CK3 wikiにおける歴史背景の頁です。
プレイする際の参考にどうぞ。
867年
イングランド
867年のブリテン島は侵入するデーン人のヴァイキングらに各地を侵食され、混沌を極めていた。"骨なしの"イーヴァル、"剛勇"ビョルン(イングランドには来ず)を筆頭に"白シャツの"ハールヴダン、"蛇の目の"シグルズ(イングランドには来ず)など、偉大なヴァイキングであるラグナル・ロズブロークの息子達の名前がずらり。当然彼らの能力や戦力は並大抵の力では太刀打ちできないだろう。むしろ彼らでプレイしてイングランドを蹂躙し尽くすのも面白いかもしれない。が……
実質このような状況を招いたノーサンブリア公アエラにヘイトと大異教徒軍の侵略が集中する中、南のウェセックス王国(ゲーム上の扱いは公国)の若き王であるエゼルレッドは、弟であるドーセット首領(伯爵)と共に反撃の機会を伺っていた。……この弟こそ、後にヴァイキングらを駆逐しウェセックス王国に安寧を齎し、『大王』と謳われることになるアルフレッドである。齢18にして策略以外の能力値が信じられないほどに高水準。強い。
史実だとエゼルレッドはこの後戦病死を遂げ、家督がアルフレッドに渡ることとなるが、当然ながらこの時点では健康そのもの。更には大異教徒軍達も普通に強いため史実通りの道を行くには不得手な策略で多少の賭けをしなければならないかもしれない。CPUにプレイさせると高確率で兄の元帥やら首領頭やらで終わる。しかし何らかの要因でアルフレッドに継承されると大抵史実同様の活躍を見せるだろう。
1066年
ノルマンディー公爵
1066年シナリオの主人公と言っていいのがこのノルマンディー公爵「私生児」ギョームである。
1066年シナリオは9月からはじまるため、まだ彼はイングランド王にはなっていない。おそらくイングランド王位に対する請求権をはじめからもっているか、イングランド王ハロルドと戦争状態としてシナリオは開始されるであろう。イングランド征服(「ノルマン・コンクエスト」)が達成されれば、私生児ギョームは晴れてウィリアム征服王となる。
CK2の状況に準拠すれば、ノルマンディー公爵のライバルはイングランド王のほかにノルウェー王、そしてデンマーク王がいる。ノルウェー王は軍事に秀でた最後のバイキング王で、私生児ギョームの最大のライバルとなるかもしれない。
神聖ローマ帝国
1066年シナリオの神聖ローマ帝国は叙任権闘争の前夜に当たり、皇帝ハインリヒ4世のもとでの統治がおこなわれている。
史実では1070年代に聖職叙任権闘争が激化し、皇帝と教皇が叙任権をめぐって激しく対立した。
この叙任権闘争は1076年のハインリヒ4世の破門、そして1077年のいわゆる「カノッサの屈辱」で頂点を迎える。
ビザンツ帝国
西の横綱が神聖ローマ帝国だとすれば、東の横綱がビザンツ帝国(東ローマ帝国、あるいは単にローマ帝国)である。
ビザンツ帝国はこの時期東地中海における覇権を失っており、東方からはセルジュークトルコの馬蹄が聴こえる。
史実ではマンジケルトのたたかいで敗北してアナトリア半島を失陥。ドゥーカス家が没落してコムネノス家へバトンタッチとなる。
CKシリーズではのち皇帝を輩出するコムネノス家、アンゲロス家、そしてパレオロゴス家などが1066年開始当初から存在する。
これらの家門ではじめて、ビザンツを支えるプレイなり、帝位を簒奪するプレイなりをするのもよいかもしれない。
フランス王国
1066年当時のフランス王はまだ未成年。しかしフランスは領土も広く、豊かなため、史実のようにカトリック十字軍の主力としておおくの兵力を供出できるだろう。王の直轄領は僅かだが、家臣団のなかにはStrong Vassalがおおく存在する。アキテーヌ公爵などはその代表である。また開始直後にノルマンコンクエストが成功すればノルマンディー公爵領はフランス王権のそとにでることになる。注意が必要だ。
イベリアのカトリック諸王国
CK2ではチュートリアル国家を務めたレオン王国をはじめ、カステラ王国やガリシア王国などヒメネス家の諸王国が存在する。武勇に優れたカステラ王であれば戦争で統一を目指し、智謀に秀でたレオン王であれば(CK3発売前のLive Streamingのように)陰謀によって統一を目指し、しかるのちにイスラム勢力に対するレコンキスタを行うのが常道であろう。
なお、カステラ王国には軍事26の軍神、エルシドが存在する。