ブルース・リー

Last-modified: 2024-03-17 (日) 09:22:12

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更新日:2024-03-17 (日) 09:22:12
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■ブルース・リー

ブルース・リー(英語名:Bruce Lee/漢字名:(リー) 小龍(シャオロン))*1は、イギリス領香港九龍出身の武道家、俳優、脚本家、映画プロデューサー。
1940年11月27日生まれ。
1973年7月20日没。享年32。

截拳道(ジークンドー)の創始者としても知られる。
上記の生没年の通り、32年という短い生涯であり悲劇のスターの代名詞ともなっている。*2

出生名は(リー) 振藩(ジェンファン)*3
誕生したのはアメリカ合衆国サンフランシスコであり、米国籍も持つ。

70年代を迎えた香港映画界に突如として出現した不世出のアクションスターであり、画面越しにも伝わる優れた武術の腕前と圧倒的なカリスマ性により、それまでの香港映画界でのアクション=剣戟の常識を根本から覆し、素早い突きや蹴りを用いた、カンフーアクションへと流行を塗り替えた。

夭逝した為に、残したタイトル自体は僅かにもかかわらず、自分の死後にスターとなったジャッキー・チェン?等が活躍する土壌を、たった一人で作り上げたとまで言ってもいい。

尚、俳優一家に生まれたことから、映画への出演歴自体は幼少期にまで遡るが*4
後世にまで語り継がれる存在となった、ブルース・リーという伝説の始まりは18歳で単身渡米し、武道家としての活動を経て、映画界に飛び込んで後のことである。

妻は、単身渡米した後に学生結婚をしたリンダ・エメリー。
息子にブランドン・リー。
娘にシャノン・リー。

息子のブランドンも、後に父親と同じく若くして映画界に入るものの、28歳で夭逝している。


【出生】

父は、広東演劇の役者であった中国人の李 海泉で、母親は、香港の実業家の娘で、ドイツ系コーカソイドと中国人のハーフであるグレイス(何愛瑜)である。

一家は裕福だったようで、家族全員を連れての父親のアメリカ長期巡業中の1940年11月27日 午前8時の辰年辰の刻に、滞在していたサンフランシスコ中華街の病院で誕生した。
5人兄弟(姉二人、兄一人、弟一人)の4番目。

父親は舞台のみならず中国資本の映画にも出演していたのか、ブルースも生後3ヶ月にして銀幕デビューを飾っている。

1941年に、一家はイギリス占領下の香港へと帰国。
しかし、同年暮れからイギリスは日本との交戦を開始し、香港は日本軍の占領下に置かれる。
この間は映画制作が止められてしまっていたが、
第二次世界大戦終了後に日本の支配を離れて映画制作が開始されると、ブルースは8歳頃から子役として多数の映画に出演するようになり、そんな生活が18歳の渡米の頃まで続くこととなった。
香港映画は制作スペースが早いとはいえ、ブルース=ジェンファンことリー・シャオロンは一年に一作、時期によっては二~三作以上の出演作品が記録されている。

また、人生初めての武術の師は太極拳を教えてくれた父であったが、子役時代に所属していた上海精武体育会香港分会にて北派少林拳を学び、1953年からの5年間には、詠春拳の達人として知られるイップ・マン(葉問)に弟子入りして修行をしていた。
この時に習い覚えた詠春拳の修行が、後に自身が創設する截拳道の基礎となった。

また、この頃には女の子にモテる為にダンスにも打ち込んでいたとのことで、得意のチャチャチャで地元香港の大会では優勝する程の腕前であったともいい、その時の映像も後に出回っている。
映画でも見せていた躍動感のあるリズムや独特の足運びには、武術のみならずに、こうしたダンスの影響を指摘する声もある。


【米国時代】

……こうして、恵まれた環境で自身の才能を活かす場も持っていたブルースだったが、そんな環境が高慢さを増長させたのか、十代の頃は毎日のように喧嘩に明け暮れていたという。
父も“俳優の不良息子”として悪名が香港中に広まってしまったことを心配して、18歳の時に更生も兼ねて単身渡米を命じ、僅か100ドルの所持金を手にワシントン州シアトルに移り住む。

ブルースは新聞配達をしながらも職業訓練学校に通い、高校卒業の資格を得るとワシントン大学哲学科の学生となった。
勉学の傍ら“振藩國術館”という武術教室を開いていた他、高校で哲学を教える職も得ていたという。

この頃、武術教室の弟子にして、同じワシントン大の医学部の生徒だったスウェーデン系イギリス人のリンダ・エメリーと学生結婚。
大学を中退すると、詠春拳をベースとした自身が習い覚えてきた中国武術に哲学の思想を加えた実践的武術、論理的思考学である截拳道(Jeet Kune Do/JKD)を提唱すると共に創始者となり、道場の経営に専念するようになった。

1966年に“ロングビーチ国際空手選手権大会”にゲストとして招かれ、詠春拳の演舞を披露。
拳法の型の他、ブルース・リーの伝説的な必殺技として語り継がれることになる、ワンインチパンチ?や槍のようなサイドキックの威力が捉えられた映像がTV局のプロデューサーの目に留まり、
この頃に大流行していたドラマ版『バットマン』の影響を受けて制作されたTVシリーズ『グリーン・ホーネット』(66-67年)の準主役の“カトー”役に抜擢される。*5
この役は大当たりとなり、これをきっかけとして名声が広まったブルースの道場には、名だたる俳優やプロデューサーが顔を見せるようになり、忙しい彼等の個人指導を行うようになった。
弟子にはジェームズ・コバーンやスティーブ・マックイーンといった映画史に残る大スターも名を連ね、ブルースが逝去した時には葬儀に参列した。

また、ドラマ内で“カトー”の付けていたドミノ・マスクも人気を集め、主人公のグリーン・ホーネットも付けているにもかかわらず、同作のファンだったクエンティン・タランティーノの『キル・ビル』では“カトー・マスク”と称されてザコ敵が身に付けて登場している。

『グリーン・ホーネット』の終了後、役者としても更なる飛躍を夢見たブルースは、新たなるTVシリーズ『燃えよ!カンフー(原題:Kung Fu)』(72-75年)を企画し自らが主演することを願ったが、当時のアメリカでは外国人で東洋人のブルースが単独の主演となることは難しく、結局は原案のみとなった。*6


【ドラゴン危機一発】

こうして、米国のTV、映画界への失望を味わったブルースだったが、人気者となったブルースに故郷である香港の映画界が声をかけてきた。
大手のショウ・ブラザーズから独立した大物プロデューサーのレイモンド・チョウが新会社ゴールデン・ハーベスト(GH)を設立し、一本一万香港ドルでブルースと二本の映画制作の契約を結んだのだ。

これを受けて、大物監督のロー・ウェイが監督で一作目の『ドラゴン危機一発』(71年)の撮影が開始される。
因みに、当初はここでもブルースは準主役という位置付けだったのだが、アメリカでの鬱憤を晴らすようなブルースのアクションに現場も魅せられ、急遽シナリオが書き換えられてブルースの単独主演作とすることが決まり、元々の主役であったジェームス・ティエンは途中で殺される役回りとなった。
尚、多忙なロー・ウェイは本作の直前の映画の完成に手間取り現場に来るのが遅れ、その間はGHのレナード・ホーが演出を担当。
ホーも去った後は助監督兼役者のチー・ヤオチャンが監督代行を担当。
後からやって来た上にリーとは馬が合わなかったローに対して、チーは以降の全てのブルース主演作にて助監督として呼ばれることになる。
また、撮影場所のタイで現地スタッフとキャストを纏めた現地華僑のチェン・チャオは76年に制作された『カンフーに生きる!ブルース・リー物語』にも本人役で出演している。

ただ、後から見ると武術指導も別人が行っていることもありブルースのアクションもそこまでみられず、ブルース主演作の中では今ひとつな評価を受けることが多い。
低予算であったためチープな印象を受けてしまうのも原因か。*7


【ドラゴン怒りの鉄拳】

こうして、公開された『ドラゴン危機一発』は香港映画史上No.1の興行収入を塗り替える大ヒット作となった。
『ドラゴン危機一発』が世間を賑やかせる中、第二作『ドラゴン怒りの鉄拳』(72年)の撮影が開始される。
本作では、前作での信頼からブルースは主演と共に武術指導を担当。
前作から僅か4ヶ月後の封切りとなり、自ら前作の記録を破る大ヒットを記録し、ブルースの人気を不動の物とした。

尚、同作のスタントとして先輩のサモ・ハン・キンポーの伝で、若き日のジャッキー・チェン?が出演していることでも有名。(道場の障子を突き破って庭まで吹っ飛ばされる役。)

また、同作からブルースの代名詞であるヌンチャクと怪鳥音(気合いの声)が初登場している。

怪鳥音とは、カンフーの掛け声として定着している「アチョー!」や「ホァァ!」や「アタァ!」のアレであり、これもブルースが元祖である。
日本だとアニメ版『北斗の拳』のケンシロウ(CV:神谷明)が見事な怪鳥音を発していた。
元々は、単にアクションの中でブルースが気合いを発したのを、本作でも監督であったロー・ウェイが注目して面白がり、大袈裟に気合いを発するようになったことで誕生したらしい。

元は沖縄空手の武器であるヌンチャクは、当時香港映画を活動先としていた日本のアクション俳優である倉田保昭が談笑の中でヌンチャクのことを話題に出したリーにプレゼントしたのが最初だ、と言われているが倉田の側からの証言のみなので事実は確認されていない。
実際にはヌンチャクではなく、米国での弟子の一人で友人のフィリピン系アメリカ人のダニー・イノサントが教えたフィリピン武術カリのタバク・トヨクである、との説もある。
映画で使用されていたのは安全性を考慮したゴム製で、しなっている場面が見受けられたりする。

監督は前作終盤と同じくロー・ウェイが担当…だが、演出や脚本での意見の違い*8や撮影中に競馬を聞くなどのロー・ウェイの態度から完全に決裂することとなった。
ローの側はブルースを手放したくなかったが、ブルースは次作への出演要請について、脚本を散々に貶した上に先延ばしにしてタイミングを外れるように仕向けている。
後の76年にローは本作の続編企画となる『レッド・ドラゴン/新・怒りの鉄拳』を制作している。
ブルースの死後、低迷していた香港アクション映画の復活を目論んだ作品としてジャッキーをオーストラリアから呼び寄せて撮影された作品だったが、全くジャッキーの魅力を活かせないブルースの猿真似をさせるだけの演出で大コケしている。

本作で敵のボスの鈴木を演じたのは、当時勝プロに所属していた橋本力で、彼は『大魔神?』の中の人としても知られる役者である。
ブルースは勝プロ代表の勝新太郎の演じる『座頭市?』の大ファンで、まだ香港でヒットを飛ばす前の、謂わば役者としては日本では無名の頃に勝プロを訪れて勝の出演を依頼。
その熱意に打たれた勝が信用を置く橋本と、同じく用心棒役で出演している勝村淳を送ることを決定したという。
勝村によれば一騎討ちの場面では自分が殺陣の指導をしたとのことだが、脚本も渡されなかったので映画の内容までは知らなかったとのこと。
尚、本作に登場してくる雑魚敵である鈴木の弟子達は監督のローの「そっちの方がいい」という理由で、半数以上が袴を反対に履いているが、流石に橋本達の出演シーンでは普通に履いている。

また、屈強な外国人空手家を演じたボブ・ベイカーはブルースの米国時代の友人で弟子の一人である。


【ドラゴンへの道】

こうして、予定されていた契約で共に大ヒットを飛ばしたブルースは、続いて第三作『ドラゴンへの道』(72年)制作の契約を結ぶ。
本作でブルースはレイモンド・チョウの協力もあって個人事務所のコンコルド・プロダクションの所属となって撮影に臨み、監督、脚本、武術指導、主演の全てを行い、文字通りの“自分の映画”を作り上げた。

前作『ドラゴン怒りの鉄拳』が、かつての日本占領下での絶対的な力を持つ相手への反逆という悲劇的な側面も持つ物語だったのに対し、ブルース脚本となった本作では、
イタリアのローマを舞台に、ヒーローがマフィアの魔の手からヒロインと彼女の店を救い出す明るく楽しい活劇へと仕上がってており、ブルースの演じる主人公も明るく飄々としたブルース作品では珍しいキャラクターが付けられている。

本作では雑魚敵もブルースによって懲らしめられるだけに留まっているのだが、コロシアムを舞台に映画の最後を飾る文字通りの“死闘”を演じる相手として、本物の武術家で後に米国を代表するアクション俳優として“伝説”を生むことになるチャック・ノリスが招聘されている。
当時のチャック・ノリスは、友人のブルースの依頼で映画業界に関わるようになったばかりの頃で、後にブルースとも共通の弟子であったスティーブ・マックイーンの薦めで、苦労しながらも本格的に映画俳優に転身することになる。

二人の戦いは綺麗な攻防ばかりでなく、汚い手を使いながらの決着となるが、これは共に本物の武道家であるブルースとノリスがディスカッションを重ねて演出したものであり、後にノリスがビッグネームとなったことも合わせて、ブルース作品史上“最高の戦い”と呼ばれている。

本作も当然のようにヒットを記録し、ブルースの高名と共に、新興だったゴールデン・ハーベストは香港映画界で最大のプロダクションとなり、後にジャッキーやサモ・ハンといった新時代のスターを送り出すことになる。


燃えよドラゴン?

続いてブルースは、四作目で自身の完全な監督作品としては二作目となる『死亡遊戯』の制作を開始していたが、香港で瞬く間にスターとなったのに注目したアメリカのワーナー・ブラザーズが出資し、ゴールデン・ハーベスト傘下でブルースの主宰するスタープロ、コンコルド・プロダクションとの共同制作作品集の企画が持ち上がったことから中断され、香港とアメリカ合作による大作アクション『燃えよドラゴン』(73年)の制作が開始され、そちらの優先の為に『死亡遊戯』の撮影は中断された。

アメリカでの失敗の記憶もあり気合いの入っていたブルースは、映画の内容について積極的に関与していき、本作も脚本段階ではブルースの演じるリーは準主役であったが、撮影開始までに主演となった。
この為、後から敵のボスであるハンを倒す理由に“少林寺を裏切った”とする要素を付け足す等の変更が加えられていった。
しかし、おおよその流れは変更の時間が無かったのか元の脚本を流用した為、ハンがジョン・サクソン演じるローパーにばかり注目し、懐柔を企てるといった不自然な流れを作ったとも分析される。

クレジット上の監督はロバート・クローズだが、実際にはブルースが単独で追加したシーン等も多く、有名な「Don’t think. FEEL!」*9の場面もその一つである。

オハラ役のボブ・ウォールはチャック・ノリスの親友で、ノリスに誘われて前作『ドラゴンへの道』に出演したのをきっかけに本作での抜擢を受け、中断された『死亡遊戯』にも出演している。
『ドラゴン怒りの鉄拳』のボブ・ベイカーと同一人物と勘違いされることもあるが、別人である。
にもかかわらず、ブルースとはウマが合わなかったのか、一対一での格闘シーンにて本気の蹴りを受けて吹っ飛ばされる羽目となっており、自身も胸部を負傷、オマケに後ろに控えていた椅子に座っていた人間も巻き添えを食って骨折等をしている。
また、この格闘シーンの中で最後にオハラが口をゆすぐ為の水が入ったビンを割ってリーに襲いかかり、あっさりと反撃されてからフィニッシュとなるのだが、本物のビンを使ったことでブルースが本当に手首を切ってしまった。
前後は定かでは無いのだが、上記のサイドキックはブルースの報復だったとの想像もある。
また、このシーンのせいで元は近隣から集めてきたチンピラで、映画内容に触発されてブルースに喧嘩を売る人間が続出しては叩きのめされ、結果的にブルースシンパと化していたエキストラ達が、ウォールを殺せと息巻きリンチにかける勢いであったが、監督のクローズが「(アメリカでの撮影が残っていて)必要な役者だから」と間に入って収めたという。

実は、アクロバットが苦手であったと言われるブルースのハイジャンプや回転系のアクションはユン・ワーが代役をしている。
ユン・ワーは『カンフーハッスル?』の大家役等で知られる。
また、武術指導を任されていたのは、当時は若干21歳であったラム・チェンインで、ラム・チェンインは『霊幻道士?』シリーズの道士役で知られる。
彼等の実力に信頼を置くブルースにより、米国向けのアクションチームの一員として売り出す計画があったが、ブルースの逝去により叶わなかった。

この頃からブルースの死因と有力視される脳腫瘍が進行していたとも言われ、以前のブルースと共通した、人柄と度量を感じさせるエピソードが本作でも語られてる一方で、本作のブルースは些細なことで激怒していたとする証言もあるが、病気が理由なのか今度こそ米国進出を成功する為にナーバスになっていたのか、実態は不明である。
また、以前の作品とは顔つきが変わっているが、映画に合わせたメイクもあるので、何処までが真実かが分からず、ミステリーに拍車をかけている。
一方、最後に撮影されたシーンとなったサモ・ハン・キンポーとの試合シーンでは明らかに以前よりも痩せている為に、矢張り病気は真実だともされている。

スタントマンとしてジャッキーが出演しているのを初め、後に香港映画界で有名となる人物も含めて、当時の香港映画界の売れっ子が端役でありながらも多数出演していることでも知られており、ゴールデン・ハーベストとしても香港映画をハリウッドに売り込むチャンスだと考えられていた。
実際、本作は大ヒット作とはなったものの、公開直前にブルースが逝去
また、香港や中国語圏では『ドラゴン危機一発』や『ドラゴン怒りの鉄拳』を越えるヒットとはならず、ブルースの死のショックもあってか、アクション映画自体が下火となっていった。

香港映画では役者の声は編集段階で吹き替えられるのが普通で、ブルースも以前の作品では北京語を喋れない等の理由で吹き替えられていたが、本作での英語音声では実際のブルースの肉声が使われている。

ボスのハンを演じたシー・キエンは実際に少林拳の達人で、ブルースからも“叔父貴”と慕われていた人物。
当時、60歳近いながらも自らアクションをこなしている。ファンからは“ただのオッサン”として軽く見られがちだが実際はこういう経緯のある人なのである。

ブルースの死後、それ以前の『ドラゴン危機一発』から始まる主演作品も海を渡って公開され、ブルース・リーの名前は皮肉にも本人の死後に念願叶って歴史に刻まれることになった。


【死亡遊戯】

上記の様に、本来は『燃えよドラゴン』より先に撮影が開始されていながらも撮影が中断されていた『死亡遊戯』(元々の企画段階でのタイトルは『死亡的遊戯』)であったが、
5年後の78年に、ブルース最後の作品として未完成分を埋めて完成させようという計画が起こり、監督に『燃えよドラゴン』に引き続きロバート・クローズが起用され、表には名前を出されなかったが、同じく監督としてサモ・ハン・キンポーが起用されて映画の完成に挑んだ。
ブルースの撮影シーンとして90分程のフィルムが残されていたが、OKシーンはその内の35~40分程で、オマケにクライマックスの塔内に突入してからのシーンでは、ブルースの他にジェームズ・ティエンとチェン・ユアンによる演出シーンが存在しており、整合性を取る為には更に2/3以上をカットせねばならなかった。
その為、シーンを繋ぐために吹き替えが使える戦闘シーン以外では過去のブルースの映画から流用されたシーンが多く、鏡越しの脅迫シーンでは鏡にブルースの顔写真を貼り付けて撮影しており、Blu-rayでは映像の粗さで誤魔化せていたそうした苦労が判るようになってしまっている。

本作のブルースの代役は、サモ・ハンとジャッキーの後輩で後に同じく“香港映画三銃士”に数えられるユン・ピョウだと言われていたが、実際には殆どのシーンを『燃えよドラゴン』等と同じくユン・ワーが務めている。

敵役の内、最大の見せ場となる長身の黒人ハキムを演じたNBAのカリーム・アブドゥル=ジャバーと、棒術使いを演じたダニー・イノサントは共に米国時代のブルースの弟子である。
カリームは、休暇でたまたま香港に来ていたのをブルースが声をかけて出演を依頼した。
フィリピン系のダニーは、前述の様にブルースの弟子であると同時にフィリピンの格闘技を反対に指導した間柄であり、後に截拳道の正式な後継者となつている。

本作は、世界的にはヒットしなかったものの日本では大ヒットとなった。

2000年には、更に本作の未使用フィルムと関係者インタビュー、一部に再現シーンをも盛り込んで完成させたドキュメンタリー『Bruce Lee in G.O.D 死亡的遊戯』が日本と香港協力で大串利一監督により公開されている。
同じく、同時期に米ワーナーにより、ドキュメンタリー『Bruce Lee: A Warrior's Journey』が公開されており、見比べてみると噂通り、同じシーンであっても別の監督による別テイクが存在していたことが解る。


【死去】

1973年7月20日、ブルースは撮影を再開する『死亡遊戯』に出演予定の女優ベティ・ティン・ペイ(丁珮)の自宅に、打ち合わせの為に居た所で頭痛を訴え、鎮痛剤を飲んでベッドで横になったものの、気付いた時には意識不明の昏睡状態となっていた。
ベティは、直前まで自宅で二人と打ち合わせをしていたゴールデン・ハーベストのレイモンド・チョウを呼び戻して相談し、蘇生を試みたり医者を呼んだが改善しなかった。
結局、クイーン・エリザベス病院へと搬送されたが時すでに遅く、ブルースは帰らぬ人となった。
死因は脳浮腫で、死亡したブルースの脳は過剰な水分の増加により13%も肥大していた、とも言われている。

尚、こうなる以前から『燃えよドラゴン』のアテレコ収録で倒れる等の兆候を見せており、前述の様に撮影中には既に病気が進行していた、とする意見もある。

一方、現場に居たレイモンド・チョウはベティが与えたアスピリンやメプロバメイトを含む鎮痛剤(Equagesic)に対するアレルギー反応が原因だと発言しており、解剖結果にもそれを証明する部分が出ているとも言われる。

友人であるチャック・ノリスは、ブルースが飲んでいた筋弛緩薬が死に至らしめたのだと主張。
しかしながら、こうした関係者による薬物に関わる憶測はブルースが麻薬常用者であり、その中毒により死んだのだとする風聞を呼ぶことにもなった。

また、かなり後になってから目立った外傷無しとの検死記録から“てんかん”による突然死であった。とする意見も出されている。

この他、ブルースの死は裏社会による暗殺?であるとする説もあったりと、この世紀のスーパースターの死に纏わる伝聞は半世紀近くも格好のネタとなってきた。

特に、ブルースの死から20年後、息子のブランドンもまた主演映画『クロウ/飛翔伝説?』にて、小道具と思われていた拳銃に入っていた本物の弾丸により射殺されるという衝撃的な最期を迎えており、親子二代に渡る悲劇、一家の呪いとまで囁かれた結果、この話題のスキャンダル性を高め、伝説と化させてしまったとも言える。

……何れにせよ、歴史に名を残したスーパースターには早くして命を落とす人物や不可解な死を遂げる人物が居るものだが、ブルース・リーもまたそうした人物の一人となってしまったのであった。

葬儀は香港と自宅のあったシアトルの双方で行われ、香港では数万人ものファンが参列し、シアトルでは前述の通り弟子である有名俳優等が参列した。

遺体はダウンタウン近くのレイクビュー墓地に埋葬され、墓碑銘は“FOUNDER OF JEET KUNE DO”とされ、更に截拳道の理念である“以無限為有限 以無法為有法”と、意訳された“YOUR INSPIRATION CONTINUES TO GUIDE US TOWARD OUR PERSONAL LIBERATION”の文字が刻まれている。

そして、20年後にはブランドンの墓碑もブルースの隣に置かれることになり、大理石製のリー親子の墓が仲良く並んでいる。


【武道家として】

截拳道を開く以前に、正式に武道として学んだのは、イップマンを師として5年間を過ごした詠春拳のみだが、ブルースは常に実戦を意識した格闘理論の完成と実践を目指し、他流派の拳法や、アメリカに渡ってからは他国の様々な格闘技の技術を研究していたという。
『グリーン・ホーネット』のオーディション用に撮影したPVでは様々な拳法の型を披露しているが、その中の虎の型や龍の型は即興で披露したもので本来の中国拳法には存在しない。

自身の拳法の練習についても実戦を意識し、ボクシングのグローブやヘッドギアを防具として“当てる”練習を行わせていた。
1974年に、アメリカで初のフルコンタクト空手・キックボクシング団体となるPKAを設立した空手家のジョー・ルイスはブルースとの出会いによりボクシンググローブを付けて打ち合う空手を発想したと語っている。
それ以前は日本と同様に米国でも寸止め空手が基本であり、こうした事実から創始者であるジョー・ルイス自らブルース・リーこそが米国のフルコンタクトで行われる打撃格闘技?の祖であると認定している。

また、実戦格闘技であることを意識して打撃系の格闘技のみならず、柔道やレスリングの技術にも目を向けていたブルースが発案したのが、打撃と組み技のどちらの練習と試合にも対応したオープン・フィンガーグローブである。
一般的には、前述の『燃えよドラゴン』での冒頭のシーンであるサモ・ハン・キンポーとの試合*10の場面にて広まり、世界中の格闘技道場や団体にて使用されるに至っている。
また、この決して長くないシーンに込められた打撃も組み技も“何でもあり”の試合内容が、その後の“総合格闘技”と呼ばれるジャンルのイメージを最初に表現したものだとも言われており、ブルースは総合格闘技の祖ということにもなる。

また、同年代を生きた伝説のボクシング王者モハメド・アリのファンで、映像記録として残されたアリのビデオの全てを所有し、その動きが自分と一体になるまで繰り返しイメージトレーニングを重ねたという。

優れた武術理論者、指導者として知られる反面、選手として実積を残した訳ではないし、そもそも活動していなかったものの、常に自己のトレーニングも欠かさないストイックさを見せていた。
忙しい撮影の合間にも、その場で出来るトレーニングを見つけ、本を読むときには腕立て伏せをやりながら読んだという。
また、筋力トレーニングとして器具や場所に頼らないアイソメトリック・トレーニングを積極的に取り入れる等、鍛練に於いても進歩的な意識の持ち主であったことが窺える。

また、デモンストレーションや練習を撮影した記録映像の中とはいえ、ワンインチパンチや走り込んでのサイドキックでは軽々と人をふっ飛ばしたり、サンドバッグを宙に浮かせている。
こうした姿もブルース・リーという“伝説”を実感を以て語り継がせている部分の一つである。

ブルースのスタントマンとして重用され、ブルースの死後に香港のアクション映画を復活させる立て役者となったジャッキー・チェン?「僕は俳優だがブルースは武道家だ」との発言を残している。

截拳道にはスタイルの固定を戒める哲学があり、ブルース・リー自身とは全く違うスタイルの使い手も多い。


【モデルにしたキャラクター】

※非常に特徴的な見た目とキャラクター性から、漫画やアニメ、ゲームにも多数のブルース・リーの分身が存在している。
全てでなくとも構えのみであるとか、キャラクターのみであるとかといったパターンもある。
以下は、その一部である。

漫画

  • ケンシロウ(北斗の拳)
    日本漫画界における、ブルース・リーが元ネタであるキャラ屈指の有名人。初代キャストの神谷明?氏による怪鳥音は必聴。
  • 春巻龍?(浦安鉄筋家族?)
    ブルース・リーのパロディキャラ……だったが、似てたのは最初だけで連載が続くうちに全然別キャラになっていった。
    教師でよく遭難する。ほ~い。
  • 雷音竜(地上最強の男 竜?)
    作中ではほぼ全編通して仮面を被っているが、終盤露わになった素顔はまんまブルース・リー。
    ちなみに後述する通り、漫画では本物のブルース・リーも敵として登場する。
  • 李白竜(シャーマンキング?シリーズ)
    病死・暗殺の違いはあれど、若くして亡くなった武術家のムービースターという設定はブルース・リーのそれ。
  • 怒羅権榎道(ハイスクール!奇面組?)
    クラブ挑戦シリーズ空手部編にて登場した、ブルース・リーのパロディキャラ。
    名前は『ドラゴンへの道』から。
    憎組のリーダーで、例の如く本来の空手部員が蹴散らされた後は奇面組が憎組と相対した。
    何気に作中でも屈指の強者であり、五十歩百歩神拳を初めとした奥義を武器に暴れまわり、連載終盤の異種格闘技トーナメントでも活躍した。
    何気に、対決シリーズにもかかわらず試合その物では一堂零と奇面組に負けていない。
    因みに、憎組はアニメ劇場版の敵キャラにも抜擢されているのだが、アニメではメンバーが3人に減らされると共に原作では副リーダーの若気市猿(ジャッキー・チェンのパロディ)がリーダーとなっており、怒羅権は登場していない。
  • 部留臼裏異(究極!!変態仮面)
    色丞狂介?が所属する拳法部の顧問。名前の読みは「ぶるうす・りい」。すっげー苗字。
  • シャン・チー(MARVEL COMICS?)
    前述の「燃えよドラゴン」人気を受けて、スタン・リーが生み出したアジア人ヒーロー。
    特殊能力こそ持たないが、修行によって磨き抜かれたカンフーとヌンチャクを駆使して悪に立ち向かう。
  • ワン(デスゲーム?)
    前述の通り撮影中断中にブルース・リーが急逝し過去の映画のシーンからの流用を余儀なくされ
    撮影済みのシーンも共演者死去による出演不能のため撮り直しとなった『死亡遊戯』が
    本来の展開であれば、という想像の下に描かれた1980年の読み切り


アニメ

  • 鎧武士/ポリマー(破裏拳ポリマー?)
    こちらもブルース・リーをモデルにしたヒーロー。
    「破裏拳流」と呼ばれるルール無用の我流拳法でアメホン国ワシンキョウ市にはびこる悪人を情け無用で成敗する。
    この「破裏拳流」は空手と柔道を組み合わせたものだが、奇声をあげながら戦う様はブルース・リーを意識している模様。
  • スパイク・スピーゲル?(COWBOY BEBOP?)
    ブルース・リーを師と仰いでいるという設定で、日本アニメでは数少ない……というかほぼ唯一のジークンドー使い。
  • ブルー3(あずまんが大王)
    原作漫画では雑談中のボケとして出てきただけだが、
    アニメ版では顔面に黄色く「3」と書かれた青い人のイメージ映像が登場したばかりか
    エンディングテロップに「ブルー3 吉野裕之」と載ってしまった……。
    ※ブルース・リーはブルーが名字でスリーが名前?ではありません。
    ※だからってスリーが名字?でもありません。
    ※増してブルーファイブあたりがジャッキー・チェン?でもありません。


ゲーム

  • Bluce(イー・アル・カンフー)
  • 王(THE 功夫)
    1987年当時、ブルース似の巨大なキャラを操作できるアクションゲームというインパクトはそれなりに強烈だったようで、プレイヤーの度肝を抜いた。
  • フェイロン?(ストリートファイターシリーズ)
    判定の強い通常技を生かしたラッシュが強力な接近戦特化キャラ。
    嘘か真かあまりに似すぎていて実写化?の枠をキャプテン・サワダ(ストリートファイター)?に譲らざるを得なかったとか……
  • マーシャル・ロウ?/フォレスト・ロウ(鉄拳シリーズ?)
    息子のフォレストもブランドンではなく同様。
  • ドラゴン(ワールドヒーローズ)
    こちらは一撃必殺キャラ。格ゲー界のブルース・リー風キャラの元祖。
  • ジャン・リー(DEAD OR ALIVE?)
    この中で一番ブルース・リーに似てないが、動きに関しては一番ブルース・リーに似てるらしい。
  • ジャッキー/サラ(Virtua Fighter)
    シリーズ皆勤賞の兄妹。キャラクター造形のルーツは全く違うが、截拳道の使い手という設定。


番外

  • オウケンブルースリ
    実在する元競走馬?(2005年生まれの2008年菊花賞馬。父ジャングルポケット?)。
    名前の由来がブルース・リーだが、日本では競走馬の名前に最大9文字制限があるため、馬主の冠名「オウケン(桜拳)」と合わせ英語表記は「Oken Bruce Lee」だが日本語表記では最後の「ー」が削除された。
    毛色も栗毛(茶色)なので実馬には名前以外ブルース・リー要素は0なのだが、漫画『馬なり1ハロン劇場?』ではリーコスをよくする格闘馬と化していた。


【ブルース・リー本人が登場するフィクション作品】


漫画

  • 地上最強の男 竜?
    現代に復活したイエス・キリスト?が雷音竜を殺害するための刺客として、宮本武蔵ともども「世界で一番強い男」として蘇らせた。
    2人いるじゃんというツッコミは禁句


映画

  • クローン人間ブルース・リー 怒りのスリー・ドラゴン
    ブルース・リーのそっくりさん芸人俳優3名が出演する映画作品。
    そっくりさん3名はそれぞれマッドサイエンティストが生み出したブルース・リーのクローンという役どころで出演している。
    ちなみにゲーム『トリオ・ザ・パンチ?』のキャラクターセレクト画面は、この映画のポスターの3名のポーズがモチーフ。
    ……忍者?や剣士やタフガイとブルース・リーのそっくりさんに何の関係が?それはこのゲームの謎の中では小さい方である。
  • ブッシュマン キョンシーアフリカヘ行く
    80年代に人気を博した『ブッシュマン』の流れをくんで製作された香港映画。
    物語終盤、ラム・チェンイン演じる道士が霊能力によってブルース・リーの霊を召喚し、あのニカウさんに憑依させて敵を返り討ちにする活躍をさせた。
    作中ではブルース・リーが生前出演した映画のシーンが引用されており、出演者クレジットにもブルース・リーの名前がしっかり載っている
    ちゃんと正式な許可取ったのか非常に気になるところである。
  • ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド
    60年代末のハリウッドを描いた19年公開のハリウッド映画。
    マイク・モーがブルース・リーを演じ、ブラッド・ピット演じるスタントマンのクリフ・ブースとの架空の騒動が描かれた。
    ブルースがクリフに突っかかる悪役然として描かれていたため、娘のシャノンは監督のクエンティン・タランティーノに抗議したという。
    また、マーゴット・ロビー演じるシャロン・テートにアクション指導を行う史実についても描かれている。


【余談】

身長について、現在では170cm台前半とされることが多いものの、160cm中頃や前半とするデータもあり、ハッキリとしていない。



追記修正に迷うな。Don’t think. FEEL!



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*1 発音からレイ・シウロンと表記されている場合もある。
*2 特に、初の主演映画のヒットからスターとなって死ぬまで2年弱という短さであった。
*3 発音からレイ・ジャンファンと表記されている場合もある。
*4 漢字圏で用いた芸名の 李 小龍はこの頃から使用されている。
*5 主人公グリーン・ホーネットのサイドキックながら、自身も武道の達人として大立ち回りを演じる日系アメリカ人。……しかし、日本との関係悪化から設定が変遷し、中国系のカンフーマスターに落ち着いた。
*6 実際に主演を演じたのはデビッド・キャラダインで、中国人とのハーフという設定であった。尚、ドラマは3シーズンも放映される人気作となっている。また、同作で人気者となったキャラダインは東洋思想や武術に興味を持って実際の習得に励むようになった他、前述の『キル・ビル』ではタイトルにもなっている大ボスの“ビル”を演じている。
*7 当時のGHは資金繰りに苦労しており、今作にやっとついたスポンサーは現地のお菓子メーカーだったとのこと。
*8 例えば人力車を持ち上げるシーンはブルースは非現実的すぎてやりたくなかったが、ロー・ウェイの強要で無理矢理やらされている
*9 日本語訳「考えるな、感じろ!」
*10 実際に撮影されたのは一番最後。