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長門

Last-modified: 2016-08-13 (土) 21:53:10
No.001
私が、戦艦長門だ。よろしく頼むぞ。敵戦艦との殴り合いなら任せておけ。長門(ながと)長門型 1番艦 戦艦
艦船ステータス(初期値/最大値)
耐久80火力82 / 99
装甲75 / 89雷装0
回避24 / 49対空31 / 89
搭載12対潜0
速力低速索敵12 / 39
射程20 / --
最大消費量
燃料100弾薬130
搭載装備
341cm連装砲
314cm単装砲
3零式水上偵察機
3未装備
改造チャート
長門長門改(Lv30)
図鑑説明
八八艦隊計画の第一号艦として生まれた、長門型戦艦のネームシップ、長門だ。
大和型が就役するまで、連合艦隊旗艦も務めていたさ。
世界のビッグ7と云われてもいたな。

※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。

CV:佐倉綾音、イラストレーター:しずまよしのり (クリックするとセリフ一覧が開きます)

ゲームにおいて Edit

  • 栄えある図鑑No.1。通常の建造ないし通常作戦海域でのドロップで出現する艦娘として、最強と云えるパワーを誇る戦艦娘。
    • 2014年3月28日実装の霧島改二の登場で火力が2番手に落ちた。しかし差は僅か5でその他の性能ではこちらが上なのでさほどは気にならないが。
      • 大口径主砲のフィットを考慮すると長門型は41cm砲を命中上昇効果付きで扱える(金剛型は35.6cmが適合)ため、フィット砲のみでの運用だとこちらに軍配が上がることになる。
      • また長門型は改にすれば試製51cm連装砲(火力+30)の装備が可能となる。この主砲を装備できる戦艦は大和型と長門型改のみしかない。もちろん、大口径主砲のフィット補正というリスクはあるが。
    • 純粋なパワーは大和型のの方が上回っているが、彼女たちは過去のイベント海域攻略報酬大型艦建造以外の入手方法が無い。
    • さらに、2015年4月のイベントで実装されたイタリア戦艦のItaliaRoma改も長門型改を上回る火力を持つ。特に後者は火力で霧島改二をも上回り、大和型に次ぐ火力の戦艦となった。ただし彼女たちもまた、イベント海域以外での通常の建造ないし通常作戦海域でのドロップによる入手ができるようになる見通しは現状ない。
  • 終戦まで生存したことへの評価か、運は初期値で20、改で30と高い。夜戦での一発に最も期待できる戦艦であり、これは大和型や金剛型改二にはない強み。まるゆ素材の改修によりさらにその長所を伸ばすのもよい。
    • ちなみにMAXは改造前は79だが、改造後は雪風同様の99まで上がる。
    • 2014年7月28日に実装された榛名改二(運41)の登場で運も2番手に落ちた。ただし運の最大値では依然長門に軍配が上がる。
  • 火力の最大値は金剛型の98(霧島改二は104)に対し99と、あまりアドバンテージは無いが、対空・耐久については完全に凌駕している。
  • 耐久の高さはカス当たりの被ダメ増加やフラ戦等にワンパン大破を貰った時の入渠コスト等にも繋がっている為、一概に高い方が良い訳ではないことは注意が必要。
    • 火力・装甲は初期値がかなり高いため、近代化改修の余地がほとんど無かったりする。
  • レア度は現状二番手の6を誇り、その上ドロップ場所がボスのみと限られており非常に入手し辛い。
    • 南西諸島海域:2-4のボス
    • 北方海域:水雷戦隊でしかボスに行けない3-2を始め、3-3、3-4のボス
    • 西方海域:4-4のボス
    • 南方海域:5-5でボスSドロップが確認された。
    • 中部海域:6-2のボス
    • この中でマシな海域となるとボス前まで固定可能な3-3か4-4、もしくは固定可能の6-2。潜水艦なら3-4あたりとなる。
      • 2-4は羅針盤的にも、戦闘回数的にも不利のためあまり推奨はできない。
      • 3-2は比較的低コスト、ただし中大破率が高く、運が悪いとお仕置き部屋連行もあるので注意。
      • 3-3は道中もボスも敵はそれなりのため割かと周回はしやすい。ただしよく家具箱に流れるのはご愛嬌。
      • 3-4を水上艦隊で進むのは羅針盤的にも戦力的にも高コスト。潜水艦隊なら比較的低コストで周回可能だが、ボスマスで得られる戦果評価が厳しい。
      • 4-4はボス前まで固定はできるがボス前が少し厳しいのとボスに潜水艦が2/3で混じるためS勝利は少し厳しい。
      • 5-5は絶対にオススメできない。まず道中が鬼畜の上、ボスSも非常に厳しいためである。
      • 6-2はボスルート固定も可能でボス戦S勝利ドロップ率も高めだが、道中事故率と被害率が非常に高い
  • 上記のように狙える場所が少ないので、建造の方が早いのでは?との見解もある。
    • ちなみに大型建造の最低値でも建造可能である。開発資材は1or20で構わない。
  • また、出撃に要する燃料・弾薬のコストが非常に重いのも大きな特徴である。
    • 特に弾薬については改造前で金剛型の18%増し、改で33%増しの消費量であり、入渠時の鋼材消費量もまさにビッグ7。
      計画して運用しないと提督諸氏の頭髪が禿げる他艦娘達の作戦行動や建造計画に支障が出るほどの資材を食う大食らい。
      改造前の方が燃費が良い事は有意であるため、改造前の状態でレベリングを行う事を検討してみても良いかも知れない。ご利用は計画的に。
      • もっとも、それでもどこぞのと比べれば燃費は半分程度であり、遠征や任務による最低限の資材確保を怠りさえしなければそうそう致命的な枯渇を招くことはない。
        結局は運用する提督の心掛け次第である。
  • 一式徹甲弾が入手できる「第二戦隊」の編成・出撃任務に必要である(長門改で可)。長門旗艦だと第二戦隊の出撃任務なのに「第一戦隊、出撃するぞ!」の台詞で始まるというシュールな光景が見られる。
  • 艦これ起動時や読み込み時に表示される艦影(通称ぷかぷか丸)は形状から恐らく改装後の長門型だと思われる。
    また、艦これの本家ブラウザ版公式ロゴ背景にあるシルエットも長門型。
    その後TVアニメ版の大和型戦艦、プレイステーションVita版の翔鶴型空母&秋月型駆逐艦、アーケード版の伊勢型航空戦艦とメディア媒体ごとにロゴ背景で差別化が図られている。

小ネタ Edit

  • 大和型戦艦に次ぐ日本を代表する超弩級戦艦長門型のネームシップ。軍艦大整備計画である八八艦隊計画の一番艦であり、日本を一流の海軍国足らしめた主力戦艦である。
    そして第二次世界大戦開戦前まで世界に7隻しかなかった16インチ砲戦艦の1隻で、「世界のビッグ7」と称される。
    • この7隻が当時最強格の戦艦だったのは紛れもない事実だが、「ビッグ7」という括りは主に日本国内で言われたものであり、世界的に使われていたものではない。*1*2
  • いかにもリーダー然とした武人的なキャラクター。
    …のはずの彼女だが、実は二度しか海戦をしたことがない。赤城たち空母に出番を取られてしまった。
  • その容姿のせいか、艦これの話題で対魔忍or対魔艦という言葉が出たらほぼ確実に長門のことを指す。元ネタの名前は赤城の方が近いのに。 雪風なんてそのまま。
  • ゲーム内の家具「鎮守府カウンターバー」において、全戦艦で唯一の「ジュース勢」であり、21時以降は撤収扱いにある。
    この扱いは戦艦どころか、重巡・空母以上の大型艦でも長門だけであり、他のジュース勢は軽巡2隻と駆逐艦のみ(ちなみにジュース勢軽巡の片割れは、長門と因縁の深い酒匂)。
    由来については諸説あるが、有力視されているのは「開戦時に長門を旗艦としていた連合艦隊司令長官・山本五十六が下戸で大の甘党だったから」説*3
  • 余談だが、長門の副砲は「吹雪」同様、wargamingが運営している「world of tanks」に出てくる「Type 5 Heavy」の主砲である。
  • 艦名の由来は、本州の南西端にあり現在の山口県一帯を含む「長門国」。明治以降、数々の有名政治家を輩出した長州藩が存在していた場所でもある。
    • 本州北東端にあり津軽海峡を有する青森県他の旧名「陸奥」と対になっている。
      実は、彼女らの命名には大日本帝国海軍創生期の複雑な事情が絡んでいた。
      長門と陸奥の命名

長門型戦艦の特徴 Edit

  • 彼女の特徴はなんと言っても当時の戦艦の水準を軽く上回る26.5ノットもの速度をたたき出す健脚であった。だが抑止力の観点からその速度は隠匿され、公式には23ノットとされていた。
  • が、煙突の大きさから機関出力はかなり正確に推測でき、長門型の速力はほぼバレていた。
    • 1923年(大正12年)9月1日11時58分の関東大震災発生時、長門は朝鮮半島沖で演習中であった。
      大地震発生の報を聞き、演習を中止して救援物資を満載して帝都へ最大戦速で急行した。
    • その途中、遠州灘を航行中にイギリスの軽巡「ディスパッチ」に見つかり、軍機だった最大戦速がバレてはいけないと速力を落とした。しかし、ディスパッチは礼砲を撃ってからその場を去った。
      • もっとも、前述のように各国には半ばバレかけていた時期だったので、表だった反応は特になかったらしい。
  • 長門型のもう一つの特徴は、竣工当時は世界最大クラスの主砲の41cm連装砲である(同主砲の概要については装備のページを参照)。
    この連装砲塔を艦の前後に各二基ずつ配置したことにより、扶桑型や伊勢型に比べて二基減少した分、艦上や艦内の艤装スペースにゆとりがもてるようになった。
    • おかげで艦内の一人当たりの居住スペースも広くなり、乗員からの評価も良いという恩恵もあったという。居住性は大和ホテル&武蔵御殿でさらに進歩するのだが、それはまた後の話。
  • 防御面でも、ジュットランド沖海戦(ユトランド沖海戦)の戦訓を可能な限り取り入れ、集中防御化と高落角の砲弾に耐えうる水平防御の大幅な強化がなされて伊勢型以前の戦艦より大幅に向上している。
    • しかし残念ながら、長門型は設計期間や工期の関係で防御の改正はこれでも不十分とされた。*4
      帝国海軍は次の加賀型戦艦を、ジュットランド沖海戦の戦訓を完全に反映した防御を備える、真の「ポスト・ジュットランド」型戦艦とする…はずだったのだが。
長門の妹たち
  • 就役当初の長門型は天龍型や5,500t型のようなスプーン艦首を採用していた。
    これは一号機雷という特殊な連繋機雷を艦隊決戦で使用する際に、誤って引っかけないようにするための措置だった。
    しかしこの艦首形状は、荒天下では前甲板が波を被って主砲発射に支障をきたすなど問題が多く、後に変更されることになる。
  • 長門型の操艦は日本海軍の戦艦で一番容易だった、という当時の現場評価がある。
    翻って、直進性が低かったため針路保針が難しかった伊勢や直進性が良い代わりに舵の効きが悪く、回頭時の惰性力が大きい大和型の操艦は難しいとされていた。*5
    • 一般論としてイギリス式の軍艦設計では、操舵反応が重視される。戦場での行動を考えれば当然で、直進性を最初から妥協しているのだ。その意味では、長門はイギリス式設計からの脱却ともいえる。
  • 計画時に前部マストは三脚型であったが、ある砲術士官の強い要望で(最終的には設計担当の平賀譲中佐と大激論の末に)、より強固な七脚式のものに変更された。
    要望した士官の名は金田秀太郎大佐。あの金田50万トン戦艦計画の生みの親である。
  • 長門の建造費は大正5年の価値で4,390万円、現在換算で大体3,000億円強となる。
    だが、問題はこの当時の日本の国家予算が6億円程度だったという事。この頃の日本の経済規模では、まさに国家の存亡がかかるプロジェクトだったのだ。
    今の日本であれば、長門型や大和型の1隻や2隻建造したところで、すぐに国が傾くことはない。参考までにいうと、こんごう型・あたご型の調達価格が予備のイージスシステム込みで約2,200億円である。
長門型の容姿について
  • 1934-1936年の近代化大改装において砲戦においては後の新型戦艦群に対抗可能な戦闘能力を獲得。誰が呼んだか「最強の旧世代戦艦」。
長門型の近代化改装について
  • 長門と陸奥の改装後の手っ取り早い見分け方は、副砲の不自然な穴があるかないか。改装時に副砲が20門から18門に減っているのだが、改装の予算の都合か
    なにやら明らかに副砲がついていた穴があってむずがゆい見た目をしているのが長門、ないのが陸奥。
    具体的には改装後の長門の側面前部に副砲が上3つ、下4つ並んでいるが、4つ並んだ手前に砲のあった跡のような穴があったら長門の方である。
  • 竣工後の長門型は、艦隊から概ね高い評価を受けた。
    「ビック7」のライバルと長門型を比べると、アメリカのコロラド級は同等の主砲火力とより手堅い防御を持つが速力は劣り、イギリスのネルソン級も非常に重厚な装甲を備えていたが、やはり速力は劣る。
    これは「新艦隊の一番艦」として建造された長門に対し、他国のビッグ7はあくまで「従来型戦艦と行動を共にする増強戦力」として建造されたためである。
    またビック7の枠外だが、世界最大の巡洋戦艦とされたイギリスのフッドは長門型以上の速力と長門に迫る火力、傾斜装甲による防御力を備えていたものの、十分な近代化改修が行われる事はなかった。
    つまり長門型は、軍縮条約に縛られた時代が終わって新世代の戦艦が現れるまでの間、攻・防・走の三要素のバランスが取れた世界最高クラスの戦艦だったのである。
    • そもそもコロラド級に関しては元々16インチ砲艦として計画されていたものではなく、14インチ砲艦に無理に16インチ砲を搭載しているようなもので、その船体の基本設計コンセプトはやや陳腐化していた。
      ネルソンにいたっては条約が足枷になり設計に関して大幅な妥協をせざるをえず、排水量に対して過大なスペックを盛り込んだ結果砲塔がすべて艦橋の前面に配置されるなど先進的過ぎるデザインで四苦八苦したり、
      運動性もクセがあり過ぎるなどイギリス海軍でもかなり不満が大きかったのである。*11元々16インチ砲艦は4万トン超えの排水量で作るつもりが3万トンクラスにまで減らされたので当然の結果といえるかもしれない。
      条約前とはいえ長門型の設計が無理の少ない優秀なものに仕上がっていたともいえる。
  • そのためか水面下ではガチで警戒されており、嘘か真か、1930年代にルーズベルト大統領が海軍将校に「日本はいつ占領できるのか?」
    と訊いたところ、その海軍将校は「駄目です。日本には長門がいます」と答えたとかいう話がある。
    • 大艦巨砲主義が幅を利かせていた時代のことだが、それだけの警戒を受けるに足る性能を持っていたことの証左。
      勿論額面通りに聞く話ではないが。特に古今東西軍関係者にとって「無理=対策予算寄越せ」である。

戦前 帝国海軍の象徴だった長門型 Edit

  • 現代においては大和型(というより大和)の圧倒的知名度に隠れがちであるが、開戦時まで陸奥と交替で帝国海軍連合艦隊旗艦を長らく務めていたため、戦前から戦中にかけて長門型の人気はずば抜けていた。
    • そもそも大和型の存在自体が帝国海軍最高機密であったため、国民には噂程度にしか知られていなかった。
      大和型が一般に知られるようになるのは戦後である。もっともその後アニメや映画になるのは大和ばっかりじゃないかーっ!の逆転っぷりは凄まじいものであるのだが…。主に某宇宙戦艦のせい。
      このため、太平洋戦争が終わるまでは国民にとって長門型こそが帝国海軍の象徴だった。
    • 当時の軍オタ少年は戦艦長門派と空母赤城派が二大勢力で、これに水雷戦隊派、時代が下がった後は高雄派が絡む展開。
  • 「陸奥と長門は日本の誇り」とカルタ*12に詠まれる程広く国民に親しまれ、一般家庭に写真が飾られるなど人気が高かった。
  • 昭和12年(1937年)から14年(1939年)にかけて、グリコ株式會社(江崎グリコ株式会社)が、キャンペーンの景品として軍艦の模型を製作。対象となった軍艦は戦艦「長門」、巡洋艦「熊野」、駆逐艦「吹雪」の3隻で、製品に入っている引換証を一定枚数集めることにより手に入れることができると、写真付きのチラシで国民に周知された。
    • 引き換えに必要な枚数は、吹雪60枚 熊野80枚 長門100枚長門を貰えた人いたのだろうか…
      • 要するに昔からやってることは同じである。

開戦 第一戦隊と柱島艦隊 Edit

  • 台詞にある「第一戦隊」とは日本海軍最強、最精鋭の戦艦部隊のこと。
    連合艦隊司令長官が戦隊司令官を兼務する、日露戦争以来艦隊決戦の要とされた部隊だった。
    長門型は竣工から太平洋戦争開戦まで、整備・近代化改装工事で艦隊を離脱した時期を除き、常に第一戦隊に所属し続けた。まさにエリート中のエリート。
    しかしいざ太平洋戦争が始まると、長門や陸奥に待っていたのは、戦前の栄光とはかけ離れた展開であった。
  • 真珠湾攻撃の際の暗号電文を打電したのは彼女であるがその電文は「ニイタカヤマノボレ1208」と色々バレバレな暗号?電文だった。天然なのかもしれない。
    この電文に一番驚いたのは米軍の暗号解読部門だったとか。
    ちなみに陸軍は「ヒノデハヤマガタ」と一応は日時がわからないようにしていた。
「新高山登レ」を直接送信した施設について
  • 開戦後まもなく、長門以下の戦艦部隊は機動部隊収容と称して太平洋上に出港する。
    これは真珠湾攻撃で南雲機動部隊に損傷艦が出ることを想定してのものだったが、機動部隊は全艦無傷だったため不要となり、予定を切り上げて柱島に帰投している。
  • その後重巡や水雷戦隊、そして空母部隊が南方作戦で働きまわる中、長門と陸奥の第一戦隊や伊勢型と扶桑型の第二戦隊は、広島湾柱島泊地でひたすら待機の日々が続いた。
    やがて、無為の日々を送る彼女たち戦艦部隊は揶揄と自嘲を込めて「柱島艦隊」と呼ばれるようになっていく。
長門や陸奥が出撃できなかった背景
  • 1942年2月、長門は新鋭戦艦の大和に連合艦隊旗艦の座を譲った。長年担ってきた栄誉の座を降ろされ、長門の運命は次第に暗転していく。
  • 6月のMI(ミッドウェー)作戦で長門は大和や陸奥と第一戦隊を組み、山本五十六連合艦隊司令長官直率の「主力部隊」として出撃する。
    しかし主力部隊は一航戦や二航戦たち第一機動部隊のはるか後方に配置され、正規空母4隻が被弾炎上する悲報に成すすべがなく、引き返すしかなかった。
MI作戦と戦艦部隊

戦争中盤 第二戦隊への転落 Edit

  • 武蔵の就役を一ヵ月後に控えた1942年7月、長門と陸奥は編制替えで第二戦隊に転じることとなる。
    この時期の第二戦隊は、航空戦艦改造が決定した伊勢型の離脱により、長門型2隻と扶桑型2隻の4隻体制だった(主力戦艦部隊「第二戦隊」編成せよ!任務はこれを再現したものと思われる)。
    • 陸奥は整備中の金剛姉妹に代わって第二艦隊に一時編入され第二次ソロモン海戦に参加したが、低速がたたって金剛型の復帰ですぐ交替となり、長門や扶桑型は日本本土で待機する日々が続いた。
  • 第二戦隊が所属する第一艦隊には、1943年1月に新造駆逐艦練成部隊の第十一戦隊が新設されており、このころには第一艦隊自体が訓練部隊という扱いになっていた。
    というのも、第一艦隊は所属していた艦を最前線の艦隊にあらかた引き抜かれてしまい、残されたのは使いどころに困る低速戦艦だけという有様で、その活用法として考えられたのが補充される新しい艦や将兵たちの訓練だったのだ。*14
    • その後練習艦任務に就いていた長門だったが、真珠湾での打撃から復活を果たしつつある米戦艦部隊に対抗するため前線復帰が決まり、電探の装備や船体の整備を施した。
      その矢先の昭和18年6月、事件は起こった。陸奥の爆沈である。
      ガダルカナル攻防戦において大和と共にトラック泊地で待機していた陸奥だったが、第二次ソロモン海戦以降は出番のないまま日本に戻り、整備を終えた長門と繋留位置替えの準備を行っている最中に、突如原因不明の大爆発を起こして沈没してしまったのだ。
      妹の突然の最期に、長門にできることは救助艇を出して救援にあたることだけだった。
  • 陸奥を失った長門は、扶桑山城は当時練習艦任務)とペアを組んでトラック泊地に進出し、1943年10月には大和・武蔵や第三艦隊の一航戦(お馴染みのあのではなく翔鶴瑞鶴瑞鳳)と共に米機動部隊との決戦を求めて出撃したこともあったが、空振りに終わっている。
    これは「連合艦隊の大散歩」とも揶揄され、またしても燃料を浪費するだけの出撃であった。
    • この影響で、直後の11月に米軍がソロモン諸島ブーゲンビル島に侵攻した時、連合艦隊は戦艦や空母を動かせず、一航戦の飛行機隊を空母から分離させてラバウル基地に派遣する「ろ号作戦」という苦肉の策を強いられることになる。
      この作戦で、一航戦飛行機隊は壊滅。さらに派遣された第二艦隊の重巡部隊もラバウル空襲で軒並みボロボロになり、その隙に米太平洋艦隊主力が中部太平洋のギルバート、次いでマーシャル諸島に侵攻、連合艦隊は手も足も出ないという悪循環を招いてしまう。燃料無駄遣いの代償はあまりに大きかった。
  • 1944年2月、マーシャル諸島の陥落によりトラック島に空襲の危機が迫ると、武蔵以下の連合艦隊主力は退避することになった。
    米機動部隊と戦うべき第三艦隊が飛行機隊の再建中である以上、戦艦部隊だけではどうにもならなかったのだ。*15制空権喪失状態で水上部隊が戦うキツさは艦これでもすっかりお馴染み
    長門や扶桑もかつて機動部隊を率いた南雲忠一第一艦隊司令長官の指揮でパラオ泊地へと撤退する。そして連合艦隊主力が逃げ出したトラック泊地は、その後まもなく米機動部隊の攻撃で壊滅した。
  • その直後の2月25日、第一艦隊廃止をもって第二戦隊もまた解隊された。
    これは、水上砲戦部隊を第二艦隊、空母機動部隊を第三艦隊にそれぞれ集約し、両者を統一指揮する第一機動艦隊を編制するためであった。
    かつては帝国海軍連合艦隊の中核を担った栄誉ある第一艦隊の不遇な末路は、海の戦いの主役が戦艦から航空機へと変わりゆく時代を象徴していた。
    • なお、第二戦隊は数か月後に扶桑と山城で再編制され、レイテ沖海戦で西村艦隊として出撃することになる。
  • いっぽう、連合艦隊司令部は長門から大和、武蔵と移り、最後の旗艦大淀を経て、遂に1944年9月には慶應義塾大学構内(現 日吉キャンパス)の地下防空壕へと移っている。

マリアナとレイテの戦い、そして終戦 Edit

  • 第一艦隊第二戦隊の廃止により、長門は大和や武蔵の所属する第一戦隊に復帰。大和が整備を終えるまでのわずかな間であったが、かつての第一戦隊旗艦の座に再び就いている。
  • 1944年6月のマリアナ沖海戦では、前衛部隊の大和型と離れて機動部隊乙部隊の護衛任務に就く。
    これが長門初の実戦となった。
    乙部隊には軽空母飛鷹隼鷹龍鳳が所属しており、6月20日に米機動部隊からの空襲を受けると、長門は米雷撃隊に襲撃された隼鷹を守るべく主砲射撃を行いこれを撃退、隼鷹を被雷から救ったとされる。
    しかしその後被弾炎上した飛鷹を長門は曳航して救おうとするも失敗、飛鷹は沈没してしまい、長門が護衛した飛鷹姉妹の明暗は分かれることになった。
  • 10月のレイテ沖海戦では、大和・武蔵・長門の第一戦隊は栗田艦隊の主力として出撃。
    • この時、低速の長門は扶桑姉妹と共に第二戦隊へと戻される案があったのだが、第一戦隊司令官・宇垣纏中将が長門の分離に強く反対したため実現しなかった。
      もし宇垣司令官が反対しなければ、長門は西村艦隊の一員としてスリガオ海峡で敵戦艦と撃ち合うという、戦艦としての本懐を果たす機会を得られたかもしれない。
  • 出撃した第一戦隊はシブヤン海の空襲で武蔵を失い、長門と大和も爆弾で損傷する苦闘を強いられた。
    サマール沖では米護衛空母を追撃しようとするも、旗艦大和が米駆逐艦の魚雷に両舷を挟まれて退避を強いられるという不測の事態に振り回され、やっと再び敵空母を捕捉というときに栗田司令部は追撃は打ち切り、長門はその砲火力を十分発揮できずに終わってしまう。
    その後、レイテ湾突入も断念した帰路でさらに空襲を受け被弾するも、どうにかブルネイ泊地への帰投に成功する。
  • 1944年11月、第一戦隊はついに解隊。帝国海軍栄光の歴史の象徴がまた一つ消滅した。*16
    第三戦隊へと移った長門は、第二艦隊旗艦大和の指揮下で、金剛、第二水雷戦隊の矢矧と第十七駆逐隊の浦風磯風浜風雪風たちと共に日本帰還を命じられる。
    しかしその道中、台湾沖で米潜水艦「シーライオン」からの雷撃を受けるが当たらず、その流れ弾が浦風を直撃・轟沈、同じく被雷した金剛も沈没している。
  • 日本に帰還した長門を待っていたのは、あまりに残酷な処遇だった。
    海軍上層部の方針は二転三転したのち、南方資源地帯からの輸送路途絶による燃料欠乏から、戦艦の積極的運用を放棄することが決定されたのだ。
    • ただし、大和のみは例外として第二艦隊第一航空戦隊に残され、その後沖縄に出撃することになった。
  • 動けぬ長門から航海長が消え、航海科の士官は前年12月末に着任したばかりの予備士官の航海士の少尉が一人っきりとなった。
    燃料が使えず、隼鷹から異動してきた艦長の渋谷清見大佐が岸壁に石炭だきのボイラを設置してくれと依頼したくらいだ。
    2月、長門は横須賀鎮守府の警備艦となり、6月には特殊警備艦に艦種変更となる。
    • 特殊警備艦とは、洋上行動を完全に諦めて浮き砲台としてのみの運用が考慮された、戦艦の成れの果てであった。
      副砲の全てと機銃の大半、電探、主砲方位盤、カタパルト、探照灯など装備品の大半を撤去された。
    • 榛名も相当数の兵装が撤去されており、兵装が比較的まともに残っていたのは伊勢日向くらいであった。
      しかし航海用の艤装までも撤去されたのは、当時生き残っていた戦艦4隻のうちでも長門のみである。→戦後撮られたカラー映像(2:00-4:10)
    • 5月、渋谷艦長は少将に昇進して長門を退艦し、次の艦長は応召(予備役になって再度招集された)の大塚幹少将であった。4年前の連合艦隊旗艦の艦長が予備役士官になったのである。
      7月18日に米空母「エセックス」「シャングリラ」「ベロー・ウッド」「ランドルフ」搭載機の攻撃を受け、爆弾3発が命中して艦橋が破損、大塚艦長、副長兼砲術長の樋口大佐以下が戦死し、艦の指揮は先任士官で発令所長の奥田少佐がとることになる。
      • 7月末、奥田少佐の指揮で擬装のために煙突頂部や後部マストは切断され、長門と岸壁の間に黒く塗った板が張られ、その姿はあまりに無惨だった。被弾した艦橋は修理もされず、12.7cm連装高角砲91式高射装置も全て撤去されたという。
    • 後任艦長に発令されたのは、球磨や大鷹の艦長を務めた杉野修一大佐、日露戦争時旅順港閉塞作戦で犠牲になった軍神として有名な広瀬中佐と共に戦死した杉野兵曹長の長男であった。結果的に、戦艦長門が米軍に接収される前の最後の日本人の艦長となった。
      • ところがこの段階で杉野大佐は旅順におり、転勤すら困難な状態だったので、艦長代理として池内正方少将が着任した。千歳の初代艦長などを務めて退役し、応召して北海道地区の軍需工場の監督官であったが病気休養中であったが、歴代艦長に数えられていない幻の艦長である。その状態で長門は終戦を迎えたのであった。結局、杉野艦長が着任したのは終戦後であった。

戦艦長門の最期 クロスロード作戦 Edit

  • 終戦後アメリカに接収された長門は、1946年7月にビキニ環礁にて実施された原爆実験「オペレーション・クロスロード」に、酒匂とともに標的艦として参加。同じくドイツからPrinz Eugenも参加している。そしてアメリカから空母2、戦艦4他50隻以上。沈め方も米帝プレイ。
    • 1回目(ABLE:空中爆発)の爆心地(酒匂)に近い戦艦の順番はネヴァダ(本来の爆心地)700m程度・アーカンソー700m程度・長門1,500m程度の順。
      1回目終了の時点で長門は健在だったが、酒匂は後部を無惨に破壊され沈没した。
      2回目(BAKER:水中爆発)では、ネヴァダは爆心から遠く離れた所に居たため沈まなかったが、爆心地近くのアーカンソーは沈没、長門とほぼ同じ距離にいた正規空母「サラトガ」も7時間後に沈没した。
    • このうち2回目の水中爆発による実験時の爆発と水煙に呑み込まれていく実験艦の映像は、原爆の映像なのに水爆実験の映像としてテレビや映画でよく使用されている。例えば2度に渡りハリウッドで制作された「Godzilla」では、冒頭でこの映像が使われているが、その画面右端に長門の最期の姿が映っている。
  • しかし、長門は爆心地にある程度近い位置にいながら二度の核実験に僅かに傾斜するも耐えた。特にBAKER時には艦首に穴を開けられ、さらに機雷を艦体に括り付けられたという念の入れようである。
艦首の穴と括り付けられた機雷の意味
  • 長門は中破判定を受けた状態で、母国を蹂躙した非人道的兵器に対する無言の抗議の如く二度の被爆に耐え、BAKER実験後も4日間は海上に在り続けたが、
    1946年7月28日深夜から29日未明の間に、誰にも看取られることなく静かに眠りにつく。 捕虜になる事を拒んだ武人のように、人知れず自決したかのような最期だった。
  • 長門沈まずの報を聞いた元艦長夫人は 「幾万もの英霊たちが水底をささえているのですよ」と語ったそうだ。
  • なお、「この光景を見たアメリカの調査団が長門のことを"Old Navy Never Die"(海の古強者は死なず)と評した」という話が広く伝わっている。
    ※クロスロード作戦で標的艦となったが最後まで沈まなかった米戦艦「ニューヨーク」のことを"Old Sailors Never Die"と評したという逸話と混同されたとの説もある。
    • ただし、その言葉は長門の艦橋に書き残されたと言われているが、ニューヨークの文字が書かれたところは左舷。別々の逸話の可能性もあり、真相は分かっていない(ちなみに戦艦ニューヨークの方が古参である)。
  • また、沈没状態とはいえ船体の現存する唯一のビッグ7で、同地の貴重な観光資源。ただし核実験の影響を鑑み接触禁止。
    • もっともこちらの資料によるとそもそもそう簡単には到達できないらしい。現実世界においても、彼女に会うためには米帝プレイと運、そして高い司令部レベル潜水経験が必要なようである。
      沈没地点の水深は約50〜60mであり、ダイビングの上級ライセンス所持者でなければ潜るのは困難。減圧症などの危険もあるため、通常のスキューバダイビングでは数分程度しか見ることは出来ない。
  • なお、クロスロード作戦の1回目の実験の直後に発表された水着が「ビキニ」である。その大胆さが周囲に与える破壊力を原爆にたとえたものだという。
    「水爆実験になぞらえて」と説明されることがあるが、これは誤り。ビキニ環礁での最初の水爆実験は1954年であり、このときは日本の遠洋漁船「第五福竜丸」が被曝している。
  • 艦娘「長門」は、この出来事を曖昧かつ強烈な印象として残しており、事あるごとに言及する。ほぼ記憶を失い当時の恐怖のみを持ってきた酒匂や、断片のみを残すらしいPrinz Eugenとの有り様の違いは、不可解かつ議論の余地ある事柄である。

幻の「捕鯨戦艦長門」と「護衛艦ながと」 Edit

  • 戦後、大洋漁業(後のマルハ、現マルハニチロ)が捕鯨を再開するに当たり、捕鯨母船*17に使える船を第二復員省(旧海軍省)から借りようとしたが、その時に渡されたリストのトップに長門の名前があった。
    • 当然ながら戦艦が捕鯨母船に適するはずもない。捕鯨業者は「港でスロープの付いた軍艦を見かけた」という情報を聞いて、「それなら捕鯨ができる。名前がわからないけどそれを借りに行こう」と交渉を持ちかけたのだ。
      結果、名前がわからないため第二復員省からGHQへ「横須賀軍港にいる艦船全部」のリストが渡され、そのトップに長門の名前があったのだ。
      • 実際に捕鯨船として借りたのは、当たりをつけていた第一号型輸送艦(第9号、第19号など 排水量1,500トン)であった。
      • 大洋漁業は他にも海軍と縁があり、横須賀軍港の隣接地に工場を構えていた。後に、この地に大洋漁業の子会社であった大洋ホエールズの練習場が作られた。大洋漁業(マルハ)の手を離れた今でも「横浜DeNAベイスターズ総合練習場」(ベイスターズ球場)として使われており、球場から護衛艦を見ることもできる。
    • ……が、2014/6/6のアップデートで実装された大鯨の入手方法が後半海域でのドロップ限定であったことから、長門を編成に組み込んで掘りに出掛ける提督も出現。まさかの捕鯨戦艦長門実現である。
  • さらに時は流れて21世紀。ひゅうが型に続く新しいヘリ空母ヘリコプター護衛艦「22DDH」が建造された。
    この艦名の選定時、一時は有力候補として「ながと」が浮上したが、最終的には2度の大戦を潜り抜け、半世紀活躍し続けた巡洋艦「出雲」から「いずも」と命名されることとなり*18、およそ70年ぶりの長門復活は幻となった。
    • 2015年8月27日に進水したいずも型2番艦「24DDH」には「かが」が命名された。
      2015年は北陸新幹線開業などで北陸地方が盛り上がった影響もあるのかは定かではないが、またしても「ながと」復活はならなかった。もう永久欠番扱いにしたいんじゃ…。
    • なお「ながと」の名は山口県警の警備艇に名づけされてるほか、民間では「ながと丸」と言う名の船も数多く存在する。
      また、川原礫氏のライトノベル「ソードアート・オンライン」に架空の汎用護衛艦「ながと」として登場している。命名基準のツッコミは禁止。

還ってきた軍艦旗 Edit

  • 遺構はあまり残っていなかった長門だが、終戦時の接収作業を指揮した米軍将校がフルサイズの軍艦旗*19を独自にアメリカに持ち帰っており、その親族によって日本のTV番組「開運!なんでも鑑定団」に出品された(放送は2005/09/27)。
    同番組の司会を務めるタレントの石坂浩二氏はこの品を私財で買い取り*20、呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)に寄贈した(寄贈式典の様子)。現在同館のメインホールに、詳しい経緯とともに展示されている。
    • なお軍艦旗とは、その名の通り、海軍所属の艦船であることを表すために艦尾に掲げる旗のことである。長門の軍艦旗の大きさから、彼女がいかに大きかったか、諸提督の想像力をかきたてること、請け合いである。
      • ちなみに、海上自衛隊では海軍旗と呼ばず、同じ規格なのに、大人の事情で自衛艦旗と呼ぶ。
        国籍を識別する旗ということで、軍艦旗/自衛艦旗の格式は国旗と同等であり、たとえば現代でも、他国国旗と自衛艦旗が並列に並んで行進したり、自衛隊観閲式では内閣総理大臣が自衛艦旗に対し敬礼する姿が見られる。
      • なお、軍艦旗とは国際法で掲揚を要求される所属旗である。*21
        汚れたら洗濯し、やれてきたら新品に取り替える消耗品であり、新品を含め常時複数枚が艦内に用意されている。*22
      • 武勇の歴史として、歴戦により原型を留めないほどズタボロになっても、1枚の旗を大事にする陸軍の連隊旗とはその性格が異なる。*23
    • 船体こそ遠く離れた異国の海底に沈んだ長門であるが、軍艦の魂ともいえる海軍旗だけは日本に帰ってくることが出来た。しかし、彼女の海軍旗は汚れ、血のようなものも確認できる。諸提督はそこに何を思うだろうか。

この艦娘についてのコメント Edit

過去ログ

最新の15件を表示しています。 コメントページを参照

  • ついに長門ドロップ!!没後70年でようやく出会えた…大切にします -- 2016-08-10 (水) 14:45:42
  • 艦これ始めて2年、昨日遂に長門が建造できました。大切に育てていきます。涙出そう… -- 2016-08-11 (木) 22:23:11
  • E2で長門ドロップ!!いかん、もうこれで満足してしまう・・・。 -- 2016-08-13 (土) 07:29:12
  • 大型建造で長門キター!MNB回避。 -- 2016-08-13 (土) 17:31:36
  • 今日で長門2人来た。 -- 2016-08-14 (日) 00:38:57
  • キミが水無月が言ってた『ながなが』? -- 2016-08-14 (日) 20:44:29
  • E2でドロップした。元々建造で引き当てるつもりだったのにめっちゃ嬉しいわ -- 2016-08-15 (月) 20:00:38
  • 完全にただの嫌がらせといえば、独伊のはソ連などに引き渡された軽巡が長門共々処分されたり、賠償艦は米英が多く取って即処分と同感だな。 -- 2016-08-16 (火) 20:22:04
  • まさかの2隻目をお迎えしましたよe2で最初の嫁艦が長門だから感慨深いっすねぇ -- 2016-08-17 (水) 08:05:34
  • 「んっ、なっ!?……き、嫌いでは、ない……」ってこんな母港ボイスあったっけ? -- 2016-08-17 (水) 10:20:32
    • 少なくとも14年初春からある -- 2016-08-17 (水) 10:34:34
  • 4戦連続初手駆逐狙ってんじゃねーぞ!クソゴリラ! -- 2016-08-17 (水) 15:43:22
    • まあ、そう怒るでない。敵の数を確実に減らして敵艦隊中枢に集中攻撃を加えやすくするのも立派な戦術の一つなのだぞ(利根風)。 -- 2016-08-21 (日) 20:46:39
    • 長門に限らず戦艦は駆逐を狙うものではないのか?いや実際艦これのシステム的にで基本敵の下の方から狙うようになっている気がする。まあ半分は冗談で体感的なものだろうけど。 -- 2016-08-24 (水) 07:26:49 New
  • 「このページで八月十四日の二〇四四に『ながなが』と呼ばれているのは私・長月だ。長門ではない。水無月改の一五〇〇の時報に登場する。駆逐艦と侮るな。役に立つ筈だ。長門よ、邪魔したな」 -- 2016-08-17 (水) 20:03:24
    • ナガトナガト?学名かな? -- 2016-08-18 (木) 03:09:07
  • イベント終了とあわせて結婚しました。去年の夏、着任後初のイベントで出会って即戦力入り、イベ終了時には気づけば鎮守府で一番のレベルに育ち、そのままずっとエースでいてくれてる。今回も長門のおかげではじめて甲勲章をゲットできました。これからもよろしくね。 -- 2016-08-19 (金) 02:56:29
    • おめでとう、仲良くね -- 2016-08-20 (土) 22:21:58
  • E-2乙 掘り作業開始からS勝利54回目でようやく来てくれた。通常海域や通常建造だと手に入りにくいから…と思ってプリンツや鹿島・時津風が掘れた後もプリンツ2隻目狙いも兼ねてめぐってた。嬉しい! -- 2016-08-21 (日) 20:40:43
  • 大和を呼んでくれました!!連合艦隊旗艦は伊達じゃない... -- 2016-08-25 (木) 19:51:14 New
お名前: URL B I U SIZE Black Maroon Green Olive Navy Purple Teal Gray Silver Red Lime Yellow Blue Fuchsia Aqua White

建造成果の報告は建造レシピ内にあるコメント欄に、
ドロップ報告に関しては出撃ドロップ内にあるコメント欄にて行なっていただけると幸いです。





*1 こういった世界◯大云々というような言い回しは、だいたいは日本国内のみでしか通用しない物がほとんど。例えば帝国海軍・海上自衛隊で使用されている有名な行進曲「軍艦」を含む「世界三大マーチ」も然りである。
*2 ちなみにアメリカ海軍では、軍縮条約の時代に自らが保有する戦艦の中で、16インチ砲戦艦のコロラド級3隻とそれに準じた防御力を持つ14インチ砲戦艦のテネシー級2隻を「ビックファイブ」と称していた。
*3 山本は下戸として知られていた。海軍士官と飲み交わすときも、自分だけカルピスを頼んでいたという(カルピスは傍目には濁り酒にも見えるため、酒宴での付き合いが必須な日本では下戸に重用された)。しかし全く酒が飲めなかったわけではなく、敢えて人前では飲まなかったともいわれている。
*4 いわゆる「陸奥変体」案など、せめて二番艦陸奥だけでも砲力や防御のさらなる強化を施そうという案も平賀造船官から主張されたが、竣工遅延の懸念や長門と陸奥は仕様を揃えることが運用上望ましいという事情などから却下された。
*5 実用上は何の問題も無かった。
*6 第一煙突につけ爪のようなキャップを設け、物理的に排煙を遮断しようとした。
*7 実戦に近い燃料2/3搭載時の過負荷全力運転では、新造時の長門型で25.5〜25.9ノット。改装後は同条件で25.3〜25.8ノットと誤差の範囲。
*8 合計で18時間10分が24〜26ノット。なお最大戦速は1分間、それ以上の「一杯」は9分間のみである。
*9 榛名が26kt、羽黒が28ktであった事から実際には26kt以下だった可能性もある。
*10 逆に速度的に下のはずの扶桑山城の乗組員が長門についていくのに苦労したという話はほとんど残っていない。
*11 とはいえ、この限られた排水量内で最大のスペックを実現する手法はのちに各国の新戦艦でも程度の差こそあれ取り入れられた。戦艦大和もネルソン級を参考にしているのである。
*12 講談社の「少年倶楽部」1930年新春号附録の新案物識りかるた。この中には「鎮守府 横須賀 呉佐世保」という札もあったりする。
*13 現在船橋送信所と言えばこちら。現在も運用中の千葉テレビ船橋送信所である。
*14 古鷹型や青葉型重巡の第六戦隊はソロモン諸島の戦いで壊滅、第三水雷戦隊はソロモン方面の第八艦隊、第一水雷戦隊は北方警備の第五艦隊へと転属、重雷装艦の第九戦隊は用途なく解隊、鳳翔は訓練空母となり、瑞鳳と金剛型は第三艦隊所属となっていた。
*15 連合艦隊はろ号作戦の後、飛鷹・隼鷹・龍鳳の二航戦飛行機隊もラバウルに派遣してこれも消耗させてしまっていた。
*16 ただし、1945年1月にごく短い間だけ第一戦隊は再編成されているが、その翌月には大和以外の戦艦運用は放棄され再び廃止。戦争末期の海軍上層部の迷走ぶりがうかがえる。
*17 捕獲した鯨を解体・加工するための船。戦前、大洋漁業は小笠原諸島の母島に捕鯨基地を有していたが、戦後、小笠原諸島への日本人の立入が禁止されたため、捕鯨基地の代わりとなる船が必要となった。
*18 名前が見送られた原因として、大戦時の連合艦隊旗艦であったこと、帝国海軍の象徴だったことによるネームバリューの大きさがあげられる。近隣諸国に配慮したという説もあるが、そもそも「出雲」は日中戦争の上海派遣艦隊の旗艦を務めた艦である。
*19 高さ=八幅=43cm×8=3.44m、横幅=5.16m
*20 評価額の1,000万円で購入。石坂浩二氏は自他ともに認めるミリタリー・モデラーである。
*21 信号旗の一種なので、意図が伝わらない、という事態はNG。但し、恣意的に欺瞞して誤った意図を伝える事(騙し討ち)はOKで、宮古湾海戦やドイツの仮装巡洋艦などの事例がある。
*22 そのため、現存品も結構ある。所蔵の軍艦旗が艦これオンリー同人誌即売会に掲げられた事すらある。が、一方で「どのフネの、どういう経緯で今に残った旗か」という証明が難しい事態が起きることもある。
*23 但し比叡のように大海戦をくぐり抜けた艦の名を継ぐ艦が、先代が大海戦の時に掲げていたズタボロの軍艦旗をハレの日に上げるということはあった。