撮影者とスタジオの特定

Last-modified: 2022-05-19 (木) 13:34:02

まず、この写真を撮影したのは誰であろうか。
この写真の撮影者が上野彦馬であるという説は、「幕末の志士」説を唱える者も「佐賀藩の学生」説を唱える者も一致している。
上野は幕末から明治にかけて活躍した写真師で、長崎で上野撮影局を開業し、そこで坂本龍馬や桂小五郎、若き日の井上馨を撮影している。
次に、この写真の撮影場所がどこであるかを理解する必要がある。
上野の弟子・内田九一の遠縁の親戚にあたる、実業家にして長崎の文化の研究者でもあった永見徳太郎(1890~1950)の研究によると「白い塀垣の脇に黒幕を垂れ、ロクロ細工の手摺飾りを置き、その背景前で青天井のもと撮影していた」とある。
確かに写真をよく見ていると、影のようなものがあるが、電灯によってできるそれとは異なり、屋外で撮影したことを伺わせるものである。
上野彦馬の子孫である上野一郎によると、撮影場所の長崎上野撮影局は、早ければ慶応3年(1867年)末から慶応4年(1868年)にかけて、写場の大改造が行われている。フルベッキ写真の手前側に石畳があることから、改造後の写場で撮影されていることがわかるという。
また、背景に欄干の飾りが施されていたことがそのスタジオで撮影された複数の写真(洋行する山県有朋を見送る西郷従道らの記念写真など)からわかるが、フルベッキ写真中では隠れて見えなくなっている。