CK3 wikiにおける歴史背景の頁です。
プレイする際の参考にどうぞ。
867年
1066年
ノルマンディー公爵
1066年シナリオの主人公と言っていいのがこのノルマンディー公爵「私生児」ギョームである。
1066年シナリオは9月からはじまるため、まだ彼はイングランド王にはなっていない。おそらくイングランド王位に対する請求権をはじめからもっているか、イングランド王ハロルドと戦争状態としてシナリオは開始されるであろう。イングランド征服(「ノルマン・コンクエスト」)が達成されれば、私生児ギョームは晴れてウィリアム征服王となる。
CK2の状況に準拠すれば、ノルマンディー公爵のライバルはイングランド王のほかにノルウェー王、そしてデンマーク王がいる。ノルウェー王は軍事に秀でた最後のバイキング王で、私生児ギョームの最大のライバルとなるかもしれない。
神聖ローマ帝国
1066年シナリオの神聖ローマ帝国は叙任権闘争の前夜に当たり、皇帝ハインリヒ4世のもとでの統治がおこなわれている。
史実では1070年代に聖職叙任権闘争が激化し、皇帝と教皇が叙任権をめぐって激しく対立した。
この叙任権闘争は1076年のハインリヒ4世の破門、そして1077年のいわゆる「カノッサの屈辱」で頂点を迎える。
ビザンツ帝国
西の横綱が神聖ローマ帝国だとすれば、東の横綱がビザンツ帝国(東ローマ帝国、あるいは単にローマ帝国)である。
ビザンツ帝国はこの時期東地中海における覇権を失っており、東方からはセルジュークトルコの馬蹄が聴こえる。
史実ではマンジケルトのたたかいで敗北してアナトリア半島を失陥。ドゥーカス家が没落してコムネノス家へバトンタッチとなる。
CKシリーズではのち皇帝を輩出するコムネノス家、アンゲロス家、そしてパレオロゴス家などが1066年開始当初から存在する。
これらの家門ではじめて、ビザンツを支えるプレイなり、帝位を簒奪するプレイなりをするのもよいかもしれない。
フランス王国
1066年当時のフランス王はまだ未成年。しかしフランスは領土も広く、豊かなため、史実のようにカトリック十字軍の主力としておおくの兵力を供出できるだろう。王の直轄領は僅かだが、家臣団のなかにはStrong Vassalがおおく存在する。アキテーヌ公爵などはその代表である。また開始直後にノルマンコンクエストが成功すればノルマンディー公爵領はフランス王権のそとにでることになる。注意が必要だ。
イベリアのカトリック諸王国
CK2ではチュートリアル国家を務めたレオン王国をはじめ、カステラ王国やガリシア王国などヒメネス家の諸王国が存在する。武勇に優れたカステラ王であれば戦争で統一を目指し、智謀に秀でたレオン王であれば(CK3発売前のLive Streamingのように)陰謀によって統一を目指し、しかるのちにイスラム勢力に対するレコンキスタを行うのが常道であろう。
なお、カステラ王国には軍事26の軍神、エルシドが存在する。