【用語解説】

Last-modified: 2024-02-20 (火) 00:46:04

概要

ドロワーズ(ズロース)

比較的ルーズフィットで横サイドが長めであり、穿き込みが非常に深いものを指し、フイット性が高く横サイドが短めであるパンティーと区別される。また、ブルマーとも混同されがちだが、ブルマーとはイギリスの貴婦人が考案したトルコ風ズボンを元にした丈の短いものであり、ズロースとは別物である。
パンティーとズロースの中間的なものとしてショートズロース(カットズロース)といったバリエーションもある。
第二次世界大戦後、綿のメリヤス製のズロースが最高級品として日本国中を席巻し、スタンダードな下着として国民に普及した。ズロース以外のデザインが無かった頃は年代を問わず女児用や幼児用でも見られたが、現在では婦人用のみで、現状これをメインの下着として着用するのは昭和前半までに生まれた世代の女性に限られているため、衰退しつつある。しかし前述のように一定以上の世代の女性の直穿きでの需要もあることからグンゼなど、一部のメーカーからは継続販売されている。
またロリータ・ファッションのブランドからはen:Pantalettesに似た下着が「ドロワーズ」の名で販売されている。

ブルマ(ー)

女性が運動などを行う際に下半身に着用する衣類の一種で、ブルマあるいはブルーマ、ブルーマーとも呼ぶ。20世紀に世界的に広く普及した。
日本では、学校教育で体育の授業の運動時に女子の体操着として広く用いられていた。女子バレーボールや陸上競技の選手が試合や練習で穿くユニフォームパンツもあり、用途に応じてバレーブルマー、バレーショーツ、陸上ブルマーと呼ぶこともある。
ブルマーは、19世紀中頃、コルセットで腹を締めるような当時の下着に反発した女性解放運動家エリザベス・スミス・ミラーによって、自由度が高くゆとりのある下着として考案された。これは旧弊な拘束型衣服からの女性衣服の転換という革新的なものであった。諸説あるが、有力視されているのはアメリカ合衆国の女性解放運動家エリザベス・スミス・ミラーの発案を、女性解放運動家アメリア・ジェンクス・ブルーマーが「リリー」誌上で紹介した事により、ブルマーの名称はアメリア・ジェンクス・ブルーマーの名前(ラストネーム)に由来したとする説である。
女性解放運動家はこのブルマーで講演活動を行ったが、その姿は嘲笑の的となり、一時廃れてしまう。しかし20世紀に入り、自転車、テニス、乗馬などのスポーツを女性が楽しむようになると、ブルマーは運動着として着られるようになった。
当時は女性用の適当な運動着はなく、この発明は極めて画期的なものであった。この頃のブルマーはニッカーボッカーズボンのようにだぶつきがあり、膝あたりまで丈があった。また、別の説では乗馬用のズボンが変形したものともいう。
1960年代後半から織物製のちょうちん型に代わって、合繊ニットの密着型ブルマーが女子体操着として急速に普及する。1965年までは12%ほどだったが、その後5年間で50%に到達、70年代前半の間に76%にまで広がっている。普及のきっかけは東京オリンピックで日本が金メダルを獲得した女子バレーボールとされる。日本チームは体にフィットしたブルマーだったが、ソビエトやポーランドの女子チームはさらにぴったりしたブルマーをユニフォームとしていたのが注目された。またミニスカートの流行やナプキンの技術革新によって体の線を出すことに抵抗がなくなった若い女性たちに、国内メーカーが密着型ブルマーを売り出したことにより広まったと言われる。
『ブルマーの謎〈女子の身体〉と戦後日本』(青弓社)の著者の山本雄二は、当時のバレーボール日本代表選手たちが密着型ブルマーを下着のようで恥ずかしいと断ったという証言から、バレーボール普及説を否定している。山本によれば、戦後、文部省が作成した「新教育指針」により学生スポーツは勝利至上主義的な指導をとりやめ、全国規模での大会が禁止となったが、その結果、東京オリンピックでの成績は惨憺たるものとなった。その後、文部省は全国大会を容認。中学体育連盟(中体連)は多くのスポーツ全国大会を主催することになったが、資金難に苦しむようになる。そこで中体連は制服メーカーの商品に推薦を与えるかわりに、資金援助をしてもらうようになった。1966年、菅公学生服(当時は尾崎商事)は全国中学校体育振興会(中体連の指定機関)から体育衣料指定メーカーとして全国唯一の推薦指定を受ける。山本はこれが密着型ブルマーの普及時期と一致しており、メーカーが推薦指定をセールスポイントに学校に営業をかけ、急速な普及につながったと推測している。
思春期の少女にとって、足の付け根まで露出し、「体形が丸見え」「下着同然」「パンツがはみ出る」密着型ブルマーは不評であった。1987年、名古屋西高校で女子生徒の体操着として新たにブルマーを導入したところ、生徒による反対運動が起こった。1988年、朝日新聞で女子中高生がブルマーに反対する投書が掲載された。
1990年代に入ると、それまでは一部のマニアのものであったブルセラ趣味が商業的に展開され、女子生徒から着用済みのブルマーやセーラー服などを買取り販売するブルセラショップが誕生した。ブルマーが性的好奇心の対象として一般に認知されるようになると、運動会などの学校行事でブルマー姿の女子生徒を盗撮したり、校舎に侵入してブルマーを窃盗し逮捕されるなど不審者による事件が相次ぎ、社会問題として取り上げられるようになっていった。
1993年11月22日付朝日新聞はシンガポール日本人学校中等部でのブルマー統一問題を報じている。新任の保健体育教師がそれまで自由だった体操着を日本のブルマーに統一し、それ以外の体操着着用を禁止したところ、生徒から「太ももの上部まで見え、校外マラソンの際、通行人にじっと見られる」との苦情が寄せられた。この記事に対し、学校側の姿勢に批判的な投書があいつぎ、他紙でもブルマーの問題を取り上げるようになる。1995年には東京都小金井市議会で若竹綾子市議が問題提起を行い、それが朝日新聞に掲載されると、学校や保護者も含めたブルマ―廃止機運が高まった。
1989年に新語・流行語大賞にもなったセクハラの概念も後押しとなり、密着型ブルマーはハーフパンツやジャージに移行していき、教育現場から姿を消す。
トンボによれば現在でも密着型ブルマーはいくつかの幼稚園で採用されており、下着の上に重ね履きしたり、自転車に乗るのに履くという成人女性もいるという。
ずり落ちたり引きつったりせず軽量で、動きに対しても体に密着したショーツ型のブルマーが、オリンピックや国際競技の場で公式に使用されたことで、女子体操服の代名詞としてブルマーの認識が広まり、小学校・中学校・高校・日本人学校・幼稚園・保育園・特別支援学校などで、指定体操着として採用されるようになった。
体育の授業や掃除の時間をはじめ運動会(体育祭)、学芸会、マラソン大会など学校行事においても着用され、大学の運動部などでも使用された。
ローレグフルバックタイプのショーツ型ブルマーは形状的に女子の身体に最適化されており、「女子限定の体操着パンツ」として着用されている。男子のブルマー着用は一般的に忌避される行為であって女装と見なされるため、身体の性差が少ない小学生以下が対象であった。型番によっては男子も着用することが可能であり、一部の小中学校でも諸事情により男女共用として採用され、第二次性徴の男子にも着用された例も存在する。幼稚園、保育園では、男女共用として着用され、田舎の方では男子用の短パンの支給が足りず、女子用と同じタイプのショーツ型ローレグフルバックタイプのブルマーを男子にも履かせていた学校もあれば、水泳では耳まですっぽり隠れて顎の下で紐を結ぶタイプの水泳帽子も被り、水着の素材がナイロンとポリウレタン、背面の形状がU字型、ボトムラインがローレグフルバックタイプの女子用ワンピース・スクール水着を男女共に着て泳がせていたところもある。
1991年7月に発売された『月刊明星』8月号では、「走り続けてます!町内一の鈍足ランナー。」というタイトルで、女優の松雪泰子がグラビア撮影で卒業した高校の体操着を着用。白のソックスに運動靴。おさげ頭に紅白ハチマキを赤にしてきっちりしめる。両腕(前腕と肘)と大腿部(太股、膝、脛)の肌を晒しながら必着している白無地のバレーシャツ半袖体操服、濃紺無地のブルマーを身体にフィットした格好でグラビア撮影に参加。 1999年から2000年にかけてテレビCMで流れた「東京電話」では、『寺内貫太郎一家』の家族のひとりである娘、静江役として田中千絵が出演。白無地のバレーシャツ丸首半袖体操服に濃紺無地のブルマー。白ソックス、運動靴。頭に紅白ハチマキを赤色にして締めた恰好で、携帯電話を持って通話しながら走るふりをして宣伝していたケースもある。
前述の経緯から現実の校庭からは消え失せたブルマーだが、性的興味の対象として熱狂的なマニアが存在するほか、男性向け作品のフィクションの中では人気があり、萌え属性の一つとして定着している。
学園物の成年コミックやアダルトゲームの大半や、場合によっては全年齢対象の作品においても、女性キャラクターにブルマーを着用させているケースが見られ、ブルマーに対するフェティシズムを前面に押し出した「ブルマー物」と呼ばれる作品ジャンルも存在する。
「ブルマー物」の場合、ブルマーを知らずに育った世代が増えた現代では、初めてブルマーを知ったという人間も多いと言う。こうしたフィクションでは当然のように使われていたため、現在でもブルマーが学校の体操着として使用されていると勘違いしたままの人間もいた。
現在もコスチュームショップやブルセラショップ、体操着を取り扱っているオンラインショップでは購入可能であり、日本におけるブルセラショップで取り扱われるフェティシズム対象物として、制服と並べて取り上げられる代表格に挙げられるものである。
1972年に札幌で開催された『冬季オリンピック』に向けて、20歳くらいの女性選手が木のソリを使ってスピードを競う競技『リュージュ』に出場。真夏の北海道では、紅白帽子、白無地のバレーシャツ丸首半袖体操服に濃紺無地のブルマー。白のハイソックスに白の運動靴という女子小学生が体育の授業を受ける格好で練習。体操服をブルマーの中に入れ、頭に紅白帽子を白にして被った格好で汗を噴き出しながら、車輪がついたソリにあおむけの状態で寝るなど、自転車に乗るなどイメージトレーニングの練習に励んでいた。
1997年3月に放送された「めざましテレビ」(フジテレビ系列)の中継コーナー「日本全国! 朝から大変だ!」の中で、テレビ西日本の中継リポーターを担当している31歳の女子アナウンサーが綱引きクラブの取材ならび練習に参加。服装は体操着一式を着用して収録を行うと聞かされる。上半身は白無地の襟付長袖体操服を着用して両腕から肩、首まわり、背中、胸、腹まで密着。白のソックス、上履きを履いて足元を整える。頭には紅白ハチマキではなく小学校で使用する紅白帽子を赤にして被り、ゴム紐を耳の後ろに通して顎にしっかりかける。最後はジャージの長ズボンではなく小中高で女子生徒が穿くショーツ型の濃紺無地のブルマーを着用して太腿部を晒したまま臀部や下腹部、女性器まで密着させて腰全体を温める。着替えが終わった後は外へ出て本番をむかえる。本番は体育館前で行われ、冬場の寒い中で紅白帽子、白無地の襟付長袖体操服、濃紺無地のブルマー、白のソックス、上履きのまま、31歳の女子アナウンサーは女子小学生が体育の授業を受ける格好のまま大腿部を冷して外の寒さをこらえながら、取材内容ならびにチームの紹介をしてから後ろ向きで館内へ入っていった。館内に入った後はインタビューもしたり、綱引きの練習では汗水を流して黒髪や顔、大腿部は汗で濡れ、紅白帽子、白無地の襟付長袖体操服、濃紺無地のブルマー、白のソックス、上履きまで汗水で全身びしょ濡れになりながら必死に頑張りぬく姿も見せていた。
2014年にダンス&ボーカルパフォーマンスユニット『TEMPURA KIDZ』が、体育館でのPV撮影で体操着を着用。メンバー構成は、女子4人と男子1人の5人編成。衣装として用意されたのは、丸首半袖体操服、帽子、ハイソックス、運動靴、カラータイツ。女子メンバー4人ブルマーと男子メンバー1人だけ短パン着用の話もあったが、グループに統一感を出す為、女子メンバー4人だけでなく、男子メンバーにもブルマーを着用してもらうかたちとなった。メンバー全員、タイツの上からブルマーを着用して腰全体を密着。当時14歳の男子メンバーにとっては、PV撮影だけでなくライブやイベントでも勃起によって陰茎がブルマー越しに膨張することもあり、もっこりさせたままでも一生懸命こなしていたこともある。
1995年1月1日(日、18:33 - 20:54)『2年越し!超超興奮!仰天"生"テレビ!!』の枠内で生放送された『欽ちゃんの第44回全日本仮装大賞』に、大阪府内の小学校に通う6年生の児童22名が出場(26番『ワイパー』、別の車からの泥はねで一部の雨滴が泥水の水滴に変わる様子を顔を水色から黄土色に塗って表現するという内容)。 出場する6年生男女児童全員、演技衣装として学校指定体操着に着替え、6年生男子児童は、白の水泳帽子、白無地の襟付き半袖体操服に白無地の短パン、ハイソックスに運動靴。6年生女子児童は、白の水泳帽子、白無地の襟付き半袖体操服に濃紺無地のブルマー、ハイソックスに運動靴。体操着着用のまま頭に水泳帽子を被って着衣水泳を行う恰好になったら、雨粒に扮するために自分の顔を水色にまんべんなく塗り染める。 本番では、6年生男子児童は白の水泳帽子に水色に塗り染まった顔、白無地の襟付き半袖体操服に白無地の短パン、ハイソックスに運動靴。6年生女子児童は白の水泳帽子に水色に塗り染まった顔、白無地の襟付き半袖体操服に濃紺無地のブルマー、ハイソックスに運動靴。学校指定体操着に水泳帽子という着衣水泳を行う恰好に顔を水色に満遍なく塗り染め、腕と両脚の肌を晒して寒さをこらえながら、水色にまんべんなく塗り染めた顔が泥はねで一部の雨滴が泥水の水滴に変わる様子を顔を黄土色に塗って表現したが、結果は不合格。 演技終了後、6年生男子児童は白の水泳帽子に水色と黄土色に塗り染められた顔、白無地の襟付き半袖体操服に白無地の短パン、ハイソックスに運動靴。6年生女子児童は白の水泳帽子に水色と黄土色に塗り染められた顔、白無地の襟付き半袖体操服に濃紺無地のブルマー。ハイソックスに運動靴。体操着着用に水泳帽子を被って着衣水泳を行う恰好のまま、水色に塗り染められた顔は黄土色に塗り染まって顔全体がベトベトになり、両腕と両脚の肌を晒して寒さをこらえながらステージ前に登場し、ショックの上に涙をのんだ 。
1988年に発行された『月刊明星』(集英社)5月号で、内海光司(光GENJI)の幼少時代の写真が掲載。その中で近所のお祭りに行く前に自宅の駐車場の前で撮影された写真があり、「近所のお祭りに行くとこ。ブルマーはいて、まるで女の子!」というキャプションがつけられていた。上半身は、白無地のバレーシャツ丸首半袖体操服を着て首廻りから肩、背中、胸や腹、腕(後腕)まで密着させ、その上に赤の法被を着て帯できっちり縛ったあと、お祭り本番で頭に縛るねじり鉢巻を首にかける。足元は裸足に靴。下半身は、白の短パンではなく、臀部や下腹部、男性器まで覆って着用されている白パンツの上から、女子が穿くショーツ型ローレグフルバックタイプの濃紺無地のブルマーを穿いて腰全体を密着。ブルマー着用後は勃起によって男性器の陰茎が固く太く大きくなり、形状が露見するほどブルマーのフロント(前身頃)越しに盛り出している。写真撮影ではカメラの真正面に向き、上半身は白無地のバレーシャツ丸首半袖体操服の上に赤の法被を着て帯できっちり縛る。ねじり鉢巻を首にかける。足元は裸足に靴。下半身は大腿部を晒したまま濃紺無地のブルマーを着用し、勃起によって固く太く大きくなった男性器によってブルマーのフロント(前身頃)越しに盛り出して腰全体に密着させた状態で身なりをきちんとした格好で行われた。
1987年11月から1988年4月まで放送された「美少女学園」(テレビ朝日系列、日曜昼12時)のテレビ番組の中で「ずぶ濡れバレーボール」という企画が行われ、屋内プール場を貸しきって、水深膝下くらいの深さまで入っているプールに設置された特設バレーコートで美少女アイドルと一般参加の女性がプールに入ってバレーボールの試合を行った。実際、プール場は更衣室で私服から水着に裸足姿になって入場するのが普通であるが、一般参加の女性チームは更衣室で私服を脱いで下着姿になり、長袖ユニフォームシャツにバレーブルマーに着替え、白のハイソックス、白の運動靴を履いて、膝サポーターをつけて入場した。プールに入る時は、白のハイソックス、白の運動靴を履いたままバレーボールの試合に挑んだ。終了後は、美少女アイドルチームは水着に裸足姿のままうがい、洗眼をしてシャワーを浴びたら更衣室に入るが、一般参加の女性チームはうがい、洗眼をした後、プールで濡れた膝サポーター、白のハイソックスに白の運動靴はもちろん、長袖ユニフォームシャツにバレーブルマ着用のままシャワーを浴びて全身びしょ濡れのまま更衣室に入った。|||||