開発ツリー
機体名称 | 開発Lv | 日本機国籍マーク |
---|---|---|
キ10 九五式戦闘機 | 2 | |
└A5M 九六式戦闘機 | 6 | |
┌┴A6M2 零式戦闘機21型 | 12 | |
│ └A6M3 零式戦闘機32型 | 20 | |
|┏━┛ | -- | |
|┣N1K1-J 紫電 | 30 | |
|┃└N1K2-J 紫電改21型 | 56 | |
|┃ └N1K2-Ja 紫電改21甲型 | 84 | |
|┃┌┘ | -- | |
|┣┿A6M5 零式戦闘機52型 | 42 | |
|┃|└A6M5c 零式戦闘機52型丙 | 49 | |
|┃| └A6M6 零式戦闘機53型 | 56 | |
|┃| └A6M8 零式戦闘機54型 | 68 | |
|┃| └A7M 烈風 | 84 | |
|┃└┬─┘ | -- | |
|┃ ├N1K3-J 紫電改31型 | 102 | |
|┃ |└N1K3-A 紫電改二 | 120 | |
|┃ └A7M2 烈風 | 102 | |
|┃ └A7M3 烈風 | 120 | |
|┃ └(推定)A7M3-J 烈風改 | 138? | |
|┃ └(推定)三菱二十試甲戦 | 138? | |
|┗J2M 雷電21型 | 42 | |
| └J2M5 雷電33型 | 56 | |
| └J2M6 雷電31型 | 84 | |
| └J5N 天雷 | 120 | |
| └(推定)J6K 陣風 | 138? | |
| └(推定)J7W1 震電 | 160? | |
└キ27 九七式戦闘機 | 12 | |
└キ43 隼 | 20 | |
┌─┘ | -- | |
├キ43-II 隼 | 30 | |
|└キ44 鍾馗 | 42 | |
| └キ44-II 鍾馗 | 49 | |
| └キ84 疾風 | 56 | |
| └キ84-IV 疾風 | 68 | |
| └キ87 | 84 | |
|┏━━━┛ | -- | |
└╂キ61 飛燕 | 42 | |
┃└キ61-II 飛燕 | 49 | |
┃ └キ100 五式戦闘機 | 56 | |
┃ └キ100-II 五式戦闘機 | 84 | |
┗┳━┛ | -- | |
┣キ87 試作戦闘機 | 102 | |
┗キ94 試作戦闘機 | 102 |
補足
モデル期待の推測は断定面もありますがあくまで管理者による推定です。
なお史実画像はクリックすると大きいものを参照できます。
できる限り機体名称と形式にあうものを探してきていますが、間違っている可能性もあります。
キ10-II 九五式戦闘機二型
開発LV | 速 度 | 機 動 | 攻 撃 | 防 御 | エンジン温 度 | 上 昇 速 度 | 下 降 速 度 | 機 銃 | 機関砲 | 武 器 スロット | 爆 弾 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2 | 2 | 8 | 1 | 1 | 2 | 2 | 2 | 2 | 0 | 4 | 1 |
高高度 | 速-10%,機-10% | 中高度 | -- | 低高度 | -- |
- 史実の記録
・呼称・略称:九五戦、九五式戦など
九一式戦闘機の後継機として開発された陸軍初の低翼単葉戦闘機キ5が不採用に終わり、当機キ10とキ11の開発が始まった。キ10は川崎で双葉機、キ11は中島で単葉機として開発された。比較審査においてキ10はキ11に速度こそ劣るものの運動性では格段に上回り、格闘戦を好む日本軍はキ10を九五式戦闘機として制式採用した(キ11は不採用)。
当機は当時最高水準を行く複葉戦闘機で、日華事変では中国軍が使用していたソビエト製の ポリカルポフI-15等の複葉戦闘機を寄せ付けない強さを見せた。
しかし昭和14年のノモンハン事件では単葉の ポリカルポフI-16に速度で劣り、追撃できなくなっていた。九五式戦闘機は後継機の九七式戦闘機にあとを譲り、短い現役期間であった。
日中戦争における陸軍航空部隊の活躍を描いた1940年(昭和15年)に公開された映画「燃ゆる大空」では、制作には陸軍航空本部監修全面協力のもと大量の当機の実機が撮影に国民党軍I-15戦闘機役として参加し、主役機である九七式戦闘機との迫力ある空中戦を銀幕上にて繰り広げている。
キ10-Ⅲはエンジンの出力増大、密閉風防の採用、冷却器の改良、張線の洗練などで最高速度445km/hを誇る究極の複葉戦闘機であったが、時代が単葉機に移り変わっていたこともあり、不採用となっている。
HISでは機体紹介ページの発動機の種類により当機のモデルはキ10-Ⅱ 九五式戦闘機二型と断定。 - スペック(キ10-II)
全長 7.55 m 全幅 10.02 m 全高 3.3 m 重量 1360 kg エンジン 川崎九五式ハ9-II甲 水冷V型12気筒エンジン(800hp)×1 最大速度 400 km/h 航続距離 1100 km 武装 (7.7mm)八九式固定機関銃×2 実用上昇高度 11300 m 乗員 1名 派生略号 名称 詳細(名称は九五式戦闘機を省略) キ10 -- 原型機。4機製作 キ10-I 一型 原型機に数度の改修を加えた初期量産型 キ10-改甲 一型改甲 主翼再設計、主脚や冷却器の空力的洗練を盛り込んだ改良案。試作のみ キ10-改乙 一型改乙 二型同様の機体だが、密閉式風防や空力的洗練を盛り込んだ機体。試作のみ キ10-II 二型 改良型の後期量産型。主翼面積増大化による格闘戦性能向上,胴体延長 キ10-III 三型 ハ9乙II発動機搭載の性能向上型
A5M1 九六式一号艦上戦闘機
開発LV | 速 度 | 機 動 | 攻 撃 | 防 御 | エンジン温 度 | 上 昇 速 度 | 下 降 速 度 | 機 銃 | 機関砲 | 武 器 スロット | 爆 弾 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
6 | 2 | 9 | 1 | 1 | 4 | 3 | 3 | 2 | 0 | 4 | 1 |
高高度 | 速-10%,機-10% | 中高度 | -- | 低高度 | -- |
- 史実の記録
・開発名称:九試単座戦闘機(なおこれは同時期の他会社競争試作機も同じ※その中でA5Mが採用された)
・呼称・略称:九六戦、九六式戦
海軍のA4N 九五式艦上戦闘機(キ10ではない)が複葉機で335km/hという低速で、この速度では将来性がないとして、後継機の開発が始まった。当機の開発陣にはのちに世界的超傑作艦上戦闘機「零戦」を生み出した堀越二郎技師も含まれていた(堀越技師によれば、零式艦上戦闘機よりも当機は快心の作であったと言う)。
九七式艦上戦闘機は前作の九五式艦上戦闘機と比較して、速度は50km/h速く、平面での旋回性能は同等、垂直面での旋回性能(宙返り)は非常に良好で、即ち高速で運動性の良い機体であった。当時は日中戦争のさなかで、中国戦線では空中戦において中国側の戦闘機を艦上戦闘機ながら圧倒した。
太平洋戦争序盤(1942年)では一部の空母で後継機零戦の配備の遅れから当機が配備されていた。1942年末に一線を退き、主に練習機として余生を送り、終戦まで使用された。
欠点は航続距離の短さで、中国奥地を爆撃する九六式陸上攻撃機の援護をすることができなかった(このため九六式陸上爆撃機は中国戦闘機により被害甚大)。
HIS機体紹介ページの発動機の種類により、当機はA5M1 九六式一号艦上戦闘機と断定。 - スペック
全長 7.71 m 全幅 11.00 m 全高 3.35 m 重量 1075 kg エンジン 中島 寿二型改一 空冷星型9気筒(460hp)×1 最大速度 460 km/h 航続距離 1200 km 武装 7.7 mm機銃×2
30 kg爆弾×2または50 kg爆弾×1実用上昇高度 9800 m程 乗員 1名 ※モーターカノンとはプロペラの軸内にある機関砲のこと。派生略号 名称 詳細(名称は九六式[]艦上戦闘機。[]内に○号が入る) カ-14 九試単座戦闘機 試作機6機の名称 A5M1 一号 初期量産型。「寿」二型改一発動機搭載 A5M1a 一号改 主翼に20mm機関砲を装備した実験機 A5M2a 二号一型 「寿」三型(600hp)発動機搭載。カウル形状が異なる A5M2b 二号二型 胴体・風防・昇降舵などを改設計したA5M2a改良型 A5M3 三号 「ヒ式」(650hp)発動機、モーターカノンを搭載した実験機 A5M4 四号 「寿」四一型(610hp)発動機搭載。風防再設計。最多生産機 A5M4-K 二式練習用戦闘機 九六式艦戦を複座化した練習機
A6M2 零式戦闘機21型
- 史実名称:零式艦上戦闘機二一型
- 呼称・略称:零戦(ぜろせん、れいせん、ゼロ戦)
開発LV | 速 度 | 機 動 | 攻 撃 | 防 御 | エンジン温 度 | 上 昇 速 度 | 下 降 速 度 | 機 銃 | 機関砲 | 武 器 スロット | 爆 弾 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
12 | 3 | 9 | 1 | 1 | 7 | 7 | 5 | 2 | 2 | 4 | 2 |
高高度 | 速-10% | 中高度 | -- | 低高度 | -- |
- 史実の記録
- スペック
全長 m 全幅 m 全高 m 重量 kg エンジン 最大速度 km/h 航続距離 km 武装 実用上昇高度 m 乗員 1名 派生略号 名称 詳細
A6M3 零式戦闘機32型
- 史実名称:零式艦上戦闘機三二型
- 呼称・略称:零戦(ぜろせん、れいせん、ゼロ戦)
開発LV | 速 度 | 機 動 | 攻 撃 | 防 御 | エンジン温 度 | 上 昇 速 度 | 下 降 速 度 | 機 銃 | 機関砲 | 武 器 スロット | 爆 弾 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
20 | 4 | 10 | 2 | 1 | 8 | 7 | 5 | 2 | 2 | 4 | 2 |
高高度 | 速-10% | 中高度 | -- | 低高度 | -- |
- 史実の記録
- スペック
全長 m 全幅 m 全高 m 重量 kg エンジン 最大速度 km/h 航続距離 km 武装 実用上昇高度 m 乗員 1名 派生略号 名称 詳細
N1K1-Ja 紫電一一甲型
開発LV | 速 度 | 機 動 | 攻 撃 | 防 御 | エンジン温 度 | 上 昇 速 度 | 下 降 速 度 | 機 銃 | 機関砲 | 武 器 スロット | 爆 弾 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
30 | 5 | 8 | 6 | 5 | 5 | 5 | 5 | 2 | 2 | 4 | 2 |
高高度 | -- | 中高度 | -- | 低高度 | -- |
- 史実の記録
試作名称:仮称一号局地戦闘機
呼称・略称:J,紫電
[N1K1 強風]は艦上・水上戦闘機である甲型であったことから「風」の文字が入っているが、当機は局地戦闘機型に改められたので[N1K2-J 紫電]と(局地戦闘機である乙種は「雷・電」のいずれかを含む)名づけられた。
水上機の需要減少に伴い、川西航空機では社内において、二式大艇の陸上攻撃機化・新型艦上攻撃機開発・川西十五試水上戦闘機([強風])の陸上戦闘機化の三案を検討した結果、十五試水上戦機陸戦案が採用された。三菱の[零戦]の後継機[烈風]の開発遅延もあり、海軍はこれを快く受け入れ1941年12月28日の海軍本部に提案したその日にその場承認された。
完成を急ぐため可能な限り強風の機体を流用することになっていたが、実際には発動機を「火星」から大馬力かつ小直径の「誉」へ換装したこと、尾輪を装備したことなどから、機首部の絞り込みや機体後部が大幅に変更されており、胴体でそのまま使用できたのは操縦席付近のみであった。なお、主翼は車輪を収納するところを追加した以外はそのままであり、翼型も航空研究所で開発されたLB翼型(層流翼)が強風より引き継がれている。
他機種を同様初飛行時から誉EGの不調に悩まされた。また、中翼だったこともあり、主脚に二段伸縮式の構造を採用していたが、こちらもトラブルに悩まされた(初期は車輪を収納するのに1~2分かかったという。のちに20秒まで改善)。また、強風から引き継がれていた自動空戦フラップも調子が悪かった。
様々な問題を抱えていてなおかつ予定通りの性能が出せず低性能だったにもかかわらず、1943年7月24日に軍に領収され、8月10日に「紫電一一型」として量産が命じられた。これは零戦では米英軍最新鋭機に対抗できなくなっていることともうひとつの局地戦闘機[雷電]の実戦配備が遅れていたことが主な原因だったとされる。零戦の改修が大きく成功していたり、雷電が実戦配備されていたならば[紫電]の制式採用はなく、のちの名機[紫電改]は誕生しなかったかもしれない。日本が不利な状況だったからこそ紫電は息の根を止められることなく開発が続いた。
なお、トラブルで失われた機体は少なくなく、またF4Fと非常に酷似したその機体は味方から誤認され誤射されることもあったという。余談だが戦艦大和にも誤射されたこともある。
HISにおいては[N1K1-J 紫電]として登場する。が、当機は機首機銃がなくなおかつ、翼下ポッドによる機銃は再現されているので、実質のモデルは機首機銃を廃止し翼内20mm機銃2門に改めた[N1K1-Ja 紫電一一甲型]と思われる。米軍機には機銃4門やら6門にするのに日本機には手厳しいGEMEUS様・・・。 - スペック(N1K1-J)
全長 11.99 m 全幅 8.885 m 全高 4.058 m 自重 2897 kg エンジン ハ45-21 誉二一型空冷複列星形18気筒×1 最大速度 583 km/h 航続距離 1432 km 武装 主翼下ポッド20mm機銃×2
機首7.7mm機銃×2
60kg爆弾4発・250kg爆弾2発実用上昇高度 12500 m 乗員 1名 派生略号 名称 詳細 N1K1-J 一一型 初期量産型。機首に7.7mm機銃、翼下ポッドに20mm機銃搭載 N1K1-Ja 一一甲型 機首機銃廃止、20mm機銃を翼内2・翼下ポッド2の計4門に強化した機体 N1K1-Jb 一一乙型 翼下ポッド廃止、翼内に機銃を収め爆弾搭載能力を付与した機体 N1K1-Jc 一一丙型 爆弾搭載能力を強化した機体。試作のみ -- マルJ 跳躍爆弾懸架装置と加速用ロケットを装備した実験機。ベースは一一丙型 -- 練習戦闘機型 機首機銃のみ搭載した機体。正式呼称は無い。ベースは一一丙型
N1K2-J 紫電二一型(紫電改)
開発LV | 速 度 | 機 動 | 攻 撃 | 防 御 | エンジン温 度 | 上 昇 速 度 | 下 降 速 度 | 機 銃 | 機関砲 | 武 器 スロット | 爆 弾 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
56 | 7 | 8 | 7 | 6 | 8 | 7 | 5 | 2 | 2 | 6 | 2 |
高高度 | 速-5% | 中高度 | -- | 低高度 | -- |
- 史実の記録
N1K1-J 紫電が生産こそされているものの失敗作であるのは開発側も痛感していた。そのため紫電一一型の試験飛行のわずか5日後に仮称一号局地戦闘機改とし紫電の改良型の開発が進められた。
中翼から低翼に、胴体延長などほぼ新型機に等しい改良が加えられており、前方視界の改善・トラブルのもとになっていた二段伸縮式主脚も廃止。機動力の低下を招いていた紫電一一型のガンポッド形式の機銃も翼内に移動させて廃止している。自動空戦フラップも改良が加えられて実用性をUP。
零戦の弱点であった防弾装備の欠如に関し、本機では、主翼や胴体内に搭載された燃料タンクは全て防弾タンク(外装式防漏タンク)であり、更に自動消火装置を装備して改善された。
1944年1月、志賀淑雄少佐、古賀一中尉、増山兵曹らによって紫電改のテスト飛行が行われ、志賀は「紫電の欠陥が克服されて生まれ変わった」と高い評価を与えた。また急降下テストを行った際には、計器速度796.4km/hを記録し、零戦に比べて頑丈な機体であることを証明。最大速度は11.1~24.1km/h、上昇性能、航続距離も向上し、空戦フラップの作動も良好であり、日本海軍は「改造ノ効果顕著ナリ」と判定し、4月4日に全力生産を指示する。1944年度中に試作機をふくめて67機が生産された。1945年1月制式採用となり「N1K2-J 紫電二一型(紫電改)」が誕生した。
乙戦でありながらも甲戦としても使える紫電改は、前線部隊の陳腐化が目に見えて現れていた零戦を代換する機体にうってつけであった(大空のサムライこと坂井三郎も本機を零戦の前線での事実上の後継機であると認めている)。軍は三菱に雷電・烈風の生産停止を命じ、紫電改の生産を指示。20年1月11日には11,800機という計画だったが空襲により頓挫。生産数はわずかにととまる(二一型は99機)。
同時期の米軍機と比較するとやはり速度面はやや劣っている。HISにおいて低速さが目立つのはやむをえないだろう。有名な松山の剣部隊(343空)は紫電改により、米機動部隊の航空戦力に対し大戦果をあげたとの話もあるが、この話にも異論があり、実際は米軍優勢だったとされる。
HISではN1K2-J 紫電改として登場。モデルも[N1K2-J 紫電二一型(紫電改)]であり、珍しく一致している。 - スペック
全長 9.35 m 全幅 11.99 m 全高 3.96 m 自重 2657 kg エンジン 中島 誉二一型空冷複列星形18気筒(1825hp)×1 最大速度 596 km/h 航続距離 2392 km 武装 20mm機銃4挺(翼内)
250kg爆弾2発実用上昇高度 10760 m 乗員 1名
N1K2-Ja 紫電二一甲型(紫電改)
開発LV | 速 度 | 機 動 | 攻 撃 | 防 御 | エンジン温 度 | 上 昇 速 度 | 下 降 速 度 | 機 銃 | 機関砲 | 武 器 スロット | 爆 弾 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
84 | 8 | 8 | 9 | 6 | 9 | 7 | 7 | 2 | 2 | 8 | 4 |
高高度 | -- | 中高度 | 速+5% | 低高度 | 速+5%,機+10% |
- 史実の記録
紫電改の生産のうち第101~200号機に当たるのが二一甲型。
二一型の爆装を60kg爆弾4発または250kg爆弾2発に強化した型。垂直安定板前縁を削り、面積を13%減積した。
テストパイロットを務めた山本重久少佐によると、操縦性と安定性のバランスが改善された
HISでもモデルはそのまま[N1K2-Ja 紫電二一甲型]と思われる。 - スペック
重量など多少は変わるだろうが二一型と特に差異はないと思われる。爆装 60kg爆弾4発 or 250kg爆弾2発
N1K3-J 試製紫電三一型(試製紫電改一)
開発LV | 速 度 | 機 動 | 攻 撃 | 防 御 | エンジン温 度 | 上 昇 速 度 | 下 降 速 度 | 機 銃 | 機関砲 | 武 器 スロット | 爆 弾 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
102 | 8 | 8 | 9 | 9 | 9 | 7 | 7 | 2 | 2 | 10 | 10 |
高高度 | -- | 中高度 | 速+10%,機+5% | 低高度 | 速+5%,機+10% |
- 史実の記録
紫電改のうち第201号機以降にあたるのが三一型。1945年2月にわずかながら生産された。
爆弾投下器を電気投下式に改良。発動機架を前方に150mm延長し、機首に三式13mm機銃一型2挺を追加した武装強化型。
単純に考えればHISでは機銃4門・機関砲2門になっていそうなんだが・・・?。
モデルはそのまま[N1K3-J 紫電三一型(紫電改一)]と思われる。 - スペック
スペックはさほど変わらないと思われる。武装 三式13mm機銃一型2挺(機首)
20mm機銃4挺(翼内)
爆装:不明
N1K3-A 試製紫電改二
開発LV | 速 度 | 機 動 | 攻 撃 | 防 御 | エンジン温 度 | 上 昇 速 度 | 下 降 速 度 | 機 銃 | 機関砲 | 武 器 スロット | 爆 弾 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
120 | 9 | 8 | 10 | 9 | 9 | 7 | 7 | 4 | 2 | 10 | 6 |
高高度 | -- | 中高度 | 速+10%,機+10% | 低高度 | 速+5%,機+10% |
- 史実の記録
試製紫電三一型をベースに着艦フック、尾部の補強などの改造を施した艦上戦闘機型。
元々零戦の後継機としても計画されていたのでこの計画は当然ともいえるが時すでにおそし。
日本の機動部隊はすでに壊滅状態にあった。
1944年11月12日、山本久重少佐の操縦で東京湾で行われた日本の最後の希望といえる空母「信濃」の着艦実験に参加している(信濃はこのあと呉に回航される途中で米潜水艦による雷撃で戦闘に参加することなくその巨体を海に沈めてしまう・・・)。
HISでは機銃4門・機関砲2門で登場。モデルもそのまま[N1K3-A 紫電改二]と思われる。 - スペック
ほぼ紫電三一型と差異はない。
A6M5 零式戦闘機52型
- 史実名称:零式艦上戦闘機五二型
- 呼称・略称:零戦(ぜろせん、れいせん、ゼロ戦)
開発LV | 速 度 | 機 動 | 攻 撃 | 防 御 | エンジン温 度 | 上 昇 速 度 | 下 降 速 度 | 機 銃 | 機関砲 | 武 器 スロット | 爆 弾 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
42 | 5 | 9 | 5 | 5 | 9 | 7 | 6 | 2 | 2 | 6 | 2 |
高高度 | 速-10% | 中高度 | -- | 低高度 | -- |
- 史実の記録
- スペック
全長 m 全幅 m 全高 m 重量 kg エンジン 最大速度 km/h 航続距離 km 武装 実用上昇高度 m 乗員 1名 派生略号 名称 詳細
A6M5c 零式戦闘機52型丙
- 史実名称:零式艦上戦闘機五二型丙
- 呼称・略称:零戦(ぜろせん、れいせん、ゼロ戦)
開発LV | 速 度 | 機 動 | 攻 撃 | 防 御 | エンジン温 度 | 上 昇 速 度 | 下 降 速 度 | 機 銃 | 機関砲 | 武 器 スロット | 爆 弾 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
49 | 6 | 8 | 6 | 6 | 9 | 7 | 6 | 2 | 2 | 6 | 3 |
高高度 | 速-10% | 中高度 | -- | 低高度 | -- |
- 史実の記録
- スペック
全長 m 全幅 m 全高 m 重量 kg エンジン 最大速度 km/h 航続距離 km 武装 実用上昇高度 m 乗員 1名 派生略号 名称 詳細
A6M6 零式戦闘機53型
- 史実名称:零式艦上戦闘機五三型
- 呼称・略称:零戦(ぜろせん、れいせん、ゼロ戦)
開発LV | 速 度 | 機 動 | 攻 撃 | 防 御 | エンジン温 度 | 上 昇 速 度 | 下 降 速 度 | 機 銃 | 機関砲 | 武 器 スロット | 爆 弾 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
56 | 6 | 8 | 6 | 7 | 9 | 7 | 6 | 2 | 2 | 6 | 2 |
高高度 | 速-10% | 中高度 | -- | 低高度 | -- |
- 史実の記録
- スペック
全長 m 全幅 m 全高 m 重量 kg エンジン 最大速度 km/h 航続距離 km 武装 実用上昇高度 m 乗員 1名 派生略号 名称 詳細
A6M8 零式戦闘機54型
- 史実名称:零式艦上戦闘機五四型丙(試作機)、零式艦上戦闘機六四型(量産機)
- 呼称・略称:零戦(ぜろせん、れいせん、ゼロ戦)
開発LV | 速 度 | 機 動 | 攻 撃 | 防 御 | エンジン温 度 | 上 昇 速 度 | 下 降 速 度 | 機 銃 | 機関砲 | 武 器 スロット | 爆 弾 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
68 | 6 | 10 | 6 | 7 | 9 | 7 | 6 | 2 | 2 | 8 | 2 |
高高度 | 速-10% | 中高度 | -- | 低高度 | -- |
- 史実の記録
- スペック
全長 m 全幅 m 全高 m 重量 kg エンジン 最大速度 km/h 航続距離 km 武装 実用上昇高度 m 乗員 1名 派生略号 名称 詳細
A7M1 試製烈風
開発LV | 速 度 | 機 動 | 攻 撃 | 防 御 | エンジン温 度 | 上 昇 速 度 | 下 降 速 度 | 機 銃 | 機関砲 | 武 器 スロット | 爆 弾 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
84 | 7 | 10 | 7 | 7 | 9 | 7 | 7 | 2 | 2 | 8 | 4 |
高高度 | 速+10% | 中高度 | 速+5%,機+5% | 低高度 | 機+10% |
- 史実の記録
開発名称:十七試艦上戦闘機(当初は十六試艦上戦闘機だったが、三菱は零戦や雷電の開発などに追われていてそれどころじゃなくて一時中止となった)
海軍の要求は最高速度638.9km/h(@高度6000m)、上昇能力高度6000まで6分以内、仮称二号零戦(のちの零戦三二型)に劣らない空戦性能を有すことというものであった(一部省略)。その後命名規則が変わり、十七試艦上戦闘機は対戦闘機を主とする甲戦に分類され、甲戦は風を含む名称という規則に従い、試製烈風と名づけられた。
その後試製烈風は搭載発動機で4ヶ月も論争となる。原因は要求を満たすには2000馬力級エンジンが必要とされ、当時の日本では中島製NK9(のちの誉)とMK9(のちのハ四三)しかなく、中島と三菱で大きな対立が起きた。まだ未完成であった三菱製の発動機を待っていたら開発がさらに遅れると危機感を抱いた海軍はいちよ完成しP1Y 銀河に実験的に搭載までされていた中島の誉を搭載せよとの三菱にやや強引に命令し、不満を抱きながらも三菱は誉を搭載し開発がスタートした(現にハ四三の量産は誉の1年遅れである)。
その後零戦の改修、雷電の不具合、堀越二郎技師の体調不良や零戦・一式陸攻の生産で手一杯であったこともあり、試製烈風は試作1号機は開発開始から約2年後の1944年4月にまでずれ込んだ。初飛行すると直ちに試験飛行が開始され、操縦性・安定性・視界・離着陸性能に問題がないことは確認されたが、海軍の要求値は全く達成することができなかった。紫電改の艦上機型も計画されていたこともあり(紫電改二)、試製烈風は不採用となった。
なお試作機は防弾装備の追加に対応したため、初期試作機と後期試作機では燃料タンク配置や防弾装備が異なる。 - スペック
全長 10.995 m 全幅 14.00 m 全高 4.23 m 重量 3110 kg エンジン 中島 誉二二型空冷複列星形18気筒(離昇2000hp)×1 最大速度 574.1 km/h 航続距離 2315(増槽アリ) km 武装 九九式20mm二号機銃四型×2(翼内)
三式13.2mm機銃×2(機首?)
30kg or 60kg爆弾2発実用上昇高度 不明 m 乗員 1名 派生略号 名称 詳細 A7M1 試製烈風 試作機。誉二二型発動機搭載(誉二四型換装計画あり)。後にハ四三へ換装 A7M2 烈風一一型 試作機は試製烈風の発動機換装型 A7M2-J 試製烈風改 資料が少なく存在したか不明。 A7M3 烈風性能向上型 下記参照 A7M3-J 試製烈風改 下記参照 -- 二十試甲戦 下記参照
A7M2 烈風一一型
HIS画像 | 史実画像(デジタル着彩) | 備考 |
---|---|---|
設計者:堀越二郎 製造社:三菱航空機 運用国:大日本帝国海軍 初飛行:1944年10月頃 総生産数:3+1機 (A7M1から3機改修,量産1機は完成寸前で終戦) 運用開始:試作のみ 退役:1945年 |
開発LV | 速 度 | 機 動 | 攻 撃 | 防 御 | エンジン温 度 | 上 昇 速 度 | 下 降 速 度 | 機 銃 | 機関砲 | 武 器 スロット | 爆 弾 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
102 | 8 | 10 | 8 | 8 | 9 | 8 | 8 | 2 | 2 | 8 | 10 |
高高度 | 速+10% | 中高度 | 速+5%,機+5% | 低高度 | 機+10% |
- 史実の記録
海軍要求値を満たせなかった試製烈風の発動機をハ四三-一一型に換装した型で、発動機以外は基本的にA7M1後期試作型とほぼ同じ装備を持つ試作機。量産型である機体には主翼に20mm機銃4門にし、発動機を高高度性能の高いハ四三-一二型(離昇2150馬力)に換装する予定だった。
元々試製烈風が失敗に終わったのでA7M2は制式採用される見込みはないに等しかった。ところがA7M3-J 烈風改の実験機として発動機を換装した試製烈風が海軍の要求値をほぼ満たす性能を発揮。これにより海軍は次期甲戦闘機として採用を三菱に申し入れた。その後、零戦との間で行われた空戦実験において、空戦フラップを使用すれば零戦を凌ぐ空戦性能を発揮できると判定され、海軍の審査担当官である小福田租少佐か「零戦の再来」と賞賛された。
しかしながら、この飛行試験の直後に東海地震が発生。さらに追い討ちのようにB-29の空襲により三菱の工場は壊滅。発動機(ハ四三)の生産が絶望的となった。その後計画は艦上戦闘機から局地戦闘機(もはや日本に空母の存在はないに等しく、戦局の悪化のため機種とわずB-29の迎撃にかりだされていて、甲・乙の違いはもはや書類上でしかなかった)A7M2 烈風一一型として制式採用。試製烈風から4機が改修されたが、その後に空襲にあい3号機を除く烈風は破壊された、A7M2試作1号機(試製烈風3号機)は完成直前で終戦となった(画像の機体)。
その後米軍に接収される前に名古屋港沖に投棄されたそうだが、現在そこには防波堤が築かれてしまって確認すら不能になってしまった。
その勇ましい名前から現代でも比較的人気の高い期待ではあるが、実戦に全く参加できなかったので評価が分かれる機体である。大型機ではあったが零戦の美しさであるすっきりとしたシルエットは受け継いでおり、防御力的には零戦に勝っていたので、実戦に参加できなかったのがまことに残念である。
画像は烈風一一型のデジタル着彩画像である。終戦直後の武装解除のためプロペラははずされている。 - スペック
全長 11.04 m 全幅 14.00 m 全高 4.23 m 重量 3267 kg エンジン 三菱 ハ四三-一一型(MK9A)空冷複列星形18気筒(離昇2200hp)×1 最大速度 624.1 km/h 航続距離 1600 km 武装 九九式20mm二号機銃四型×4(翼内) 実用上昇高度 10900 m 乗員 1名
A7M3 烈風性能向上型
開発LV | 速 度 | 機 動 | 攻 撃 | 防 御 | エンジン温 度 | 上 昇 速 度 | 下 降 速 度 | 機 銃 | 機関砲 | 武 器 スロット | 爆 弾 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
120 | 9 | 11 | 8 | 8 | 9 | 8 | 8 | 2 | 2 | 10 | 4 |
高高度 | 速+10% | 中高度 | 速+5%,機+5% | 低高度 | 機+10% |
- 史実の記録
開発開始当初の名称:仮称烈風三速
A7M2の発動機を一段三速過給器付きのハ四三-五一型(離昇2130馬力)に換装、武装を翼内九九式20mm二号機銃五型6門に強化した高高度型。試作機の製作1号機製作中に終戦となり未完成。
機銃6門はやや先行する形で開発計画のあったJ6K1 試製陣風(計画中止)の影響と思われる。
A7M3は高高度型でもはや空母での運用は考えられていない設計と思われる。その辺の記述は管理者の持つ資料にはないが、完成していても着艦フックなどは未搭載になっていたと思われる。
HISにおいてはA7M3 烈風として登場する。実機の計画は翼内機銃6門なので、HISでも機銃4門・機関砲2門で登場すると思いきや、機銃2門である。韓国運営が日本機をあんま調べずに実装しているのがわかる・・・。
実機が完成して採用されれば A7M3 烈風一二or一三型もしくは二二or二三型となったと思われる。 - スペック
大きく機体の変化はないと思われるので、A7M1やA7M2のスペックも参照にしていただきたい。
なおA7M3のスペックは計画値。エンジン 三菱 ハ四三-五一型空冷複列星形18気筒(離昇2130hp)×1
(一段三速過給器付)最大速度 642.6 km/h @高度8700m 武装 九九式20mm二号機銃五型×6(翼内)
A7M3-J 烈風改 (※次期ツリー候補)
HIS画像 | 史実画像(CG) | 備考 |
---|---|---|
[添付] | 設計者: 製造社:社 運用国: 初飛行:年 総生産数:機程 運用開始:年 退役:1945年 |
開発LV | 速 度 | 機 動 | 攻 撃 | 防 御 | エンジン温 度 | 上 昇 速 度 | 下 降 速 度 | 機 銃 | 機関砲 | 武 器 スロット | 爆 弾 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
140? | |||||||||||
高高度 | ? | 中高度 | ? | 低高度 | ? |
- 史実の記録
発動機を排気タービン過給器付のハ四三-一一型ルに換装、武装を翼内五式30mm機銃4挺、胴体30mm斜銃2挺に強化し、高度10,300mにおいて最高速度633.4km/hを発揮することが予定された。このため、操縦席と尾翼周辺、主翼の一部を除いて大幅な改設計が必要な新規設計に近い大規模な改修が施されることになった。発動機換装による馬力増大と比較して装備増加による重量増大が大きいことから、計画通りの性能が達成できるかという危惧があったという。また、地震や空襲の影響による作業の遅延もあって、試作一号機の完成前に終戦となっている。
この機体は期待略号に「-J」がついており、完全な局地戦闘機型として開発計画があったものと思われる。なお開発はA7M3より早かったらしい。高高度型の計画が思うように進まなかったのはA7M3-Jの機体改修の頻度が多く設計に時間がかかると思われたせいがあると思われる(このため小改造ですむA7M3 烈風には期待がかかっていた)。
斜銃装備だが、HIS実装時は再現されないと思われる。この斜銃のためにもしかしたら実装されない可能性もある。 - スペック
計画値エンジン ハ四三-一一型ル空冷複列星形18気筒(離昇2200hp)
(排気タービン過給器付)最大速度 633.4 km/h 航続距離 -- km 武装 五式30mm機銃4挺(翼内)、胴体30mm斜銃×2
三菱二十試甲戦(※次期ツリー機候補)
HIS画像 | 三菱二十試甲戦案図面 |
---|---|
[添付] |
開発LV | 速 度 | 機 動 | 攻 撃 | 防 御 | エンジン温 度 | 上 昇 速 度 | 下 降 速 度 | 機 銃 | 機関砲 | 武 器 スロット | 爆 弾 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
140? | |||||||||||
高高度 | ? | 中高度 | ? | 低高度 | ? |
- 史実の記録
A7M2またはA7M3-Jをベースにした機体に二段三速過給器付きのハ四四-二一型(離昇2,400馬力)を搭載した高高度戦闘機型。堀越二郎著『零戦』において二十試甲戦として紹介されている。計画のみ。
いちよう重量が増えすぎた烈風を改善するために計画されたとある。胴体は烈風改(A7M3-J)で主翼が全く違うとする資料がある。
二十試甲戦と改めているので烈風から名称が変わった可能性もある。終戦により計画破棄となってしまったので真相は一生解明されないであろう。なお当機の計画は三菱二十試甲戦であり中島案や川西案とは違うもの。主翼は16mという巨大戦闘機となる計画だったとされるという資料もあり。 - スペック
前述の烈風参照エンジン 三菱 ハ四四-二一型空冷複列星形18気筒(離昇2400hp)
(二段三速過給器付)
J2M 雷電
- 史実名称:J2M1 十四試局地戦闘機(?)
- 呼称・略称:特になし
開発LV | 速 度 | 機 動 | 攻 撃 | 防 御 | エンジン温 度 | 上 昇 速 度 | 下 降 速 度 | 機 銃 | 機関砲 | 武 器 スロット | 爆 弾 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
42 | 6 | 6 | 6 | 8 | 7 | 5 | 5 | 2 | 2 | 6 | 2 |
高高度 | 速+5% | 中高度 | -- | 低高度 | -- |
- 史実の記録
- スペック
全長 m 全幅 m 全高 m 重量 kg エンジン 最大速度 km/h 航続距離 km 武装 実用上昇高度 m 乗員 1名 派生略号 名称 詳細
J2M5 雷電
- 史実名称:雷電三三型
- 呼称・略称:特になし
開発LV | 速 度 | 機 動 | 攻 撃 | 防 御 | エンジン温 度 | 上 昇 速 度 | 下 降 速 度 | 機 銃 | 機関砲 | 武 器 スロット | 爆 弾 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
56 | 7 | 7 | 6 | 8 | 8 | 5 | 5 | 2 | 2 | 8 | 2 |
高高度 | 速+10%,機+5% | 中高度 | -- | 低高度 | -- |
- 史実の記録
- スペック
全長 m 全幅 m 全高 m 重量 kg エンジン 最大速度 km/h 航続距離 km 武装 実用上昇高度 m 乗員 1名 派生略号 名称 詳細
J2M6 雷電
- 史実名称:雷電三一型
- 呼称・略称:特になし
開発LV | 速 度 | 機 動 | 攻 撃 | 防 御 | エンジン温 度 | 上 昇 速 度 | 下 降 速 度 | 機 銃 | 機関砲 | 武 器 スロット | 爆 弾 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
84 | 8 | 8 | 7 | 9 | 8 | 7 | 7 | 2 | 2 | 10 | 2 |
高高度 | 速+10%,機+10% | 中高度 | -- | 低高度 | -- |
- 史実の記録
- スペック
全長 m 全幅 m 全高 m 重量 kg エンジン 最大速度 km/h 航続距離 km 武装 実用上昇高度 m 乗員 1名 派生略号 名称 詳細
J5N1 試製天雷
開発LV | 速 度 | 機 動 | 攻 撃 | 防 御 | エンジン温 度 | 上 昇 速 度 | 下 降 速 度 | 機 銃 | 機関砲 | 武 器 スロット | 爆 弾 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
120 | 8 | 9 | 9 | 10 | 9 | 7 | 8 | 2 | 2 | 10 | 4 |
高高度 | 速+10%,機+10% | 中高度 | 速+5%,機+5% | 低高度 | -- |
- 史実の記録
開発名称:十八試局地戦闘機「天雷」
天雷は対大型爆撃機用乙種(局地戦闘機)戦闘機として開発された。
海軍の要求は、20mm機関砲×2+30mm機関砲×2に十分な防弾をしつつも速度、上昇力を求めるというかなり過酷なものであった。
中島飛行機は、機体の小型軽量化を図りファウラー式二重フラップと前縁スラットを導入するなどの工夫を行い、計画からわずか1年2ヶ月で試作一号機を完成させた。
しかしながら、防弾や口径の大きい機関砲4門など海軍の要求に合わせて重量過大になってしまったことや、搭載発動機誉の不調による出力不足などにより、速度、上昇力は要求を下回ってしまった。
操縦性は良好だったが、海軍の要求を満たせなかったために、1944年(昭和19年)秋に行われた海軍の試作機の開発対象絞込みに引っかかって開発中止となった。
試作5,6号機は復座型で30mm機関砲を斜銃とし、夜間戦闘機型として試作されていた。
あんまり記述がないが本機は試作機どまりなので試製天雷と記述するのが正しいと思われる。
HISにおいては斜銃の搭載はないので試作1号機・2号機あたりがモデルと思われる。 - スペック
全長 11.50 m 全幅 14.50 m 全高 3.51 m 重量 5000~5390 kg エンジン 中島 誉二一型空冷複列星形18気筒(1800hp)×2 最大速度 597 km/h 航続距離 2720 km 武装 20mm機銃×2
30mm機銃×2実用上昇高度 11300 m 乗員 1名 派生略号 名称 詳細 J5N1 試製天雷 試作1~4号機。双発単座で機首に武装を集中配置した機体(3号機は斜銃だったもよう) 試作5,6号機。双発復座で30mm機関砲を斜銃とし,夜間戦闘機型として試作された。
(ツリー機候補)J6K1 試製陣風
HIS画像 | 史実画像(実物大モックアップ) | 備考 |
---|---|---|
[添付] | 製造社:川西航空機 生産数:0機(計画破棄) 運用開始:実物大モックアップのみで計画中止 退役:1945年 |
開発LV | 速 度 | 機 動 | 攻 撃 | 防 御 | エンジン温 度 | 上 昇 速 度 | 下 降 速 度 | 機 銃 | 機関砲 | 武 器 スロット | 爆 弾 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
140? | 6 | 2 | |||||||||
高高度 | -- | 中高度 | -- | 低高度 | -- |
- 史実の記録
元々は一七試陸上戦闘機(局地戦闘機)J3K1として開発が開始されたが、装備発動機である三菱MK9B(A20改一)の開発が進展せず中止となった。
その後、次いで発動機を中島NK9Aに改めた十八試甲戦闘機として開発が再開されたが、さらに発動機を中島NK9A-Oに改めた試製陣風として再々計画された。高度10000mで最大速度370kt(685.2km/h)が求められていた。
機体略号がJだが、名前は甲種戦闘機名称の「風」が入っている。この混同はもともと乙種戦闘機として開発されていたのが、甲種戦闘機に変更されたときに変更し損ねたためと思われる。終戦間際の日本の混乱振りが良くわかる。
量産型は主翼に20mm機銃6門の超火力型戦闘機となる予定だった(J6K1)。
大戦末期の試作機整理で陣風は引っかかり、甲種戦闘機は「烈風」1機に絞り、川西航空機は紫電・紫電改の生産に集中するために計画は中止となった。実機が完成することなく幻に終わった機体である。 - スペック(J6K1 試製陣風 計画値)
全長 10.12 m 全幅 12.50 m 全高 4.13 m 重量 3500 kg エンジン 中島 誉四二型空冷複列星形18気筒(2200hp)×1 最大速度 685 km/h 航続距離 約5時間 武装 ※J6K1:13mm機銃×2(機首),20mm機銃×6(主翼)
※J3K1:13mm機銃×2(機首),20mm機銃×4(主翼)実用上昇高度 13600 m 乗員 1名
(次期ツリー機有力候補)J7W1 試製震電
開発LV | 速 度 | 機 動 | 攻 撃 | 防 御 | エンジン温 度 | 上 昇 速 度 | 下 降 速 度 | 機 銃 | 機関砲 | 武 器 スロット | 爆 弾 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
160? | |||||||||||
高高度 | -- | 中高度 | -- | 低高度 | -- |
- 史実の記録
開発名称:十八試局地戦闘機「震電」
前翼型(エンテ型、先進翼とも)いわれる翼と機体後部にプロペラという特徴的な印象の機体。
プロペラや主翼、エンジンがコクピット後部になることで機体をより小型化し、なおかつ機種に大口口径の機関砲を積むことが可能になるなどという思想から生まれた機体。高高度を高速で飛行するB-29迎撃の切り札として高度8000mにおいても750km/hを出すことを目標に製作されています。
1944年11月、技術者を集結させた九州飛行機は通常1年半は掛かる製図作業をわずか半年で完了。約6000枚の図面を書き上げる。同月ヘンシェル社のドイツ人技師、フランツポールが訪問。同氏所見をもとに多量生産的見地にたった改造図面の作成に着手。
試験飛行は成功し、増加試作機の製作も考えられていたが3日後に終戦。実戦には間に合わなかった。
震電が大戦に間に合わなかった大きな原因のは搭載エンジンを作っていた工場がB-29の戦略爆撃によって壊滅的な被害を受けたことである。
なお完成したのは試作1号機のみで2号機・3号機は製作途中で終戦。4号機以降はまだ部品状態だった(HISの震電試作2号機の説明に試験飛行を行ったとあるがそれは間違いで、2号機は未完成)。
当機は6翅だったプロペラが特徴的だが、量産型では直径そのままに面積を大きくした4翅に変更される計画だったもよう。なお試作機は非武装。
HISでは、プレ機において実装されたためツリー機での実装が危うくなったと思われているが、プレ機にわざわざ試作2号機と記述したとこに裏があると信じよう(現にHIS機体画像が存在する)。
ほとんどの資料で省略されているが、本機も試作どまりなので試製震電を記述するのが正しい。
戦後に1号機は終戦に憤慨した工場員によって風防などが破壊されたが、連合軍により修理が命じられその後アメリカに接収されている(現在も国立航空宇宙博物館の復元施設であるポール・E・ガーバー維持・復元・保管施設にて分解状態のまま保存されている)。2号機~十数号機までの部品や機体は接収前に焼却処分された。 - スペック(試製震電試作一号機※計画値含む)
全長 9.76 m 全幅 11.11 m 全高 3.55 m 重量 3465 kg エンジン 三菱 ハ四三-四二(MK9D改)空冷複列星形18気筒(2130hp)×1 最大速度 750 km/h 航続距離 1000~2000 km 武装 17試 30mm固定機銃一型乙×4(機首)
60kg or 30kg爆弾かける4実用上昇高度 12000 m 乗員 1名 派生略号 名称 詳細 J7W1 震電 完成1機のみ。2・3号機は未完成 -- 震電改 ジェット化震電。その記録の確固たる証拠はなく現代の人が作り出した架空機
キ27 九七式戦闘機乙型
開発LV | 速 度 | 機 動 | 攻 撃 | 防 御 | エンジン温 度 | 上 昇 速 度 | 下 降 速 度 | 機 銃 | 機関砲 | 武 器 スロット | 爆 弾 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
12 | 3 | 9 | 2 | 2 | 5 | 6 | 5 | 2 | 2 | 4 | 2 |
高高度 | -- | 中高度 | -- | 低高度 | -- |
- 史実の記録
呼称・略称:九七戦、九七式戦
川西のキ28、三菱のキ33と低翼単葉戦闘機の競争試作を行い、陸軍は当機を採用した。これ以後海軍は三菱、陸軍は中島が定着することとなる。1937年(皇紀2597年)に九七式戦闘機として制式採用された
格闘戦重視の日本陸軍としては願ってもない軽快な運動性を持つ機体で、出現当時世界最高の格闘戦闘機としてノモンハン事件においてはその旋回能力で大いに活躍した。複葉戦闘機すら蹴散らす旋回性と、「空の狙撃兵」と謳われたほどの射撃安定性の両立が生んだ成果である。また当機から多くのACEパイロットも生まれた。
当機の機動性があまりによかったために後継機に悪影響を与えてしまった(後継機には普通前の機体よりも良い性能を求めるため)。現に一式戦闘機「隼」や 二式戦闘機「鍾馗」の試作に対して陸軍の過大な要求や採用の遅れを招いている。
卓越した運動性能を生かした格闘戦は向こうところ敵なしで、太平洋戦争初期まで陸軍主力戦闘機として活躍した。太平洋戦争では中盤は練習機、末期は特攻機として使用されている。
現存機は博多湾から引き上げられた機体が、世界唯一の現存機として筑前町立大刀洗平和記念館に復元されて展示されている(塗装はどはほぼ朽ちてしまっているが、国籍マークの日の丸はかろうじて残っている)。
HIS実装機体は、モデルが甲型か乙型か判断材料が少なく見極めが難しいが、風防の形状から後方視界が改善された乙型と推定する。 - スペック(キ27 乙型)
全長 7.53 m 全幅 11.30 m 全高 3.25 m 自重 1110 kg エンジン 中島 九七式(ハ1乙)空冷星形9気筒(610hp)×1 最大速度 460 km/h 航続距離 800 km 武装 八九式7.7mm固定機関銃(胴体内)×2 実用上昇高度 10000 m 乗員 1名 派生略号 名称 詳細 キ27 甲型 風防後部の胴体がハイバック式となっている初期量産型 キ27 乙型 風防形状を改修し後方視界を改善した後期量産型 九七式練習戦闘機 第一戦を退いた九七式戦闘機の練習機転用型の名称 二式高等練習機
キ43-I 一式戦闘機一型
HIS画像 | 史実画像 | 備考 |
---|---|---|
設計者:小山悌 製造社:中島飛行機 運用国:大日本帝国陸軍他(満州・タイ・仏・インドネシアなど) 初飛行:1938年12月12日 総生産数:5751機程 生産開始:1941年4月 運用開始:1941年6月 退役:1945年 |
開発LV | 速 度 | 機 動 | 攻 撃 | 防 御 | エンジン温 度 | 上 昇 速 度 | 下 降 速 度 | 機 銃 | 機関砲 | 武 器 スロット | 爆 弾 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
20 | 4 | 10 | 3 | 2 | 6 | 8 | 4 | 2 | 2 | 4 | 2 |
高高度 | -- | 中高度 | -- | 低高度 | 速+5% |
- 史実の記録
・呼称・略称:一式戦、一戦、ヨンサン
・愛称:隼(はやぶさ)
航続距離が短いがために中国戦線において長距離爆撃機の援護をすることができない九七式戦闘機の後継機として開発開始。九七式戦闘機との模擬戦においてキ43は劣り(九七式戦闘機の機動性があまりに良すぎた)、軍部による「次期戦闘機は現行の戦闘機より総てにおいて優れていなくてはならない」の思想において一時は採用が危ぶまれたが、結局航続距離の長い戦闘機が必要とされたため採用された。零戦に次ぐ生産数を誇る(日本機第2位,陸軍では1位)。
零戦と同じく行き過ぎた軽量化が、機体強度不足や防御力低下を招いている。
大戦中は主に東南アジア方面で活躍、有名な「加藤隼戦闘隊(飛行第64戦隊)」もこの「隼」を使用しており(※隼を使用しているからこの隊名称になったわけではない)、大戦初期は多大な戦果を挙げたが、大戦中盤以降は劣勢となり大戦末期には多数が特攻機としても使用された。
戦前中の日本では主に軍内部やマスメディア上において、陸軍航空部隊自体や各飛行部隊、航空機から空中勤務者などの比喩表現として「鷲(荒鷲・陸鷲)」「鷹」「隼」「翡翠」といった鳥類の呼び名が盛んに用いられており、それに呼応するように一般国民に対する宣伝のため、陸軍航空本部発表の正式な愛称として一式戦は「隼」と命名(発案者は航本報道官西原勝少佐)された。
1942年10月公開の映画『翼の凱歌』、1943年公開の記録映画『陸軍航空戦記 ビルマ篇』、1944年3月公開の映画『加藤隼戦闘隊』においては実機の一式戦闘機が撮影に参加しており、一式戦は太平洋戦争中最も国民に親しまれた戦闘機となった。
HISにおいてのモデルは記述がないので判断がつかない。一型・一型甲・一型乙・一型丙のどれかと思われる。 - スペック(一型丙)
全長 8.83 m 全幅 11.43 m 全高 3.27 m 自重 1590 kg エンジン 中島 九九式(ハ25)空冷複列星形14気筒(970hp)×1 最大速度 492 km/h 航続距離 2200(最大) km 武装 一式12.7mm固定機関砲×2(機首)
60kg爆弾×2実用上昇高度 11750 m 乗員 1名 派生略号 名称 詳細 キ43-I 一型 九九式(ハ25:公称970hp)発動機搭載。7.7mm機銃×2の一型原型機 キ43-I甲 一型甲 一型と同様の機体を持つ初期量産型 キ43-I乙 一型乙 一型甲の機銃1丁を12.7mm機銃に置き換えた機体 キ43-I丙 一型丙 一型甲と同様の機体だが搭載機銃は12.7mm機銃×2 キ43-II 二型 一式(ハ115:公称1020hp)発動機、自動漏り止めタンク、3翅ペラ採用の二型原型機 キ43-II甲 二型甲 二型量産型。武装は12.7mm機銃×2、250kg爆弾×2。集合排気管採用 キ43-II乙 二型乙 二型甲の装備品に小変更を加えた機体。機体下部に新型冷却器を装備 キ43-II改 二型改 二型甲、乙型両方の改良点を組み合わせた機体。推力式単排気管採用 キ43-III甲 三型甲 二式(ハ115-II:公称1230hp)発動機搭載の最終量産型 キ43-III乙 三型乙 カウリング上部に膨らみを設け20mm機関砲×2を装備したモデル。試作のみ キ43-IV 四型 四式(ハ45:公称1650hp)発動機搭載型。計画のみ
キ43-II 一式戦闘機二型
開発LV | 速 度 | 機 動 | 攻 撃 | 防 御 | エンジン温 度 | 上 昇 速 度 | 下 降 速 度 | 機 銃 | 機関砲 | 武 器 スロット | 爆 弾 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
30 | 4 | 10 | 5 | 4 | 6 | 8 | 4 | 2 | 2 | 4 | 2 |
高高度 | -- | 中高度 | -- | 低高度 | 速+5% |
- 史実の記録
一型の欠陥を改善すべく開発された機体。キ43のなかで二型は最多生産。
後継機の二式単戦「鍾馗」(重戦タイプだったので格闘戦好みのパイロットには嫌われた)や三式戦「飛燕」(エンジンの信頼性に問題あり)、四式戦「疾風」(初期はすばらしい性能だったが戦局の悪化とともにオイルや燃料の質が悪化しこちらもエンジンの信頼性問題がでた)が色々な問題を抱えていたのに対し、一式戦は太平洋戦争後期には完全に旧式化していたのにもかかわらず、安定した性能を持っていたので終戦まで使用された。
二式戦は1000馬力級エンジン戦闘機のなかでは卓越した運動性を持っていた。最高速度では連合機に劣るものの、その軽快な機体によって加速性能は連合機を圧倒していた(その分零戦と同じく被弾には弱かった)。
零戦と類似した外見を持っていたことから、連合軍機操縦者から零戦と誤認される事例が多かった。またビルマ方面のイギリス軍からは「ゼロ・ファイター」に類似した「ワン・ファイター」ということで「ゼロワン」と、それ以前にフライング・タイガース(AVG)によって「ニュー・ゼロ」と呼ばれたことも一時期あった。
「隼」の大きな欠点といっていいのは火力不足である。軽量化などのために主翼に機関砲を積むスペースがなくなってしまっている。胴体機銃のみなのはそのためである(大型機関砲は胴体搭載不可)。
一型二型ともに現存機や復元機が飛行可能なレストア機など多数存在する。
HISにおいて甲・乙の識別はわからないが、二型として登場する。 - スペック(二型)
全長 8.92 m 全幅 10.837 m 全高 3.085 m 自重 1975 kg エンジン 中島 一式(ハ115)空冷複列星形14気筒(1115hp)×1 最大速度 515 km/h 航続距離 3000(増槽時) km 536 km/h(甲) 実用上昇高度 11200 m 548 km/h(乙) 乗員 1名 武装 一式12.7mm固定機関砲×2(機首)
30~250kg爆弾×2(翼下)
キ44 二式単座戦闘機一型
HIS画像 | 史実画像(デジタル着彩) | 備考 |
---|---|---|
設計者:小山悌,森重信,内田政太郎,糸川英夫 製造社:中島飛行機 運用国:大日本帝国陸軍 初飛行:1940年10月 生産数:40機(一型) 運用開始:1942年1月 生産終了:1944年 |
開発LV | 速 度 | 機 動 | 攻 撃 | 防 御 | エンジン温 度 | 上 昇 速 度 | 下 降 速 度 | 機 銃 | 機関砲 | 武 器 スロット | 爆 弾 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
42 | 7 | 5 | 6 | 6 | 9 | 8 | 8 | 2 | 2 | 6 | 2 |
高高度 | -- | 中高度 | -- | 低高度 | -- |
- 史実の記録
愛称:鍾馗[しょうき]
呼称・略称:二式単戦、二単、二式戦闘機、二式戦、ヨンヨン
九七戦に限界を感じた陸軍は後継機として、従来の格闘戦性能を重視した単座戦闘機、重武装で対戦闘機戦にも対大型機戦にも対応できる速度重視の「重単座戦闘機」、双発万能戦闘機に基づいた長距離複座戦闘機の開発を
中島・川崎・三菱に命じた。それぞれのちのキ43(一式戦闘機)、キ44(二式単座戦闘機)、キ45改(二式復座戦闘機)。
当機は重単座戦闘機として誕生した。名称に[単座]がつくのは同年に採用されたキ45改 二式複座戦闘機(屠龍)と区別するためである。
中島飛行機では格闘戦重視の軽戦しか開発経験がないので、前例のない初の重戦の開発には色々と時間がかかった。キ43 隼が採用されなかったとき(実は隼も最初はBf109のような重戦を目指していたが経験の浅さから軽戦に切り替えられた)の保険機として開発していたと技師チームの一人青木邦雄はのちに回想している。
完成したキ44は格闘戦ではやはり従来機よりは劣っていた。これにより制式採用が危ぶまれたが、ドイツより購入したBf109E-7との比較模擬戦においてBf109Eを総合性能で上回る性能を示した。この購入機体と共に来日したメッサーシュミットのテスト・パイロット[ヴィリー・シュテーア]はキ44に搭乗し、「日本のパイロットが全員これを乗りこなすことが出来たら、日本空軍は世界一になる」という言葉を残している。
重武装となるはずだったので20mm機関砲が搭載予定だったが、結局12.7mm2門(主翼)、7.7mm2門(機首)でとても重武装といえる代物ではなかった。
太平洋戦争開戦と共に実戦投入され、機体の特性を生かした一撃離脱戦法を駆使するACEパイロットも生まれ、戦果を挙げてキ44は1942年2月に制式採用された。だが格闘戦を好む古参パイロットには相変わらず敬遠され気味であった。
航続距離の低さ(といっても連合機に比べれば遥かにあったが)から、内地に呼び戻されて本土防空に従事し日本初の邀撃戦闘機として運用された。
ちなみに機体がやたらずんぐりしているのは、馬力を確保するためのエンジンがやや大型のものしかなかったためである。雷電と違い、エンジンから胴体にかけて絞るような感じに設計されている(重量が減るなどのメリット,プロペラ推力有効面積が減るデメリット※雷電は逆)。のちに開発され向上した二型にすぐ生産が移ったので、一型はわずか40機で生産終了となっている。 - スペック(一型)
全長 8.85 m 全幅 9.45 m 全高 ? m 自重 1994 kg エンジン 中島 ハ41空冷複列星形14気筒(1250hp)×1 最大速度 580 km/h 航続距離 926 km 武装 八九式 7.7mm機銃×2
一式(ホ-103)12.7mm機銃×2実用上昇高度 ? m 乗員 1名 派生略号 名称 詳細 キ44-I 一型 一〇〇式(ハ41:公称1260hp)発動機搭載。12.7mmと7.7mmの機銃各2の原型機 キ44-I甲 一型甲 一型に良く似た初期量産型 キ44-I乙 一型乙 武装を12.7mm機銃×4にした他は一型甲と同様の機体 キ44-I丙 一型丙 一型乙と似た機体であるが、主脚成形が変更された機体 -- 一型改造機 コントラ(二重反転)プロペラの実験のため改造された機体 キ44-II 二型 二式(ハ109:公称1440hp)発動機搭載機の二型原型 キ44-II甲 二型甲 二型量産型。武装は一型甲と同様 キ44-II乙 二型乙 胴体部12.7mm機銃×2のみにした機体。主翼には40mm砲を搭載可能だった キ44-II丙 二型丙 12.7mm機関砲×4に武装強化した主要量産型。光像式照準器採用 キ44-III甲 三型甲 四式(ハ145:公称1880hp)発動機搭載。20mm機関砲×4の試作機 キ44-III乙 三型乙 37mm機関砲,20mm機関砲各2とした試作機(計画機だったとの説あり)
キ44-II 二式単座戦闘機二型
開発LV | 速 度 | 機 動 | 攻 撃 | 防 御 | エンジン温 度 | 上 昇 速 度 | 下 降 速 度 | 機 銃 | 機関砲 | 武 器 スロット | 爆 弾 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
49 | 8 | 5 | 7 | 6 | 9 | 8 | 8 | 2 | 2 | 8 | 3 |
高高度 | -- | 中高度 | -- | 低高度 | -- |
- 史実の記録
二式戦闘機の性能向上型。設計変更点によって甲・乙・丙の3種に分かれる。
二型が二式戦の生産の大半を占める。
軽戦闘機に慣れた一部の古参パイロットには海軍の雷電と同様に着陸時に機首のエンジンの大きさから視界が悪いため敬遠され、速い着陸速度や高い運動性(安定の悪さ)から扱いが難しい機体であるとされていた。飛行時間800時間に満たないパイロットには危険とされていたが、実際は200時間程度のパイロットでも問題なかった(軽戦になれたパイロットからしてみれば800時間必要と考えてしまったのであろう)。古参パイロットは発言力が強かったため、日本の重戦発展への阻害となった。
四式戦闘機「疾風」が登場する前は、高いダイブ力や最高速度、重武装や防弾装備した頑丈な機体に魅力を感じたエースパイロットやベテランも多かったとされる。
四式戦の生産目処がたったこともあって、生産は1944年に打ち切られている。
より向上した三型も開発されているが、少数生産もしくは試作機のみ、資料によっては計画のみで終わったとするものもある。
TAIC(米海軍航空情報部)では、鍾馗二型、雷電21型、紫電11型、三式戦飛燕、四式戦疾風などの鹵獲機を調査しているが、二式戦鍾馗はこれらの中で迎撃戦闘機(インタ-・セプタ-)として最高の評価を得ている。報告書によれば「急降下性能と上昇力が傑出(Excellent)しインタ-・セプタ-としてもっとも適切(Suitable)な機体」と論じている。 - スペック(二型甲)
全長 8.9 m 全幅 9.45 m 全高 3.248 m 自重 2095 kg エンジン 中島二式(ハ109)空冷星型14気筒(1450hp) 最大速度 605 km/h 航続距離 1296 km 武装 八九式 7.7mm機銃×2
一式(ホ-103)12.7mm機銃×2
爆弾30kg~100kg×2 or 250kg×1実用上昇高度 10820 m 乗員 1名
キ84-Ⅰ 四式戦闘機一型甲
開発LV | 速 度 | 機 動 | 攻 撃 | 防 御 | エンジン温 度 | 上 昇 速 度 | 下 降 速 度 | 機 銃 | 機関砲 | 武 器 スロット | 爆 弾 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
56 | 9 | 7 | 6 | 6 | 8 | 8 | 8 | 2 | 2 | 8 | 2 |
高高度 | 速+5%,機-10% | 中高度 | 速+5%,機+5% | 低高度 | 機+5% |
- 史実の記録
愛称:疾風[はやて]
呼称・略称:四式戦、四戦、ハチヨン、大東亜決戦機
愛称は、日本全国からのもっとも多く票を占めたことから「疾風」に決定され、1945年4月11日付の各新聞にて「殊勲を樹てている陸軍最新鋭戦闘機」「疾風のごとく敵に襲いかかる我が戦闘機の雄姿を讃ふにふさわしい名前」という賛辞が交えられつつ、実戦部隊所属機の写真付きで発表されている。
なおその勇ましい漢字愛称から「しっぷう」と呼んでしまう人が大多数だが、読み方は「はやて」である。
帝国陸軍から早くから「大東亜決戦機(大東亜決戦号)」として大いに期待され、大戦後期の主力戦闘機として多数機が各飛行戦隊といった第一級線の実戦部隊に配属され参戦。生産数は零戦・一式戦に次ぐ3番目の多さ。
速度・武装・防弾・航続距離など、すべての点においてバランスが取れた傑作機であり、624km/hという最高速度は大戦中に実用化された日本製戦闘機の中では最速であった。高高度での操縦性や速度、防御の点で本機の右にでる日本機はなく、まさに「大東亜決戦機」であった。
飛行第71戦隊の福田瑞則軍曹が操縦する四式戦闘機が、アメリカ全軍第二位のエース「トーマス・マクガイア」陸軍少佐のP-38を撃墜したことでも有名である(諸説あるが、疾風との空戦により撃墜され戦死したのは、日米ともに周知の事実である)。
戦後ハイオクタン価の燃料による飛行調査689km/hを出し、当時敵国であった米国からも「The best Japanese fighter(日本最優秀戦闘機、日本最良戦闘機)」と評価を出している。
だが、不運にも日本劣勢の大戦末期に登場したため、ガソリンの品質低下や整備不良、新型エンジンの不調などに悩まされ、本来のスペックを出し切れた機体は少ない。
優秀機であったため各地で多くの派生型を生んだ。
HISでは量産型か、試作機型かは分からないが機体紹介欄の武装と発動機から「キ84-Ⅰ四式戦闘機一型甲」がモデルなのは間違いないと思われる。 - スペック
全長 9.92 m 全幅 11.24 m 全高 3.38 m 自重 2698 kg エンジン ハ45-21(海軍名:誉二一型)(離昇1825hp)×1 最大速度 624~655 km/h 航続距離 2500(増槽時) km 武装 二式20mm機関砲(ホ5)×2(翼内)
一式12.7mm機関砲(ホ103)×2(胴体)
爆弾250kg(最大)×2実用上昇高度 12400 m 乗員 1名 派生略号 名称 詳細[名称は四式戦闘機の名を省略。()は仮想名称] -- キ84 原型及び実用試験機、試作機の呼称 キ84-I甲 一型甲 初期生産型。13mm機銃・20mm機関砲各2 キ84-I乙 一型乙 搭載武装を20mm機関砲×4に変更した武装強化型 キ84-I丙 一型丙 搭載武装を20mm機関砲・30mm機関砲各2に変更した迎撃型。試作2機 キ84-I丁 一型丁 乙型に20mm斜銃×1を追加装備した夜間戦闘機型。試作2機 キ84-II 二型 キ84改とも。一部構造材に木材を使った機体。武装は乙・丙型に準ずる。 キ84サ号 サ号機 酸素噴射装置付きハ45発動機の搭載。高高度+50km/hとなったが、試作1機のみ キ84-III (三型) 排気タービン付きハ45ル発動機装備の高々度戦闘機型。計画のみ キ84-IV (四型) 下記参照 キ84P型 翼を24.5㎡とし発動機をハ44-13(2450HP)搭載のB29迎撃用の高高度型。計画のみ。
キ84-IV 四式戦闘機四型
開発LV | 速 度 | 機 動 | 攻 撃 | 防 御 | エンジン温 度 | 上 昇 速 度 | 下 降 速 度 | 機 銃 | 機関砲 | 武 器 スロット | 爆 弾 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
68 | 10 | 7 | 6 | 6 | 9 | 9 | 8 | 2 | 2 | 10 | 2 |
高高度 | 速+10% | 中高度 | 速+5%,機+5% | 低高度 | 機+5% |
- 史実の記録
エンジンを高高度性能に優れた3段過給器付きハ45-44型(ハ345)とした機体で高高度戦闘機型の性能向上型。
プロペラは直径3.5mとなり翼も片側500mm(または900mm)延長される予定であった。設計段階で終戦となる。
制式採用されていれば四式戦闘機四型になったであろう機体。
資料によってはキ84 R型とも言われる。
史実画像は当時飛行可能であった時の日本里帰り飛行時の四式戦闘機疾風。
その後嵐山美術館時代は(容易に取れる部品に関しては初めからはずして展示されていたにもかかわらず)盗難被害に遭い、嵐山美術館閉館伴い南紀白浜に移転し、海岸そばでの展示のため零戦六三型と同じく機体の腐食やエンジンの悪化が進んでしまい飛行不可能となってしまった。
本機を日本へ譲渡したアメリカの私設航空博物館のドン・ライキンスはこの状況を聞いて譲渡したことを深く悔いており(憤慨しており)、その後も復元を行ったマロニー博物館では、他の機体数機との交換で良いので還して欲しいとコメントしている。
画像の機体は現在鹿児島の知覧特攻平和会館に静態保存されている。
HISでは仮想機体キ84-IV 疾風として登場する。 - キ84を基とした派生型
派生略号 名称 詳細 キ106 -- アルミ不足のため機体の大半を木製化する計画機。立川により10機試作。完成した機体は重量増加や重心の変化により性能DOWN。強度不足や量産に向かないことから計画中止 キ113 -- アルミ不足から内部主要構造を鋼製、カウル・主脚カバーをブリキ製とした機体。中島の試作のみ キ116 -- 満州飛行機転換生産型。発動機を信頼性の高い三菱ハ112-II(公称1,500馬力)に換装。
若干の速度低下があるが運動性能は向上。重量も1t減少し、発動機の300hp低下を補う。
試験飛行は良好だったが、ソ連の満州侵攻により現場の人の手で設計図もろとも処分された。キ117 -- キ84N型とも。ハ44-14(離昇2530hp)発動機搭載の対格闘戦用中高度型。設計中に終戦。
キ87 試作高高度戦闘機
開発LV | 速 度 | 機 動 | 攻 撃 | 防 御 | エンジン温 度 | 上 昇 速 度 | 下 降 速 度 | 機 銃 | 機関砲 | 武 器 スロット | 爆 弾 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
84 | 10 | 8 | 6 | 6 | 10 | 9 | 8 | 2 | 2 | 8 | 4 |
高高度 | 速+10% 機+10% | 中高度 | 速+5%,機+5% | 低高度 | -- | ||||||
開発LV | 速 度 | 機 動 | 攻 撃 | 防 御 | エンジン温 度 | 上 昇 速 度 | 下 降 速 度 | 機 銃 | 機関砲 | 武 器 スロット | 爆 弾 |
102 | 10 | 8 | 8 | 7 | 10 | 9 | 8 | 2 | 2 | 8 | 10 |
高高度 | 速+10% 機+10% | 中高度 | 速+5%,機+5% | 低高度 | -- |
- 史実の記録
防空・制空・襲撃等、あらゆる任務に使用可能な万能戦闘機として開発されたキ84 四式戦闘機「疾風」。疾風より航続距離をさらに伸ばし、高高度での戦闘に耐えれる戦闘機を目指して、キ87は1942年11月に開発が開始された。
試作機3機・増加試作機7機の発注を受けて1945年4月までに10機とも完成させるはずだったが、同時期に開発進行中だったキ84 四式戦闘機の開発優先と発動機の開発の遅れにより設計図面は1944年11月まで遅れ、1945年2月にようやく試作一号機完成と大幅に遅延している。
完成した試作1号機は重武装、重装甲の機体で、機体の全備重量は約6.1tという単発戦闘機としては異例の巨体となった
機体設計は同社の一式戦闘機「隼」から続く機体設計の流れを汲んでいるが、高々度用装備や防弾装備を搭載しているため全備重量で6トンを超える大型機となっている。なお操縦室については被弾時のことを考えて与圧はされず、高々度飛行に際してパイロットは酸素ボンベを使用することになっていた。
キ87は大きな特徴として1つ目に機首右側面に大型排気タービンを持つ。これは被弾時に燃料漏れによる火災を防ぐためであったが、排気タービン自体の加熱問題により、ただでさえ不調のエンジンに悪影響を及ぼした。増加試作機では他の多くの機種同様機体下面に排気タービンを設置する形にすることも検討されていた。
2つ目に主脚は90度回転し後方に引き込み式という新機軸が組み込まれていた。これは翼内に大型機関砲や燃料タンクのスペースを設け、前縁部切り欠きを設けないための工夫である。残念ながらこの装置は不具合があってうまく作動せず、合計5回行われた飛行試験では主脚を出したまま飛行試験を行っている。
操縦性は悪くなくキ84 疾風よりもいい感じであったそうである。実用化前に終戦を迎える。飛行したのはこの試作1号機のみで、2号機は完成寸前で終戦を迎えている。キ87が戦後分解されて米本土に送られたそうだがその後行方不明となっている(現在もアメリカのどこかに眠っている可能性もある)。
当機は中島が製作した最後の戦闘機となった。 - スペック(予想値含む)
全長 11.82 m 全幅 13.42 m 全高 4.50 m 重量 4387 kg エンジン 中島 ハ四四-一二ル空冷複列星形18気筒(2350hp)×1 最大速度 706 km/h 航続距離 1658~3170 km 武装 30mm機関砲×2,20mm機関砲×2(各前方固定)
250kg爆弾×1等実用上昇高度 12850m 乗員 1名 派生略号 名称 詳細 キ87 試作高高度戦闘機 試作1機のみ完成(試験飛行5回)。2号機は完成直前に終戦 増加試作機は排気タービンを胴体下側に移動する予定だった。(試作前に終戦)
キ61-I乙 三式戦闘機一型乙
開発LV | 速 度 | 機 動 | 攻 撃 | 防 御 | エンジン温 度 | 上 昇 速 度 | 下 降 速 度 | 機 銃 | 機関砲 | 武 器 スロット | 爆 弾 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
42 | 7 | 6 | 6 | 7 | 7 | 7 | 7 | 2 | 2 | 6 | 2 |
高高度 | 速+10%,機+5% | 中高度 | -- | 低高度 | -- |
- 史実の記録
・呼称・略称:三式戦、ロクイチ
三式戦闘機は日本軍制式採用戦闘機唯一の液冷エンジン搭載の戦闘機である。ドイツのBf109の搭載エンジンであるダイムラー・ベンツ DB601の国産型であるハ40を搭載している。空冷エンジンが主力であった日本軍機の中では特に突出したスリムなデザインであり、その搭載エンジンから「和製メッサー」とも呼ばれたが、エンジンとのちに本機が装備するMG151/20機関砲(マウザー砲)以外はBf109とは全くの別設計で、むしろ共通点は少ない。
本機を制作するに当たって川崎では軽戦・重戦の思想に囚われない独自のコンセプトで開発に挑んだ。社内ではのちに軽戦と重戦の間の性能を持つことから中戦と呼ぶようになる。
1941年12月に初飛行したキ61試作機は最高速度は591km/hを記録し、総合評価で優秀な成績を収めたため三式戦闘機として採用された。のちに二型が登場するため、当機は三式戦闘機一型と呼ばれるようになる。
愛称の飛燕はアスペクト比の大きい主翼と液冷エンジンゆえのスリムな容姿に因む。1945年1月以降、本土防空で活躍する姿をつづった新聞記事で使われ始めた。
欠点としては、排気タービン機構に使用するためニッケルの使用禁止を軍より命令されたため、本来ハ40のクランシャフトになくてはならないニッケルがはずされている。そのため強度不足にに悩まされ、故障が少なくなかった。またこのシャフトを生産するための機械をドイツから導入することができず、自力生産したものが多々あり、これが強度不足に拍車をかけたものと思われる。
もう1つはラジエーターである。胴体下に冷却液のラジエーターとオイルクーラーが同居しているため、離陸時の風量調整操作が難しく、よくオーバーヒートを起こした。また、オイル配管をエンジンから遠い機体下面まで取り回したせいで、しばしば配管の各所からオイル漏れが生じることとなった。
HISでは機体紹介ページでは三式戦闘機一型甲と思しき記述があるが、武装から正規装備となった12.7mm機関砲×4の三式戦闘機一型乙がモデルと思われる。 - スペック(一型乙※上昇限度だけ一型丙)
全長 8.74 m 全幅 12.00 m 全高 3.70 m 自重 2570 kg エンジン 川崎ハ40液冷倒立V型12気筒(1100hp)×1 最大速度 580 km/h 航続距離 1800(正規) km 武装 ホ103一式12.7mm固定機関砲×2(胴体)
ホ103一式12.7mm固定機関砲(主翼)
爆弾100~250kg×2実用上昇高度 10000 m 乗員 1名 派生略号 名称 詳細(名称は三式戦闘機の記述省略) キ61 -- 原型機の呼称 キ61-I甲 一型甲 12.7mm機銃×2(胴体内),7.7mm機銃×2(主翼)の初期量産型 キ61-I乙 一型乙 一型甲の7.7mm機銃を12.7mm機銃に置き換え,12.7mm×4とした機体 キ61-I丙 一型丙 12.7mm機銃×2、マウザー20mm機関砲×2の改良型。マ式砲機とも呼ばれる キ61-I丁 一型丁 20mm機関砲を国産のホ5に置き換えた機体。少数ながら30mm機関砲装備機もあり キ61-II -- ハ140(公称1350hp)発動機搭載、翼面積拡大した改良型原型機(開発中止) キ61-II改 二型 二型に一型丁の主翼を取り付け尾翼再設計した機体原型機。急降下性能向上 キ61-II甲 二型甲 二型初期量産型。武装は一型丙と同様だった キ61-II乙 二型乙 二型甲と同様の機体だが、武装は20mm機関砲×4 キ61-III 三型 改良型提案。原型1機のみ製作(計画のみに終わったとの説あり)
キ61-II改 三式戦闘機二型
開発LV | 速 度 | 機 動 | 攻 撃 | 防 御 | エンジン温 度 | 上 昇 速 度 | 下 降 速 度 | 機 銃 | 機関砲 | 武 器 スロット | 爆 弾 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
49 | 8 | 6 | 6 | 8 | 7 | 7 | 7 | 2 | 2 | 8 | 3 |
高高度 | 速+10%,機+5% | 中高度 | -- | 低高度 | -- |
- 史実の記録
キ61-IIが発動機をハ140とし性能向上型の三式戦闘機二型として誕生する予定だったと思われるが、エンジンの不調と生産遅延により8機の試製で開発中止されキ61-IIは失敗に終わった。性能向上は必要なためキ61-II改と改め、キ61-IIの胴体に一型丁の主翼をつけ、エンジンをハ140に換装、風防・天蓋がやや大型化した型誕生した。ハ140の不調は続いていたが、キ61-II改は高度10000mで編隊飛行が可能なことと爆撃機の攻撃に適するという評価を受け「三式戦闘機二型」として制式採用される。
31機が完成し、374機分の機体が作られたが発動機生産遅延により99機分しか完成させることができなかった。このうち1/3が空襲により破壊され、残りの機体はエンジン架と重心等の改造を施し、空冷エンジンのハ112に換装し五式戦闘機(キ100)となったものや、二型改 / 二型後期型と称する水滴形天蓋としたタイプが誕生した。
なおこの二型改は生産数がごくわずかであり現存する写真が少ない(旧説ではこれを三型とするものもあったが、三型はハ240搭載の計画機なので間違い)
この五式戦闘機は優秀な性能を示していて、飛燕の設計がいかに優秀だったかがうかがい知れる。
なお二型には遷音速の逸話が残っている↓。
1945年2月17日、二型で試験飛行を行っていた航空審査部の荒蒔義次少佐がF6Fと遭遇し空中戦を行い、急降下を行った際、遷音速時に発生する様な現象を体感したと証言し、基地に帰還した後に確認すると、速度計の針が振り切れ破損していた事が確認された。この速度計は1000km/hまで計測できたが、それが破損していた事から推測すると一時的に1000km/hを超えていたということになる。速度計以外破損したとこはなかったので三式戦の機体の堅牢性、優れた急降下性能が証明できるエピソードである。
知覧特効平和会館に展示されている三式戦闘機二型が良好な状態で保存されている機体としては世界で唯一である。また、オーストリア南部のワンガラッタ市の航空機復元会社に、川崎重工業の現役及びOB社員によるボランティア・グループが協力して飛行可能なように復元中のI型があるそうである。
キ61-IIは失敗に終わっているのでHISでのモデルはキ61-II改と思われる。 - スペック
全長 9.15 m 全幅 12.00 m 全高 3.75 m 自重 2855 kg エンジン 川崎ハ140 液冷倒立V型12気筒(1350hp)×1 最大速度 610 km/h 航続距離 1600 km 武装 ホ5 20mm機関砲×2(胴体)
ホ103 12.7mm機関砲×2(翼内)
250kg爆弾×2実用上昇高度 11000 m 乗員 1名
キ100-I 五式戦闘機一型
開発LV | 速 度 | 機 動 | 攻 撃 | 防 御 | エンジン温 度 | 上 昇 速 度 | 下 降 速 度 | 機 銃 | 機関砲 | 武 器 スロット | 爆 弾 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
56 | 7 | 10 | 5 | 7 | 7 | 8 | 7 | 2 | 2 | 8 | 2 |
高高度 | -- | 中高度 | -- | 低高度 | 速+5% |
- 史実の記録
・呼称・略称:五式戦(※非公式な愛称・通称として飛燕改)
液冷エンジンの生産の目処が立たずエンジンないキ61 三式戦闘機のエンジン待ち完成機体に対し、空冷の三菱重工業製ハ112-IIへの換装命令が川崎航空機に下った。自社製のエンジンを捨てることへの抵抗を感じていた川崎だったが、ハ112-IIを積んだキ61は速度こそ下がったものの、重量バランスが良くなりバラスト(キ61は重量バランスの問題からバラストを積んでいた)が不要となって軽量となり、上昇力・運動性能が格段に向上した。
ちなみにエンジン部分がやや大きく見えるのは、液冷エンジンが空冷エンジンに比べて小さいため、技術陣の苦労が出ているものである(段差ができているのはそのため※Fw190を参考にエンジン換装を成功させた)。
この思わぬ副次性効果に狂喜乱舞した軍部はこの空冷エンジン搭載型をキ100とし、皇紀2005年に誕生したので五式戦闘機と命名された。大戦末期であったため愛称(疾風や飛燕などの)がつく前に終戦を迎えている。
最高速度580km/hは当時の世界水準からすれば低いものの、F6F並みの800km/hまでの急降下速度に耐えることができ、低高度ではさほど遜色なく、余剰馬力の大きさと良好な縦の運動性は大きな強みであった(プロペラの直径が欧米機に比べて日本機は小さく、速度こそ劣るものの加速性に優れていた)。
キ61からのエンジン換装型ではなく最初からキ100として開発された機体は風防が改良されて後方への視界が改善されている(前者を甲型、後者を乙型と呼ぶ場合が資料によってあるが、それは非公式な名称)。
改良のたびに徐々に低下していったキ61本来の運動性能を取り戻した機体こそキ100 五式戦闘機である。実際操縦者の五式戦への評価は高く、三式戦から機種変更した搭乗員は性能向上を実感している。
開発開始から間もない1944年末にエンジンを生産する三菱の工場が空襲と東南海地震で壊滅したため、五式戦の量産体制は敷けず、大東亜決戦機たる四式戦の生産を優先する方針が終戦まで維持されたそうである。 - スペック
全長 8.82 m 全幅 12.00 m 全高 3.75 m 自重 2525 kg エンジン 三菱四式(ハ112-II)空冷複列星形14気筒(1350hp)×1 最大速度 580 km/h 航続距離 2200(最大) km 武装 ホ5・二式20mm固定機関砲×2(機首)
ホ103・一式12.7mm固定機関砲×2(主翼)実用上昇高度 11000 m 乗員 1名 派生略号 名称 詳細 キ100 -- 原型機の呼称。特に量産期と変わった部分はない キ100-I甲 一型甲 制式型の呼称。胴体は三式戦闘機二型に準ずる(甲・乙の区分は非公式) キ100-I乙 一型乙 三式戦闘機三型用に設計されていた全周視界風防を採用した機体 キ100-II 二型 ハ-112-IIル(排気タービン付)発動機を搭載した高々度性能向上型
キ100-II 五式戦闘機二型
開発LV | 速 度 | 機 動 | 攻 撃 | 防 御 | エンジン温 度 | 上 昇 速 度 | 下 降 速 度 | 機 銃 | 機関砲 | 武 器 スロット | 爆 弾 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
84 | 9 | 10 | 6 | 7 | 8 | 8 | 7 | 2 | 2 | 8 | 2 |
高高度 | 速+10% | 中高度 | -- | 低高度 | 速+5%,機+5% |
- 史実の記録
三式戦闘機からの運動性能向上型として五式戦闘機は誕生したが、空冷エンジンへ換装されたため高高度性能低下は避けられない。実際に本土防衛に対し高高度の速度低下のため(液冷の三式戦は高高度でも速度低下がない)B-29に対し五式戦はほぼ無力であった。
これに対し五式戦を高高度でも戦える機体として開発されたのがこの五式戦闘機二型と呼ばれるキ100-IIであろ。当機を二型としたため初期五式戦闘機は一型と改名された。
排気タービンを搭載し高高度でも590km/hを出せるように設計され、三式戦よりも高高度性能向上型の五式戦闘機二型であったが、残念ながら終戦により試作機3機にとどまっている。
五式戦闘機の現存機は終戦後カンボジアよりイギリスに持ち帰られた一型が唯一の現存機である。エンジン・機体ともに良好な状態でレストアされている(展示場所はちょくちょく変わようなので見学するには事前の調査が必要)。なお、アメリカに持ち帰られた数機は行方不明となっている。 - スペック
ハ-112-IIル(排気タービン付)発動機に換装し最高速度が590km/hとなった以外は特に変化無し。
キ94Ⅱ 試作高高度防空戦闘機
- 史実名称:
- 呼称・略称:不明
開発LV | 速 度 | 機 動 | 攻 撃 | 防 御 | エンジン温 度 | 上 昇 速 度 | 下 降 速 度 | 機 銃 | 機関砲 | 武 器 スロット | 爆 弾 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
102 | 9 | 10 | 7 | 8 | 9 | 8 | 7 | 2 | 2 | 10 | 10 |
高高度 | 速+10% | 中高度 | -- | 低高度 | 速+5%,機+5% |
- 史実の記録
(本項目はキ94Iの続きなのでキ94Iを先に参照にしていただきたい)
1944年3月末に、陸軍から中島キ87の設計を流用し、気密室を装備した単発機として設計を再開するようと立川飛行機に指示がわたる。立川はキ87を基本型としたのでは充分な高高度性能が得られないこと、中島でも独自に気密室装備のキ87改造案を計画しており後発のキ94は不採用の可能性があるとし辞退した。これに激怒した陸軍航空本部の駒村少将が直接立川に来社しキ87改造案の推進を強く求める事態となる。
このとき同時期に中島から気密室の技術供与を打診されたことでキ87の開発が難航していると立川は判断(実際その通り)。独自設計の単発機を開発する方針を固める。後日再び来社した駒村少将らとの協議の末、キ87改造案は一旦棚上げて独自案キ94IIの設計が開始された。
陸軍要求値は以下のとおり
最高速度:高度10,000mで最大水平速度750km/h。抵抗の軽減のため層流翼を採用する。
上昇性能:実用上昇限度15,000m。パイロットの負担軽減のため気密室を装備する。
航続力:全力0.5時間(高度8,000m)、巡航2.5時間(速度465km/hで高度4,000m、増槽装備時+2.5時間)
武装:30mm機関砲×1または2、20mm機関砲×2
エンジン:可能な限り高出力のものに、これも最大の排気タービンを採用する。
その後、キ87とのプロペラ装備に関する比較検討が行われ大直径プロペラを備えるキ94IIの優位が明らかになるなどして翌6月にはキ87改造案は取り下げられ独自案の採用が承認される。
モックアップ審査などを無事通過し、正式な発注を受け烈風との競合試作も考えられていたが、B-29による空襲により試作機生産は遅々として進まず。1945年7月に日本の単発戦闘機としては最大級の大きさであるキ94Ⅱ試作一号機が完成。その後同年8/8に地上運用試験を終え、8/17に飛行試験が予定されていたが終戦。立川初の自社製戦闘機は空を舞うことなくその生涯を終えた(接収した米軍も飛行試験をすることなく機体は行方不明となり、残骸となった写真を残すのみとなった)。 - スペック(計画値含む)
全長 12.00 m 全幅 14.00 m 全高 4.65 m 重量 4860 kg エンジン 中島ハ四四-一二ル空冷複列星形18気筒(2350hp)×1 最大速度 720 km/h 航続距離 2200 km 武装 ホ5 20mm機関砲×2
ホ155-II 30mm機関砲×2実用上昇高度 14100 m 乗員 1名 派生略号 名称 詳細 キ94I 試作高高度防空戦闘機 モックアップは製作されたが問題点が解決できず計画中止 キ94II 試作一号機完成の一月後に終戦。飛行試験間に合わず