奇世闊歩

Last-modified: 2023-01-30 (月) 21:50:17

人生において、決断をするときは多々あると思う
勉学に励むものは、どのみちに行き、どのような者になりたいか
婚姻を結んだものは、相手とどのような生活を築きたいか
死する者は、どのような結末を迎えたいか
十人十色という言葉があるように、人それぞれに多種多様な、様々な決断が存在する

たが、これだけは皆一概に言えるだろう

その決断が正しかったのは、誰にもわからぬ
その者にもわからぬだろう
ましてや、神にもわからぬだろう
だが、その決断をより良い物にしていく為に、ただひたすらと努力をする他ないのである

 
 
 
 
 

真華欠市 神原(こうばら)区にて
春倉が歩いている
ただ単に見れば春倉はただの学生に見えるだろう
それもそのはず春倉は学生服を着ているからだ

春倉はただ歩きながら目線を様々な所へ向ける
細い路地裏、自販機が並んだ所、病院敷地内、車通りの多い交差点…
側から見れば、ただキョロキョロと様々な場所を見ているだけに過ぎないちょっと変わった学生に見えるかもしれない
だが、春倉の目線には全く違うものが写っていた
片腕のない血まみれの男、様々な人の声が合体したような音を出す黒い霧、白衣を着た頭のない人、ぐちゃぐちゃになったかろうじて人に見える者などなど…
(やはり、今日も見えてしまう…)
春倉は歩きながら気分が沈む
(いつもなら、こんな能力を得たら、喜んでいたと思うんだけど…はは、辛いな…)
そう考えながら、春倉は学校に行くため歩き続けた

 
 
 

時は巻き戻って4日前
春倉は目の前に腰かえている男、形山は春倉の目を見ながら言った
「その判断でいいんだね?一応言っておくけど、後からやっぱりなし!とは言えないからね?」
形山はそう言う
春倉は意を決めたような顔をしながら形山を見る
「はい。それでお願いします」
「わかった。では、今から処置を行うよ」
「はい、お願いします」
そういうと形山は手袋を手につけ、春倉の頭に置いた

 
 
 

結論から言ってしまうと、春倉は「自身の記憶を消去する」ことを選んだ
この決断に至るまで、春倉は短い時間ながらも何度も自分の頭に問いかけた
(これでいいのか。この力を失っていいのか。つまらない日常を抜け出すチャンスだ)
そういう声が何度も響いた
だが、春倉の頭の中にはあの光景が焼き付いてしまっていた
(『妖』…恐ろしい…)
そう、あの『妖』の姿、そして自分の脳裏に流れ込んできた『妖』の記憶
それらがまるで釘のように春倉の脳裏に突き刺さっているのだ
(あれはもう見たくない…つまらない日常で平和な日常。たとえ、それが仮初の平穏に過ぎないとしても、こっちの方がいいか…)
そして、春倉は「自身の記憶を消去する」ことを選んだのだった

 
 
 

形山が手を春倉の頭に置き、印を結ぶ
そして呪文を唱え始めた
「カケマクモカシコキ……」
形山が呪文を唱え始めた瞬間、頭の中に霧のようなものができる
無論、これは現実に霧が出た訳ではない
だが、春倉はそのように感じた
(頭がぼんやりとする…何も考えられなくなる…あぁ、眠いなぁ。少し寝ようか…)
そして春倉は意識を落とした…

春倉が眠りに落ちたのを確認すると、形山は春倉が持っていた学生鞄の小さな隙間へ小さな機械をねじ込んだ
続いて、手元から小さなお札を出し、春倉の学生服の襟の隙間に忍ばせた
「これでよし…と。発信機はこれで良し。お札も1ヶ月くらいは弱い『妖』なら勝手に退けられるだろう…」
その時、コンコンと後ろの扉がノックされる
「路三乃です。ガイシャを引き取りに来ました」
「ん、入ってくれ」
「失礼します」
そういうと、扉が開き若い女が入ってくる
「発信機と退魔札、それから処置は完了したよ。もう運んで行っても大丈夫。本人から怪しまれない様、これより1時間後キッカリに彼の家の側に運んでくれ」
「分かりました」
「うむ。あぁ、それから1週間ほど彼の様子を伺うことね。忘れずに。何か不審な行動や変な行動をしたら直ちに私に連絡してくれ」
「分かりました」
そういうと、路三乃と名乗った女は春倉を持ち上げると部屋から一礼し
「失礼しました」
と言って出ていった

 
 
 

時はまた戻って現在
春倉の能力は消えていなかった
むしろ、力は強くなっていた
だが、春倉は記憶がない
(急によくわからないものが見えるようになった…あの日、気づいたら家の前に立っていた日、何があったんだろう…だめだ、記憶がない…)
そこまで考え、結局ダメだと思った春倉は頭をふり
(とりあえず、見えるようになったものは見えるようになってしまったんだ…どうすることもできない…友達や親に相談したところで、頭がおかしくなったと思われるのがオチだ…どうしたものか…)
そんな事を考えているうちに交差点に差し掛かる
信号は赤で、目の前には春倉を含め、数人が青になるのを待っていた
春倉も信号を待つために立ち止まる
その瞬間、春倉の動きが止まる
(なんだ…あれ…)
春倉を含めた信号待ちをしている数人の中に、黒いモヤで顔を覆われた人がいたのだ
その人はなんだが動きがフラフラしていてとても危なっかしい
(あぁ、これ…憑かれているんだろうな…)
春倉は直感的にそう感じた
(俺は見えるだけ…何もできない…頼む…早く消えてくれ…)
春倉はそう思った
そしてその黒いモヤに目を合わせないようにした時、春倉が渡りたい道にダンプカーが走ってくる
そして…
その黒いモヤに覆われた人物がふらふらと歩き始めた
春倉は直感的に(マズイ!)と感じた
(あのモヤ…多分あのダンプカーに突っ込ませる気だ…!)
そう考えた春倉は、その人を止めようと手を伸ばそうとした
が、動かない
よくみると、春倉の手と足に黒いモヤがかかっており、それが春倉の行動を止めているようであった
(!?)
春倉はそのモヤを取り除こうとしたが、出来なかった
手がすり抜けてしまう
そんな事をしているうちに、どんどんその人が車道に出そうになる
ダンプカーとの距離はもう100mもないだろう
(クソ!どうすればいい…!)
春倉はもがく
(だめだ!もう間に合わない…!)
その人はもう車道に一歩フラフラと踏み出していた…
(ダメだーーーーーー!!!)
そして春倉が目を瞑った瞬間
パシュ
と静かな音がした

 
 
 

「定時報告。目標は定時時間通りに家を出発。目標がいつも使っている通学路を通って学校に行こうとしてるわ」
学校に行こうとしている春倉を見ながら、電柱の影に隠れた女が言う
「うん…まだわからない。不審な動きがあったらすぐに拘束するから…わかってる。なるべく人目につかないように…わかった。それじゃ、また」
そう言ってポケットフォンをしまうと、スーツを着た女が春倉の後をつけるように歩き始める…
(全く。いくら人手が足りないからと言って、こんな子守みたいなことをするとはね…これだったら、まだ前職の方がよかったなぁ…交番勤務で、平和な場所だったから何もせずに生活できる…本当に幸せだったなぁ…)
春倉は女の尾行には気づいていないようだ
両者は適度な距離を離れつつも見失わない程度をうまく守っていた
(今のところ、不審な動きはなし…と。時々周りを見たりしてるけど、私が見た感じ何もないし…)
後に提出するレポート用紙にそう書き込む
(春倉 雷歩…18歳…能力の急な開花で、襲っていた『妖』を単騎で撃破…か)
事前に渡された資料を頭の中で思い出す
(その場に偶然居合わせたうちのパトロール員に保護…パトロール員の証言や、後の魔術検査で具現化祓術を会得していることが発覚…全く、運がいいんだか悪いんだか…)
頭の中で資料を思い出しながら前を歩く春倉をぼんやりと見る
春倉はどうやら交差点にて赤信号で止まっているようだった
(この信号を過ぎれば彼の通う学校まで200mと言ったところね…学校に入るのを目撃したら報告。それで今日の午前中のノルマは終了かぁ…)
そう思った矢先のことだった
信号待ちをしている春倉が、何か慌てている
(何をしてるんだ…)
そう思い春倉の目先を見てみると
(っ…あれは!?)
そこにはまるで影のようなものに纏わりつかれた人物がいた
(私は見えてるし、春倉も見えている様子…あれは、『妖』の可能性が高いな…)
そう思った矢先、その人物はふらふらと歩き始めた
歩先は確実に青信号となっていない、まだ車が走っている交差点に向けて歩いている
(まずい、このままじゃ持ってかれる…!)
そう思ったと同時に右手で印を結び、小さく呪文を唱える
(周囲に人影はなし…距離は100m前後…離れているとはいえ、まだこの距離なら…!)
印を結んだ右手にいつのまにか黒い穴が出現している
その女はそこに手を突っ込み、中で少し探り、目当ての物を引っ張り出す
それは拳銃だった
(セーフティー解除…対象に向けて…)
引っ張り出すと同時にすぐさまセーフティーを解除し、春倉の目先にいる『妖』に照準を合わせる
纏わりつかれているその人物はふらふらとしながらもう交差点を進み、車道に出そうになっている
春倉は動けないのか、その人物を見たままで微動だにしない
(チャンスは一回…!)
グリップを握る手に汗がじわりと出る
そして…
パシュ
軽快な音が響いた

 
 
 

(ダメだーーーーーー!!!)
そう思った瞬間、パシュという音が聞こえたような気がした
そして、その音が聞こえた瞬間に、目の前の人物に纏わりついていた黒いモヤがビクッと大きく振るえたあと
(AixnegslMdhw——!!!)
と何かを叫んで霧散した
それと同時に、目の前の人物がバタッと倒れる
走ってきたダンプカーはそれに気づくと
『ファーン!!!』
と大きなクラクションを鳴らし、右によけた
間一髪、
その人物は轢かれずに済んだ
(助かった…のか?)
そう春倉は思った
春倉と一緒に並んでいた他の人らは、急に倒れた人物に気づき、駆け寄る
「大丈夫ですか?大丈夫ですか!?」
肩をパンパンと叩くが意識は戻らないようだ
「誰か救急車呼んで!」「人倒れてるー!」「え、跳ねられたの!?」
周りにいた人達がその人物の周りに群がり、辺りは少し混乱した
(助かったんだ…よかった…)
ホッとしたのも束の間、春倉に恐怖が戻る
(それにしても、さっきの黒いモヤは一体何だったんだ…あの人を車道に出そうとしていた…のか…?)
そこまで考えると、春倉は自身が冷や汗をかいている事に気がついた
(何はともあれ、助かった…んだな…)
そう思い、安堵したその時
チクッ
首筋に何かが刺さった
そして、何が刺さったのか確認できないまま春倉は気を失った…

 
 
 

跳ねられかけた人の周りに大勢の野次馬がいる
大声でさまざまな事を言ったり、倒れている人の手当てをしたりしている
その中の野次馬の1人が言った
「おい!大丈夫か、きみ!」
数人が目も向けると学生服を着た若い男が倒れていた
「急に倒れたんだ!誰か、救急車!救急車呼んで!」
野次馬の1人が携帯を取り出そうとすると
「待って下さい」
という声が響いた
目も向けるとそこにはスーツを着た1人の女がいた
「すぐそこにある神原市民病院に勤めている看護師です。容態をチェックしたいので、診させてもらえますか?」
女は看護師と名乗った
「え、あ、ああ。どうぞ」
「どうも」
女はそういうと春倉のそばに近づき、春倉を観察し始めた
(上が新しく配った超小型麻酔銃。結構精度が良かったわ。たまには役に立つものを配るのね…)
春倉を観察しながらそう考える
(うん、眠っているだけね。これなら大丈夫…)
続いてはねられそうになった人物に目をやる
(こっちも…ぱっと見だけど大丈夫そうね。霊障ならびに侵入された形跡もなし…だけど、一応は精密な検査をしたほうがいいかもしれない…この子を向こうに持ってくついでに、上に一応連絡を入れておかなくちゃ…)
そこまで考え、すくっと立ち上がると
「この子は意識を失っているだけのようです。すぐ近くに車を停めてありますので、私の車で病院に送らさせていただきますね」
「わ、分かりました」
「それから、そこの倒れている方も意識を失っているようではありますが、一応安静の状態を保ちたいので救急車が着き次第、救急隊員の指示に従ってくださいね」
「分かりました」
「それでは」
そういうと、スーツを着た女は春倉をおぶるようにしてその場から離れるように去っていったのだった…

[奇世闊歩 END]