キョンサイレン

Last-modified: 2009-05-25 (月) 21:03:22

「夏休みには合宿に行かなければならなのよ!」

そんなことをハルヒが言い出したのは、地獄の期末試験も終わり、夏休みも間近という7月中旬のある日のことだった。

「合宿って…、海とか山とかへみんなで遊びに行こうってことか?」

ハルヒはわかってないとばかりに、大げさに眉をひそめる。

「そういう浮ついた気分で行くんじゃないわ。もっとこう…、おっきい不思議がありそうなとこよ」
「大きい不思議ってなんだよ」

あきれて俺は聞き返す。
ハルヒは腕を組み、少しだけ考えて

「夏だから…幽霊とか?」
「ただの肝試しじゃないか」
「山奥でツチノコを探すなんてのも悪くないわね」

あのな、俺たちは藤岡弘、探検隊じゃないぞ?

「あんなのヤラセじゃない。私はもっと真剣にーー」

そのとき、

「それなら、いいところがあるよっ!」

たまたま部室に遊びに来ていた鶴屋さんが、元気良く話に割り込んできた。

鶴屋さんの口からは聞き慣れない地名が飛び出した。

「羽生蛇村…?」

俺とハルヒは口を揃えて言う。
妙な名前の村だ。

「そうっ!今はほとんど住む人もいない小さな村なんだけど…」

鶴屋さんの説明は、だいたい以下のような感じだった。
その村は、昔から奇妙な噂が絶えなかった。
ツチノコが生息しているだとか、空魚の伝説とか、UFOを見たとか、井戸の底に眠る日本軍の武器庫の噂だとかーー。
そして、極めつけは噂ではなく、過去に起こった大事件。

「村人大量失踪?」

「そうだよっ。10年くらい前に土砂災害があってね。その時、たくさんの家屋が下敷きになったんだけどーー」
「けど?」

ハルヒは興味深々といった様子で聞き返す。

「遺体がまったく見つからなかったのさっ。見つかったのは生存者が一人だけ」

ここで古泉がいつものニヤケ面で口を挟んだ。

「確か、子供が一人だけ助かったんでしたか」
「よく知ってるね〜、古泉くん!」

鶴屋さんは感心顔だ。

「その話は都市伝説では有名は部類ですからね」
「そうなのか?古泉?」

ええ、と古泉は話題に似つかわしくない優雅な返事をした。
むふふ、と鶴屋さんは得意気な顔をして、話を続ける。

「実は、そこらへんに鶴屋家の土地と別荘があるんだねっ!これがっ!」

聞けばもともと、鶴屋家は羽生蛇村と縁があるそうだ。

「なるほど、だいたい事情はわかりました。おい、どうするハルヒ―――」

ハルヒは、星を見上げる可憐な少女のように目をキラキラと輝かせていた。

「最高じゃない!こんな機会めったにないわ!よし決めた!合宿はそこに決めたわ!」

100万$の笑顔ではしゃぐハルヒは久しぶりだ。
こいつの喜ぶツボは常人とはだいぶズレているが、いつものことだ。

「いいんですか?鶴屋さん?」

「私が持ちかけた話だよ、キョンくん!それに羽生蛇村は廃村寸前だから雰囲気も満点だしねっ!」

どんな雰囲気ですか。
そして、鶴屋さんは俺にそっと耳打ちする。

「肝試しでみくるとペアになったら、楽しいことになるかもねっ?」

やれやれ、仕方がない。
気はすすまないが、我らが団長様の為に行くとするか。

前日

蝉ですら熱中症で命を縮めそうな8月初め、記念すべきでない初のSOS団合宿は行われた。
予定は3泊4日。

メンバーはいつものSOS団員に加えて、案内役の鶴屋さん、長門の付き添いの朝倉。
そして朝倉が来るなら俺も行きたいと、無理を言ってきた谷口と、そのツレ国木田。
さらに加えて、私もキョンくんと一緒に行きたい!とだだをこねた俺の妹。
以上、合計十名にも及ぶ大軍団。
谷口が来るのにはハルヒは若干の不満を言っていたがな。

しかしこっちとしても、野球の件とか映画の件を持ち出されると断りきれないってのが正直なところだ。

妹は連れて来たくは無かったのだが、妹の矢継ぎ早なおねだりをいちいち断るのも面倒になって、好きにしろ、と口を滑らせてこの様だ。

つくづく自分の流されやすさには嫌気がさすね。

朝倉は一回長門に消された後、思念体内部で何やらゴタゴタともめ事があって再生されたらしい。
だから付き添いとは名ばかりで、逆に朝倉が暴走しないように長門が監視しているのだ。
俺としては来てほしくは無かったのだが仕方がない。

こんな感じの先行き不安なメンバーで、俺たちは交通機関を乗り継ぎ、一路羽生蛇村へと向かった。

行きの車中、夏休みの旅行と言うこともあってはしゃいでいた俺たちは、存外に話が弾んだ。
このメンツだと少々気まずいかと思ったんだが、杞憂だったようだな。

中でも朝倉の気立ての良さにはかなり助かった。
あのハルヒでさえ皆と楽しそうに話をしている様子を見て、もしかしてハルヒも、2学期からはもっと多くの人と打ち解けられるようになるかも…、と期待を抱かせる。
そのまま普通の女の子になってくれると助かるのだが。

「今回の合宿で、ツチノコを捕まえて一儲けするわよ!」

前言撤回。ハルヒが普通の女の子になるなんて、ありえない。

和気あいあいとした雰囲気の中、目的地についたのは、夕方のことだった。
先に行って待っててくれた鶴屋さんが、涼しげなワンピースに麦藁帽子という出で立ちで、向日葵みたいな笑顔で迎えてくれる。

「みんなっ、よく来てくれたねっ!!」

旅の疲れが一気に癒されるほど、なんとも爽やかだった。

鶴屋さんの別荘は羽生蛇村の隣の村にあった。

言っちゃ悪いがかなり辺鄙なところで、なにもこんなところに別荘を建てる必要もないだろうに。
そんな場所なので土地代も安いのか、下手なショッピングセンターぐらいなら入りそうなぐらいの豪邸だった。
伝統的な日本家屋で、大きな土蔵まである。
鶴屋家には日本中にいくつも別荘があるとは鶴屋さんの談。
ブルジョワだ!ブルジョワがいるぞ!

「こんぐらいで驚いちゃいけないよっ。羽生蛇村はここよりもっと田舎なんだからねっ」

いや、みんなが驚いているのはそこじゃないと思いますよ。
金持ちはどこか感覚がずれているみたいだ。

早速、それぞれの部屋に分かれて、(すごい部屋数だ)俺は荷物を置き妹とくつろいでいると、ドタドタと乱暴な足音が響き、襖が開いた。

「キョン!下見に行くからついてらっしゃい!」

案の定、ハルヒだった。

ちょっと待てよハルヒ。
俺はいま夜の肝試しでうまく朝比奈さんとペアになる方法を考えてだな…。

「ぐずぐず言わないでさっさとついてきなさい!」

やれやれ、こうなったハルヒはたとえ軍隊が出動しても止まらないだろう。
俺は長門と朝倉に妹を預け(妹は朝倉にとても懐いている)、夕食の支度をしている朝比奈さんと鶴屋さんに出かける旨を告げると、二人で羽生蛇村に向かった。

鶴屋さんの言った通り、羽生蛇村は寒村としか言いようのない有り様だった。
家屋がいくつかあるくらいで、ほとんど村民の姿も見当たらない。
もちろんコンビニも何もなく、俺ならこんなところに住むのは願い下げだ。

「なんにも出ないわねぇ」

とハルヒは浮かない顔。
まだ日が登ってるうちは魑魅魍魎も出ないだろう、と言うと

「逢魔が刻じゃないの。何も出ないなんておかしいわ」

そんなの知るかよ。

「あ、あそこに何かあるわ」

ハルヒが指差すほうに、小さな古びた祭壇?のようなものがある開けた場所があり、土偶のような人形の首が祀ってあった。

「あれ、何かしら?」

ハルヒは一気に駆け寄って、その土偶を手にとっている。

「おいやめとけ」
「良いじゃない。減るもんじゃなし」

お構いなしに、ハルヒは土偶をためつすがめつしている。

「ふ〜ん、変な顔ね。宇宙人みたいな顔」

長門と朝倉が聞いたらどんな顔をするだろうか。

「おい、その辺にして戻ろうぜ。どうせ夜にまた来るんだろ」

しかしハルヒは人の話なんか聞いちゃいないようで、

「決めたわ。これをお土産に持ってかえって部室に置いとくの」

などと言い出した。
何考えてるんだお前は。良いから戻せ。

「村の人も別に構わないわよ。こんな汚い土偶の一つや二つ」

駄目だ、聞く耳を持たない。今のハルヒの意志はタングステンより硬いだろう。
仕方がない。俺が夜にでもこっそりと戻しておくとするか。

「たっだいま〜!」

ハルヒは玄関の扉を開け、元気よく叫んだ。
そりゃそうだ。結局俺がこの意外に重たい土偶を持つはめになったんだから。
自分で持って帰ると言っておいて、なぜ俺が持たにゃならんのだ。

「おかえりハルにゃんっ!」

ハルヒに負けないテンションで出迎えてくれた鶴屋さんは、俺の持つ土偶を見て目をまん丸くした。

「あっ!!あぁぁあぁ!!それはっ!」

しまった。やっぱり持ち出しちゃいけないものでしたか。

「だめだよっ!それはご神体だよっ!きっつい罰が当たるよっ!」

鶴屋さんはすごい剣幕だ。よっぽどいけないことをしたらしい。

「ご、ごめんなさい…。ほら、キョンも謝りなさい」

何でだよ、とはこのしゅんとしたいじらしいハルヒには言えなかった。

「すみません鶴屋さん…。もの珍しくてつい持って来ちゃいました…。」

後で戻しに行きますから、と付け加えると、

「反省してくれればいいよっ。後で私が村の人に謝って戻しておくからさっ。怒鳴ったりしてごめんね?二人とも」

ご神体はそこに置いといてと言い残して、鶴屋さんは奥に引っ込んでいった。
鶴屋さんがあんなに怒るなんて、これはよっぽど大事なものだったらしい。
俺は玄関先に丁重に土偶の頭を置いて中に上がると、思いがけずハルヒに呼び止められた。
やれやれ、また文句でも言われるのか、と思って振り向くと、ハルヒがもじもじと俺の靴を見ながら言った。

「ごめんね、キョン…」

おぉう!?ハルヒの口からこんな言葉が飛び出すとは。
目をぱちくりとさせて唖然としていると

「なによ、私だって謝ることくらいあるわよ」

一瞬で元に戻った。

「もうちょっと素直さが続かないもんかね、お前は」
「うるさいわね、人が下手に出たらつけあがって!」
「悪かった悪かった。さ、夕食が出来てるみたいだぞ」

まだ後ろでもごもご言っているハルヒを連れて、良い匂いのする広間へと向かった。

キョン 前日 22時38分23秒

夕食が終わり、片付けも一段落したところで、お待ちかねの肝試しをすることになった。
ハルヒに言わせれば、肝試しではなく不思議探索・夜の部らしいが、大して変わらんだろうと言うと怒られてしまった。
肝試しなんて言い方は幽霊に対して失礼なんだと。

「あんただって理不尽に怖がられたら腹がたつでしょうが」

まぁ一理あるな。
皆で懐中電灯を持って、羽生蛇村へと向かう。
行きがけに見たら、玄関先に置いたご神体はなくなっていた。
鶴屋さんが戻しておいてくれたのだろうか。仕事が早いな。

羽生蛇村につくと、早速ハルヒは全員を集めて言う。

「さぁ、みんなでペアを決めるくじ引きをするわよ!」

やっぱり肝試しじゃないか、と思ったが、朝比奈さんとの輝ける未来のために、俺は何も言わない。
谷口は膝をついてぶつぶつと呟きながら、必死に神様にお祈りしている。
俺も心の中で祈りを捧げ指で素早く十字をきってから、運命のくじを引いた。

くじ引きで決まったペアは以下の通りだった。
谷口と国木田、朝倉と妹、鶴屋さんと古泉、長門と朝比奈さん、
そして、俺とハルヒ。
なんでアンタとなのよ、と腕組みをして目を伏せて言うハルヒ。
そりゃこっちのセリフだ、と言うと尻を思い切り蹴り上げられた。
谷口は、この世には神も仏も居ないのか!と叫んだきり、口から魂を垂れ流して放心状態だ。
危うく幽霊の仲間入りだ。
気持ちはわからんでもないがな谷口。
普通の肝試しなら、一組ずつ出発するところだが

「肝試しじゃないんだからみんないっせいに探索するわよ!0時にここ集合!以上!」

だそうだ。
道に迷ったらその時はその時らしい。
実にハルヒらしい発想だが、別段誰も異を唱えようともしなかった。無駄だからだ。
そして俺たちは各々、思い思いの場所に散っていった。

キョン 上粗戸 眞魚岩 23時36分03秒

ハルヒと二人でぶらぶらと夜の羽生蛇村を探索する。
田舎の夜は街灯もなく、頼りは手元の懐中電灯だけだった。
聞こえてくるのは虫の鳴き声だけで、こんな夜は都会では決して味わえないだろう。
味わいたくも無いのはご愛嬌。
もちろん舗装なんてされていない道はぼこぼこで、俺達の歩くすぐ横は斜面になっている。

「足元気をつけろよ」

ハルヒのほうを見ると、ハルヒは夜空を見上げて歩いていた。
つられて俺も見上げると、プラネタリウムのような満天の星空が広がっていた。

「星が綺麗ね」

まったくその通りだった。

「ああ、そうだな」

俺は柄にもなく、星々の瞬きにしばし目を奪われた。

「向こうから地球は見えているのかしら?」

星を見るのに夢中なハルヒの手を、俺は無意識にそっと繋いでいた。

「ひゃっ!」

途端にハルヒはらしくない声をあげる。

「足元危ないぞ」

俺は気遣うようなことを言って、その場をごまかすことにした。

「それとも、手繋ぐの嫌か?」
「嫌じゃないわ」

暗くてハルヒの顔はよく見えなかった。
そうしてしばらく歩いていると、急に背後の暗闇の中から、聞き覚えのない男の声がした。

「待ちなさい」

びっくりして懐中電灯を向けてみると、そこには制服に身を包んだ警官が立っていた。
硬直する俺とハルヒ。

「お前たち…、どこの人間だ…」

おぼつかない足取りで近寄ってくるその警官は、まるで酒に酔っているみたいかのようだった。

「いや、俺たちはですね、旅行に来ててちょっと肝試しを…」

慌てて説明する俺を無視して、警官は肩についた無線機に向かって何事かを話している。

「ちょっとキョン、どうしよう…」

ハルヒは側に寄り添って不安そうな様子だった。
大丈夫だ、とハルヒを勇気づけながら、俺は警官が無線機に話す内容を聞いていた。
ぼそぼそとしたその声は、ほとんど聞き取ることができなかったが、最後の言葉だけは、はっきりと聞き取れた。

「…了解、射殺します」

そして警官はいきなり銃口を向け、俺達に発砲した。

バキッ
銃弾は俺の側にあった樹木の表面に食い込み停止した。
依然、警官はこちらに銃を向けている。
俺は一瞬何が起きたかわからず呆然としていたが、空気をつんざくハルヒの悲鳴でふと我に帰った。
警官が次弾を撃とうとしている。
俺はとっさにハルヒをかばって、足を踏み外した。
足を斜面にとられ、俺とハルヒが下へと滑り落ちる瞬間、俺の背中のすぐ近くを銃弾が通り過ぎた。

「きゃあああ!」

バキバキと小枝を折りながら、3mほど下の地面に俺たちは倒れこむ。

「ハルヒ!怪我は無いか!」
「もう、なんなの!私達が何をしたって言うのよ!」
「とりあえず今は逃げるぞ!走れるか?」

すかさず立ち上がり、ハルヒの手を引いて近くのプレハブ小屋を目指し走る。
後ろからは斜面を滑り降りる音が聞こえきた。
くそっ、追ってきた!
急いで小屋の中に逃げ込み鍵をしめると、俺とハルヒは机の下で息を潜めた。

「ライトを消せ」

小刻みに震えているハルヒに、俺は小声で伝えた。
ハルヒは慌ててライトを消し、泣きそうな声で言う。

「なんなのよ、いきなり撃つなんて普通じゃないわ。異常よ」
「ああ、そうだな。あいつはかなり頭がヤバそうだ…」
「もしかして、私がご神体を盗んだからかしら?」
「そんなことでいきなり発砲なんて、気が違っているとしか思えん。お前のせいじゃないから安心しろ」

そう言ってハルヒを落ち着かせていると、外で警官の声がする。

「無駄な…抵抗は…やめなさぁい」

警官は俺たちを探しているようだ。
恐る恐る窓から様子を窺うと、警官は俺たちが滑り落ちてきた辺りでキョロキョロしていた。
このままここに隠れていても、見つかるのは時間の問題だ。
何か手段は無いか、と思考を巡らせていると、机の上にあった車の鍵が目についた。

なるべく小声で、そっとハルヒに近寄り話しかける。

「ハルヒ、よく聞いてくれ。今俺は車の鍵を拾った。たぶん表にある軽トラの鍵らしい。乗って逃げるぞ」
「それって外に出るってこと?嫌よ!ここであいつがどっか行くのを待ちましょうよ!!」
「いいか、ハルヒ。ここにいても見つかるのは時間の問題だ。逃げるなら早いほうがいい」
「…わかったわよ、行けばいいんでしょ…!」
「いいか、外に出たら一気に走るんだ。そして軽トラのところまで行け。できるな?」

ハルヒはこくん、と頷く。
ハルヒを立ち上がらせて扉の鍵を開けると、俺たちは一気に軽トラへと走った。
車の鍵を差し込み、回してロックを外す。

「そこかぁ〜。待ちなさぁい!」

警官がライトをこちらに向け、ぎこちなく走って向かってくる。

「キョン!見つかったわ!」
「早く乗り込め!」

ドアを閉め、鍵を差して回し、エンジンをかける。
警官はガラス越しにこちらに拳銃を向けていた。

「ハルヒ伏せろ!」

銃声がして、フロントガラスにひびが入る。
ハルヒの悲鳴。
俺は一気にアクセルペダルを踏み込んだ。

キョン 前日 上粗戸 眞魚川護岸工事現場 23時56分01秒

どん、と鈍い嫌な音と、タイヤが柔らかい物を踏み潰す感触がした。
思わず俺は車を止める。

「キョン…、もしかして…轢いちゃった?」

ハルヒはすっかり憔悴しきっている。

「…ああ、そうらしい」

サイドミラーには動かなくなった警官が写っていた。

「どうしよう?警察?それとも救急車?」
「わからん…。とりあえずハルヒは古泉か鶴屋さんに電話してくれ。俺は様子を見てくる」

気をつけてね、と心配するハルヒを残して、俺は警官に近寄って脈を計った。
…どうやら死んでいるらしい。
どうしたもんか。正当防衛には違いないが…。

その時、地震と共にどこからともなくサイレンが鳴り響き、頭に激痛が走った。

ウウゥゥゥゥゥゥ…

思わず俺は頭を抱える。
すると、痛みで歪む視界の中にゆっくりと警官が立ち上がった。
馬鹿な、そんな筈は…!確かに死んでいたのに。
パン!と乾いた銃声。
ハルヒの声。
胸を撃ち抜かれたショックで崖の下に落ちながら、俺の意識は途絶えた。

キョン 初日 大字粗戸 眞魚川岸部 02時28分13秒

「キョンくんっ!キョンくんっ!起きるんだっ!」

聞き覚えのある声と、顔に雨粒が当たる感触で目をさますと、目の前には鶴屋さんがいた。

「大丈夫かいっ?なんともないかいっ?」
「鶴屋さん、ここは…?」
「私にもよくわからないよ…。キョンくんはどうしてこんなとこに倒れてるの?」
「俺は…さっき、警官に撃たれて…」

言いながらさっき撃たれた胸の当たりを触れるが、痛みがない。

「あれ?」

見てみると、傷は塞がって、跡形も無くなっていた。

「ところでハルにゃんは?ハルにゃんは一緒じゃないの?」
「そうだ、ハルヒは!?」

立ち上がって周りを見渡すと、俺は真っ赤な川の中に立っていた。

「うわ!これは…血!?」

驚いて叫ぶと、鶴屋さんは言った。

「あのサイレンの音が鳴ってから、急に水が赤くなったんだよ…」

良く見ると、体に当たる雨の色までが、真っ赤に染まっていた。

「赤い…水?」

「とりあえずここは危ない感じがするからさっ。安全なところまで逃げるよっ、キョンくんっ」
「危ないって、何がですか?」

俺がそう尋ねると、鶴屋さんからは驚くべき返事が返ってきた。

「村の人がおかしくなって、人を襲ってるんだ…」

ふと、さっきの警官を思い出す。

「実は俺もさっき警官に襲われて…」

鶴屋さんに今まで起こったことを簡単に話すと、

「それじゃ、一刻も早くハルにゃんを探しに行かないとっ」

と鶴屋さんは顔面蒼白になった。
そうだ、ハルヒの身が危ない。急がないと。
ふらふらと2、3歩歩いたところで、立ちくらみに似た感覚が俺を襲った。
そして見覚えの無い光景が頭の中にフラッシュバックする。

古いタバコ屋。

電話機の横には鍵。

自分の手には刃物が握られている。

なんだこれは?この自分が自分じゃないような感覚は…。

「どうしたんだいキョンくん?」
「いえ、何か変な物がみえて…」

そう言うと、鶴屋さんは目をまん丸くして、口を開いた。

「まさか、君も幻視が使えるの?」
「幻視…?」

思わず俺は聞き返した。

「幻視って言うのは、近くにいる人の視覚と聴覚を感じることができる能力なんだ」

鶴屋さんの説明によると、ここ羽生蛇村の近辺では、稀にそういう力を持った人が生まれるらしい。
じゃあ鶴屋さんもそうなんですか?と聞くと

「私はあのサイレンが鳴ってから使えるようになったんだよ」

とのことだった。
どうやら自分もその口らしい。

「とりあえず、今は安全なところまで逃げるよっ!ハルにゃんはそれから探そう」

俺と鶴屋さんは南へと進み、階段の真ん中で立ち止まった。

「今なら大丈夫みたいにょろ。行くよっ!」

そう言って鶴屋さんは通りの反対側の路地へと駆け出していった。
俺も後を追おうと立ち上がると、左手に見覚えのある薄汚れたタバコ屋が見えた。
そういえばさっき電話機の横に…
早くしろ、とジェスチャーをする鶴屋さんを待たせて、俺はタバコ屋のほうに走る。
やはり、鍵があった。
それを拾って振り返ると、目の前に包丁を持った人間が立っていた。

そいつは、見た目は中肉中背の、いかにも田舎の主婦という出で立ちだった。
しかし、明らかに普通と違ったのは、その顔面…目から血を流し、青みがかったその肌の色は、明らかに人とは思えない。

そして、その顔が醜く歪み、まるで玩具を見つけた子供のような笑みを作った。
そいつは、うふふ、と濁った笑い声を喉から出しながら、包丁を振り上げこちらに向かって走りだした。
やばい、どうしていいかわからない。

怖い。刺される。死にたくない。
その時、鶴屋さんがそいつに強烈なドロップキックくらわせた。
包丁が電話機の横に刺さる。

「早くっ!死にたくなかったら走るんだっ!」

鶴屋さんに手を引かれて、俺達は通りを道なりに走った。
その後ろを目から血を流した村人が二人、三人と追ってくる。
一人じゃなかったのか!

「あの上を登るよっ!」

バス停の屋根の上に鶴屋さんは素早くよじ登り、俺もそれに続いた。
そこから高台の地面に登り、林の中に隠れて、息を殺す。

「どうやらまいたみたいだね…。何をグズグズしてたんだいっ!殺されるとこだったよっ!」
「すいません…」
「まー、助かったからいーよっ。いこっ!」

そして俺と鶴屋さんは林の向こうへと進んだ。

朝比奈みくる 初日 大字波羅宿 耶辺集 落 02時18分34秒

「長門さぁん、一体何が起こってるんですかぁ?どうなっちゃってるんですかぁ?わけわかんなすぎですぅ…」
「少し黙って欲しい」
「ひっ…」

大きな時空震を伴う地震と、鳴り響くサイレンの音の後、気づいたら私は長門さんと、この場所にいた。
この意味不明な状況で長門さんと一緒に行動できるのは、はっきり言って幸運だろう。
彼女のことは苦手なんだけど。
説明されたところによると、この場所は時間的にも空間的にも元の世界と途絶した場所らしい。

「じゃあどうやって帰るんですかぁ?」
「不明。思念体にもアクセスできない。そしてこの世界は私に高負荷をかけている」
「ふぇぇ、そんなぁ!」

思念体にアクセス出来ないと言うことは、手の打ちようが無いってことじゃないですか。

「私はあなたと私の安全を確保する。黙ってついて来て欲しい」

わかりました、と頷いて、私は長門さんの指示に従った。
その瞬間、頭痛と目眩がして、頭に妙な光景がよぎる。
猟銃を持った自分が、私たちを狙っていた。

「危ない!」

悪い予感がして、長門さんを突き飛ばす。
直後、長門さんのいた場所に銃弾がめり込んだ。
それを見て、へなへなと全身の力が抜けた。
失神一歩手前の私を、ぐいと物陰に引っ張りこんで彼女は尋ねた。

「これは何?」

彼女はいつもの無表情のままで、頭に手をやって考え込むようなポーズをしている。
おそらく彼女にも同じような症状が現れているのだろう。

「えっと…、たぶん誰かの見てるものが、私たちの頭の中にテレパシーみたいに伝わってきてるんじゃないかなって…、なんとなく思うんですけど…」

自分でもなんて言っていいかわからない。
もともと私口下手だし…
しかし彼女は、理解した、と短く告げると、どんどん川沿いに進んでいった。
遅れて後ろをついていく。
やっぱり苦手だ、この人…。
でも銃撃なんて一体誰が…?
意味がわからなすぎて頭がぐるぐるする。
急に前を歩いてた長門さんが立ち止まった。

「下がって」
「え、一体どうしたんで…」

言いかけて、闇の中に、一人の農夫が佇んでいるのに気づいた。

「来る」

彼女がそう呟くのと、農夫が雄叫びを上げるのはほぼ同時だった。
目から血を流した農夫のその顔は、すでに人のものとは思えなかった。

「ひゃあああ!!」

私は自分でも情けないような大声を上げて後ずさる。
そして、腰を抜かして尻餅をつく間に、長門さんが素早くその農夫に飛びかかり、一撃で首の骨を折った。

「長門さん…?」

何が起こったかわからず、呆然とする私に彼女は短く告げる。

「終わった」
「まさか…、殺しちゃったんですかぁ…?」
「この人物は手に刃物を持っていた。敵性と判断。これを排除した」
「だからって殺すことは…」
「安全を確保するため。仕方がない」

そう言って彼女は首がねじ曲がった農夫から草刈り鎌を奪うと

「武器」

と言ってこちらにそれをよこした。
そして、ずんずんと進む長門さんに、私は必死でついていった。
歩く途中で、すでに廃屋となった民家に彼女は興味を示したようで、彼女はずんずんと障子の外れた縁側から中に上がり込んでいった。
本棚をなにやらごそごそと探る彼女を、私はついていく気がせず、廃屋の外で待つことにした。
私は、あんな不気味な廃屋に上がるのは嫌だ。
すると、今し方来た方の草むらから、ガサガサと音がした。

「長門さん…」

不安になって彼女に呼びかける。
返事はない。本に夢中なのだろうか。

「長門さん…!」
「なに」

ぶっきらぼうな返事。

「今、何かが…」

言うが早いか、目の前に人影が現れる。
ひっ、と短い悲鳴を上げて、ライトを向けると、さっきの農夫が薄ら笑いを浮かべて、そこに立っていた。

「ぐふっ…、ぶふふふ…」
「いやぁ!!」

夢中で手に持った鎌を振り回すが、相手が怯む様子は無く、笑みを崩さず構わず突っ込んできた。
青白い手が、私の腕と首を掴んで、強烈な握力で私を締め上げる。
声を出すこともできずにいると、しゅっ、と横を何かが動いた。

長門さんだ。
彼女は農夫に目にも止まらぬ跳び蹴りをかますと、農夫は手を放して体勢を崩した。
私はその場に倒れ込む。
その機を逃さず、彼女は農夫の頭をつかみ、近くにあった古井戸の中に農夫を投げ落とした。

「大丈夫?」

そう問いかける彼女の顔を見て、私はつくづく思った。
長門さんと一緒で良かった…。
そして私が長門さんの手を借りて立ち上がろうとしたとき、遠くの学校のスピーカーから放送が聞こえてきた。

「りょ…こちゃ…早…来て…」

途切れ途切れのその放送は、キョン君の妹の声だった。

朝倉涼子 羽生蛇村小学校折部分校 図書室 初日 02時18分34秒

「怖いよ、涼子ちゃん」
「大丈夫、お姉ちゃんが守ってあげるから」

怯える少女を抱きしめて宥めながら、私は考えた。
なぜ思念体とアクセスできないのか?
急に起こった時空間転移は涼宮さんの仕業なのだろうか。
わからない。判断材料が少なすぎる。
ともかく、今は化け物だらけのこの学校を脱出するのが先決だろう。
建物内に逃げ込んだのは、失敗だったと言わざるを得ない。
そしてなにより問題なのは、情報操作の許可を受けられない今の状態では、私はほとんどの能力を使えない。
せいぜい身体能力が少し優れている程度だ。
私一人ならともかく、この子が一緒なのは厳しい。
早くみんなと、特に長門さんと合流しなければ。

「いい?お姉ちゃんは今から外に出る方法を探ってくる。だからここでじっとしていて?」
「うん…」
「すぐに戻ってくるからね」

そう言い残し、私は図書室を後にした。
そして階段を目指しながら、ふと疑問に気づく。
何故私は、あんな足手まといを連れて行動しているのだろうか、と。

一階に降りると、気味の悪い化け物が2体、廊下に立っていた。
奥の一体は窓を板で打ちつけて塞ぐのに夢中で、手前の一体は包丁を持ってうろうろしていた。
私は素早く手前の奴に近づき、武器を奪って、足払いをかけ床にたたきつけた後、そいつの喉に包丁を突き立てる。

化け物は少し痙攣したあと、すぐに動かなくなった。
返り血を浴びないよう注意して包丁を引き抜いたが、意外なほどに出血は無かった。
騒ぎを聞きつけた奥の一体が金槌を片手に走り寄って来たが、問題なく首を一閃する。
化け物は折り重なるようにして、膝から崩れ落ちた。

「あら、案外大したことないのね?」

沈黙した化け物にそう呟きつつ、手を怪我しないように、包丁を持つ手にスカートの生地を少し破って巻きつけた。
この程度なら、全ての化け物を排除した上で、じっくり長門さんとこの時空間からの脱出方法を検討するのも悪くない。
一階を見て回るが、いつの間にか、窓や玄関には中と外から板が打ちつけられ、そこから外にでるのは無理そうだ。
脱出の手がかりを探して、私は職員室に入った。

職員室の掲示板に貼ってあった校内の地図を確認すると、通用口と体育館裏口の2つの出入り口が残っているようだ。
良かった。なんとか外に出れそうだ。
ふと、その下に画鋲で貼り付けてあった写真が目につく。
そこには、無邪気に笑う子供たちと、人の良さそうな笑みをたたえた恰幅のいい初老の男が写っていた。
どうやら校長先生と児童たちらしい。

ずいぶんと皆に愛されてるのね、と写真の校長先生に向かって思いながら、私は鍵入れを漁った。
しかしそこには、体育館の鍵しか残されていなかった。
誰かが持っているのだろうか?
仕方なく私は体育館へと向かうことにした。
扉の鍵を開け、ひっそりと暗い体育館に足を踏み入れる。
無造作に転がるバスケットボールが、雑然とした印象を与えた。
梯子で2階に上がり、裏口の内鍵を開ける。
良かった、ここから外に出れそうだ。
図書室に戻ろうと踵を返したその時、スピーカーから放送が聞こえてきた。

「涼子ちゃん早く来て!涼子ちゃん助けて!」

反射的に私は素早く一階に飛び降り、放送機器のある職員室へと走った。
なぜこんなに必死なのか、疑問に思う暇も無かった。
開け放しになった扉をくぐり抜けると、職員室の部屋の隅で泣きじゃくって怯える彼女と、化け物が一体、彼女を襲っていた。

その化け物の顔には見覚えがある。
…さっき見たあの写真。この学校の校長だ。
写真のそいつ本人が、変わり果てた姿でそこに立っていた。

「お嬢ちゃんの匂いがするよォォ!!!」

反吐の出そうな最低の言葉を叫びながら、金属バットを持って彼女に襲いかかっている。
私はそいつの横っ腹に、思い切り包丁を突き立てた。

「あんたそれでも教育者なの!?度し難いわ!」

校長の体を蹴り飛ばして、包丁を引き抜く。
そして彼女に急いで駆け寄り、慰めの言葉をかけた。

「もう大丈夫よ…」
「涼子ちゃん…」

泣きじゃくる彼女を抱きしめ、手をひいて職員室を出ると、さっき殺したはずの化け物が2体、立ち上がってこちらに向かって来ていた。
あいつらは不死身だっていうの?
そんな馬鹿な。

「逃げるわよ!走って!」

追いかける化け物を振り切って、私たちは体育館裏口から這々の体で逃げ出した。

古泉一樹 蛇ノ首谷 折臥ノ森 初日 03時31分17秒

「ここは…?」

そうだ、思い出した。
僕は鶴屋さんとはぐれて探し回っている内に、この森に迷い込んで、そして…

「あのサイレンで気を失ったのか…」

僕は目の前にあった懐中電灯を手にとり、一体何が起こったのか思案してみた。
まだまったく状況はわからないが、間違いなく涼宮さん絡みだろう。
やれやれ、困ったものです。
携帯も繋がらないし、どうしたものか…。
なんとなく、抜き差しならない状況なのは勘でわかる。

ひとまず、長門さんか朝倉さんと合流するのが良さそうだと思い、山を下ることにした。
すぐに舗装された道路に出、左手に斜面に突っ込んだ事故車が見えた。
中を見ると、運転手は頭から血を流して絶命していた。

「御愁傷様です」

手を合わせて、勝手に運転席のドアを開けてトランクを開けた。
厚かましいとは思いますが、こっちも非常時でしてね。
何か使える道具が入っているかもしれないですし。
ゴソゴソとトランクの中を漁っていると、誰かの足音が聞こえた気がした。

身を強ばらせて、恐る恐る顔をあげると、そこには血まみれになった運転手が立っていた。
息を吹き返したのだろうか?マズいことになった。

「すいません。たまたまトランクが開いていたものでして、つい…」

両の手のひらを相手に向けて、つとめてにこやかに話しかけるが、相手はぼうっと突っ立って答えない。

「大丈夫ですか?顔色が優れないようですが…。安静にしていたほうが…」
「ぐふっ、うふふふ…」

返事の変わりに返って来たのは、くぐもった笑い声だった。
なにかおかしい。頭を打ったショックだろうか?

「失礼ですが、正気を失っておられるようだ。今すぐお医者様を…」
「あぁぁああははははぁ!!」

気の狂ったような笑い声をあげた運転手に、僕は戦慄を覚えた。
と同時にそいつが突然襲いかかってくる。
いきなり首を絞められ態勢を崩し、馬乗りにされた。
その時、鼻先まで近づいたその運転手の目から、滂沱の血の涙が流れた。
その人ならざる様を見て恐怖を感じた僕は、慌てて奴の顔面を力いっぱい殴りつけ、なんとか立ち上がった。
そしてトランクにあった工具箱からラチェットスパナを取り出すと、そいつの頭蓋を一思いに砕いた。

…足元には、動かなくなったソレが横たわっていた。
しまった、やってしまった。
襲ってきたのは向こうからとは言え、人を一人惨殺してしまったというのは…マズい。
どう見ても人間というより化け物にしか見えないが、そういう一種の病気の可能性もある。
ならば、罪に問われる可能性も無いとは言えないかもしれない。
楽しい夏休み旅行の筈が、シャバでの最後の思い出だったというのは、笑えない冗談だ。

とりあえず今は車の中に死体を隠しておいて、後で長門有希に頼むなり涼宮ハルヒをうまく使うなりして事件自体を無かったことにしてしまおう。
最悪、機関の手でもみ消すという手もあるし。
そうと決まれば長居は無用だ。とっとと死体を隠して皆と合流しよう。
そう決めて、トランクの中から使えそうなものを手早くピックアップしていると、あり得ないことに死体がまた動き出した。
見ればなんと、砕いた頭が再生しつつあるではないか。
しかしそれを見て、自分の中に沸き起こったのは、恐怖ではなく安堵の感情だった。

「安心しました。あなたはゾンビ的な何かと言うことですね?」

そしてもう一度、スパナをそれに力の限り叩きつけてから、僕は道路沿いに歩くことに決めた。
良かった。殺人犯にならなくて済んで。

キョン 刈割 不入谷教会 初日 05時43分29秒

鶴屋さんと一緒に村の教会に逃げ込んでから、およそ一時間が経った。
化け物どもに追われたり、道に迷ったりで、ここまで来るのに時間がかかってしまったのだ。
何でも鶴屋さんが言うには、今いるこの世界は、俺たちがいた時代の羽生蛇村と過去の羽生蛇村がごっちゃになって、無茶苦茶に繋がっているらしい。
だから、絡まったイヤホンのように道がややこしいんだと。

しかし、この村の教会は、今まで見たことがない、妙ちくりんな教会だった。
眞魚教(まなきょう)と言うこの村独自の宗教だそうだ。
ぱっと見た感じはキリスト教っぽくありながら、テイストは和風で…、例えるなら本格和風スパゲティというような感じだ。
和風か洋風かがさっぱりわからん。

とにかく、しばらくここで誰かが来るのを待とうというのが、鶴屋さんの意見だった。
動こうにも手がかりが無いし、道に迷うほうが危険だと判断してのことだ。
まぁその意見には概ね賛成なのだが、俺はハルヒが心配で仕方がない。
この状況で一人なんだ、どれほどか辛いに違いない。
古泉も一人らしいが、あいつなら一人でなんとでもなるだろう。

そういうわけで、俺はこの教会の長椅子に座って、イライラと落ち着かないでいるのだった。

「ねぇキョンくんっ。落ち着きなよっ!ハルにゃんならきっと大丈夫さっ!」
「しかし…」
「こういう状況には彼女、かなり強いと思うよっ?」

こんな状況でも鶴屋さんは気丈に振る舞っている。

「でも…」

それでも俺は不安だった。
そんな俺を見て、鶴屋さんが突然声を荒げた。

「でももへちまもないっさ!君がそんな様子だと、私まで不安になるよっ!!」

鶴屋さんは目にうっすらと涙を溜めていた。
ああ、そうか。この人も無理をしているのか。

「そうですね…。すいません。今はあいつを信じて待ちましょう。それが最善です」
「わかればいいんだよっ」

鶴屋さんは目を伏せてしまった。

すると突然、外から悲鳴が聞こえてきた。
その声は間違いなくハルヒだった。

「キョンくん、この声は!!」
「危ないから鶴屋さんはここにいてください!すぐに戻ります!」

そう言って俺は、鶴屋さんを残して教会の外へと走った。
ハルヒの姿を探して。

キョン 刈割 切通 初日 06時08分24秒

真っ赤な水をたたえた棚田の向こうに、ハルヒの姿を見つけた。
化け物二体に襲われて追い詰められ、まさに万事休すという場面だった。

「来ないでよ!この化け物!」

必死で叫ぶハルヒに襲いかかろうとしたそいつの背後から、俺は拾った火掻き棒で思い切り殴りつけた。

「キョン!?」

ハルヒが驚いた顔でこちらを見る。
俺はそれに答えず、間髪いれずにもう一体にも打撃を加えた。
衝撃にたまらず倒れた化け物どもにハルヒは容赦なく蹴りをいれ、俺とハルヒでそいつらを壮絶に袋叩きにした。

「ハァ、ハァ…キョン?キョンなのよね?幽霊とかじゃないよね?」
「見ろ、足があるだろ?それとも幽霊の団員が欲しかったか?」
「馬鹿…、心配したのよ!死んだと思ったんだから…」

じわ、とハルヒの目に涙が滲む。
不謹慎な話だが、ハルヒが涙を浮かべてくれたのが少し、嬉しかった。

「俺もハルヒが無事で良かったよ。さぁ、この先に教会があるから一緒に行くぞ。だから涙を拭け」
「泣いてない。さっさと歩け馬鹿」

ハルヒはさっと袖で顔を隠した。

「あんたとはぐれてから大変だったのよ。化け物に襲われて逃げ回ってたんだから」
「追いかけ回したの間違いじゃないのか?」
「バカ!」

俺たちはいつものような雑談を交わしながら、棚田を歩いた。
そうしてないと、頭がおかしくなりそうだったからだ。
それほどこの状況は馬鹿げている。

「でも、キョンって確かに撃たれたわよね?なんともないの?怪我は?」
「うん?ああ、なぜか傷口が無いんだ。撃たれた筈なんだがな」
「それって…」
「どうした?」
「ううん、何でもないわ」

頭を振り、目を伏せるハルヒ。

「なんだ?いいから言えよ」

問い詰めると、ハルヒはいつになく、難しい表情をして考えてから、ようやく口を開いた。

「私たち、もしかしたらもう死んじゃってるんじゃないかって…」
「ここが地獄だっていうのか?」
「キョンが撃たれた後、私もあいつに撃たれて死んじゃったのかも…。そしてこの場所は地獄なのかもしれない…」
「そんな馬鹿なことがあってたまるか。そんな余計なこと考えてる暇があったら、新学期の団活のことでも考えてろ」
俺はそう言って少し笑って見せたが、ハルヒは笑わなかった。

教会に行く道へと続く階段の下までさしかかると、上から男の叫び声が聞こえた。
「助けてくれ!待ってくれ!」

茂みに隠れて声のする方を覗き込むと、村人が化け物相手に必死で命乞いをしているところだった。

「あの人ヤバいわよ!助けないと!」

焦るハルヒに俺は言う。

「待て!あいつが持ってるのは猟銃だぞ!勝ち目がない!」

でも、と困惑するハルヒ。
そして、大きな銃声が鳴り、男は赤黒い液体を撒き散らして、沈黙した。
ハルヒはひっ、と悲鳴が出そうになるのを、口に手を当てて抑えている。
猟銃を持った化け物は、こちらに向き直り、歩を進めて来た。

「こっちに来るぞ!隠れろ!」

俺はハルヒの手をひいて、立木をかき分け水門のそばに身を隠した。
そして、化け物が通り過ぎたのを確認して、教会の門へ続く階段を上った時、さっき撃たれたはずの男が立ち上がるのを見た。
そうか、死んだ人間は化け物に変わってしまうのか…。

「なにアレ…」
「教会には戻れないな。仕方ない、こっちに行くぞ」

絶句するハルヒの手を引っ張って、俺は停めてある給油車の脇を通って西へと向かった。

谷口 合石岳 蛇頭峠 初日 08時19分59秒

「おんなじとこをぐるぐるぐるぐる、これは涼宮たちのいたずらかなんかか!?」
「違うと思うよ?」

と冷静に答える国木田。その落ち着いてる態度がムカつくぜ。

「なぁ、ここ一体どこなんだろうな?何時間も歩き回ってどこにも辿り着かないなんて異常事態だぜ」
「そうだね。僕もいい加減うんざりしてきたよ」

俺は道端に座って、汗だくになった体を休ませていた。
横にいるのが朝倉なり朝比奈さんだったら良かったのにと思うと、余計に全身から行動しようという気が失せる。
涼宮と一緒よりはマシだが。

「俺はもう歩く気が失せた」
「そんな事いわないでよ」
「お前がどう言おうと俺はしばらく動きたくない」
「仕方がないなあ」

国木田は呆れてため息をついている。
「おいてくよ?いいの?」
国木田がこっちを振り返り振り返りしつつ、ゆっくりと歩いている。
どうせ演技なんだろ?わかってるよ。
「いいの?本気だよ?」
国木田はまだこっちの顔色を伺いながら後ずさりしている。
いいって国木田。そういうのは。
お前がそんな奴じゃないのは親友である俺がよく知ってるんだ。
そんなやり取りをしているうちに、いつの間にか国木田の姿が見えなくなった。

まあ国木田のことだ。どこかに隠れて俺が慌てるのを待ってやがるんだろう。
その手には乗らねえぞ。
きっとしばらく待っていたら、我慢できずにひょっこり引き返してくるさ。

………

……………

しかし国木田はいくら待っても帰って来なかった。

畜生、あいつ俺を置いていきやがった。

国木田 合石岳 蛇頭峠 初日 08時36分48秒

「いてててて…」

痛いお尻をさすりながら、僕は立ち上がって辺りを見回した。
脇には崩れた階段が一つ。目の前には錆び付いた鉄扉。
谷口を気にしながら歩いていたら、斜面を滑落したらしい。
こんなことじゃ僕ももう谷口をアホだのバカだの言えないな。
さて、落ちてきた斜面は登れそうにないし、どうしたものか。

「谷口!」

叫んでみても、彼には届いていなさそうだった。
仕方ない。幸い怪我もしてないし、どこかから登れるところを探さないと。
僕は目の前にあった鉄扉を開け、階段を下った。
ボロボロになったコンクリートの建物を抜けると、いくつかの坑道と、トロッコの軌道が見えた。
どうやらここは、採掘場か何からしい。

僕はとりあえず、二つの坑道に挟まれた、古びた小屋に入った。
誰か人がいるか、ここらへんの地図でもあればいいんだけど。
ギギィ、と軋むドアを開け、小屋の中へと入る。
駄目だ。変な機械がある以外には何もないし誰もいない。
出ようとした時、入り口のドアの横にスイッチがあるのに気づいた。
なんとなくこういうのって押したくなるよね。
魔が差した僕はそれを押した。
途端に辺り一帯に、大きなサイレンの音が鳴り響いた。

うわっ!

予想外の出来事にびっくりして僕は飛び上がった。
怒られたらどうしよう…
恐々と窓から様子を伺うと、2、3体の人影が見えた。
正直に謝って、道を聞こう。
そう思い僕は小屋の外に出た。

「すいませーん。ついサイレン鳴らしちゃって…」

大きく手を振り、叫ぶやいなや、銃弾が僕の頬をかすめた。
先頭の人が僕をめがけて撃ってきていた。
驚いて腰が抜けた。
先頭の奴は素早くボルトを引いて、また狙いを定める。
たまらず僕は斜抗の中に逃げ込んだ。
暗い中を走って走って、行き着いた先は、行き止まり。
無情にも、鉄格子の扉が行く手を阻んでいたのだ。

「嘘だろ!どうしろって言うんだよ!」

たまらず大声を出す。
瞬間、軽い目眩がして、斜抗を追ってくる誰かの視界が見えた。
万事休すか、と思った矢先、土砂を満載したトロッコが横にあるのに気づいた。
そして、追ってきたさっきの奴が僕の視界に入ったのにも。
ええい、ままよ。
僕はあらん限りの力で、そのトロッコを押した。
トロッコは、引き金に指をかけたそいつを弾き飛ばし、闇の向こうへと消えていった。

僕は、襲ってきたそいつが倒れているのに近づいた。
懐中電灯を当てて見ると、光は醜いそいつの顔を照らした。
目から血を流したそいつは、もはや人とは思え無い。

「なんだ、こいつ…」

化け物だとでも言うのだろうか?

しかし、驚くべきは、こいつと同じく僕を追ってトロッコにひかれた奴らが、ことごとく同じような化け物だったことだ。

「この村は何かおかしい…」

僕は倒れている奴から猟銃といくつかの弾を奪いとった。護身用だ。
そしてしばらく考える。谷口は大丈夫だろうか?
一刻も早く合流したいけど、どうやらここからじゃ谷口のところには戻れなさそうだし…
なら、村の外に出て助けを呼びに行ったほうがいいだろう。
隣村に行けば、おそらくみんな鶴屋さんの別荘に戻ってることだろうし。
そう結論づけて、僕は道を引き返し、さっきのコンクリートの建物の階段を登った。
それから、来た方とは逆に左にあったトンネルへと進んだ。
この先が、どこか村の外に続いているといいんだけど…。

谷口 合石岳 蛇頭峠 初日 08時51分21秒

近くからサイレンの音が聞こえた俺は、音のする方へ向かった。
国木田みたいな薄情なやつを待ってても埒があかんからな。
山道をうろうろする内によくわからんお地蔵さんみたいなやつが立ってる場所に出た。
そのそばに崩れた階段があり、2mくらいの段差ができている。
もしかして国木田はこの先に行って登れなくなったんじゃないだろうな?
馬鹿だなあいつ。

もう山道はうんざりだった俺は迷わず下に飛び降り、開いたままになっている扉をくぐった。
そして階段を降りて建物の外に出ると、何かの線路が見えたので、それに沿って右手に向かった。
まるでスタンドバイミーみたいだ、なんて思いながら。
そんなことを思ったからかなんか知らんが、線路上に横転したトロッコと、その下敷きになった死体を見つけた。

「おいおい、マジかよ…」

近づいて見てみると、死体の顔色は不自然に青く、目からは血が流れた後があった。
顔が青いのはなんかの病気かなんかか?

「気持ち悪…。病気をうつされたらたまらんな」

死体に向かってつぶやきながら、俺は左手にあった鉄扉を開け階段を降りると、左の段差を乗り越えた先の道へと進んだ。

朝比奈みくる 蛭ノ塚 水蛭子神社湧水 初日 11時36分33秒

「なんなんですかここ?頭おかしくなりそう…。喉も乾いたし…」

不気味に赤く染まった泉の端に座り込んで、私は嘆いた。
涼宮さんと一緒にいていろいろなことはあったけど、こんな恐ろしい事件は初めてだ。
長門さんと一緒じゃなかったらここまで来るのに何回も死んでいる。

「この水、なんとかして飲めないかなぁ…」

そう呟いて、泉の水を眺めた。そのままでは飲む気にならない程、毒々しい。
その時、後ろから長門さんの声がした。

「駄目。黄泉戸喫」

よもつへぐい?なんですかそれ?

「その水を摂取すると村人のようになる」

ということは、この水が原因で…

「手を出して」

急に彼女がそう言ったので、私はその通りに腕を差し出した。
すかさず私の手にかぶりつく彼女。

「ひ、ひぇっ」

なぜか痛い。

「空気中の赤い水の摂取を阻害するフィールドを展開した。これであなたが怪物化することはない」

口を離した彼女が淡々と告げる。

「ただし、傷口から入った赤い水は防げない。気をつけて」
「あ、ありがとうございます…」

彼女が噛みついた後は、まだ腕に残っていた。うっすら血が滲んでいる。

おそらく、長門さんは情報操作の許可を受けられないのだろう。
思念体にアクセスできないのだから。
ということは彼女も傷を負うと、危ないということだろうか。
そんな事を思っていると、急に彼女の視線が動いた。
身構えて、その視線の先を見ると、見慣れた顔がそこにあった。

「古泉くん…」

安堵の溜め息が思わず私の口から零れ落ちる。

「探しましたよ、二人とも」

そう言う古泉くんに近づき、無言で噛みつく長門さんは、まるで吸血鬼のようだった。

「おやおや、これは…」

珍しく少し動揺する彼に、長門さんは

「これで大丈夫」

と答えた。

「一体どうなってるんですか?この事態は」
「詳しくはわからない」

彼女は今自分が知り得てる情報を難しい言葉で彼に伝え、彼もある程度納得したようだったが、私には何を言っているかわからなかった。

「なるほど。ではまず涼宮さんを確保したほうがいいですね」
「そう。私は調べたいことがある。朝比奈みくるを頼む」
「わかりました。では別々に行動して涼宮さんを探しましょう。あなたは一人のほうが行動しやすいでしょうし」

古泉くんはこちらを見、私に言った。

「では行きましょう。朝比奈さん」

鶴屋 刈割 不入谷教会 初日 12時00分00秒

忌々しいサイレンの音が鳴る。またあの音が…

キョンくんもハルにゃんも戻ってこない。
心配で、不安で、堪らない。
二人に何かあったのだろうか…。
私は、ハルにゃんの無事を祈った。
おあつらえに、ここは教会なのだから。

今頃、二人はどうしているだろうか?
無事なんだろうか?
私はいてもたってもいられず、外に二人を探しにいくことにした。

キョン 田堀 廃屋中の間 17時03分03秒

俺たちは、廃屋となった一軒家の中で、息を潜めて隠れていた。
床は腐り、家具は散乱し、普段なら絶対に近寄りたくない陰気な家だが、仕方がなかった。
なんで廃墟ってこんなに朽ち果てるのが早いんだろうな。
無事に帰れたら長門か古泉あたりに聞いてみよう。

「ねえ、みんなは無事かしら?」

この場の雰囲気に似つかわしくない少女が、似つかわしくない怯えた表情で俺に問いかける。
俺たちは壁にもたれかかって、二人寄り添っていた。

「たぶん大丈夫じゃないか?朝比奈さんと谷口のアホは心配だが、他は大丈夫だろう」
ハルヒは、
「そう」
と一言だけ答えるとまた押し黙った。

長門を見習え、とは何度かこいつに言った覚えはあるが、いざそういう態度をとると俺が困る。
なんだか落ち着かない。

「ねえ、キョン」
ハルヒが細い声で言った。

「なんだ、ハルヒ?」
「これって私のせいよね?私が合宿に行こうなんて言い出したから…」
「言うなハルヒ」
「それとも私がご神体を持ち出したから罰が当たったのかしら?どっちにしろ私が」
「言うなって言ってるだろ!」
俺はつい強い口調でハルヒに言ってしまった。
ハルヒは泣いていた。

「すまん、ハルヒ。言い過ぎた」
返事はない。

「なんていうか、お前のせいなんかじゃないさ。だって合宿は俺たちみんなで決めたことだしな」
「でも」
「それにこの場所を提案したのは鶴屋さんだ。だからって鶴屋さんのせいだとは思わないだろ?同じことだ」

また沈黙。
ハルヒも今回ばかりは相当まいっているらしい。
そりゃそうだ。ハルヒ自身は不思議な事件に慣れてないんだからな。
さすがの俺もダイレクトに命の危機に瀕するのは慣れていないわけだし。
ハルヒを安心させようと、言葉を探していた俺の口をついて出たのは

「ハルヒ。お前は俺が守るから安心しろ。そんでこの村から逃げよう」
という赤面物の気障なセリフだった。
「うん…」
ハルヒは小さく頷く。
「だから安心しろ。泣くんじゃない。お前には似合わないしな」
「私も…」
「なんだ?」
「私もあんたを守る。私はどうなってもいい。あんただけは死なせないから。絶対に。化け物になんてさせない」

言いながら、ハルヒは強い眼差しで俺の顔をじっと見つめていた。
そして俺はハルヒの肩を抱き寄せ、そっとキスをした。
あの日のあの時のように。
しかし、今度は目が覚めなかった。
微かに、どこからか銃声が聞こえた。

国木田 大字波羅宿 耶辺集落 初日 16時53分37秒

トンネルを抜け、村の中を行くあてもなく歩いていた僕は、集落をとぼとぼ歩いていた。
誰にも会わない。もしかして僕と国木田だけがこの悪夢みたいな村にいるのだろうか。
ここは果たして現実か?夢なら覚めてくれ。
その時、坂の上の方で、女の子の悲鳴が聞こえた。
聞き覚えのある声だ。
僕は急いで斜面を駆け登った。

「近寄らないで!」

叫びながら、刃物を構える朝倉さんと、キョンの妹。
そして二人は、化け物三体に囲まれていた。
僕は狙いを定めて、一体の胸を撃ち抜いた。

「!?」

その場にいる全員が驚いてこちらを見ている。
僕は素早くもう一体に狙いを変えて撃った。
狙いは外れて、腕に当たる。
すかさずもう一発。
化け物は今度こそ崩れ落ちた。
残った一体を、朝倉さんが斬りつけて倒した。
流れるような彼女の動きに、僕は心底びっくりした。
まるでそういうことに慣れているみたいだ。

「ありがとう。助かったわ国木田くん」
「どういたしまして。でもびっくりしたよ。朝倉さんがあんなに強いなんて」
「必死だったのよ」

いつものように明るく笑う彼女の顔が、なんとなく不気味だった。

この異常な状況で普段と変わらない彼女と、年相応に怯えきったキョンの妹を連れて、僕たちは斜面の下へとまっすぐ進んだ。
民家の立ち並ぶ一帯を超え、橋を渡り、道路に沿って向こう側へ。
朝倉さんとこの状況の原因だとか今までの経緯だとか、いろいろと話をしたが、大した情報は無かった。
結局、誰も何もわかっちゃいないのかもしれない。僕たちは巻き込まれただけなんだ。
そうして、しばらく県道沿いに歩くと、信じられない光景が目の前に広がった。

「村の外が消えてる…」

道は途中で崩れ、山に囲まれたはずの村の周囲は、海になっていた。
海の水は、まるで血のように真っ赤に染まってたゆたっている。
村は今や絶海の孤島になっているんだ。
僕らは言葉を失った。
どう足掻いたって、村の外には出れないんだ。
ここで死を待つしかないんだ。
僕はがっくりと膝をついた。
そして、猟銃のグリップを指先で確かめる。

「何する気なの!?」

朝倉さんが叫ぶ。
何って?
どうせ死ぬなら早いほうが良いじゃないか。
君らも後を追うといい。弾ならまだ余裕があるんだから。
銃口を顎の下につけ、僕は引き金を引いた。
安らかな気持ちだ。
キョンの妹の目を手で隠す朝倉さんが、今際の際に見えた。

朝比奈みくる 病院 第二病棟一階廊下 初日 20時43分57秒

「お、お邪魔しまぁす…」
「そんなこと言っても仕方ないですよ」

私と古泉くんは、古びた病院を訪れていた。
何だってこんな気味悪い場所に入らなくちゃならないんだろう…。
でも古泉くんが行きたいと言ったからしょうがない。
私一人になるのは嫌だし…。
そんなことを思いながら、私たちは診察室に入って鍵を閉め、腰を下ろした。

「涼宮さんと彼はどこに行ったんでしょうか。心配です」
「そうですねぇ…。あの…」
「なんですか?」

古泉くんは爽やかに返事をした。いつもどおりに。
私は今からしようとする質問が言っても良いものかどうか、ちょっと考えてから、言葉を続ける。

「今回のこれも、涼宮さんのせいなんですか?」

古泉くんは少し黙って、答えた。
「違うと思います。無関係だとは思いませんが」
「え?」

私は驚いて聞き返した。
正直なところ、彼女のせいだと思っていたから。

「じゃあ一体なぜ?」
「それはわかりません。しかし長門さんは言っていました。この村の伝承にこれと似たような現象がある、と」
「伝承…」

彼は話を続ける。
「はい。赤い水で死者が永遠の命を得るとか、海送り、海還りだとか…。詳しくは省きますが」
「はぁ…」
オカルトな話だ。

「屍人、これは僕が勝手につけた怪物の名前なんですが、屍人化は赤い水が原因なのは長門さんがおっしゃってた通りです」
「そうですね」

私は長門さんの噛みついたところを見た。
いつの間にか傷口は塞がっている。

「つまり、この村では元々このような現象が何度か起こっていた。そして僕たちがたまたま巻き込まれた」
「でも都合よく巻き込まれるなんて…」
「まあ涼宮さんの力がトリガーくらいにはなってるかもしれませんね。でも彼女はこんな世界を望んだりはしません」
「確かに…」
「そして長門さんが言うには、このような現象が起きる時にはちょうど逆の方向にも力が働くはずだ、と」
「どういうことですか?」
「つまり、どこかに対抗策が必ずあるはず…」

古泉くんは、そう言って窓の外を眺めた。
対抗策…、一体そんなものがあるとは思えなかった。

「見つかればいいんですけど…」
古泉くんは独り言のように呟いた。

谷口 羽生蛇村小学校折部分校 体育館 初日 22時11分08秒

「学校か…」

散々さまよった挙げ句、俺は学校を見つけた。
学校なんて普段なら入りたくもないが、今は別だ。人が恋しい。
国木田と別れてからしばらく、誰とも会っていなかった。
どんだけ運が悪いんだ、俺。
体育館の裏口らしきドアを開けて中に入る。鍵がかかってなくて良かった。
そう思った矢先、体育館の中が異様な光景になってて驚いた。
糸と針金が張り巡らされて、まるで蜘蛛の巣だ。

その時、風を切る音がして、とっさに身をかわした。無意識だった。
ガンッと、ドアに衝撃が加わる音がする。
襲撃してきたのは、異常な風体をした人間だった。
首は逆向きにねじ曲がり、腕には昆虫のような節があって、頭頂部にはいくつもの複眼があった。
まるで…

「蜘蛛?」

蜘蛛のような人間のようなそれは、複眼でこっちを見ている。
慌てて今来たドアを開けて引き返そうとして、気づいた。
ドアノブが叩き壊されて、床に転がっている。
俺はたまらず、その怪物から走って逃げた。
ちくしょう、こんな合宿に無理言って参加しなけりゃよかった!

1階へと降りる梯子の下に、もう一体怪物が待ち構えていた。

「くらえ!谷口キック!」

飛び降りて、そいつの腹を踏み潰してやった。ざまぁみろ。
そのまま、体育館の外に出ようとしたが、出口にはさっきのやつが待ち構えていた。

「くそっ!」

悪態をつきながら、俺は体育館のステージ脇の物置に走った。
何か武器になるものがあれば。
がらくたをかき分け、放置されていたバールを見つけると、俺は追ってきた怪物に思いっきりバールの先端を叩きつけてやった。

「見たか!逆ギレのほうが強ぇんだよ!」

死体に何度も何度も蹴りを入れてストレス解消してから、悠々と体育館を出る。
そこでもまた、面食らった。
板がそこら中に打ちつけられて、校舎内がわけのわからない要塞と化していた

「なんだこりゃ…」

こんな場所、一刻も早く外に出ようと玄関に向かうが、板で打ちつけられていて、開かない。
しかたなく、隣の1-2年教室に入ると、蜘蛛の怪物が2体と、頭が蛸のようになった怪物に見つかった。

「はは、やべえかも…」