サイレントハルヒ

Last-modified: 2009-05-26 (火) 00:09:35

ハルヒは窓から外を見つつ、そう呟いた

アンニュイなその横顔は、いつものハルヒとは違って消え入りそうな儚さがあった。

この日、珍しく部室には俺とハルヒの二人だけだった。
数日前に朝比奈みくるが団活の途中で怪我をして病院に行っていたし、古泉は例のバイト、長門はまだ来ていなかったからだ。

ハルヒ「この霧…なんだか変ね」

キョン「ああ、そうだな」

団活の時間になってから、辺りには濃霧が立ち込めていた。
ハルヒの側にいて、少々の不思議には慣れているが、それでも驚くほどの濃霧だ。
尋常じゃなくおかしな天候だった。

ハルヒ「ねぇ、この辺りにこんな霧がでるなんて不思議じゃない?」

キョン「そうだな。俺もこんな深い霧は生まれて初めてだ」

俺がそう答えると、ハルヒは神妙な面持ちでこう続けた。

ハルヒ「でね、もっと不思議なのは…」

キョン「ん?なんだ?」

ハルヒ「私、これと同じシチュエーションの夢をここ最近、ずっと見てるのよ」

キョン「それって正夢ってやつか?」

ハルヒ「そうよ。…でも」

そう言ってハルヒはちょっと目を伏せて、不安げな顔をした。
おいおい、ハルヒらしくないぞ。

ハルヒ「その夢は妙にリアルなんだけど、内容は全然思い出せないのよ。
     怖い夢だったと思うんだけど…」

はは、夢を怖がるなんてハルヒもたまには可愛らしいとこあるじゃないか。
そういって笑うと、ハルヒはもう!と言っていつものように怒った。

ハルヒ「でも本当に妙ねー…、この霧」

ハルヒがそんな事を話してるうちに、俺の瞼の上に睡魔がやって来た。

ハルヒ「もう!あんた授業中あんだけ寝てまだ寝るつもりなの?あきれたわ」

キョン「すまん…ちょっと寝かせてくれ…。昨日徹夜でゲームしてさ…」

ハルヒ「仕方ないわね…、帰るときに起こしてあげるわよ」
たまにはかわいらしいことを言ってくれるじゃないか。有り難い。

キョン「ああ悪い…。恩に着るよ」

そういって俺の意識は、夢のかなたへと押しやられた。

ガラガラガラ…

扉が開く音が聞こえて、俺は不意に目が覚める

キョン「ハルヒ?」
それは今まさにハルヒが廊下に出ようとするところで、ゆっくりと歩いていくハルヒの後ろ姿だけが俺の視界に入った
おいおい、どこへいくんだハルヒ?

キョン「起こしてくれるんじゃなかったのか、ハルヒ?」

そう言ってハルヒを呼び止めようとするが、ハルヒは無視してずんずん進んでいく
なんなんだまったく…
おおかた、このおかしな霧を外に出て見物でもする気だろう
やれやれ、こんな視界の悪さで、外に出て怪我でもしたらどうするんだ?

窓の外を見れば、既に日が沈もうとしていた
けっこう寝てたんだな、俺

とりあえず俺はハルヒを追いかけることにした
暴走特急のようなハルヒを一人にするのは心配だからな

俺は小走りでハルヒを追いかけたが、ゆっくり歩いてるはずのハルヒに追いつかない
はて?おかしなこともあるもんだ
ふと、アキレスと亀の話を思い出す
また何か変なことでも起こってるんじゃないだろうな?

そうやってハルヒを追いかけるうちに、いつの間にか中庭に出てしまった。
日はもうほとんど沈んでしまって、辺りは薄暗くなっている。
霧もあいまって、まったくと言っていいほど視界が利かなくなってしまっていた。
そしてどこからか酷い悪臭がする。
なんだこの臭い…?気持ちが悪いな。
なんかだんだん不安になってきたぞ。

キョン「ハルヒ!どこに行ったんだ?」

仕方なく大声でハルヒを呼んだが返事は無い。
まったく…。世話のやけるやつだ。

そうこうしてるうちに、余所見をしていた俺は何かに頭をぶつけてしまった。
尻餅をついた俺の目の前に星が瞬いている。

キョン「いってえな…」

そう言って前方に目をやった俺は驚いた。

俺が頭をぶつけたのは、逆さ吊りの死体だった。

キョン「うわっ!!」

俺は驚いて慌てて後ずさった。
そうしてよくよく見てみると、その死体は錆びて真っ赤になった金網にくくりつけられている。
というかこんなところに金網があったか?
しかし、誰がこんな悪趣味なことを…
その死体は見るも無惨で、皮膚はボロボロに焼けただれていた。

なんだコレ?殺人事件?
だとしたらハルヒは大丈夫だろうか?
込み上がる吐き気を抑えて、俺は必死にハルヒの名を呼んだ。

キョン「ハルヒ!どこだハルヒ!」

その時、霧に何やら人影のようなものが映った。

キョン「ハルヒか?」

そう問いかけるも、返事が無い。第一、ハルヒはこんなに小さくはないしな。

じゃあ一体こいつは何だ?

すると急に、それが飛びかかるように抱きついてきた!

キョン「痛っ!!」
足に激痛が走って、思わずその場に倒れ込む。

俺の眼前には、ずんぐりむっくりとした、鉤爪のついた生物が立っていた。
なんだこいつ。

――――化け物?

唸り声をあげながらジリジリと近寄ってくるそいつを、テレビはおろか、動物園でも俺は今まで見たことがなかった。
さっき爪で引っかかれた足は、結構深く傷つき、とめどなく血が溢れている。

一体何の冗談だよ?またハルヒが何かしでかしたっていうのか?
モンスターパニック映画でも観たというんだろうか。
はは、それは洒落にならん。

頭の中で冗談を言いながらも、とりあえず俺は必死に逃げた。
元来た方へ急いで足を引きずり引きずり走る。
何かがヤバい。とりあえず部室に帰ってーー

ガシャンッ!!

いつの間にか俺は金網に頭から突っ込んで、また地面に倒れていた。

キョン「何でこんなとこに金網があるんだ!!」

そう叫んだが金網はしっかりと俺の行く手を塞いでいる。
走って金網の切れ目を探したが、ぐるりと一周、俺は囲われていた。
じゃあ俺はさっきどこからこの中庭に入ったって言うんだ!
まるで猛獣の檻に放り込まれた肉餌のようだ。
背後からは怪物の唸り声が聞こえる。

振り返るといつの間にか、四、五匹の怪物に囲まれていた。
必死で金網を叩く。破れない。唸り声。肉を切り裂く爪。激痛。
自分の悲鳴。流れる血。裂ける皮膚。集る怪物共。

薄れいく意識の中、ふと疑問が頭をよぎる。
果たしてハルヒは無事だろうか?

そこで俺の意識は途絶えた。

ガタンッ!!

俺は机と椅子から転げ落ちて目を覚ました。
くそっ、最悪の目覚めだ。
良い年して悪夢にうなされて転げ落ちるとは…恥だ。
しかしさっきのは夢にしてはやけにリアルだったな
痛みや臭いまで感じる夢とは珍しいな

そんな事を思いつ、窓の外を見ると、辺りはすでに真っ暗だった。
時計を確認、既に午後8時をまわっている。

キョン「おいおいハルヒ、起こしてくれるって…」

しかし部室には俺の他に誰もいない。がらんどうだ。

いつの間にやらハルヒは、荷物を置いて消えていたのだ。

ハルヒ?どこ行ったんだ?

まさか荷物を置いて帰ったわけじゃあるまいに。

トイレにでも行ったかと思って待ったが、一向に戻ってこない。

やれやれ、と思うと同時に少し不安になった。さっきの夢のせいだ。

いかんいかん、あれは夢じゃないか。

そんなことを考えていたら急にケータイが鳴った。

見ればハルヒからのメール。

何だ、心配して損したぜ。

そう言ってメールを開くと、それにはこう書かれていた。

「逃げて」

なんだこれは?

さっきの夢といい、このメールといい、…嫌な予感がする。

とりあえず俺はハルヒに電話してみたが、電話は通じない。
見れば表示は圏外になっている。

いまメールがきたのに?

わからない。また何かの世界改変があったのだろうか。
とりあえずハルヒも心配だが、長門に会って力になってもらったほうが良さそうだ。
そう思って俺は学校の玄関へと向かった。

キョン「なんだこりゃ…」

玄関の扉は開かなかった。
内側から鎖を打ちつけられて封鎖されていた。誰がこんなことを?
ガチャガチャと揺すってみてもびくともしないので、非常口や窓も調べてみたが、どうやらどこも開きそうにない。

閉じこめられた?悪い冗談だ。
まいったな、こりゃお手上げだ。

しかし逆に考えれば、ハルヒもまだ校内に閉じこめられている可能性が高いってことだ。

なんにせよ異常な状況だし、ハルヒを探したほうがいい。

そう思い、俺は校舎内を探索することにした。

キョン「誰もいないな…」

とりあえず一通りは見て回ったが、ハルヒはおろか、人影すら見当たらない。
なんとなく閉鎖空間のことを思い出すが、神人は出てないし、それはないだろう。
なによりここが閉鎖空間なら古泉がきて助けてくれるはずだしな。
もしそうなら気が楽なくらいだ。
まぁいずれにせよ、こんな時間だし、警備員ぐらいしか校内にいる可能性は低いだろう。
あとはハルヒしか。
そして俺は部室に戻ってきた。
ハルヒが帰って来たんじゃないかと思ったからだ。

しかし、やはりと言おうか、ハルヒはいなかった。
心配だな…。

仕方なく俺はいつもの場所に座り、一人オセロをして時間を潰していると、突然不可解なノイズ音が部屋内に響いた。

どうやらその音はラジオから発せられているようだった。
故障か?
近づいてラジオを見てみると、電源がオンになったままだったらしい。
おおかた誰かが消し忘れて、どこぞの怪電波でも拾ったんだろう。

そんなことを思っていると、急にドアが開いた。
それに呼応するかのように、ノイズ音も一層激しくなる。

ハルヒか?と声をかけるが返事はない。
嫌な予感がしていた。
そして開いた入り口から、そいつがゆっくりと姿をのぞかせる。

鉤爪と小さくてずんぐりとしたその体躯…。

あの夢で見た怪物だった。

ひっ!

情けない悲鳴を漏らした俺は、とっさに後ろのドアから逃げようとする。

何故だ、開かない。
しかしなんだコイツは?あれは夢のはずだ!

けたたましく鳴るラジオをよそに、俺は近くのパイプ椅子を力いっぱいそれに投げつけた。

一瞬怯みはするものの、そいつはあゆみを止めず、依然としてこちらに向かってくる。

俺は次々と手当たり次第にパイプ椅子を投げつけながら、素早く掃除用具入れから雑巾モップを手に取った。

リーチならこっちが上だ。
やらなきゃ夢のようにこっちがやられるんだ。
得体の知れない怪物はじりじりと間合いを詰めてくる。
そしてその怪物が俺に飛びつこうとする一瞬を狙って、俺はモップを脳天めがけて渾身の力で振り下ろした。

ぐちゃ、と肉に食い込む嫌な感触と共に、それはくぐもった悲鳴をあげて倒れ込んだ。
容赦をせず、俺はそいつに何度もモップを叩きつける。
バキッ、とモップの柄が折れた音で俺は我に返った。
いつの間にかノイズの音もやんでいる。
念のため、血だまりに沈んだ怪物を足で踏みつけて、死んだのを確認してから、そいつをまじまじと観察してみた。

毛並みといい、鉤爪といい、夢でみた化け物そのものだ。

まだ夢の続きでも見ているのか?
念のため自分の体のあちこちを触って確認してみたが、どうやら夢では無さそうだった。

じゃあ、これは現実?

だとしたら早くハルヒを探さないと、あいつが危ない。

しかし、あんな怪物がうろうろしてたんじゃ、俺も危ないな。
無いよりはマシだろう、と俺は箒を一本拝借することにした。
まぁもう一本はダメにしてしまったわけだが。
しかしこれじゃ武器としては心許ないな。どっかで鉄パイプでもあればな。
そういえばさっきこのラジオが鳴ったのは怪物に反応したからじゃないだろうか。
倒した瞬間にノイズも鳴り止んでたしな。
念のため懐中電灯を持ち、携帯をラジオモードにして、俺は部室を後にした。

俺は屋上前の倉庫を目指していた。
そこならマシな武器が手にはいるんじゃないかと思ったからだ。

しかし、おかしい。

俺はいま、4階にいるはずだ。
しかし、階段はまだ上に続いている。

5階?

そんなものはこの学校にはない。
まぁ、俺の勘違いだろうと階段を上に上がると、表示は確かに

『5』

と書いてある。
俺はぞくり、として全身総毛立つのを感じた。
ひとまず気を取り直して屋上前の倉庫にあった鉄パイプを手に取り、俺はあるはずのない5階の廊下へと出てみた。
一種の怖いもの見たさってやつだ。

キョン「なんだ…これ?」

いつの間にか、床や壁一面が、錆びた金網に変わっているじゃないか。

振り返って後ろも確認してみたが、登ってきた階段ですら同じ有り様だった。

キョン「夢かこれ…」

信じられないよな。
この目で見ても信じられないことがこの世に存在するとは思わなかった。
ハルヒはこういう不気味な不思議にも、目を輝かせるのだろうか。

幸いに、変わったのは見た目だけで、間取りや構造はいつもの校舎と変わりないようだ。

ただ…

「はは、よく会うな、お前らとは」

携帯からはけたたましくノイズ音がする。
懐中電灯で照らした先には、あの怪物が2匹いた。

鉄パイプを握る手に力が入る。

キョン「俺はお前らじゃなくて、後ろの席の女の子の顔がみたいんだけどな」

精一杯の去勢をはって、気持ちを落ち着ける。

敵は2体。

こっちは1人。

でも相手の動きは遅いから大丈夫。いけるさ…。

まずは先頭の奴の頭を一打。
倒れ込むそいつにもう一発食らわしてから、爪を振りかぶるもう一匹を薙払う。
そしてとどめの一撃。

鉄パイプつえぇ!
そりゃあ不良が喧嘩で使うわけだわ。

しかし、こんなに化け物がうじゃうじゃしてて、ハルヒは大丈夫だろうか。
もしかしたらもう…
いやいかん、何を弱気に…

そんなことを考えていて、俺はノイズが鳴り止んでいないことには気がつかなかった。

そして闇の中から唐突に怪物が現れた。

キョン「うわっ!まだいたのか!?」

しまった、迎撃は間に合わない。

そいつの鉤爪が俺の足に届こうかというその瞬間、怪物はいきなり水平に吹っ飛んで壁に叩きつけられた。
ぐぅ、と一声あげて動かなくなったその化け物のそばに、見慣れた顔があった。

「助けに来た」

いつもと同じトーンで、長門はそう告げた。

キョン「ああ、助かったよ…ありがとう」

長門は、そう、と一声だけ返す。
こんな状況でもいつもと変わらないのはいつも通りだな。

キョン「しかし、一体何があったんだ?」

長門「わからない。この世界は創られた世界。それも部分的に」

キョン「てことはハルヒの仕業か?」

長門「そうともいえない」

キョン「? どういうことだ」

長門「世界改変は事実。でも涼宮ハルヒの意思が感じられない」

キョン「まぁ…、確かにな」

こんな錆びた鉄の不気味な世界を健全な女子高生が望むとは思えない。
ハルヒが健全かと言われれば困るが、あいつの不健全さは少なくともこういう方向で無いことは確かだ。

じゃあ一体この状況はなんなんだろう?

キョン「しかし長門が来てくれて助かったよ。ちゃちゃっとハルヒを見つけて学校を出ようぜ」

長門「無理」

え?

予想外の言葉に一瞬思考が停止する。
端から見れば時間が停まったように見えたに違いない。

キョン「なぜだ長門?」

長門「彼女の居場所が特定できない。それに」

キョン「それに?」

長門「この世界の物には一切の情報操作ができない。だから玄関を開けられない」

キョン「どういうことだ?」

長門「わからない。いつにもまして異常」

それから俺はこの世界でわかっているいくつかのことを聞いた。

この世界からは情報統合思念体に一切のアクセスが制限されていること。
よって今の長門は身体能力の高い一般人レベルでしかないということ。
まだ完全にアクセスが制限される前に確認したところ、この世界にはSOS団全員が存在するであろうこと。

長門「だから私はこの世界についてほとんど知らない」

キョン「いや、それだけでも十分だ。なんせこっちは何もわからなかったんだからな」

長門「そう」

キョン「しかし一人でいるよりだいぶ心強いよ長門。さっきの蹴りはありゃあ見事だった」

長門「私の身体能力は常人の5倍程度」

キョン「ますます心強いな」

そこで、ん?待てよ?と思い、長門に尋ねてみた。

キョン「じゃあさ、どうやって長門はここに?」

長門「気づいたらいつの間にか図書室にいた。それまでは自宅」

さよけ。
ということは侵入ルートを辿って脱出は不可能か…。

キョン「じゃあさ、玄関の扉の鎖を引きちぎることってできないか?」

長門「それは不可能」

キョン「そうか。5倍じゃ鎖はさすがに無理か」

長門「もう試した」

意外にアクティブだな、長門。
しかしそれは困った。外にでられないじゃないか。

長門「問題ない。あの鎖には鍵がついている。解錠が可能」

キョン「しかし鍵がどこにあるかがわからんしな…」

長門「あの錠前には文字が刻んであった。文句はこう」

己の享楽に耽り罪の鎖であらゆる自由を奪われし者、美しき旋律で心の自由を得、朽ちた刃物で身体を引き裂き真の自由を得る
そして自由は悪夢と等しいと知る

キョン「なんだそれ、意味がわからん」

長門「旋律というところから音楽室に関係があると推測」

キョン「朽ちた刃物は?」

長門「家庭科室にある包丁のことかもしれない」

ふうん、と生返事をしつつ、随分と回りくどく書くもんだな、と思った。
しかしそんな文句をしっかりと覚えてくるあたり長門らしいな、と俺は思う。

とりあえず言われるがままに俺は長門に付き添って音楽室へと向かった

音楽室までに何度か怪物と遭遇したが、俺と長門ならなんら問題は無かった。
言っちゃ悪いが、一緒にいたのが朝比奈さんじゃなくて本当に良かったと思う。
音楽室には一台のピアノが置いてあり、黒板には血のような赤黒い字で

心を照らすには月明かりがふさわしい

と書きなぐってあった。
なんというか、見るとすごく精神的に嫌になる字だった。

長門は無言でピアノの前に行くと、鍵盤の蓋を開ける。

露わになった鍵盤には、血のような物がべっとりとこびりついていた。

うわっ!とどん引きする俺をよそに、長門はポンポンと嫌な顔一つせず鍵盤を叩き、音は問題ない、とだけ呟いた。

こんなのを見ても顔色を変えないなんて、こいつやっぱすげえな。
そして長門はトテトテと本棚に近寄って、一冊の楽譜を取り出した。

キョン「ベートーベンの、…月光?」

長門「そう」

キョン「弾けるのか?」

長門「問題ない」

すると長門はぱらぱらと楽譜をめくったかと思うと、ピアノを華麗に弾き始めた。
唖然とする俺。

するとしばらくして壁に掛けてあったベートーベンの肖像画がバタンと床に落ちた。
その音に情けなくもびびってしまった俺は恐る恐るそれに近づくと、裏に貼り付けてあった鍵を拾った。

キョン「しかし、どんな仕掛けだよこれ…」

呟きつつ俺はピアノのほうを見る。
誰がこんなことしたんだろうか。
気づけば長門はさっき床に落ちた絵を興味深く見つめている。

キョン「どうした、長門?」

長門「…これ」

長門がこちらに肖像画を見せると、その絵はいつの間にか、口から血を流して苦しむ俺の絵に変わっていた。

もう少々なことじゃ驚かないが、すげぇ気分が悪い…。
こんな世界創ったやつを一発殴ってやりたい気分だ。例えハルヒでもな。

そして俺たちは家庭科室へと向かった。

家庭科室に入ると、異様な臭いが鼻をついた。
腐乱臭ってやつだ。
さすがの長門も1ナノメートルくらい眉をしかめている。
まあ仕方あるまい。
臭いを我慢しながら二人でごそごそと長机の戸棚を漁る。
俺は手前から。長門は奥から。
2つ目の長机に錆びてぼろぼろの包丁が出てきた。

キョン「長門、あったぞ!」

長門「そう」

キョン「しかしこれで何をするんだ?身を裂くって言ったって、切腹しろってわけじゃないだろうし」

長門「…あれ」

長門が指差した先には、まな板があった。

そして、その上には大きなカエルが仰向けに載っている。

キョン「…長門さん?」

長門「…私はさっきピアノを弾いた」

無表情ながら、どことなく威圧感があった。
やれ、ってことですよね?そうですね?
しぶしぶ俺はカエルの側に近寄り、包丁の切っ先を腹にあてがう。
このカエルはガマガエルだろうか?なんて気を紛らわしつつ、ズブズブっと力を込めると…

ビクビクッ!

カエルの体が途端に痙攣し始め、体液が飛び散り、一層激しい腐乱臭が辺りを包んだ。

たまらず俺はうげぇっ、と胃液を床に吐き出してしまう。

キツいわこれ…。

すると長門が鼻をつまみながら、鍵と呟いた。

見ればカエルの中から小さな鍵がのぞいている。

とは言っても体液でベトベトなんですけどねコレ。

長門「私達は早くこの学校を脱出するべき」

はいはいわかりましたよ、と言ってカエルの腹に手を突っ込む
うわ、今俺すごい泣きそう。
長門は俺がかろうじて鍵を取り出したのを見て、嫌悪の表情を浮かべている。
やらせたのはお前だろうが。
手と鍵を洗おうと水道をひねると、錆で真っ赤な水が流れてきた。

もうやだここ。

つくづく一刻も早く脱出しなければ、と思った俺は長門と足早に玄関へと向かった。
その途中、長門が俺と距離をとっていたのは、気のせいだと思いたい。

1階について、玄関に行こうとしたが、こちら側からは壁があっていけないみたいだ。
若干だがこっちの世界は構造が元の世界と変わっているらしい。

キョン「長門、仕方ない。上の階から回って…」

そこでノイズが今まで以上にうるさく鳴った。
なんだ?今までに聞いたことが無い音だ。

キョン「長門、なんかやばいぞ。逃げよう」

長門「来る」

キョン「じゃあ尚更だ!早く逃げよう!」

そう言って急いで階段までたどり着いた時、階上から俺達の前に異形の姿が立ちはだかった

真っ赤な三角形の被り物をした男。

手には人間の背丈より大きい鉈を持っている。
いや、あれは鉈と言っていいものか?

ゆっくりゆっくりと歩を進めるそれに、俺はおろか、長門までが凍りついてしまった。

そしてそれは、荒々しい仕草でその鉈を構え、一気に俺たちに向かって振り下ろした。

キョン「長門、危ない!」

間一髪、今の鉈はかわせたが、このままだと不利だ。
次は二人ともども真っ二つに両断されて、四つの肉塊になって転がるだろう。

しかし、外に出るには奴の向こう側にいかないと…

そうこうしているうちに、三角頭が再び鉈を構える。
やばい。横に薙ぎ払う気だ!
すると急に、俺の体が宙に浮いて、三角頭の向こうに凄い勢いで投げ飛ばされた。だんっ!と床にぶつかって、痛みで俺はうぐ、と声をあげた。
瞬間、轟音がして顔をあげると、鉈が壁にめり込んで粉塵を巻き上げていた。
なんて力だ…。

キョン「長門!大丈夫か長門!」

長門「問題ない」

いつの間にか横にいた長門はそう呟く。
さっきの薙ぎ払いをかわしたらしい。
さすが宇宙人、伊達じゃない。

長門「今は早く逃げるべき。立てる?」
キョン「ああ、なんとかな」

こっちに向き直った三角頭を背に俺は必死に走った。
あんな奴に勝てる気がしねぇ!

急いで2階を走り、反対側の階段から1階へと向かう。
途中、奴が鉈を地面に突き立てると、そのひび割れや金網の隙間からデカいゴキブリが大量に湧いて襲ってきた。
あんなこともできんのかよ、アイツ!

あんな数のゴキブリに襲われて死ぬのはごめんだと、俺たちは1階への階段を駆け下りた。

俺たち二人は玄関の鎖へとたどり着くと、それぞれが持つ鍵で錠前を急いで開けようと試みた。

長門はこともなく錠前を開けたが、いかんせん俺は焦ってなかなか鍵がまわらない
長門が急いで、とせかすが、そんなことは俺もわかっている。
とりあえず落ち着くために手のひらに人と書いて…

長門「来た」

その声と同時に、三角頭が天井をぶち抜いて背後に降り立つ。
ちょっと待て!まだ心の準備が…!

三角頭が鉈を振りかぶるのと同時に、鍵が回った。

キョン「開いた!」

体で扉を開け、俺たちは外へと躍り出る。
鉈の切っ先が踵をかすめて、地面にめり込んだ。

あぶねぇ、ギリギリだ…
慌てて振り返り校内を見ると、すでに三角頭の姿はなかった。
というより、霧はあるが、元の世界へと戻ってきたみたいだ。

長門「間一髪」

キョン「ああ、長門がいなかったら俺は今頃真っ二つだったな」

そう言ってふと長門のほうを見ると、長門は腕からかなりの出血をしていた。
まさか、さっきので…

俺の視線に気づいたのか、長門が気丈に問題ない、と一言。

キョン「問題ないわけあるか!放っておくと危ないぞ!」

すると後ろから、
「おやおやお困りのようですね」
と聞き覚えのある声がした。

振り返ると、古泉はだいぶくたびれてはいるが、笑顔で白い歯を覗かせてこっちを見ていた。

キョン「古泉…!」

古泉「話は後です。まずは長門さんの止血が先ですから」

そう言って長門の手当てを始める古泉。
キョン「ああ、すまんな。その包帯は?」

古泉「保健室から簡易救急セットを拝借しました。僕はあっちの校舎に閉じこめられていまして」

そう言って少し首をすくめてみせる。
そうか、古泉も同じ目に…

古泉「そちらもそちらで随分と大変な目にあったみたいですね。お察ししますよ」

実は、と俺は今までの経緯を簡単に古泉に伝えた。

古泉「なるほど…、そうだったんですか」

キョン「古泉のほうはどうだったんだ?」

古泉のほうはこんないきさつだった。
機関の仕事を終え、帰る途中で車がこの霧で事故を起こしてしまった。
車内に同乗していた森さん達は姿が見えず、何故か自分は事故車ごと校庭の真ん中にいたこと。
とりあえず部室にいこうとしたが、こちらの校舎は鎖ではいれずに、向こうの校舎に入って閉じこめられたこと。

古泉「後は…、だいたい同じです。尤も、三角頭なんてこっちの校舎にはいませんでしたが」

古泉によると、向こうの校舎には消化液を吐き出す怪物がいて、そいつを倒すと外に出れたらしい。

キョン「でもよく一人で…」

古泉「こいつがありましたしね」

そう言って古泉は懐からベレッタを取り出してみせた。

古泉「僕の仕事は涼宮さんの側にいることですからね。それなりの用意は必要ですから」

そう言って笑ってみせる古泉。
なんかいろんなことがありすぎて、このくらいじゃ驚かなくなってるな俺。

古泉「あれ?案外驚きませんね」

キョン「それのおかげでお前と再会できるならありがたいからな」

んっふ、と古泉は笑ってと話を続ける。

古泉「しかし、さっきで全弾撃ち尽くしちゃいましてね。困ったものです。」

キョン「予備は無いのか?」

古泉「一応車の中にあるんですが…、事故でトランクが開かないんですよ」

長門「私が開ける」

キョン「おい、長門。無理するんじゃないぞ」

長門「手当てのお礼がしたい」

きっぱりとそう言ってずんずんと歩いていく長門に、俺たちはついていった。

うわ…、と思わず声が漏れるほど、見事な事故車が校庭の真ん中にある様はなかなかシュールだった。
この事故で生きてること自体が奇跡だぞ、と言うと、実際死んだかと思いました、と笑顔の古泉。
いや、笑いごとじゃないって。

そんな俺らを気にすることもなく、トランクを片手でバリバリと開ける長門。
こいつなら三角頭に勝てそうな気がしてきた。
ていうか本当に5倍か?

トランクの中には、ベレッタの予備マガジンがいくつかと、

……何故かショットガンまであった。

キョン「機関ってなんでもありか!」

古泉「僕たちが守るのは世界の平和、ひいては涼宮さんでして、法律ではありませんから」

いろいろと突っ込みたいと思ったが、正直この状況だとありがたい。
文句を言わずに礼を言って、俺はショットガンを持たせてもらった。

古泉「さすがにそれの弾薬に予備はありませんから、撃つときはよっぽどの時だけですよ」

三角頭に対してとかね、と古泉は付け足した。

すると不意に俺の携帯が鳴った。

はて、圏外のはずですが、と不思議な顔をする古泉。

そのメールはハルヒからだった。

文面は一言。

「病院へ」

古泉「病院…ですか」

キョン「そうらしいな」

正直、こんな状況では行きたくないところNo.1だ。
そのNo.2は遊園地ってところか。

そこで、ふと思い出す。

キョン「そういや、お前、朝比奈さんは一緒じゃないのか?」
俺は長門と一緒なら、古泉は朝比奈さんといてもおかしくない。
それともまさか…。

古泉「いえ、見ていませんが」

よかった…。

朝比奈さんが一緒なら僕は生き残っている自信がありませんし、と余計な一言を付け足す古泉。

聞かなかったことにして、俺たちは学校の近くの市民病院を目指し、学校を後にした。

校門から外に出てみて驚いた。
ほとんどの道が途中で崖になってしまっている。

古泉「どうやらこの世界は本当に部分的にしかつくられていないみたいですね」

なるほど、そういうことか。
ということは、目指す病院もわかりやすくて助かると言うわけだ。

しかし、何故か空が明るい。
俺の時計はまだ夜11時を指しているのだが、この世界は昼と夜が一定の周期じゃないらしい。

町にも人影は無く、変わりに死体だとか、手のない化け物だとか、血を吸う犬だとか、そういうグロテスクな物には事欠かなかった。
慣れて来ている自分が嫌になるな。

しかしベレッタを持った古泉と超人長門がいれば、命の心配はぜんぜん無かった。

そしてやっと病院についた。

長門さんのおかげで助かりましたよ、と小泉。
悪かったな、役に立たなくて。

しかし誰もいない病院ってこんなに不気味なもんかね。
一人だったらどこかの部屋に鍵かけて、すべてが終わるまで閉じこもるところだ。

古泉「とりあえず探索しましょうか」

三人で順番に部屋を見て回る。

1階、2階、3階…
しかしあまり有益な情報は見つからない。

キョン「違う病院のことじゃないのか?」

古泉「そう判断するのは早いですよ。まだ地下室があるようです」

うげ。この上またそんなとこに行くのかよ。
しかし置いて行かれるのも嫌なので、仕方なく俺は地下室に向かった。

『機関室』とかかれたプレートが貼られた部屋に、手をかけ、中にはいる。

見たところ、何かの機械が所狭しと並んでいるだけだったが…

長門「みつけた」

そこには隠し扉があった。

キョン「なんだココ…」

長くのびるジメジメとした暗い廊下。
天井は低く、見る者に否応なしに圧迫感を与える場所だった。
そして両側の廊下には、それぞれ10くらいのドアが並んでいる。
試しに一つドアを開けてみると、トイレと簡易ベッドの他には何もない、薄汚れた部屋だった。

キョン「牢獄?」

古泉「のようなものでしょうかね」

次々とドアを開けて回るが、同じ部屋が続く。
いや正確には同じでは無かった。
部屋によっては壁にかきむしった跡があったり、赤黒い染みが残されていたり。
俺は極力それらをみないように、作業的に扉を開けていった。
反対側のドアを開けていく古泉の笑顔が消えていることからも、向こうも同じような有り様のようだ。

結局、嫌な気分になっただけか…と思った矢先だった。

奥から2つ目の扉を開けた先、以上な光景を目の当たりにし、俺は言葉を失った。

その様子に気づいた二人も、中を見て絶句する。

壁一面に目、目、目、目。
そしてご丁寧にもそれぞれが×印で目を潰されている。
そして床には、ナスカの地上絵の出来損ないのような絵がかかれていた。
そのすべてが、血とおぼしきもので、である。

さすがの長門でさえ、この光景は直視できないといった様子だ。

意を決して中に入ると、ぼろぼろで盛大に染みのついたベッドの上に、これまた鍵のついた鎖でぐるぐる巻きにされた金属製の箱が置いてあった。
そしてそこには血文字でこうかかれている。

『わたしのたからもの』

わたしのたからもの?
一体何が入っているんだろうと思っていると、古泉が急に声をあげた。

古泉「トイレに何か詰まってますね」

キョン「それがどうした」

俺が尋ねると、古泉は予想の斜め上の答えを返した。

古泉「もしかしたら、その箱の鍵かもしれません。あなた、とってみてくれませんか」

はぁ?マジで言ってんのかそれ?

古泉「マジです。いつだってマジですよ僕は」
そう言って見せる笑顔は、少し青ざめていて、古泉ですらこの部屋の
異常性には内心怯えているのかと思うと少し親近感が湧いたが、言ってることがえげつない。

お前やれよ、と言うと、いえ僕に汚れ仕事は似合いませんので、と返す。

長門は部屋の外から顔を半分だけ出して俺を見ている。

…くそ、俺がやるしかないってのか。

覚悟を決めて、俺は濁って酷い悪臭を放つ便器の中に手をつっこんだ。

詰まってたものは、汚れた患者服にくるまれた、紛れもない鍵だった。

古泉「ほんとにやるとは思いませんでしたよ…。何考えてるんですか、あなたは?」

誰のせいでやったと思ってるんだよ!?

長門「ユニーク」

そう言う長門は部屋の対角線上に立って、明らかに俺と距離をとっている。
ちくしょう、今日は厄日だ…。

古泉「あ、開きましたよ!」

当然だ。あれで関係ない鍵だったらお前を殴るぞ。この右手で。

古泉「とんだ外道ですね」

うるせぇ、さっさと開けやがれ!

古泉「黄色いリボン…?」

その黄色いリボンには見覚えがあった。
いつもハルヒがつけているやつと同じやつじゃないか。

古泉「でもなんでこんな所に…」

キョン「わからん、わからんが…」

ハルヒのリボンがこんな部屋にあったということ。
それが俺にはたまらなく不安で、胸騒ぎがした。

するとバタン!と、ひとりでに扉が閉まった。
長門が力を込めてノブを回すがビクともしない。

そして、天井から、何かの気配がした。

ガンッ!

俺の後ろにいた古泉が頭を蹴られて床に倒れ込んだ。

天井から急に現れたそれは、格子に組み込まれた人間のような姿をしていた。
見ようによっては、ベッド寝たきりの病人の姿を想像させる。
しかし何より特徴的なのは、その顔面…。
その顔には唇しかなく、見るものに生理的嫌悪感を催させた。
それが天井からぶら下がって、俺たちを襲っている。

俺はすかさずショットガンを構えて、狙いを定める。
引き金に指をかけた瞬間、突然俺は首に強い圧迫感を感じた。

もう一体いる!

気づけば俺の首はギリギリと足で締め付けられ、体は宙に持ち上がっていた。
左手で精一杯もがくが、足は離れそうにない。

くそっ…!

薄れゆく意識を、ベレッタの銃声が呼び戻した。
足の力が緩み、俺は地面に崩れ落ちて咳き込む。

古泉「…はやく!はやく撃ってください!」

俺は立ち上がり、それぞれに1発ずつ銃弾を撃ち込んだ。

2匹の怪物が動きを止める。
さすがに至近距離の散弾にはいくら怪物と言えどひとたまりもないらしい。

キョン「古泉…、大丈夫か?」

古泉「頭をうって一瞬トびかけましたが…なんとか」

そこで急に、サイレンのような音が…、部屋の中に響いた。
キョン「………っ!!」

頭に激痛が走り、俺たちは次々に倒れ込んだ。

しばらくして目を開けると…

再びそこは、血と錆の世界だった。

キョン「ここは…?」

どうやらさっきの部屋ではないらしい。
部屋にあるものを見る限り、手術室といったところか。
また嫌な部屋にでたもんだ。

何故か古泉と長門もいない。
あるのはさっきの黄色いリボンだけだった。
そして一気に不安と恐怖が何倍にもなって襲ってきた。
仲間がいなくなっただけで、こんなにも違うもんなのか…。この部屋で二人が来るまでじっとしておこうかと思ったが、俺はショットガンを構えながら、恐る恐る扉をひらいて廊下にでた。

この病院にハルヒがいるかもしれないしな。

どうやらここは1階のようだな。
そう思いつつ、探索をすすめる。
まだノイズの音は聞こえない。
携帯にラジオがついてて助かったと思うのは、後にも先にも今日だけだろうな、なんて考えながら気を紛らわせながら進む。
そうじゃないと胃が口から飛び出しそうだ。怖い。
そして診察室の扉を開けたとき、何かの気配がして、とっさに銃を構えた。

「ふぇっ!!」

キョン「あ、朝比奈さん!」

みくる「キョン君?キョン君なの?」

キョン「そうですよ!朝比奈さん、なぜこんなところに?」
みくる「あの~、とりあえずそれ、降ろしてくれませんか?」

キョン「あ、すいません」

言われて慌てて銃をおろす。

キョン「で、どうしてこんなところに?」

みくる「それが…」
どうやら朝比奈さんは病院で先日くじいた足を診てもらい、帰る途中で意識を失ったそうだ。
そして気づけば病院にいたという。
まぁ古泉や長門の場合と大して違いはないな。

キョン「ずっと一人でここに?」

みくる「いえ、さっき目が覚めたところで…ここがどこかもまだ…」

なるほど、鍵が開いてるわけだ。

みくる「で、キョン君はなんでそんな物騒なもの持ってるんですか?」

朝比奈さんは怯えた目で俺の手元をチラチラみている。
やっぱり朝比奈さんだな…、と思いつ、今までのことを簡単に説明した。

みくる「ふぇぇ?そんなことが…」

口ではそう言いつつ、どこか朝比奈さんは信用しきれていない様子だった。
様子の変わった世界に怯えてはいたが。
まぁ無理もない。だって俺だって未来人だの宇宙人だのなかなか信じれなかったしな。

キョン「そういうことなんで、朝比奈さんは俺から離れないでください」

みくる「はい、わかりました。でも、キョン君に会えて良かったです」

キョン「光栄です」
満面の天使の笑顔に、俺もいまできる最高の笑顔で応える。
応えつつ、この人と一緒で俺は生き残れるだろうか?とも思った。
頼りにならないからなぁ、この人。
正直鶴屋さんが良かった…。

そんな罰当たりなことを考えていたせいか、ノイズがゆっくりと部屋の中に響いた。

みくる「なんですかこの音?ラジオ?」
そう言えば説明するのを忘れていた。
しかし今はそんな暇はない。

キョン「朝比奈さん!危ないから俺のそばにいてください!」

みくる「は、はい!」

どこからくるんだ?
扉は3つ、可能性が高いのは廊下だが、さっきみたいに天井かもしれないし…

ギィィィと扉が開く音が、俺の思考を遮った。

朝比奈さんの近く、隣の部屋へのドアが開き、入ってきたのは、看護婦。
服装や見た目は薄汚れていて、顔は伏せていて見えなかった。
一瞬、怪物に教われて怪我をした本物の看護婦かと思った。

みくる「あれ?看護婦さん?」

キョン「朝比奈さん!危ない!」

朝比奈さんの襟首をつかんで後ろに引き倒す。
刹那、さっきまで朝比奈さんの首があった場所に、看護婦がその手を一閃した。
その手には鈍く光るメスが握られていた。

ひっ!と短く悲鳴をあげてその場にへたり込む朝比奈さんをよそに、俺は看護婦に容赦なく散弾を浴びせた。

悲鳴をあげてその場に後ろに吹っ飛ぶ看護婦。
その無残な死体を見て、その場に伸びる朝比奈さん。
あなたのそういうところ、俺は嫌いじゃないです。
あともう少し、時と場合を選んでくれるともっと嬉しいんですが…。

朝比奈さんを揺り起こしながら、もうこのまま置いていこう、と俺の中の悪魔が囁いた。
ええい、どっかいけ!

やっと起きたと思ったら、譫言のように、看護婦さんが、看護婦さんが、と繰り返す朝比奈さん。
わかりましたから落ち着いてください。
あの2人といるときとはまったく逆の意味で、不安と恐怖が薄らいできた。
俺がしっかりしないと、マジで共倒れですよ!?
弾もあと3発しかないし、これからどうするべきか…。

とりあえず弾の消費を抑えるために、ショットガンは朝比奈さんに持たせて、俺は点滴の支持棒を武器にすることにした。
もちろん朝比奈さんには絶対に撃たないように、と念を押しておいた。

だって誤射されそうだし。
とりあえず長門と古泉に合流すべく、病院内を探索するのがベストだろう。
一人じゃこの人を守るのは無理だ!
俺たちは今まで以上に慎重に病院内を探索した。

しかし、この世界の光景にはいまだになれないな。
まして朝比奈さんはさっき起きたばかりだからさぞやおびえている事だろう…と思いきや、この光景にはあまり驚いていないようだ。

さっきもショットガンのほうに怯えてたみたいだし、たまによくわからないな、この人。
妙な謎解きもいくつかあったが、それは朝比奈さんが解いてくれた。
相変わらず回りくどい不気味な文章だったり、パーツを組み合わせると人体模型の目が見開いたりと、嫌な気分になる仕掛けばかり。

本当にこの世界をつくった奴とは友達にはなれんな。たとえそれがハルヒでも。
中でも、豚レバーとオキシドールを組み合わせて火をつけるところなんか、朝比奈さんがいなかったらお手上げだった。
置いて行かなくて良かった…。

そして、俺たちの探索は、残すところ地下室だけとなった。

地下室には前と同じように扉が両側に並んでいた。
違うのは見た目ぐらいのもんだ。
俺は、迷わず奥から2番目、長門と古泉と最後にいた場所への扉を開いた。
二人が居る可能性が高いと思ったからだ。
扉を開けて中に入る俺と、後ろに続く朝比奈さん。

しかし二人がいるかも、という期待は見事に裏切られた。
そもそも俺はこんなところに来たことすらない。
あの異常な部屋ではなく、そこは迷路のように入り組んだ、部屋というよりは通路だった。
おかしい、こんな空間があるはずがない…。
だって両隣には部屋があるのに。
嫌な予感がした。

キョン「朝比奈さん、戻りましょう」

みくる「ふぇ、でもまだ奥まで…」

キョン「いいから早く!」

きびすを返した俺が見たものは、いとも簡単にひしゃげる鉄製の扉と、

あの赤い三角頭だった。

俺は素早く朝比奈さんからショットガンを掴みとると、奴に向けて撃った。

1発、2発、駄目だ効いていない!

キョン「駄目だ!朝比奈さん、奥に逃げましょう!」

みくる「は、はい!」

長い通路を俺たちは走る、走る。

朝比奈さん、駄目だ追いつかれる。
走るんだ、頑張れ朝比奈さん。

俺たちの眼前に開いたエレベーターが見えた。

キョン「あれに乗って逃げるんです!急いで!」

ぜぇぜぇと息を切らして逃げる後ろから、槍を持った三角頭が迫る。

俺は先にエレベーターに乗り込み、1階のボタンを押して朝比奈さんを待った。
朝比奈さん!早く!
しかし何故かエレベーターのドアが閉まり始めた。
何故だ!?
開ボタンを連打するがドアは開こうとしない。

朝比奈さんの顔が恐怖に引きつる。

みくる「待って!待ってキョン君!!いやぁぁ!!」

扉が閉まる寸前に見た光景は、朝比奈さんが三角頭の槍に捉えられる瞬間だった。

俺はエレベーターで一人、がっくりと膝を着いていた。

朝比奈さん…。

朝比奈さん…。

俺のせいだ、俺の…。

朝比奈さんの断末魔が耳について離れない。

重い。

何故俺がこんな仕打ちを受けなければならないんだ?

これはお前が望んだ世界なのか、ハルヒ…?

本当にお前が?

俺はお前に会って聞かなければならない。

それまでは…。

エレベーターのドアが開いた。

エレベーターが開いた先は、扉以外は何もない、がらんどうな部屋だった。

こんな部屋は1階には無かったが、そんなことはどうでもいい。

俺は目の前の部屋をくぐると、そこは診察室。そして…

古泉「おや、無事でしたか、心配しましたよ」

長門「…無事で良かった」

あれほど待ち望んでいた再会なのに、嬉しい気持ちは微塵も湧いてこなかった。

古泉「暗い顔をして…、何かあったんですか?」

俺ははぐれてしまってからのことを二人に話した。

ただ、朝比奈さんとは、はぐれてしまったと嘘をついた。

古泉「そうですか…、しかし朝比奈さんは心配ですが、涼宮さんに会って根本の原因をただすほうがいいかもしれませんね」

朝比奈さんならああ見えてけっこう強いですから、と続ける言葉が俺の胸を抉る。

キョン「しかし、俺はもうハルヒの居場所の見当がつかない。メールだってあれから来ないんだ。」
古泉「それなら考えて見たんですが…、こういうのはどうでしょう」

長門「涼宮ハルヒの家」

キョン「ハルヒの家?しかしどうやって?」

古泉「それがですね、下水道を通って駅まで出れば、地下鉄の線路沿いに歩いていけばなんとかいけるかもしれません」
キョン「なるほど…、しかしハルヒの自宅に行って何になるんだ?」

古泉「確かめたいことがあるんですよ」
古泉はそう言った。

確かめたいこと?
それはいったいなんだろうか。
俺は疑問に思ったが口にしなかった。
そして古泉も今はそれ以上は言わなかった。
言いたくないのか、言えないのか。
わからないしそれはどっちでも良かった。

―――それに、俺はもう引き返すことは出来ないしな。

古泉「じゃあ行きましょうか」

キョン「ああ、どこへなりと」

続く