リベンジマッチ
西へ
Oriel軍との再戦を見据え、外交施策として、Gwynedd公国と我が子の政略結婚を進め、同盟関係を構築することとしました。さらに東ではなく西に軍を進めることにしました。狙うは西隣のConnacht。
869年10月19日
Connachtの部族長に宣戦布告。徴兵したときに兵士が集合する場所(Rally Point(地図上の赤旗アイコン))を国境付近に移動させ、挙兵と同時にGwynedd公とOrmondの部族長に参戦を打診すると、あっさりOKでした。
870年11月12日
Connachtを併合。
周辺に目を配って時を過ごしていると、我が国の南端に接するOssoryの部族長がその隣のLeinsterの部族長と交戦中となりました。
871年3月7日
これはチャンス到来ということで、我が国と国境を接するOssoryの部族長に宣戦布告しました。期待していたとおり、Ossory軍はLeinsterの攻城戦に出たまま戻ってきませんでした。
871年10月13日
たいした抵抗もなく、Ossoryを併合。この時、憎きOriel軍が我が国で略奪行為(Raid)を働いていました。
871年12月31日
Ossory軍と戦っていた部隊が勝利の余勢でOriel略奪軍を撃退。敗戦の傷口が若干ふさがりました。
872年9月14日
Ossoryの部族長と戦闘していたLeinsterの部族長に宣戦布告。
873年1月1日
Leinsterを併合。
第2次Oriel征服戦争
873年6月某日
宿敵Orielの部族長が隣国のUlsterの部族長と交戦状態に入っているのを確認しました。
斥候を出すと、Oriel側には同盟国のGwynedd公国は助太刀していない模様。これは復讐の時が来た!
873年6月2日
Orielの部族長へ宣戦布告。Ulsterとの交戦中のところに殴りこみました。
宣戦布告しすぐにGwynedd公とOrmondの部族長に参戦を打診。結果・・・・・・
どうしてこうなった・・・・
そして・・・・
875年1月2日
2度目の敗北。