日向、いっそ海兵団(or金剛)で首吊ろか」「地獄山城、鬼金剛」「鬼の山城、地獄の赤城」「鬼の山城、蛇の長門。いっそ赤城(or高雄)で首吊ろか」「鬼の山城、蛇の金剛」「乗るな山城、鬼より怖い」と、山城がらみのみでこれだけのバリエーションが確認できる。山城(と金剛と赤城と長門もだが)が海軍内でどんな存在だったか察せるだろう。ただしこれもまた単なる程度問題であって、ここに名の出てこない大型艦であっても、毎晩荒れ狂う制裁は結局大同小異だったのだが。
*8 バッターはご存知海軍精神注入棒。グランジパイプは消火栓の筒先、ストッパーは切断したマニラロープの極太の鞭で、本来は機関科が使う制裁用具。中でも恐ろしいのはストッパーで、ロープなだけにぐるりと撓って股間を強打することがあり、山城や金剛の長い艦歴の中で男性機能を破壊された気の毒な例は1人や2人ではきかないという。
*9 第八艦隊参謀・第五艦隊司令部・多摩の艦長などを歴任した海軍軍人。半ば特攻まがいの作戦を好み、ダンピールの悲劇こと八十一号作戦を「命令だから」の一言で強行させたり、大和の特攻を発案したりしたが、第一次ソロモン海戦での作戦立案で大勝(作戦は失敗)したり、キスカ島撤退作戦を立案して成功させたりと、大きな功績もある。
*10 准士官以上2名、下士官兵8名。米駆逐艦が救助を試みたが、漂流する山城乗員たちは「馬鹿野郎、貴様らに助けてもらうことはない。俺たちの気持ちが貴様らに分かってたまるか!」と叫んで救助を拒否。泳いで上陸した者たちも、ほとんどは現地民ゲリラと交戦して命を落としたという。
*11 以上は『文集 戦艦山城』より、生還者の江崎寿人主計大尉および和田巌兵曹の証言による。
*12 連合艦隊システムならば全艦出撃が可能だが、こちらは軽巡1隻が必須条件なため、史実の西村艦隊には1隻もいなかった軽巡を加える必要がある。
*13 同期には戦争末期に四航戦司令官として伊勢日向らを率いて複数の作戦を成功させたことで名高い松田千秋や、大淀艦長としてレイテ海戦や礼号作戦・北号作戦を闘いぬき、伊勢の最期の艦長として戦死した牟田口格郎、真珠湾攻撃の作戦立案者である黒島亀人など、錚々たる顔ぶれが並んでいる。