AAR/もしロシア人たちが/1

Last-modified: 2020-09-30 (水) 22:36:16

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9世紀シナリオには偉大な冒険者たちが数多く登場する。
そのひとりであるヴァリャーグ(ノルド人傭兵)のリューリクは、史実においてはロシア人たちに請われてノヴゴロドにわたり、そこで公となって子孫はロシア人たちの大領主となった。

first look

おれの名前はリューリク。ひと呼んで「問題児」リューリク。
なぜ「問題児」なのかって? それはおれにもわからない。

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おれは軍事値23、星四つの偉大な将軍だ。そんなおれが何故「問題児」なんだろうか? まったく不思議な話だ。
おれがノルドの百姓娘を犯して、一人息子のヘルギを産ませたからだろうか?
それともおれがウップランドの大領主、ムンゾ家の一人娘のイングリッドをかどわかして駆け落ち同然にノヴゴロドまでやってきたからだろうか?

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イングリッドは可愛い可愛いおれの嫁だ。粗暴で勇敢な性格はノルド人たちの美徳だ。聡明で強健な遺伝的体質は、これから産まれるだろうおれたちの子どもをより強く健やかにしてくれよう。

イングリッドはノヴゴロドにきてからある日の夜、ベッドのなかでおれに囁いた。
「あなたと居るとわたし、退屈しないわ。ウップランドは田舎で、刺激がなくって、いやだったの。
 わたしロシア人たちを気に入ったわ。ロシア人たちは面白いの。あなた、ロシア人たちの王になって。絶対よ。」

おれはロシア人たちの王になることをイングリッドに約束した。
次の日の晩、おれたちノルド戦士はロシア人の職人につくらせておいたロシアの地図を見ながらこの地を征服する方法を考えた。

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ノヴゴロドにあるホルムガロル公というのがおれのことだ。
おれはノヴゴロドを征服したが、ロシアにはおれと同じ位の領主がたくさんいる。
ロシア人領主としてはミンスク公、ティメロヴォ公(のちオポール公)、ピンスク公。そしておれに先んじてロシアにはいり、キエフを征服したノルド人のコヌガロル公。
それから忘れてはならない。さらにさらに東方には、ハザール汗国という割礼を教義とする巨大な帝国が控えている。こいつらを打ち負かして、おれはロシアを征服しなければならない。

Convert to Muslim

おれはノルド人たちと戦略を練った。

おれのロシア征服の手順はこうだった。
まず、威信評価値を確保するために周辺の伯を殴ってまわってこれを併呑する。
つぎに、威信評価レベルがあがったら部族制領主が生涯に一度だけつかえる臣従CBでミンスク公を殴ってこれを配下にする。
これで白ロシアの王権de jureの必要プロビを確保できたら白ロシアとノヴゴロドの王を名乗り、ロシア人に帰化する。
このことによってさらに威信評価レベルや信仰評価レベルがあがるので、つぎからは公爵級CBをつかってロシアの周辺プロビを刈り取っていく。

おれは初期威信値として750が配分されている。
この威信をつかって重装歩兵と軽装歩兵と弓兵をいちスロットずつ雇っておく。
とくに重装歩兵はノルド人文化でいるあいだしか当面は雇えないので*1、この段階で雇っておくのが無難だろう。

のこりの威信は宣戦布告のコストに充てる。

というわけでおれはポロツク伯、ジェルシカ伯、そしてロディ伯といった隣村の伯を殴ってまわり、これを併合して威信を稼いだ。
おれはイングリッドとロマンスをすることも忘れない。ロマンスを成功させれば、大量の威信が入手できるのだ。実際、公としておれは350の威信を入手した*2
それでも臣従CBをつかえるようになる威信評価レベルまでにはあとすこし威信評価が足りなかったので、おれは略奪部隊を組織してミンスク公の領域に侵入し、村々を焼き払って威信を稼いだ。

威信評価レベルが必要条件に達したので臣従CBでミンスク公を殴った。ミンスク公は他のロシア人領主たちと同盟しており、動員兵力では僅かながらおれたちを上回っていた。
おれは躊躇せずに傭兵を雇った。傭兵たちとミンスク公の村々を占領しながら敵の来襲を待っていると、やつらはきた。
おれたちが迎撃態勢にはいるとやつらは遠巻きに眺めた末、転進しはじめたので、追いかけてこれを散々に打ち破った。おれたちは勝った。

こうしておれはノヴゴロドのほかにミンスクを手に入れたが、傭兵を2スロット雇ったお陰で戴冠式の資金にも事欠く有様だった。
だからおれは再び略奪隊を組織して、付近の村々を焼いてまわり、財を奪ってまわった。ロシア人たちはおれのことを「ノヴゴロドからきた恐怖公」と呼んで畏れた。

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250万グロヴナの資金を付近の村々から徴発しおえたおれは、これをパーッとつかって景気よく戴冠式をあげることにした。
おれはノヴゴロド王になった。おれはロシア人に君臨する王爵となった。イングリッドよ、喜んでくれるか。だがイングリッドはなぜか浮かない顔をしている。

おれはこれを機会にロシア人に帰化することにした。
ノヴゴロドもミンスクも、そしてこれからおれが征服する予定のキエフもどれもこれも、皆、ロシア人の土地だ。
おれがいつまでも外国人のままだと統治に支障が出てしまう。だがイングリッドは抵抗した。「わたし、ロシア人になるのは嫌よ。わたしはノルド人よ。」
おれはイングリッドを宥め賺して帰化させた。だが、もっとイングリッドが抵抗したのは宗教の変更だった。

「なあイングリッド、わかってくれよ。」

ノルド信仰はおれだって名残惜しい。だが、あの原始宗教のままでは周辺諸民族におれたちロシアの王国は舐められたままになる。
おれたちは組織宗教を採用する必要がある。組織宗教を採用すれば、おれたちは聖戦だってできるし、封建制にだって移行できる。おれたちはノルド信仰を捨てる時が来たのだ。
でもやっぱりイングリッドはいやがった。やはりあいつはどこまで行ってもムンゾ家のお嬢様だった。おれは無理やりイングリッドを改宗させた。イングリッドは恨みがましい目でじっとこちらを見ていた。

というわけで、ヒジュラ暦253年*3、おれはイスラム教徒になった。

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おれは組織宗教を採用する際にキリスト教の坊主とイスラム教の学生を連れてきて、それぞれの宗教を説明させた。
おれの理解はこうだった。キリスト教徒は酒が飲めるが妻は一人しかもてない。イスラム教徒は妻が四人持てるが酒が飲めない。

結局のところ、好みの問題だろう。おれはイスラム教を採用した。ほんとうはカリフのいるスンニ派になりたかったが、Pietyが足りなかったためにシーア派のイスマイル派に改宗した。

イスマイル派はジハードができ、偽装転向と改宗抵抗力をもち、そして人頭税というかたちで異教徒から余分に税金を徴収することができる。
宗教指導者は法学者(アヤトラ)で、要するにコーランの解釈にたけた世俗の人間だ。男性優位で、経典を尊重している。
節制、気前の良さ、そして公正さを美徳としている。悪徳はその反対で、当然酒を飲むのは厳禁だ。
酒好きのロシア人たちはげんなりした顔をしていたが、おれは彼らにも信仰を強制した。改宗しなかった者もいたが、税金(ジズヤ)をとれるので問題ない。コーランかジズヤか。二つに一つだ。

the late age...

ムスリムに改宗したあとしばらく、おれは遠征をやめて略奪を繰り返した。
なぜかというと、遠征で得た領土は分割相続でなくなってしまうかもしれないからだ。
資金であればそのまま次の代に引き継げるし、威信で組織する常備軍もまた同様だ。だが領土はそうはいかない。

おれとイングリッドのあいだ、...そう、おれとイングリッドのあいだには数人の子どもがいたが、男子は一人だけだった。
クヌートという。
だがイングリッドはまだ若い。男子がまだ産まれるかもしれなかった。それに、クヌートが夭逝でもすれば女子のあいだにだって分割相続は起きうるんだ。だからおれは、領土を拡張するのは抑制的だった。

だけどある日、こんなことがおこったんだ。

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イングリッドが裏切って、おれの片腕だった男とデキてやがったんだ。おれは気が狂わんばかりになった。
おれは怒りに任せてイングリッドを投獄した。間男のほうは公爵位をもっていたため、投獄できるかどうかは運任せだったが、おれは内戦の危険性も構わずこの男の投獄も命じた。そしてそれは成功した。

ああ、イングリッドよ。なぜおれを裏切った。

おれはしかし、妻であり魂の伴侶だった彼女を投獄したことで、男子継承者問題がクヌート一本に絞られたことを知った。
それからのおれは魂の伴侶に裏切られた悲しみを埋めるかのように、対外遠征を繰り返した。
東にオポール公を討ち、西にはカレリア公を討った。周辺の村々への略奪と戦争を交互に行い、おれの威信評価は高まり、いつしかおれは「傑出した人物」と称されるようになっていた。
この「傑出した人物」の威信評価レベルをもつ者は、生涯に一度だけ王爵級の征服CBがつかえる。おれはヒジュラ暦270年に躊躇なくそれを行使した。

リャザン公に対する、ウラジミル王爵級征服CBがそれだ。

だがリャザン公への遠征は、不測の事態をうみだした。いや、リャザン公自体は弱かった。遠征から2年もたたないうちにおれは彼らを征服した。
だが、この遠征でおれに対する周辺諸国の悪評が高まったのか、はたまたリャザン公への遠征で空いたノヴゴロドを空き巣しようと思ったのか、周辺領主たちが五月雨式におれに宣戦してきたのだ。
南からはピンスク公とその同盟諸国による戦争が吹っ掛けられ、北からはウスタング公とその連合による戦争が挑まれ、東からはカザン王が直々に最後通牒を投げかけてきた。
四方八方から攻め立てられ、その対策に追われている最中、おれは過労が祟ったのか、死んだ。ヒジュラ暦675年のことで、おれは66歳だった。

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おれの最大版図だ。
おれは生涯を振り返ってやり直したいとか、後悔していることはほとんどない。
もう一度人生を繰り返すにしても、おれはノヴゴロドを征服し、ルーシを服従させ、組織宗教に改宗し、遠征と略奪を繰り返してロシア人たちの王となっただろう。
だが、イングリッドとその間男の件だけはべつだ。あんなに胸の痛む出来事はかつてなかった。
イングリッドとその間男は牢獄で惨めに死んだ。その事実だけがおれの痛んだこころを慰めてくれる。


*1 ノルド人文化は重装歩兵を解禁しているが、ロシア人文化はそれを解禁していないため。
*2 王だったら入手できる威信はもっと多いかもしれない。今回は戴冠式にかかる費用を傭兵資金に充てる可能性があったためにこれを優先した。
*3 キリスト歴874年