AAR/プレスター・ジョンの王国/1

Last-modified: 2020-09-24 (木) 23:29:26

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9世紀シナリオには偉大な冒険者たちが数多く登場する。
そのひとりであるヴァリャーグ(ノルド人傭兵)のリューリクは、史実においてはロシア人たちに請われてノヴゴロドにわたり、そこで公となって子孫はロシア人たちの大領主となった。

first look

おれの名前はリューリク。ひと呼んで「問題児」リューリク。
なぜ「問題児」なのかって? それはおれにもわからない。

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おれは軍事値25、星四つの偉大な将軍だ。そんなおれが何故「問題児」なんだろうか? まったく不思議な話だ。
おれがノルドの百姓娘を犯して、一人息子のヘルギを産ませたからだろうか?
それともおれがウップランドの大領主、ムンゾ家の一人娘のイングリッドをかどわかして駆け落ち同然にノヴゴロドまでやってきたからだろうか?

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イングリッドは可愛い可愛いおれの嫁だ。粗暴で勇敢な性格はノルド人たちの美徳だ。聡明で強健な遺伝的体質は、これから産まれるだろうおれたちの子どもをより強く健やかにしてくれよう。

イングリッドはノヴゴロドにきてからある日の夜、ベッドのなかでおれに囁いた。
「あなたと居るとわたし、退屈しないわ。ウップランドは田舎で、刺激がなくって、いやだったの。
 わたしロシア人たちを気に入ったわ。ロシア人たちは面白いの。あなた、ロシア人たちの王になって。絶対よ。」

おれはロシア人たちの王になることをイングリッドに約束した。
次の日の晩、おれたちノルド戦士はロシア人の職人につくらせておいたロシアの地図を見ながらこの地を征服する方法を考えた。

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ノヴゴロドにあるホルムガロル公というのがおれのことだ。
おれはノヴゴロドを征服したが、ロシアにはおれと同じ位の領主がたくさんいる。
ロシア人領主としてはミンスク公、ティメロヴォ公(のちオポール公)、ピンスク公。そしておれに先んじてロシアにはいり、キエフを征服したノルド人のコヌガロル公。
それから忘れてはならない。さらにさらに東方には、ハザール汗国という割礼を教義とする巨大な帝国が控えている。こいつらを打ち負かして、おれはロシアを征服しなければならない。

the White Rus

おれはノルド人たちと戦略を練った。

おれのロシア征服の手順はこうだった。
まず、威信評価値を確保するために周辺の伯を殴ってまわってこれを併呑する。
つぎに、威信評価レベルがあがったら部族制領主が生涯に一度だけつかえる臣従CBでミンスク公を殴ってこれを配下にする。
これで白ロシアの王権de jureの必要プロビを確保できたら白ロシアとノヴゴロドの王を名乗り、ロシア人に帰化する。
このことによってさらに威信評価レベルや信仰評価レベルがあがるので、つぎからは公爵級CBをつかってロシアの周辺プロビを刈り取っていく。

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おれは初期威信値として750が配分されている。
この威信をつかって重装歩兵と軽装歩兵と弓兵をいちスロットずつ雇っておく。
とくに重装歩兵はノルド人文化でいるあいだしか当面は雇えないので*1、この段階で雇っておくのが無難だろう。

のこりの威信は宣戦布告のコストに充てる。

というわけでおれはポロツク伯、ジェルシカ伯、そしてロディ伯といった隣村の伯を殴ってまわり、これを併合して威信を稼いだ。
おれはイングリッドとロマンスをすることも忘れない。ロマンスを成功させれば、大量の威信が入手できるのだ。実際、公としておれは350の威信を入手した*2
それでも臣従CBをつかえるようになる威信評価レベルまでにはあとすこし威信評価が足りなかったので、おれは略奪部隊を組織してミンスク公の領域に侵入し、村々を焼き払って威信を稼いだ。

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威信評価レベルが必要条件に達したので臣従CBでミンスク公を殴った。ミンスク公はオポール公その他のロシア人領主たちと同盟しており、動員兵力では僅かながらおれたちを上回っていた。
おれは躊躇せずに傭兵を雇った。傭兵たちとミンスク公の村々を占領しながら敵の来襲を待っていると、やつらはきた。
おれたちが迎撃態勢にはいるとやつらは遠巻きに眺めた末、転進しはじめたので、追いかけてこれを散々に打ち破った。ミンスク公とオポール公は捕虜とした。おれたちは勝った。

白ロシア建国まであと1プロビ必要だったので、おれはモジャイスクかロスラヴルかを併合する必要があった。
おれは動員をかける前に二人の伯に宣戦布告し、二人の伯を相次いで併呑した。これで白ロシアを建国する条件が整った。

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主の871年、5月の23日、おれは白ロシアの王となった。おれはロシアの王となったのだ。
主の871年と言ったな。
おれはこのとき、ロシア人に帰化しただけではなく、キリスト教にも改宗した。なぜって? 諸外国に舐められないためさ。

アレクサンドリアにいるという噂の教皇から手紙が来て、ロシア人の坊主がおれのもとに派遣されてきた。
このロシア人の坊主というのがまったくの無能で、それでいておれにねっとりとした視線を向けながら、おれにこう言ったんだ。
「十字架に帰依せよ。キリスト教徒になって異教徒たちを破れば、お前は千年王国の祖となろう。」
おれとイングリッドはこの洗礼の儀式の最中にぷっと吹き出しそうになった。この無能なおっさんがおれに与えた有り難い予言を、真剣な面持ちで拝聴せよというのは無理ってもんだ。

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アレクサンドリアの教皇が任命したネストリウス派の司教がこのロシア人司祭、ムスティスラフだ。
ほら見ろ。まったくの無能だろ? しかもホモときたもんだ。
このおっさんの予言が、当たるか当たらないかは知らない。だけどおれたちは、こんなおっさんが謹厳な言葉でご託宣を述べるのを、畏まって聞いているほど人間ができちゃあいないんだ。

Holy WAR by Nestrian

だが結論から言うとムスティスラフ司教の予言はどんぴしゃだった。
正直なところ、キリスト教徒*3になることでおれが得る利益というのは皆無のようにはじめは思えた。
教義も信条もたいしたことはない。これならおれたちノルド信仰のほうが余程戦争に勝つためのご利益がありそうってなもんだ。
とくにおれは嫁さんが一人しかもてないというのが気に入らない、とそう言うと、イングリッドはむっとした表情をしてたっけ。まあ、イスラム教徒やらの酒を禁じる戒律よりはましか。

だがおれは組織された宗教というやつのちからを侮っていた。
組織宗教は原始宗教と違って聖戦CBがつかえる。聖戦CBはわずかな信仰評価レベルで公爵級領土が切り取れるんだ。これがめっぽう強い。

主の871年に戴冠式と洗礼をばたばたとすませたおれは、
主の872年にはピンスク公を、
主の876年にはオポール公を、
主の878年にはフロドナ公を、
そして主の882年にはなんとハザール汗国をそれぞれくだしてチェルニゴフ公を領域に組み込んだ。
さらに主の883年にカラチェフ公を攻撃するために出陣した途上、おれは死んだ。自然死だった。

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リューリク没時の最大版図。

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「拝啓 司教ムスティスラフより教皇猊下へ。
 サラセン人たちの勢力が日に日に大きくなり、チグリス川上流からソコトラ島に点在しているわたしたちの信仰は日々試練に晒されています。
 しかし喜ばしい知らせがあります。私たちはロシア人の王を私たちの信仰に目覚めさせることができました。
 ロシア人の王の名前はルリクと言います。もとはノルド人で、ヴァリャーグ(ノルド人傭兵)の出身でした。
 祖国で問題をおこして北ロシアのノヴゴロドに亡命し、そこで勢力を築いて十数年前に一躍、ロシア人の王となりました。
 彼は王となるにあたって十字架に帰依することを誓い、聖なる戦争を掲げて南へ南へと進撃しました。
 彼はハザールの汗を打ち破りました。しかしそのあとの遠征の途上で、彼は亡くなりました。
 彼には三人の息子がいて、皆ノルド風の名前をもっており、トステ、ハエステイン、フロルフルと言います。
 この三人の息子たちによってロシア人の王国は、分割相続されました。
 トステは白ロシアの王に、ハエステインはノヴゴロドの王に、そしてフロルフルはミンスクの公となりました。

 私の使命は、彼らロシアの諸王に鞭打ってさらに勢力を南下させ、サラセン人たちを討ってイスラエルをわがネストリウス派の信仰に取り戻すことです。
 それが我々のプレスター・ジョン計画なのです。 敬具」


*1 ノルド人文化は重装歩兵を解禁しているが、ロシア人文化はそれを解禁していないため。
*2 王だったら入手できる威信はもっと多いかもしれない。今回は戴冠式にかかる費用を傭兵資金に充てる可能性があったためにこれを優先した。
*3 ネストリウス派キリスト教徒。