ストーリー/第1章

Last-modified: 2009-01-02 (金) 01:53:47

第1章 -青雲門-

 

青雲山脈は巍峨(ぎが)たる峰々をそびえ立たせながら中原にその身を横たえる。
北側には大河・洪川(こうせん)が流れ、南には天下の要衝・河陽城(かようじょう)がある。

 
 

山脈は連綿(れんめん)百里に及び、起伏する連峰のうち高いものは七つ、
頂は雲の高みにあり、日ごろは山腹をとりまく白雲が見えるばかりで、その姿形はうかがい知れない。
山には木々が鬱蒼(うっそう)と茂り、瀑布(ばくふ)に奇岩、珍しい鳥獣が多くみられ、
その奇景は天下に聞こえていた。

 
 

ただ、それにも増して名高いのは、山上にある修道の派閥――青雲門だった。

 
 

青雲門の歴史は長く、創設以来すでに二千年余を閲して、当今の正派・邪派双方の筆頭である。
言い伝えでは、一門の開祖はもともとしがない観相術師(かんそうじゅつし)にすぎず、
半生を失意と放浪のうちに過ごしていた。
四十九の年に旅の途上で青雲山に立ち寄り、
ここが天地の霊気を集める絶好の地であると一目で見ぬいた。
そこでただちに山に登り、雨露を浴びて修練にはげんだ。
まもなく、山の奥深くに隠された洞穴で古い無名の巻物を見つけたが、
そこに記された各種の法術(ほうじゅつ)は、難解ながら威力絶大だった。

 
 

奇遇に恵まれた彼は修行に専念し、二十年後にいささかの成果を得て江湖(こうこ)に打って出た。
いくつかの荒波をくぐり抜け、天下の覇者にはなれなかったものの、それなりの地位を築き上げた。
そこで青雲山の上に派閥を開設し、青雲門と名づけたのである。
巻物の内容が道家の教えに近かったため、道士の身なりをして青雲子(せいうんし)と名乗り、
後世の門人たちからは青雲真人(しんじん)の敬称で呼ばれた。

 
 

青雲子は三百六十七歳まで生き、十人の弟子を取って、
死ぬまぎわに「わしは半生かけて観相の術を学び、とりわけ風水の相に通じた。
この青雲山は世にもまれな霊地、わが青雲門はこの地にあるかぎり、
後日かならず栄えようから、ゆめ手放してはならぬぞ。よいか、しかと心得よ」と遺言した。

 
 

ところが、その後百年の間、
天のいたずらか、はたまた青雲子の眼鏡違いか、青雲門は栄えるどころか日ましに衰微の途をたどった。

 
 

十人の弟子のうち二人は早世し、四人は江湖の争いで落命し、
一人は体をそこない、一人は失踪、二人だけが教えを受けついだ。
そして五十年後、青雲山の百里四方を未曾有の大地震が襲い、
無数の死者を出したなかで、うち一方の血脈が絶えた。
最後の生き残りは資質を欠き、青雲子ありし日の威光は跡形もないうえ、
例の巻物を狙って外敵が押し寄せてくる始末。
師の残した凶悪な禁制の法宝(ほうぼう)がなければ、一門はとうに滅びていたろう。

 
 

こうした状況がじつに四百年にわたって続き、青雲門は鳴かず飛ばずどころか、
もはや気息奄々(きそくえんえん)の状態であった。
あげくの果てに、青雲七峰のうち主峰の通天峰を除く六つまでもが敵の手に落ち、
掠奪無法をはたらく盗賊どもの棲みかにされた。
内情を知らぬ人々の多くは、青雲門も堕ちたものよと誤解し、
門弟たちは弁解につとめる一方で汚名をすすぎたいと願ったものの、おのれの無力を嘆くしかなかった。
今にして思えば、それが青雲門にとって最大の苦難の時期であった。

 
 

そして千三百年前、ようやく転機がおとずれた。

 
 

青雲子の見立てがついに実現したか、それとも天がいたずらに飽いたか、
十一代目の門人から群を抜いた絶世の異才――青葉道人(せいようどうじん)があらわれたのだ。
青葉は姓を葉といい、もとは貧しい落第書生だったが、
縁あって十代掌門(しょうもん)の無方子(むほうし)に末弟子として迎えられた。

 

時に弱冠二十二歳。

 
 

青葉は入門後わずか一年で無方子の教えた剣と法術のすべてを会得し、門弟の筆頭に躍り出た。
さらに一年後には師の無方子すら、長年の修行の成果によってようやく彼と互角に立ち合えるほどだった。
無方子はおどろき喜んで、開祖が遺した例の巻物を青葉に授けて自学させた。
それより青葉は通天峰の裏山にある幻月洞(げんげつどう)にこもり、十三年にわたって修練にはげんだ。

 
 

修錬が成就したのはちょうど満月の夜だったという。
冴えざえとした月が空高く懸かり、通天峰は昼のように明るかった。
にわかに狂風が巻き起こり、裏山から龍が吠えるような大音声が轟きわたって、人々は色を失った。
それから、薄紫の光が天に立ち昇り、大きな音を立てて幻月洞の石室が開くと、
髪も髯(ひげ)も白くなった青葉が、微笑をうかべて光を放ちながらゆったりと歩み出てきた。
人々はみな愕然として、青葉は仙人になったのだと思った。

 
 

その後、青葉は正式に出家し、元の姓の葉と青雲の青を合わせて青葉と名のった。
その日のうちに、彼は笑って恩師のもとを辞し、
「しばしお待ちください、用事を済ませてまいります。一日で戻ります」と告げた。

 
 

一同が首をひねっていると、一昼夜ののちに青葉は剣を駆って舞い戻った。
青雲山の六つの峰を占拠していた敵は、すべて退治されていた。
青葉道人の法力と苛烈さはたちまち天下に知れ渡り、青雲門の声威は大いに高まった。

 
 

その翌年、無方子は掌門の位を青葉にゆずって隠棲した。
指導者となった青葉はよく仲間を助け、入門者を厳選して一門を治めた。
また彼は例の巻物によって人智を超えた威力を身につけていた。
これより青雲門は日に日に栄え、五十年で正派の支柱となり、二百年後には聖教各派の領袖となっていた。

 
 

青葉道人は五百五十の長寿を保ったが、生涯に七人の弟子しか取らなかった。
その七人を七つの峰に配し、ともに教えを守り継がせたのである。
うち〈長門〉すなわち一番弟子の分派は通天峰の青雲観に居をかまえ、ここが一門の中心となった。

 
 

今日、青雲門の弟子はすでに千人近くに達し、達人が群れをなし名声は鳴りひびいて、
天音寺・炎華谷と並び三大派閥と称される。
そして掌門の道玄(どうげん)道人はといえば、修練を積み重ねて超俗の域に達した当世一流の人物である。

 
 
 

青雲山のふもと、大きな町である河陽城から五十里ほど西北に、草廟村(そうびょうそん)という小村落があった。
住人は四十戸あまり、村人は素朴な気風で、
大半は山で柴を刈っては青雲門に届け、わずかな銭に換えて生活していた。
村人たちは青雲門の弟子の不可思議な挙動から彼らを仙人と思って崇拝し、
青雲門も周囲の民に対してと同様、村人をよく世話していた。

 
 

空は暗く沈み、黒雲が低く垂れこめて、息の詰まるような重苦しい日だった。

 
 

草廟村から見上げると、
険しくそびえる青雲山はまっすぐ天に突き立って、奇怪な形状の岩山は獰猛(どうもう)さすら漂わせる。

 
 

だが、代々ここに住む村人たちにとっては、そんな景色も見慣れたもので、まるで注意を払わない。
ものを知らぬ子供はなおさらのことだ。

 
 

「くそガキ、逃げるな!」

 
 

笑い交じりの怒声を発したのは、十二、三歳と見える整った顔立ちの少年で、
四、五人の子供を引き連れて、前を行く少年を追っていた。
こちらは二つばかり年下で背も小さく、
満面の笑顔でけんめいに走りながら、ふり向いてあかんべえをしてみせる。

 
 

「瞬星(しゅんせい)、待てよ、それでも男か!」後ろの少年が声を張り上げた。

 
 

呼ばれた少年はぺっと吐き捨て、「その手に乗るか!」と叫び返すなりいっそう足を速める。

 
 

追いつ追われつするうち、子供たちは東のはずれにある古い廟(ほこら)に近づいていった。
外見は朽ち果て、どれほどの雨風に晒されてきたものとも知れない。

 
 

瞬星は先頭切って飛びこんだものの、うっかり戸板につまづいてバタリと倒れこんだ。
追手は大喜びでわらわらと飛びかかって押さえつける。

 
 

「つかまえたぞ。これで文句ないよな?」端整な少年が勝ち誇った。

 
 

ところが瞬星は目を怒らせて、「こんなのありかよ? おれをはめやがって!」

 
 

「はめた?」

 
 

「倉皇(そうこう)、この板を置いたのはおまえだろ!」

 
 

「そんなわけあるか!」

 
 

倉皇と呼ばれた少年が大声を上げたが、
瞬星は口を引き結んでそっぽを向き、意地でも降参しないかまえだ。
倉皇はカッとして、相手の喉に手をかけた。

 
 

「つかまったら降参する約束だよな! 降参しろよ!」

 
 

瞬星は取り合わない。

 
 

倉皇は真っ赤になって手に力をこめた。「降参しろ!」

 
 

首を絞められて瞬星は息ができず、しだいに顔が赤らんできたが、
小さいくせになかなかの頑固者で、一言も発しようとしない。

 
 

倉皇はますます逆上し、手に力を加えながら、「降参しろ、降参しろ、降参しろ!」とひっきりなしに畳みかける。

 
 

他の子供たちはまずいと見てとり、皆こそこそと引き下がったが、
ふたりはなおも意地を張り合い、どちらも生来の頑固さゆえに引っこみがつかなくなっている。

 
 

あわや惨事に発展するかという矢先、廟の奥から仏号をとなえる声がした。

 
 

「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)、早くその手を放しなさい」

 
 

痩せしなびた手がさっと伸び、二本の指で倉皇の両手を軽く突いた。
雷に打たれたような衝撃を受けて、倉皇は思わず手をゆるめる。

 
 

瞬星はよほど苦しかったとみえ、口を大きく開けてあえいだ。
しばしその場で茫然としてから、
我にかえって先程のことを思い出し、ふたりは目を見合わせて、今更ながらにぞっとする。

 
 

「瞬星、ごめんな。おれ、どうして......」倉皇がおずおずと口を切った。

 
 

瞬星は首をふり、呼吸を取り戻してから言った。「大丈夫。あっ、誰?」

 
 

一同がその視線を追うと、廟の中に年老いた僧が立っている。
しわ深い顔にぼろぼろの袈裟(けさ)、汚れきった風体だが、
手にした碧玉(へきぎょく)の数珠(じゅず)だけは目もくらむほどの澄んだ光を放っている。
不思議なことに、
つややかに透きとおり粒のそろった十数個の碧玉のなかに、
ひとつだけ玉とも石ともつかぬ、くすんで艶のない紫色の珠があった。