宮本武蔵(剣豪)

Last-modified: 2024-05-23 (木) 22:45:12

登録日:2009/12/05(土) 23:07:41
更新日:2024-05-23 (木) 22:45:12
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宮本武蔵とは、安土桃山~江戸時代初期の剣豪である。


【経歴】

1584年生~1645年没。

「武蔵(守)」は通称で、本名は宮本玄信(はるのぶ)。姓は新免(しんめん)とも。号は二天(にてん)。
播磨国…現在の兵庫県生まれ(吉川英治の小説などは岡山の出身とするが、武蔵の書いた『五輪書』には播磨生まれと明記してある)。
室町時代の守護大名として有名な赤松氏の末流という。
断絶した新免家を継ぐ、よく新免無二斎と親子のように語られるが無二斎は子を残さず死に、その数年後に武蔵が継いでいるので
面識すらない可能性が高い。

13歳の時に有間喜兵衛という新当流の剣客に勝利、更には16歳で秋山某という兵法者に勝利。若いながら剣客として実力は高かった。

同じく16歳の時、関ヶ原の戦いに西軍として参加したという説も有るが、五輪書や黒田家伝記によると
豊前中津藩前藩主・黒田孝高(官兵衛。当時は出家して如水と号す)に従って九州で東軍に加わり、
数々の武巧を挙げたとする説が正しいようだ。

この辺りから正確な記録がないが、宮本伊織貞次が1654年(宮本武蔵の没9年後)に建立した小倉碑文によると

小倉碑文

 天仰実相円満 兵法逝去不絶

時に、承応三年四月十九日、孝子某、謹で建焉。

正保二年乙酉暦五月十九日、肥後国熊本に於て卒す。

兵法天下無双 播州赤松末流新免武蔵玄信二天居士の碑



 機に臨み変に応ずるは、良将の達道なり。武を講じ、兵を習ふは軍旅の用事なり。心を文武の門に遊ばせ、手を兵術の場に舞はせて、
名誉を逞しくする人は、其れ誰ぞや。播州の英産、赤松の末葉、新免の後裔、武蔵玄信、二天と号す。
 想ふに夫れ、天資曠達、細行に拘らず、蓋し斯れ其の人か。二刀兵法の元祖と為るなり。

 父、新免無二と号し、十手の家を為す。武蔵、家業を受け、朝讃暮研す。思惟考索して、十手の利は一刀に倍すること甚だ以て夥しきを灼知す。
然りと雖も、十手は常用の器に非ず、二刀は是、腰間の具なり。乃ち二刀を以て十手の理と為せば、其の徳違ふこと無し。故に十手を改めて二刀の家を為す。
 誠に武剣の精選なり。或ひは真剣を飛ばし、或ひは木戟を投げ、北る者、走る者、逃避する能はず。其の勢、恰も強弩を発するが如し。
百発百中、養由も斯れに踰ゆる無し。

 夫れ惟、兵術を手に得、勇功を身に彰す。方に年十三にして始む。播州に到り、新当流、有馬喜兵衛なる者と進んで雌雄を決し、忽ち勝利を得たり。
 十六歳春、但馬国に至る。大力量の兵術の人、秋山と名のる者有り。又、反掌の間に勝負を決し、其の人を打ち殺す。芳声街に満つ。

 後、京師に到る。扶桑第一の兵術、吉岡なる者有り。雌雄を決せんことを請ふ。彼の家の嗣、清十郎、洛外蓮台野に於いて竜虎の威を争ひ、
勝敗を決すと雖も、木刃の一撃に触れて、吉岡、眼前に倒れ伏して息絶ゆ。予て、一撃の諾有るに依り、命根を補弼す。
彼の門生等、助けて板上に乗せ去り、薬治、温湯し、漸くにして復す。遂に兵術を棄て、雉髪し畢んぬ。
 然る後、吉岡伝七郎、又、洛外に出で、雌雄を決す。伝七、五尺余の木刃を袖にして来る。武蔵、其の機に臨んで彼の木刃を奪ひ、
之を撃ちて地に伏す。立ち所に吉岡死す。
 門生、寃を含み、密かに語りて云く、兵術の妙を以ては、敵対すべき所に非ずと。籌を帷幄に運らして、吉岡亦七郎、事を兵術に寄せ、洛外下り松辺に会す。
彼の門生数百人、兵仗弓箭を以て、忽ち之を害せんと欲す。武蔵、平日、先を知るの才有り。非義の働きを察して、窃かに吾が門生に謂て云く、
汝等、傍人と為りて速やかに退け。縦ひ、怨敵、群を成し、隊を成すとも、吾に於いて之を視るに、浮雲の如し。何の恐ること之有るや。
衆の敵を散ずるや、走狗の猛獣を追ふに似たり。威を震ひて帰る。洛陽の人皆、之を感嘆す。勇勢知謀、一人を以て万人を敵する者は、実に兵家の妙法なり。
 是より先、吉岡は代々公方の師範を為し、扶桑第一の兵術者の号有り。霊陽院義昭公の時に当たり、新免無二を召して、吉岡と兵術をして勝負を決せしむ。
三度を以て限り、吉岡、一度利を得、新免、両度勝ちを決す。是に於いて新免無二をして日下無双兵法術者の号を賜ふ。
故に武蔵、洛陽に到り、吉岡と数度の勝負を決し、遂に吉岡兵法の家泯び絶ゆ。

 爰に兵術の達人、岩流と名のる有り。彼と雌雄を決せんことを求む。岩流云く、真剣を以て雌雄を決せんことを請ふ。
武蔵対へて云く、汝は白刃を揮ひて其の妙を尽くせ。吾は木戟を提げて此の秘を顕はさんと。堅く漆約を結ぶ。
長門と豊前との際、海中に嶋有り。舟嶋と謂ふ。両雄、同時に相会す。岩流、三尺の白刃を手にして来たり、命を顧みずして術を尽くす。
武蔵、木刃の一撃を以て之を殺す。電光も猶遅し。故に俗、舟嶋を改めて岩流嶋と謂ふ。

 凡そ、十三より壮年迄、兵術勝負六十余場、一つも勝たざる無し。且つ定めて云く、敵の眉八字の間を打たざれば勝ちを取らずと。
毎に其の的を違はず。古より兵術の雌雄を決する人、其の数を算するに幾千万かを知らず。然りと雖も、夷洛に於いて英雄豪傑の前に向かひ人を打ち殺す。
今古其の名を知らず。武蔵一人に属するのみ。兵術の威名、四夷に遍き、其の誉れや、古老の口に絶えず、今人の肝に銘じる所なり。
誠に奇なるかな、妙なるかな。力量旱雄、尤も他に異なれり。

 武蔵、常に言う、兵術を手に熟し、心に得て、一毫も私無ければ、則ち、戦場に於て恐れる事もなく、大軍を領する事も、又、国を治る事も、豈に難からんやと。

 豊臣太閤の嬖臣、石田治部少輔謀叛の時、或ひは、摂州大阪に於いて、秀頼公兵乱の時、武蔵の勇功佳名は縦に海の口、渓の舌に有り、寧ろ説き盡し、簡略に之を記さず。
旃加、礼、楽、射、御、書、数の文に通ぜざる無し。況や小芸巧業をや。殆ど為して為さざる無き者か。蓋し大丈夫の一体なり。
肥之後州に於いて卒する時、自ら、天を仰げば実相円満之兵法逝去して絶えず、の字を書き、以て言う、遺像と為せと。
故に孝子、碑を立て、以て不朽に伝へ、後人に見せしむ。嗚呼、偉なるかな。

福田正秀『宮本武蔵研究論文集』より、読み下しのみ引用



吉岡清十郎や吉岡伝七郎らの吉岡一門と戦い、ことごとく勝利。清十郎は出家し、伝七郎は死亡。
吉岡流を壊滅させた。(清十郎に関しては、引き分けたとする書物も有る)
とあるが、そもそも吉岡側の資料もあやふやで、清十郎、伝七郎についても実在が怪しい。
ただ数多く行ったとされる立会いの内ほぼ唯一詳細に記している辺り当時の京都でなんらかの決闘を行い大きな成果をあげた結果、
諸国での立会いの中では一番の功績であると考えられかもしれない。

時期不明ながら長門舟島(厳流島)にて、「岩流」と名のる剣客と決闘し、これに勝利する。
武蔵にとってはあまり重要でもなかったのか本人は何も記していない(あの有名な五輪書にも一切この話は出てこない)。
また、宮本伊織はこの決闘を直接は見ていない為、時期はもちろん、「岩流」が佐々木小次郎であるかもはっきりとはしていない。
これを佐々木小次郎としたのは、1776年に編纂された「二天記」であるが、武蔵の没後約130年も経ってからの編纂であるため、
史実に忠実であるとは言い難い。後年の吉川英治の小説がこれを参考にしている為、佐々木小次郎として定着しただけである。
なお、小説の様に試合に遅刻はしていない(小倉碑文には記載されていない)。これについては創作である。



1615年、三河刈谷藩主・水野勝成(のち備後福山藩主)勝俊の護衛につき、また彼に戦功を挙げさせる役を引き受けたらしい。
武蔵がどのような活躍をしたかは不明だが、水野隊が夏の陣では最も激しい戦いを潜り抜け、藩主親子も前線で戦ったこととその後武蔵が水野家家中の人間を養子に貰っていることから水野家で大いに信頼されるだけの成果は上げたのでないかと思われる。





1618年 本多忠政、小笠原忠政の姫路入り
この時期に両者と深い交流を結び、明石での城下町の街割りに関与、他にも明石城内の茶室や庭園の設計などを行っている。
また水野家で得た養子三木之助は、本多忠政の嗣子・忠刻の小姓(側近)となり、武蔵の息子として700石を与えられた。

1627年 明石の小笠原忠政に仕える田原貞次、宮本武蔵の養子になる。
ちなみにこの前年に三木乃助が主君忠刻の病死に合わせて殉死している。

1629年 海上物語にて明石で無想権之助との試合をして勝ったとされるが、所載不明。
二天記では江戸で戦っていることになっているが、二天記の元ねたである武公伝には記載すらない。

1632年 小倉藩への移封にあわせて養子の伊織共に豊前に移る。
    
1638年、小倉藩へ移封となっていた忠真と共に、天草四郎の起こした『島原の乱』の鎮圧軍に同行、武蔵は投石にて負傷する。
伊織は戦後この戦での功を理由に1500石加増、4000石となり小倉藩の家老筆頭になる。

1640年、細川忠利の招きで肥後熊本に移り門下生の育成に力を入れる。
大名や著名な人物がこぞって武蔵に教えを請うた為、武蔵の屋敷は常に人で溢れていたという。
またこの時期は絵画や工芸にも精を出し、のちに自らの武術・理論を纏めた『五輪書』を著す。



そして…



1645年6月13日
熊本にて死去。死因ははっきりとはしていないが、立花峯均の丹治峯均筆記には
「兵書五巻ヲ記サル。地水火風空ト号ス。清書ナキ内ニ病噎膈ノヨシ生ズ」とあり、
この嘔吐症状から胃癌ではないかと推測される。
生涯で戦う事66回、敗北は只の一度として無かったという。

もっとも、他の歴史上の大剣豪よろしくすべては自伝、伝承をそのまま記述したものである事を留意しなければならない。






【刀】

宮本武蔵が使っていた太刀としては以下の物があり、古刀を好んだとされる。小太刀については明確化されていない。

  • 大和国住国宗(室町時代の備前鍛冶。二尺二寸。熊本の島田美術館に展示)
  • 無銘金重(南北朝時代初期の関鍛冶。大磨上げ。吉岡戦に使用。熊本の島田美術館に展示)
  • 和泉守藤原兼重(江戸時代初期の武蔵国の鍛冶。二尺七寸五分)
  • 了戒(鎌倉時代後期の山城国の鍛冶。二尺八寸余の直刃、板目流れの鍛えに沸(にえ)出来の刃文)
  • 伯耆安綱(平安時代中期の伯耆国の鍛冶。国宝の童子切もこの安綱の作品。三尺八寸。)
  • 武蔵正宗(鎌倉時代末期の相模国の鍛冶。磨上長が二尺四寸四分半、幅九分一厘、肉二分)

主な様式として、

  • 柄巻き:牛衷皮黒捻巻
  • 鞘:黒、もしくは栗色朱うるみ塗り
  • 鍔:海鼠透し(なまこすかし)

を好んだ模様である。刀身は刀工によって異なるが、組糸は滑るとして柄には皮を好んだ。また、鞘については落ち着いた色を好んだ。
鍔の海鼠透しについては宮本武蔵が考案したデザインである。



なお、老年になってからの武蔵は日常は刀を差さず、外出する時には五尺ほどの杖を携えていたとされる。
その杖には、のべ鉄が隠してあり、頭と石突きには胴金が付けられていた。そして紙捻で作った緒を通して腕貫としていたという。


【二天一流】

俗に言う二刀流。
よく鎖鎌の達人・宍戸梅軒との戦いで武蔵が編み出した、もしくは一条寺下り松で吉岡一門と戦った時に無意識で使ったなどとあるが、
いずれも吉川英治の創作である。



脇差を左手に中段、太刀を右手上段に構え、脇差で防御、太刀で攻撃を基本とする。また左利きの人はその逆となる。
だが本来は二つの刀を同じように捌けるまでに熟練された『虎振之型』が真の型であり、二天一流の奥義でもある。
そもそも二天一流には『構え』という概念は存在せず、最も斬り易い、又は斬られ難い位置に剣を置くという事が理念である。
昭和の頃、邪道な剣術(後述)として嫌われた為に二刀流を教える人が減り、現在では使い手を殆ど見なくなってしまった。
実に悲しい。



ちなみに、現代の剣道では高校生以下の試合では禁止されているものの、大学生以上の試合では二刀流を使用して良い決まりになっている。

ただし、太刀は通常品よりも6センチほど短い物と決められているお陰で間合いは狭く、片手での打ち込みは軽いように思われ、
残心も勢いが出にくいため、審判には有効打として認められにくい。これは、一刀流での上段構えからの片手面と同じ傾向である。
「二刀流に切り替えたら弱くなった」という話は珍しくもない。

また、もう一方の小太刀での有効打突は事実上取れない事から、主に防御用として扱われる為、
剣道での二刀流は主に小太刀で受け流して太刀で面、もしくは小手を打つ(そのスタイルから抜き胴等がやりにくい)という、
どちらかというと攻撃よりも防御に特化したスタイルとなる。
この事から、昭和初期での団体戦で引き分け狙いが横行した為、長らく試合での二刀流は禁止される事となってしまった。
実戦では小太刀の攻撃も有用な二刀流ではあるが、剣道では引き分け要員に成り下がってしまったのが実情とも言える。
伝統が断絶するのを危惧する声もあって近年では解禁こそされたが、そもそも指導者が少ない為に使用者も少ない。
更には審判さえも二刀流に慣れていないので打突を判断しきれない。
実に残念である。



1998年、吉川版をコミカライズした「バガボンド」という漫画で主人公となって以来、人気が急上昇。
2003年には大河ドラマ「武蔵-MUSASHI-」の主人公として脚光を浴びた。ただしこちらは大人の事情でソフト化されていない。














【余談】

宮本武蔵が街道で蕎麦を啜っていた時、ハエが飛んできたので箸で捕まえた。
という話は有名だが、これは昭和初期に連載された吉川英治の小説にて初登場する。

これについて武蔵は蕎麦は確実に食べていないと意義を申した研究家がいた。
武蔵は戦国時代の人間。我々の良く知る細長い蕎麦は、江戸中期以降に出来た。
当時は蕎麦粉に小麦粉を混ぜる事はなく、蕎麦粉のみで作っていたので我々の知る蕎麦ではボソボソして切れやすく美味しくなかったのだ。
この時代は、恐らく蕎麦粉を丸め串に差して焼いた蕎麦団子であったと思われる。

なので麺類というならば、
宮本武蔵は街道でうどんを食べていたと言うのが正しい・・・と。

ハエはどうなったか?いや知らないってば。



しかし、それから時代が下り戦後。
このころになると蕎麦歴史の研究が進んでくる。
なんと武蔵存命の年代に僧侶が「そば切り」を食したという資料が見つかり、それより半世紀前にはお寺で「そば切り」を振る舞ったという資料も発見された。

やっぱり武蔵は蕎麦を食べていた時にハエを箸で捕まえたのだ・・・。



しかし、それから時代が下ると、吉川英治の小説や吉川英治自身の研究も進む。
この「箸でハエを捕まえる」という話はなんと、岩国出身の宇野金太郎という幕末の剣豪の伝説であったことが判明する。
武蔵の来歴に不明点が多いため、吉川英治が小説を膨らませる際に多数の創作を投入し、(失礼な言い方だが)無名の剣客である宇野金太郎の伝説も取り込んだという見方が多い。



また数多くの書画や彫刻を残していた事から、かなり手先が器用だったと言われている。
絵は水墨画を好んでいたが、墨の付け方から筆は左手で使用していたとされ、元々は左利きで矯正した*1か、あるいはクロスドミナンスと思われる。



【アニヲタ的には】

日本最強の剣豪といわれただけに、あちこちでモチーフにされる。
歴史小説は勿論、マンガでもアニメでもゲームでも。
武将や大名ではない「武芸者」としての登場回数はトップクラスであろう。

  • 吉川英治による小説
     後述の創作全てに影響を与えた、昭和を代表する大衆文学。朝日新聞に1935年から39年にかけて連載された。
     又八やおつう(←実在はしているが武蔵との面識はない)の登場、ラスボス小次郎のキャラ造形など、武蔵伝説のイメージを作り出した原型である。
     タケゾウという幼名、沢庵和尚との邂逅、柳生石舟斎との問答、鎖鎌術の宍戸の号「梅軒」などは全て吉川による創作である。
     その一方史実では「数回戦った、勝ったかもしんねーや」としか書いていない杖術の開祖・夢想権之助が中盤で仲間になる展開はあまり知られていない。
     序盤こそ、ただひたすらに相手を殺し続けることしかできなかった武蔵は、沢庵和尚に諭され「人」であることを気づかされる。
     姫路城での3年の猛勉強、吉岡道場との死闘、槍の宝蔵院・杖の権之助・鎖鎌の宍戸との異種格闘。永遠のライバルである佐々木小次郎との宿命の対決。
     そうした果てなき死闘の陰で、断ち切れなかったおつうへの思慕、弟子と慕う城太郎や伊織との絆。
     吉野太夫や本阿弥光悦との出会いにより、武蔵は文化人としての教養や知恵を身に着けていき、やがてその覇道は「剣の道」とは何かという哲学を導き出していく。
  • バガボンド
     上記の吉川英治の小説を原作とした、『スラムダンク』の作者・井上雄彦氏制作の大作。
     既刊37巻にもなる大長編だが2015年以降休載が続いており、完結を危ぶまれている。
  • YAIBA
     江戸時代から、そのまま生きていたという設定で登場。主人公・鉄刃の師匠。
     詳細はこちら→宮本武蔵(YAIBA)?
  • ドラえもん
     「名刀“電光丸”?」に登場。その活躍は該当項目を参照。
     わさドラではその後2016年放送の「とびだす伝記電気」でメチャクチャりりしい姿(伝記なので実物よりかっこいい)で再登場し、
     空き地で関羽?と戦った(笑)。
  • 地上最強の男 竜?
     「人類史最強の男」としてブルース・リーと共に生き返らされ、主人公に挑みかかる。
  • 魔界転生
     「エロイムエッサイム 我は求め訴えたり」で有名な日本映画。
     映画版では宮本武蔵は緒形拳が演じ、柳生十兵衛を演じる千葉真一との死闘を決する。
     2011年の舞台版では中博史が演じ、関智一扮する柳生十兵衛と対峙した。
     他の実写版キャストは田中浩(1981年舞台版)、宮内洋(1996年OV版)、長塚京三(2003年映画版)、西岡徳馬(2006年舞台版)。
     同タイトルで魔界転生(OVA版)?もあるが(武蔵役は阪脩)、実写版よりもエログロい。
  • 天下無双 宮本武蔵
     カラオケ「DAM」の採点ゲーム「YOUR STORY」の一つ。武蔵が巌流島で小次郎と戦うまでを描く。
     他のゲーム同様中間発表があり、ひどい出来だと敵からボコボコにされてしまう。
     戦う敵はお決まりの吉岡や宍戸に加え、百地三太夫(死んでね?)や伊藤一刀斎など江戸時代初期の武芸者・達人オールスターが揃っている。
  • 刃牙道
     バキシリーズの第4作。武蔵を現代に蘇らせ刃牙?以下の強豪たちと戦わせるという相変わらずの超展開。
     詳細はこちら→宮本武蔵(バキシリーズ)?
  • 修羅の刻
     第1章「宮本武蔵編」のキーパーソン。27代目陸奥出雲と戦い、生涯で唯一引き分けたという。
  • ガンリュウ
     主人公・ガンリュウ/佐々木小次郎の最大のライバルとして登場。柳生一門に命を狙われてからはタケゾウ読みに改名。
  • 戦国無双?
     2から初登場。吉川版に描かれた「剣とは何か」「何をもって最強とするのか」という問いを探し続ける設定。
  • 戦国BASARA?
     2以降から登場。→宮本武蔵(戦国BASARA)?
  • 極!!男塾?
     男塾シリーズの完結編。同姓同名の宇宙人が登場。2本の刀と2本の触手の4刀流で戦う。
     キャラデザは『天より高く』の原始時代編に登場したミヤモトンのまんま流用。
  • 百花繚乱 サムライガールズ?
     四剣鬼(ダークサムライ)として登場。木刀で石すら真っ二つにするツンデレである。
  • 仮面ライダーゴースト?
     主人公・天空寺タケル?の変身する仮面ライダーゴースト?のフォームの一つ「ムサシ魂」として登場。
     タケルにとっては「幼い頃、父から託された刀の鍔の持ち主」という最も深い思い入れのある偉人であり、最初に得たフォームチェンジでもある。
     劇場版?及び、TV本編第46話では生前の姿でも登場。『555?』の海堂直也?や『侍戦隊シンケンジャー?』の不破雷蔵役でお馴染みの唐橋充が演じた。
  • MUSASHI-GUN道-?
     『ルパン三世』のモンキー・パンチ原作の時代劇ガンアクションアニメ。二刀流ではなく二丁拳銃のスタイルでアヤカシと戦う。
     紹介メディアによって作品名表記が「GUN道MUSASHI」「GUNDOH ムサシ」等と異なっている。
     作者にとって望ましくない形で名前が売れてしまった作品
  • ロボットポンコッツ?
     ロボポンのムサシが登場。櫂型木刀二刀流で闘う。
     漫画版では主要キャラであるコジロウの宿敵であり、原作ゲーム同様闘志を燃やすコジロウにそっけない対応を取るも、その実力に一目置いている。
  • からくり剣豪伝ムサシロード
     主人公がムサシ。勿論ライバルはコジロウ。ガールフレンドにおつう…ではなくオツルがいる。
     大食いでバカで迂闊で奇麗な女性にすぐ騙されるが、心は誰よりも熱い。
     主人公の癖に、敵に捕まった回数が両手の指で余るくらいある。
  • 戦国ベースボール
     第2巻「龍馬が来る! 武将VS維新志士」で、桶狭間ファルコンズが幕末レッドスターズへの代打として登板させる。
     その後、第9巻「開幕地獄甲子園! 武蔵&小次郎」では巌流島ソードマスターズの4番(ただし主将は小次郎)で登場した。
     必殺技はでかい櫂でとにかくボールを当て、勢いが弱まった所を木刀バットでフルスイングする二刀流打法。
  • 磯部磯兵衛物語
     既に故人だがまだ霊として現世をさまよっており、自身の著書で春画を挟んで買おうとした不届きな主人公に制裁を下した。
     ちなみに小次郎とは死んだ後久々に再会したが、既に小次郎から恨まれておらず、めっちゃ親しくなっていた。
  • Fate/Grand Order
     佐々木小次郎は第1作から出演していた(まあ、実は出演していないんだが)ので長らく出演が待たれていたが、2017年に遂にセイバークラスで実装。
     しかもパイオツカイデーな艶やかな美女である…ってまた女性説かい!
     この武蔵とガンリュウの方の小次郎が出会ったら、ちょうど需要と供給?を満たせることであろう。
     だが、彼女が実装されたのには理由があり…? →宮本武蔵(Fate)?
     江戸時代初期を舞台としたFate/Samurai Remnant?においても、高尾太夫のサーヴァントとしてバーサーカークラスで登場。
     ちなみに当作の主人公は宮本伊織であり、男の武蔵から存命中に剣を教わっていたことが言及されている。
  • オリエント
     主人公の名前が武蔵だが、まだ話の序盤の為二刀流は使用していない。相方は「鐘巻小次郎」。
  • 六三四の剣?
     正当派の剣道漫画。ライバルの乾俊一が試合中に左腕を骨折し、それを克服するため右手で小太刀を持つ『逆二刀流』を極めて、再び六三四と対決する。
     ただし、高校生での二刀流の公式試合は禁止事項なので、作中の描写はフィクションである。
  • 空手バカ一代?
     実在の空手家・大山倍達*2の一代記。暇つぶしに読んでいた吉川英治の小説に衝撃を受けて、空手の道を志す。
     なお、空手バカ一代(に限らず、梶原一騎原作のノンフィクション全て)はかなりの部分に創作が入っているが、大山自身が宮本武蔵の大ファンなのは事実であり、
     道場訓の監修を吉川に頼んだりしている。
  • ちびまる子ちゃん
     アニメ349話『まる子たちの巌流島』で3年4組が巌流島を題材とした劇をやる事になり、「卑怯だから」という身も蓋もない理由で藤木が武蔵役に。
     我等が主人公まる子は「迂闊だから」という理由で小次郎役に選抜される。
     迎えた当日、藤木は緊張しすぎるあまり主演にも拘らず体育館から逃げ出すが、あまりの卑怯ぶりに見かねた武蔵の霊が登場し、藤木を一喝した。
     果たしてその霊は本物の武蔵だったのか、あるいは藤木の心の奥の勇気の表れだったのか、それを知るすべは無いが、この時の武蔵の激励は本作でも指折りの名言である。
  • あずみ
    巌流島の戦いで天下に広く名が知られており名前だけは序盤から出ていたが、中盤に本人が登場。
    作中ではほぼ無敵とも言えるあずみを追い詰めた、名実ともに最強クラスの大剣豪。ただし途中であずみの仲間により戦いが中断させられたため、決着はついていない。
    あずみが無傷だった一方武蔵は手傷を負っていたが、当のあずみは内心で「中断させられなければ斬られていた」と負けを認めている。
    武蔵も武蔵で「あのまま続けば斬っていた」と確信していたものの、あずみの性格的に相手を殺すまいと手を抜いていた疑念が拭えず、最後まで自分は勝ったのか負けたのかを悩み続けていた。



☆その他武蔵をモデルとしたキャラ・兵器

  • 海道剛/アカレンジャー(秘密戦隊ゴレンジャー
  • 能登総一朗(ハイファイクラスタ)
  • 薬師丸鋼(鋼-HAGANE-)
  • 小倉庵/二代目・宮本武蔵(乙女剣武蔵)
  • 宮本真蔵(佐々木さんと宮本くん)
  • ムサシ?ポケットモンスター
  • 宮本ムサシ(戦国乙女シリーズ)
  • クラウド・ストライフ?FINAL FANTASY Ⅶ?
  • ガンダムDX?機動新世紀ガンダムX?





追記修正があればよろしくお願いします





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*1 当時、武士にとって左利きなど言語道断であり、子供の頃無理矢理矯正するのが当たり前であった
*2 愚地独歩もこの人がモデル。