浜風

Last-modified: 2014-05-18 (日) 17:36:02
No.170
私の兵装に、何か?浜風(はまかぜ)陽炎型 13番艦 駆逐艦
艦船ステータス
耐久16火力10
装甲6雷装24
回避44対空13
搭載0対潜24
速力高速索敵6
射程15
装備
12.7cm連装砲
九四式爆雷投射機
装備不可
装備不可
改造チャート
浜風浜風改(Lv30)
図鑑説明
浜風です。数々の激戦に参加しました。
レイテでは金剛を中心とした輪形陣。そして武蔵や金剛、あの信濃の最後もこの目に焼き付けることになりました。
運命の坊ノ岬では、雪風らと共に大和を護って奮闘します。
CV:未発表、イラストレーター:パセリ (クリックするとセリフ一覧が開きます)
セリフCV:未発表、イラストレーター:パセリ*1
入手/ログイン駆逐艦、浜風です。これより貴艦隊所属となります。
母港/詳細閲覧信濃……今度は護り抜きます
今日も、いい風ですね
んっ、なんですか、提督!何か、私の兵装に、何か?
ケッコンカッコカリ(反転)提督。恋愛相談ならば、そう言う話が好きそうな子が他にたくさんいるでしょう? …えっ? 私? い、いえっ! 私はそういうことは……で、でも、前向きに、検討し、努力、します…ね…
ケッコン後母港(反転)提督、お疲れがたまっていませんか?
編成
出撃駆逐艦、浜風、出ます!
雪風…先に行くぞ…! 浜風、出撃!
遠征選択時そうなのね?
アイテム発見そうなのね?
開戦相手にとって、不足なしです!
航空戦開始時
夜戦開始対空戦だけじゃ、つまらないしね
攻撃砲雷撃戦、開始します!
相手にとって、不足なしです!
攻撃(夜戦)沈みなさい!
小破
中破
被弾カットインこんな痛み……金剛や信濃に比べたら……!次の、坊ノ岬では……負けないわ
勝利MVP勝利に浮かれるほど素人ではありません。勝って兜のなんとやら、です。まずは整備ですね
帰投作戦終了。艦隊が戻りました
補給なるほど
改装/改修/改造なるほど
それもありですね
入渠(小破以下)
入渠(中破以上)今のうちに直しておきましょう
建造完了建造が終了したようですね
戦績表示軍令部より情報が来ていますね
轟沈(反転)また…大和のそばに…行くのか…な…
時報
放置時あの…あの!次の作戦は、まだですか?

ゲームにおいて

  • 2014年3月28日のアップデートにて実装された。
  • 出現海域として南西諸島海域~西方海域の一部マップと南方海域全域と公式でアナウンスされている。
    • 現在確認されているのは全てボスマスで、該当海域は2-2、2-4、3-3、4-4、5-海域全て*2。周回が楽な2-2や5-2,4が含まれている。
    • 建造での出現は告知もなく、出現報告もされていない。
  • 初期装備で爆雷を装備している珍しい艦。
    • 改造後に一応電探を持ってくる。
  • 能力値合計は陽炎型では雪風に次いで2位。対空・対潜が高めでバランスの良いステータスを持つ。
    • 護衛艦として何度も対空戦を経験したことから対空の最大値が高く島風・雪風とほぼ同等。代わりに火力が若干低い。
    • 対潜は初風舞風秋雲とほぼ同じ。駆逐艦としては高めだが夕雲型には届かない。
  • 激戦を何度も生き延び、加えて運を天に任せて危険な救助を成功させた(小ネタ参照)という逸話から、運が高め。こちらも陽炎型では雪風に次いで2位。
  • 改造可能レベルが30と高めなので注意。

小ネタ

  • 「浜風」とは海風の別称。
  • 1939年11月20日に浦賀船渠にて起工し、1941年6月30日に竣工。実装前の公式告知で「横須賀生まれ」とされていたのはこのことに拠る。
  • 竣工後に東宝映画「八十八年目の太陽」(滝沢英輔監督、1941年11月公開)に建造中の駆逐艦「ハヤカゼ」役*3として出演している。駆逐艦らしからぬ胸部装甲はひょっとして・・・
  • 開戦時は『浜風』と『谷風』『磯風』『浦風』(いずれも未実装)で第17駆逐隊を編成。空母機動部隊の護衛役としてハワイ沖、ラバウル、ダーウィン、ミッドウェーと各地を飛び回っていた。
    • 夜戦台詞の「対空戦だけじゃつまらない」という台詞は17駆のこの経歴も影響しているものと思われる。
  • 43年2月にガダルカナル島撤退作戦に参加した後一度内地で3ヶ月ほど整備してから再びソロモン方面へ進出。クラ湾夜戦・コロンバンガラ島沖海戦を無傷で乗り切るも、第一次ベララベラ海戦で缶室浸水の損傷を受け、9月21日に呉に戻り約1ヶ月修理を受けている。
  • 修理後の1944年にはリンガへ進出し、編入された雪風と共に主に船団護衛等に従事。6月のマリアナ沖海戦と10月のシブヤン海海戦にも参戦している。
    • シブヤン海では浜風は損傷を受けたため、大破した武蔵の護衛につけられ、武蔵の沈没に立ち会うことになった。この時に約800名、隣にいた『清霜』(未実装)を含めれば計1423名の武蔵乗員を救助しマニラヘ撤退した。
  • 11月に日本へ帰ったのだが、その途中で僚艦『浦風』と金剛を潜水艦「シーライオン」の襲撃により失う。
    このとき、駆逐隊司令の谷井保大佐が浦風で戦死したため、浜風艦長の前川万衛中佐が第17駆逐隊司令代行と旗艦の役目を託されている。その後、長門の護衛をして横須賀へ帰り着く。
    • 中破カットインで下記の信濃と並び金剛の名前を挙げるのは上記の件に拠る。
  • 帰ってすぐに呉へ回航される空母『信濃』(未実装)の護衛で横須賀を出発、呉に向かうも『信濃』は雷撃により戦没。僚艦と合わせて約1400名の信濃乗員を救助し、翌日呉へたどり着いた。
    • この時信濃は17駆逐隊が進言した潜水艦警戒重視の「昼間・沿岸航路」を取らずに空襲対策重視の「夜・沖合航路」を選択。それが裏目に出て潜水艦に撃沈された。クリック時に信濃に言及するのはこの一件が元。
    • この船の救出活動は短艇を利用しない独特の方法を取っていた*4。確実だが時間がかかり、もし敵襲を受けたら極めて危険であった。不安になった武田水雷長*5は前川艦長に救助を切り上げるよう具申したところ、
      艦長は「ここに泳いでいる人達は、我々が助けねば誰も助けてくれないだろう。それははっきりしている。 だが我々が救助の中で敵の攻撃を受けるかはだ。だったら最後の一人まで助けようではないか」 と静かに答えたという。
      浜風が通常より高い運に設定されているのは、この救助中に襲撃を受けなかった「運」が関係しているものと思われる。
  • 1945年1月8日、台湾にいた浜風は、濃霧の中でタンカー「海邦丸」と衝突したが、2隻とも軽傷で済んだ。しかし、この損傷により第17駆逐隊の司令駆逐艦の座を『磯風』に譲ることとなる。
  • 4月7日、坊ノ岬沖海戦に参加。第一次空襲で船体後部に爆弾が命中、航行不能となる。直後魚雷が右舷船体中央部に命中。艦は前後に分断され、航行不能になってから僅か3分で沈没(航行不能12:45→沈没12:48)。
    戦死100名、前川艦長以下256名は初霜などに助け出された。
    この時に『磯風』も戦没し、『谷風』も44年6月9日に戦没していたため、これを以て17駆は全滅となった。
  • 彼女の着ている制服は雪風のものと同デザインの半袖版で、それに陽炎共通のスカートを合わせてある。ただしスカートのラインが一本だけ(陽炎のものは二本線)と細部が異なっている。
  • 現在では海上保安庁「すずかぜ型巡視艇(現:ひめぎく型巡視艇)」の一隻として第三管区(横浜)で活躍している。番号「CL50」。
    なお、彼女は通常勤務のほかに「鑑識業務指定船」として科学技術を駆使して的確な証拠を集める機能を持つ船舶に指定されている。
    また、161隻いる姉妹の中には「ゆきかぜ(CL81、第一管区・花咲)」、配置替えに伴い名前こそ変わっているが「すずかぜ(CL11、第一管区・小樽から第五管区・姫路に配置換えに伴い名称変更。)」もいる。

この艦娘についてのコメント

過去ログ

ここにドロップ報告を書き込まないで下さい
ドロップ報告に関しては出撃ドロップ内にあるコメント欄にて行なっていただけると幸いです。


*1 CV加筆時はCV・イラストレーター?に出典を記載
*2 ただし2-4は2014/04/01現在報告1件のみ
*3 実際の「早風」は改マル五計画で建造予定だった秋月型駆逐艦に割り当てられたが、建造中止されている
*4 艦を風上に持っていき、そこに停止。 すると艦は風を受けて漂流者のほうへ流されていく。そこで風下舷の艦首から艦尾までロープを垂らし、ロープを掴んだ生存者を引っ張るというものだった。
*5 武田光雄。隼鷹の項参照