AAR/もしロシア人たちが/4

Last-modified: 2020-10-03 (土) 04:23:22

ss1.jpg

ボクの名前はワシルコフ*1
生まれながらにしてのロシア王だ。
ボクが生まれたばかりの頃、まだ「あー」とか「だー」とかしか喋らなかった頃、父である小リューリクが崩御された。そこでボクがノヴゴロド王となった。

Reign of Vasilkov

ボクは、異母姉派のロシア貴族とボク派のロシア貴族の闘争の具になったらしい。
異母姉派の貴族たちは「新生児に戴冠させるのはおかしい。姉君殿下を女王にして即位させるべきだ」と派閥をつくってボク派の貴族を威嚇した。
ボクを推戴したロシア貴族たちは、この派閥に対処するために派閥の指導者であるルキ公ヴァルディイ家のまだ3歳にならんとしている女のコとボクを婚約させ、同盟を締結することで和解を図った。

ss2.jpg
(0歳と3歳の婚約。政略結婚の時代。)

それから、そうそう。先代からの戦争が続いていたらしい。
ロシア貴族たちは一致団結してエストニア王を屈服させた。
これによってボクは、ノヴゴロド王、ガリチア王、エストニア王、リトアニア王、そして白ロシア王の5つの王冠を抱くことになった。...僅か4歳の頃の話だ。

ボクを産んだ母上オクセンヤはヴェプシア人だったが(ヴェプシア人は北ロシアに居住している異民族)、鼻高々で王太后の地位を満喫していたらしい。
王太后オクセンヤはさきの小リューリクの未亡人だったが、これまた政略結婚でルテニア王と再婚し、クヌート大王以来崩壊していた全ロシアのリューリク家による支配を復活させた。

ss3.jpg
(この頃のロシア。ノヴゴロド連合王国とルテニア王国がリューリク家による支配領域となっている。)

しかしケチはしょうもないところからつくものだ。
同盟国の名もない伯爵の援軍要請に応えてスウェーデン王と干戈をまじえたことがケチのつきはじめだった。
スウェーデン王は2万の軍勢を動員してバルト海を渡ってきた。たいしてノヴゴロド側はロシア貴族たちがかきあつめた12000の軍勢で迎え撃った。そして敗けた。

そうするとエストニアやリトアニアの異教徒たちが、すわ、やはりロシアは弱いということで舐めてかかってきて、独立戦争を仕掛けてきた。
ヒジュラ暦350年から353年にかけての独立派閥との戦争で、ロシア貴族たちは彼らの鎮圧に失敗した。ノヴゴロド連合王国はここで脆くも崩壊した。

ss4.jpg

ボク? ボクはと言えばもう13,14の若者だった。
ロシア貴族たちが独立派閥の鎮圧に失敗して、落城、討死の報告をノヴゴロドの宮廷にもってくるたび落胆した。
同じ頃、王太后オクセンヤは不倫がバレてルテニア王に幽閉されてしまった。これでノヴゴロドとルテニアの同盟もご破算。

そのあと、ヒジュラ暦355年にボクは親政を開始した。

ss5.jpg

ボクは星2つの陰謀家だった。気紛れで、怠惰だったが、勇敢と評された。自慢は陰謀値16で、これをつかってボクはロシアの激しい軍事闘争と政治闘争をのりきろうと決意していた。

ボクはほんとうはクヌート大王のように全ロシアを統一したかったが、それはボクの能力をはるかに越える任務だった。
ボクには威信も信仰も足りなかった。それどころか動員兵力すら不足していた。これでは精強なエストニア公や、数で勝るスウェーデン王には勝てない。
いつこれらの外敵が臣従CBで攻めてくるかわからなかったので、ぼくは同盟国を募った。はるか北方のサミ人の王国や、もはやリューリク家が支配していないヴラジミル王国がボクの要請に応えてくれた。
だが彼らはボクを便利屋のごとくつかった。サミ人たちはボクをスウェーデン王国との2度目の、7年間にわたる長期戦にひきづりこんだ。ヴラジミル王はde jureの公爵位を取り戻すための戦争に二度もボクを借り出した。

ボクはこれら同盟国の要請を律義に応えた。
それがよかったのかもしれない。ボクの威信評価と信仰評価はかずかずの戦争でうなぎ登りにあがった。

政略結婚で結婚したボクの妻との関係もうまくいっていた。妻はたくさんの子どもを産み、そのうち3人は男子だった。
長男リューリクはボクがじきじきに教育してムスリムとして恥ずかしくない特性を身に着けさせたが、彼は西方のポーランド王国とのたたかいで戦死した。ヒジュラ暦378年のことだ。
だが長男リューリクはおさない後継者をもうけていた。名前はスヴェトザール。彼が16歳にならんとしている頃、ボクの三男コズマが不審死した。ボクはおおいに悲しみ、下手人は誰か捜索させたが、結局わからなかった。

ヒジュラ暦395年のある日、スヴェトザールが「暗殺者に狙われている」という苦情をボクに申し入れてきた。ボクが調査したところ、スヴェトザールの暗殺をはかっているのは彼の妻だった。
ボクは吃驚して彼の妻を逮捕し、処刑して、彼にあたらしい妻をあてがった。陰謀につぐ陰謀で宮廷が血に濡れた。

ヒジュラ暦402年には今度はスヴェトザールがボクの命を狙っているという報告が密偵頭からあがってきた。
ボクは驚愕したが、スヴェトザールには何も言わず(なにしろ彼はボクの正当な後継者だったから)、ただ警備を強化した。

同じヒジュラ暦402年の冬、ボクの娘がスヴェトザールの命を狙っているという報告があがってきた。
どうしてこう頭を抱えるような事態がつぎつぎと生起するんだろう。ボクは娘を逮捕し、スヴェトザールの身の安全をはかってやらなくてはならなかった。

ss6.jpg

ヒジュラ暦407年、ボクは67歳で死んだ。自然死だった。
臨終の際、ボクのもとに密偵頭がはこんできた情報には吃驚させられた。スヴェトザールは過去、叔父のコズマを暗殺していたというのだ。
ボクはこの宮廷の陰謀劇に責任をおっているのだろうか。それは誰にも分らないだろう。


*1 Vasilkoだと「ワシルコ」であるが、たぶんパラドはVasilkovのvをとばしてしまったのであろう。以下ワシルコフと呼ぶ。