キャンペーン-攻城の世紀

Last-modified: 2015-06-14 (日) 15:38:15

カリブの海賊(イギリス

解説
地理上の偉大な発見が数々となされた時代。それは同時に海賊行為を誘発し、海賊たちを活躍させる
結果にもつながった。新大陸からの黄金を満載した商船がヨーロッパに向かって出航すると同時に、お
びただしい数の海賊たちがその航路に立ち塞がったのだ。大西洋を舞台に卑劣な手段で一儲けを企む
者たちの時代の幕開けだった。中でもカリブ海は「海賊の海」という別名まで付けられたほどで、海賊が
出没することで最も有名な戦場の1つとなった。イギリスとイギリス海賊は貿易航路の独占を目指して常
に戦争に積極的に参加していた。海上を支配するものは新世界の覇者にもなれるのだ。
かつての海の覇者、スペインはイギリスと戦い、その圧力に屈して海の支配権を失った。しかし、植民地
獲得の野望に燃える新興国オランダと並んで、スペインは依然としてイギリスにとって覇権争いの最大
のライバルであり続けた。ヨーロッパ諸国の命運とその将来の繁栄は海で決せられた。この時期のヨーロ
ッパには高貴なる戦闘などというものはありえなかった。海賊行為と交戦、貿易と密輸入、偽りの寛大さと
卑劣な裏切り。海上の支配権を獲得するために必要と思われることならば、どんな手段でも躊躇なく取
られたのだ。
No.ミッション名マップNo.ミッション名マップ
1バミューダ?EW_ENGcampaign01.jpg2バミューダの海賊?EW_ENGcampaign02.jpg
3ジャマイカ?EW_ENGcampaign03.jpg4イギリスの私掠船?EW_ENGcampaign04.jpg
5カタリナ?EW_ENGcampaign05.jpg6キューバ?EW_ENGcampaign06.jpg
7ダリエン湾?EW_ENGcampaign07.jpg8マラカイボ?EW_ENGcampaign08.jpg

独立戦争(ウクライナ?

解説
限りなく広がるウクライナの大草原。黄色やオレンジ色に輝く小麦畑と頭上に輝く青空。このような土地
に暮らす勤勉な人々の平穏な生活を脅かすようなことは何も起こりそうもないようだった。ところが、次か
ら次へと災いが降りかかってきた。まず、ポーランド人たちがウクライナの領土に侵入し、ウクライナ人を
征服し、奴隷にした。ポーランドは自国の軍事力がウクライナの完全支配を達成するのに十分だと考え
たのだ。ウクライナの人々は圧制者に抵抗するために武器を取って立ち上がった。しかし、ポーランドが
実戦の経験や万全な状態の軍隊を持っているのに対し、ウクライナには人々の自由を希求する熱い心
しかなかった。正義を獲得し、圧政に苦しむ人々を解放し、貪欲で虚栄心の強い収奪者たちに目にもの
見せてやることができるのは、英雄の剣をおいて他に何があるだろう。
1569年のルブリン・セイムで、ポーランドとリトアニア公国は同盟協定を締結し、ルゼクポスポリタ*1という新
国家が誕生した。ウクライナはポーランド王の手に渡されてしまい、ウクライナの人々は圧制、重税、徴用
に苦しめられ、土地はポーランド人領主に奪われた。正教会をカトリック教会に従属させることを目的に15
96年、ルブリン政治同盟に加えて宗教同盟*2が結ばれ、圧政側の力はさらに強力なものとなったのだ。正
教徒であるウクライナの農民はその信仰を理由に迫害を受けた。中には領主からの逃亡を図った農民
もいた。ドニエプル川付近の草原は圧制に苦しむ人々を引き付けた。そこでは、人々は狩猟、釣り、養蜂に
携わりながら自由な暮らし-コサック-を営むことができた。大草原で暮らす人々は、自分たち自身の身を守
ることが可能だった。なぜならコサックは野営地、つまり木の砦を築く技術を持っていたのだ。また常に武
器を携帯し、その扱いにも優れていた。
No.ミッション名マップNo.ミッション名マップ
1タタールの戦争?EW_UKRcampaign01.jpg2王に仕えて?EW_UKRcampaign02.jpg
3パヴリュックの暴動?EW_UKRcampaign03.jpg4コダック要塞?EW_UKRcampaign04.jpg
5コサック騎兵 ザポロースカ?EW_UKRcampaign05.jpg6ヤレマ・ヴィズネヴェキー キャンペーン?EW_UKRcampaign06.jpg
7休戦?EW_UKRcampaign07.jpg

枢機卿に仕えて(フランス?

解説
1618年にカトリックとプロテスタントの間の緊張は極限に達し、ヨーロッパは後に三十年戦争と呼ばれる
戦争に突入した。当時のフランスはまだ封建国家であり、その軍隊は外国の脅威に反撃できるだけの力
を持っていなかった。したがって戦争は征服と荒廃の前兆をもたらしたのだ。
将校としてフランス軍に参加した後、フランス軍の誕生と中央集権国家フランスの成立につながる歴史
上の大事に加わる。20年以内に、フランスはヨーロッパの再分割をもたらす血なまぐさい戦争を経験し、
旧世界の中で最も強力で影響力を持つ国家の1つになるだろう。
No.ミッション名マップNo.ミッション名マップ
1ロレーヌへの長い道?EW_FRAcampaign01.jpg2シークレットミッション?EW_FRAcampaign02.jpg
3辺境の戦争?EW_FRAcampaign03.jpg4炎に包まれて?EW_FRAcampaign04.jpg
5スペインの戦争?EW_FRAcampaign05.jpg6アラス?EW_FRAcampaign06.jpg
7ラクロワの要塞?EW_FRAcampaign07.jpg8ラクロワ:勝利の後に?EW_FRAcampaign08.jpg
9ツスマシャウセン?EW_FRAcampaign09.jpg10トゥールーズの蜂起?EW_FRAcampaign10.jpg

ヨーロッパへの窓(ロシア?

解説
大砲の轟きと刃の当たる音、何千もの死体、火に包まれる都市や村。ロシアが巨大な領土と勇猛な陸軍
と海軍を持つ強力な帝国に発展するまでには、このような光景がその過程で数多く見られた。短期間の
うちにロシアは復興に成功し、革新的な変革の結果、経済と科学が急速に発展し、ロシア軍はもはや前
時代的な集団ではなく、ヨーロッパスタイルの新しい軍隊に成長していた。ロシアはバルト海に向かって
戦闘を続け、商船と軍艦の積極的な発展を促した。甚大な人的被害と超人的な努力と引き換えに、新勢
力が誕生したのだ。その勢力は18世紀後半の古き良きヨーロッパにロシアの意思を命ずることができる
ほど巨大なものとなった。
No.ミッション名マップNo.ミッション名マップ
1ステパン・ラージンEW_RUScampaign01.jpg2タタールの急襲?EW_RUScampaign02.jpg
3クリミアキャンペーン?EW_RUScampaign03.jpg4カレリアとインゲルマンランド?EW_RUScampaign04.jpg
5ダウガフグリ要塞?EW_RUScampaign05.jpg6ナルヴァ?EW_RUScampaign06.jpg
7ポルタヴァ?EW_RUScampaign07.jpg8バルト戦争?EW_RUScampaign08.jpg

*1 Rzeczpospolitaジェチポスポリタ。語義は「共和国」だが1569年のルブリンの合同で成立したポーランド・リトアニア共和国を意味する場合もある。
*2 ブレスト教会合同