開発ツリー
機体名称 | 開発Lv | 大日本帝国機国籍マーク |
---|---|---|
(ドルニエ Do17)ドイツ爆撃機参照 | 12 | |
├G4M 一式陸上攻撃機 | 20 | |
│└G5N 深山 | 30 | |
│ └B6N 天山 | 42 | |
│ └B6N3 天山 | 49 | |
│ └G8N 連山 | 56 | |
│ └G8N2 連山 | 84 | |
┌┼─────┘ | -- | |
│└キ48 九九式爆撃機 | 20 | |
│ └キ49 呑龍 | 30 | |
│ └キ67 飛龍 | 56 | |
│ └キ67-II 飛龍 | 84 | |
└────┼G8N3 連山改 | 102 | |
│└B7A2 流星改 | 120 | |
└キ74遠距離偵察爆撃機 | 102 | |
└キ74 Ⅱ | 120 |
ちなみに
日本軍機において、水平爆撃および雷撃可能な機体を攻撃機。急降下爆撃が可能な機体を爆撃機という。
攻撃機は急降下爆撃はできないという分類されている。
日本機の武装の場合、20mm機銃は二〇粍機銃と記述するのが正しいが、本wikiにおいてはわかりやすさを優先するため、武装については[二〇]は[20]、[粍]は[mm]と記述する。機体名称については漢数字とする。なお非常に間違っている人がおおいが「九七式(一例)」の読み方は「キュウジュウナナ式」ではなく「キュウナナ式」である。ゆえに漢数字表記のときは[九十七]ではなく[九七]と表記する(`・ω・´)。
なお「一〇式」と「一〇〇式」はそれぞれ「イチマル式」「ヒャク式」である。
G4M2 一式陸上攻撃機二二型
開 発 LV | 速 度 | 機 動 | 攻 撃 | 防 御 | エンジン 温度 | 上 昇速 度 | 下 降速 度 | 機 銃 | 機関砲 | 後 方 | 武 器 スロット | 爆 弾 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
20 | 2 | 3 | 5 | 6 | 9 | 3 | 3 | 4 | 4 | 6 | ||
高高度 | 攻+5% | 中高度 | 攻+5% | 低高度 | -- |
- 史実の記録
開発名称:十二試陸上攻撃機
皇紀2601年(1941年)4月に制式採用されたため一式陸上攻撃機と名づけられた。
一式陸攻は九七式陸上攻撃機の後継機として開発され、後継機であるP1Y 銀河などの戦力化遅延により終戦まで使用された。海軍は、4発機並みの性能を双発機に求めるという要求であった。第一回一式陸攻打ち合わせ会で本庄季郎技師(三菱)から「防備が不十分。小型で航続距離求めれば燃料タンクに被弾しやすいため、四発機にして搭載量、空力性能、兵儀装要求を満たし増えた二発馬力で防弾鋼板と燃料タンクの防弾、消火装置を備える」と提案するも和田操(航空技術廠長)から「用兵については軍が決める三菱は黙って軍の仕様通り作ればいい」と議論なく棄却されてしまっている。
大戦初期こそ活躍していた1式陸攻だがのちに防弾の弱さは【ワンショットライター】(1発でも被弾すれば火を噴くことから)というあだ名までついてしまう脆い機体となっていまう。
なおミッションにある[海軍甲事件]では輸送機で山本五十六連合艦隊司令長官は移動されているが、実際に乗っていたのは当機一式陸攻である。そしてP-38 ライトニング16機による奇襲攻撃により、零戦の護衛もむなしく2機の一式陸攻は撃墜されてしまっている。現場には今も撃墜した状態で一式陸攻が朽ちて眠っている。
HIS機体紹介ページに二二型との記載があったので、当機のモデルはG4M2 一式陸上攻撃機二二型と断定(武装からも判断できる)。なお機体紹介ページには発動機は火星一一型とあるがこれは火星二一型の誤りである。 - スペック(G4M2)
全長 19.63 m 全幅 24.88 m 全高 6.000 m 自重 8050 kg エンジン 火星二一型空冷複列星形14気筒エンジン×2基 最大速度 437.1 km/h 航続距離 2500 km(爆装) 武装 7.7mm旋回機銃×3(前方・側方)
20mm旋回機銃×2(上方・尾部)爆装 60kg爆弾12発,250kg爆弾4発
500kg又は800kg爆弾1発雷装 800kg魚雷×1 実用上昇高度 8950 m 乗員 7名 乗員内訳 パイロット1名,爆弾手1名?,射手5名? 派生略号 名称 詳細(名称は一式陸上攻撃機の名を省略) G4M1 一一型 火星一一型搭載の初期量産型。一部の機体には火星一五型搭載 G4M2 二二型 火星二一型(1680hp)発動機搭載。4翅ペラ,搭載量増加 G4M2a 二二甲型 二二型に電探を搭載、側方機銃を20mmに強化した機体 G4M2b 二二乙型 二二甲型の上方銃架機銃を長銃身タイプに変更した機体 G4M2 二四型 火星二五型搭載。仮称一四型とも呼ばれた G4M2a 二四甲型 二二甲型と同様の改良を組み込んだ二四型の呼称 G4M2b 二四乙型 二二乙型と(ry G4M2c 二四丙型 前方機銃を13mm口径の物に強化した機体 G4M2e 二四丁型 特殊攻撃機「桜花」搭載母機。爆弾倉を改造、防弾装備を強化 G4M2b 二五型 火星二七型発動機搭載の実験機 G4M2c 二六型 火星二五乙型(燃料噴射式)発動機搭載の実験機 G4M2d 二七型 火星二五乙型(排気タービン付き)発動機搭載の実験機 G4M3 三四型 二四型の防弾装備を強化した機体。航続距離3割減少 G4M3a 三四甲型 二二甲型、二四甲型と同様の改良を組み込んだ三四型の呼称 G4M3b 三四乙型 二二乙型、二四乙型と(ry G4M3c 三四丙型 二四丙型と(ry G4M3d? 三六型 二六型同様、火星二五乙型発動機搭載の機体 G4M3e 三六丁型 特殊攻撃機「桜花」搭載母機。三六型がベース G4M3f? 三七型 二七型同様、火星二五乙型発動機搭載機
G5N1 試製深山
開 発 LV | 速 度 | 機 動 | 攻 撃 | 防 御 | エンジン 温度 | 上 昇速 度 | 下 降速 度 | 機 銃 | 機関砲 | 後 方 | 武 器 スロット | 爆 弾 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
30 | 2 | 3 | 7 | 6 | 10 | 3 | 3 | 3 | 6 | 8 | ||
高高度 | 攻+5% | 中高度 | 攻+5% | 低高度 | -- |
- 史実の記録
開発名称:13試大型陸上攻撃機
深山は日本軍初の4発爆撃機。全長・全幅はほぼB-29に匹敵する大きさ(海軍機中最大。どうりでHISでもでかいわけだ)である。
初期型にはまず火星一二型発動機を搭載。増加試作機(深山改)には護一一型を搭載。
しかしながら当時の日本の技術力ではこのような大型機を量産・実用化するのは困難で、また、発動機護一一型の出力不足や振動問題、信頼性不足などを理由に制式採用に至らず、試作のみに終わった。
前例のなかった大型機の開発は当時の日本には無理難題であったのである。また、もととなった米国から輸入したDC-4Eも失敗作であるためでもある(海軍は民間航空機の名義で輸入したが、米国はこの偽装を見抜き傑作輸送機DC-4ではなく失敗作のDC-4Eを輸出)。のちに[バカ烏]なる不名誉なあだ名までついてしまっている。
深山は失敗に終わったが、この教訓はのちの連山においていかされることとなる。
その後増加試作機は輸送機(G5N2-L)として改造されている。4トンの貨物と6名(貨物を積まない場合は兵員輸送人員はもっと増える)の兵員を輸送できた。本機の爆弾倉には魚雷2本を収容できたため「魚雷運搬機」と呼ばれて重宝されたという。
HISでは資料が少ないため深山なのか深山改なのかは判定しずらいが、恐らくG5N1 深山と思われる。なお試作機のみに終わっているので試製深山とするのが正しい。 - スペック[()内は深山改。()がないものは深山=深山改]
全長 31.02 m 全幅 42.14 m 全高 6.13 m 自重 20100 kg エンジン 三菱 火星一二型空冷複列星形14気筒[1480hp]×4
(中島 護一一型空冷複列星形14気筒[1750hp]×4)最大速度 392(420) km/h 航続距離 3528(4190) km 武装 20mm機関銃×2[機首1・尾部1]
7.7mm機関銃×4[上方1・下方1・側面2]
爆弾最大3000kg or 魚雷×2実用上昇高度 6050 m 乗員 7名 乗員内訳 パイロット1名,爆弾手1名?,射手5名? 派生略号 名称 詳細 G5N1 試製深山 原型機。火星一二型発動機搭載,3翅ペラ G5N2 試製深山改 増加試作機。護一一型発動機搭載(米資料だと深山改一二型) G5N2-L 深山改輸送機 深山改を輸送機に改装した機体。約4tの貨物を搭載可能
B6N1 天山一一型
開 発 LV | 速 度 | 機 動 | 攻 撃 | 防 御 | エンジン 温度 | 上 昇速 度 | 下 降速 度 | 機 銃 | 機関砲 | 後 方 | 武 器 スロット | 爆 弾 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
42 | 4 | 4 | 7 | 8 | 10 | 5 | 5 | 2 | 1 | 8 | 10 | |
高高度 | 攻+5% | 中高度 | 攻+5% | 低高度 | -- |
- 史実の記録
開発名称:十四試艦上攻撃機
天山は正式採用直前に命名規則が攻撃機は山に因む名称とするとされたので、昭和18年8月の制式採用時に○○式艦上攻撃機ではなく、艦上攻撃機「天山」と名づけられた。
九七式艦上攻撃機の後継機として開発された天山は機体が大きくなることを覚悟で大型機用の護一一型発動機を搭載。いちよう艦上機なので、空母のエレベーターの寸法に収めるため、垂直尾翼後端を前傾させることで着陸姿勢での全長を短くしている(主翼折り畳み機構あり)。4翅金属製プロペラやファウラー・フラップ、層流翼などの新機軸が盛り込まれている。九七式艦上攻撃機よりわずかに翼面積は小さいが、これまでにない重量級の艦上攻撃機であった。
また艦上攻撃機にはめずらしく左主翼内に7.7mm固定機銃が存在した(雷撃時に敵艦の対空機銃を制圧するために装備していたらしい)が(HISにおいて機関砲1門が存在するのはこのためであろう)71号機からは廃止されている。
実際B6N1 天山一一型は護発動機が不調だったので、生産は124機にとどまり、信頼性の高い火星発動機に換装したB6N2 天山一二型の生産に切り替わっている(火星発動機を搭載した試作機が航続距離以外の性能向上が確認されたため)。つまり総生産数のわずか10%しかB6N1 天山一一型は存在しない。残りのほぼ90%がB6N2 天山。
映画「雷撃隊出動」には本機の空母瑞鶴においての訓練時の映像が使用されている。
現存機は1機が米スミソニアン博物館の保管・復元施設において、分解状態で眠っているとのことである。
HISでは、天山初期型と思われるので(HISは1を略すくせがあるので)B6N1 天山一一型とひとまず推定(断定はできない)。なお当機では後方機銃は後上方向きののみ再現されている。 - スペック(B6N1)
全長 10.865 m 全幅 14.894 m 全高 3.800 m 自重 3223 kg エンジン 中島 護一一型 空冷複星型14気筒(1870hp)×1 最大速度 464.9 km/h 航続距離 3447(最大) km 武装 7.7mm固定機銃(左主翼内)※71号機以降廃止
7.7mm旋回機銃2挺(後上方・後下方)爆装時 爆弾800kg×1 or 500kg×1 or 250kg×2 or 60kg×6 雷装時 九一式航空魚雷×1 実用上昇高度 8650 m 乗員 2名 乗員内訳 パイロット1名,射手1名 派生略号 名称 詳細 B6N2 天山一二型 火星二五型(1680hp)発動機搭載。一部変更 B6N2a 天山一二甲型 一二型に電探(今で言うレーダー)を装備した機体 B6N3 天山一三型 B6N3 天山参照
B6N3 天山一三型
開 発 LV | 速 度 | 機 動 | 攻 撃 | 防 御 | エンジン 温度 | 上 昇速 度 | 下 降速 度 | 機 銃 | 機関砲 | 後 方 | 武 器 スロット | 爆 弾 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
49 | 4 | 4 | 8 | 9 | 10 | 5 | 5 | 2 | 1 | 1 | 8 | 10 |
高高度 | 攻+5% | 中高度 | 攻+5% | 低高度 | -- |
- 史実の記録
発動機を火星二五丙型に換装し、エンジンカウル、風防等を再設計した性能向上型。試作機2機のみに終わり実践には間に合わなかった。 - スペック(B6N2)
全長 10.78 m 全幅 14.90 m 全高 3.80 m 自重 3010 kg エンジン 三菱 火星二五型空冷複列星形14気筒(1680hp)×1 最大速度 481 km/h 航続距離 3042(最大) km 武装 7.92mm機銃×1(後下方旋回)
13mm機銃×1(後部旋回)
爆装・雷装はB6N1に同じ実用上昇高度 9800 m 乗員 2名 乗員内訳 パイロット1名,射手1名
G8N1 試製連山
開 発 LV | 速 度 | 機 動 | 攻 撃 | 防 御 | エンジン 温度 | 上 昇速 度 | 下 降速 度 | 機 銃 | 機関砲 | 後 方 | 武 器 スロット | 爆 弾 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
56 | 5 | 3 | 9 | 9 | 10 | 5 | 5 | 2 | 2 | 2 | 8 | 10 |
高高度 | 攻+5% | 中高度 | 攻+5% | 低高度 | -- |
- 史実の記録
開発名称:17試陸上攻撃機or18試陸上攻撃機。
連山は17試または18試陸上攻撃機とする資料がある。正式な開発年度(昭和18年)からあわせると18試が正しいが、17試とする資料もある。連山は開発開始からわずか1年程で完成し試験飛行を行っており、これは大型機では異例の早さである。ゆえに正式開発年度が正しいか正しくないかが(連合側に開発を隠すためにずらした?)、真実の証拠となるが、現代ではこれを裏付ける資料はない。大戦末期の混乱でよくわからなくなったとするのが良いだろう。
連山は試作機のまま終戦となったので、試製連山とするのが正しい。当wikiではG8N1 試製連山とする。制式採用されていればエンジンの変更がなければG8N1 連山一一型となったと思われる。
計画要求書通りの性能を実現できれば、当時の日本軍用機に比べて生産性・整備性・速力・爆弾搭載量に優れ、武装も強力な機体となるものとなるはずであった。大戦末期の相当に低下した日本の工業力では高高度必須といえる信頼性の高い排気タービン過給器が作れなかっため、他の機同様過給器付きエンジントラブルのに悩まされた。戦後接収した米軍も機体整備にはかなりの苦労をしたといわれている。
試験飛行がほとんど行われなかったため連山の性能は未知数だが、戦後米軍の試験飛行では良好な性能をしめしたと伝えられている。機体自体は各国の4発重爆撃機に比べコンパクトにまとまっているが、そのため爆弾搭載量はそれほど大きくない。また機体各部に装備された動力銃座は捕獲したB-17爆撃機のものを参考にしたと伝えられている。
なお接収された連山は博物館に保存の予定だったが、朝鮮戦争勃発による混乱で保管スペースがなかったため廃棄処分となってしまい現存機は存在しない(大型機ゆえの不運な運命である)。 - スペック
全長 22.93 m 全幅 32.54 m 全高 7.20 m 自重 17400 kg エンジン 中島 誉 二四ル型空冷複列星形18気筒(1850hp)×4 最大速度 593 km/h
(1t爆弾搭載@高度8000m)航続距離 7470 km
(装備により変化)武装 13mm機銃×4(機首2・胴体左右各1)
20mm機関砲×6(上部・下部・尾部各2)
爆弾最大4000kg実用上昇高度 10200 m 乗員 7名 乗員内訳 パイロット1名,爆弾手兼射手1名?,射手5名? 派生略号 名称 詳細 G8N2 連山二二型? G8N2 連山参照 G8N3 連山改 G8N3 連山改参照
G8N2 連山
開 発 LV | 速 度 | 機 動 | 攻 撃 | 防 御 | エンジン 温度 | 上 昇速 度 | 下 降速 度 | 機 銃 | 機関砲 | 後 方 | 武 器 スロット | 爆 弾 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
84 | 6 | 4 | 9 | 10 | 11 | 5 | 5 | 2 | 2 | 2 | 8 | 10 |
高高度 | 攻+5% | 中高度 | 攻+5% | 低高度 | -- |
- 史実の記録
桜花搭載のために設計されたとされる連山。三菱MK9Aラジアルエンジン×4を搭載していたとされる。連山は資料が非常に少ないため、詳しくは不明。なお連山は試作機4機に終わっているためG8N2の略号が存在したかも定かではない。誕生していれば命名規則から推測すると2個目のモデルの2種目のエンジン搭載なので、G8N2 連山二二型となったと思われる。
HISでは全鋼製の機体との記述があるがそれはG8N3 連山改のことであるためそれは誤り。 - スペック
G8N1 試製連山参照
G8N3 連山改
開 発 LV | 速 度 | 機 動 | 攻 撃 | 防 御 | エンジン 温度 | 上 昇速 度 | 下 降速 度 | 機 銃 | 機関砲 | 後 方 | 武 器 スロット | 爆 弾 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
102 | 6 | 5 | 11 | 10 | 11 | 5 | 6 | 2 | 2 | 2 | 8 | 10 |
高高度 | 攻+5% | 中高度 | 攻+5% | 低高度 | -- |
- 史実の記録
大戦末期のアルミニウム不足から全鋼製の機体として計画された連山。設計途中で終戦を迎えたとされている。
こちらも資料がほとんどなく詳細は不明である。いちよ全鋼製の連山改という形で伝わっている。G8N3の略号があったかは怪しい。米資料によると連山二三型のもよう。
HISでも連山の性能向上型として登場。正確に言うと鋼製の連山改はG8N2 連山ではなくこちらの連山が正しい。
G8N2とG8N3の資料がほとんどない(色々なHPでも記載してるとこはほとんどない)のでツリー機で3連続連山だったのにユーザーが不満爆発だったのは管理者も理解できる。 - スペック
G8N1 試製連山参照
B7A2 流星一一型
開 発 LV | 速 度 | 機 動 | 攻 撃 | 防 御 | エンジン 温度 | 上 昇速 度 | 下 降速 度 | 機 銃 | 機関砲 | 後 方 | 武 器 スロット | 爆 弾 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
120 | 7 | 6 | 11 | 10 | 11 | 6 | 6 | 2 | 2 | 1 | 8 | 10 |
高高度 | -- | 中高度 | 攻+5% | 低高度 | 攻+5% |
- 史実の記録
機体略号からは艦上攻撃機を示すBであるが、流星は多任務艦上攻撃機であり急降下爆撃も可能である。そのため名称は攻撃機を示す「山」ではなく、爆撃機を示す「星」となっている。雷撃機でありながら、急降下爆撃が可能な高性能機体である。機体搭載数に限りのある空母での運用に望ましい機体(両方の任務をこなせるため)となったのである。量産型の生産は1944年4月から行われているが、B-29による爆撃と1944年12月7日に発生した東南海地震による工場の被災もあり、生産は遅々として進まなかったため生産数はわずか110機程にとどまっている。
流星は胴体内に爆弾倉を持つ(ただし航空魚雷は胴体下に懸吊)。これは空気抵抗となる爆弾を胴体外に懸吊しないための設計である。
当然艦上機なので逆ガル翼と呼ばれる特徴的な翼は折り畳み機構をもつ。また九九式艦爆・天山が防弾装備がなかったのに対し、当機は唯一防弾装備がなされている。
当機が完成した頃にはもはや艦上運用するための空母は残っておらず、熟練されたパイロットもほとんど残っていなかった。そのため流星は艦上機でありながら陸上で運用されている。
また海軍公式記録上最後の特攻攻撃(敗戦日8/15に)を行ったのは当機であるとなされている。
海軍の非常に過酷な要求を満たすために流星の初期型であるB7A1 試製流星(試作1号機)が1942年12月に完成し、初飛行を遂げる。しかし、重量過多や強度不足、楕円翼の主翼の空力特性が悪かったため、全体的に再設計された試作2号機では、主翼が後端が直線となったテーパー翼に変更され、B7A2の機体略号が与えられたとされる。
だが流星の設計主任者の話によると試作2号機(B7A2 流星改の基)にはそのような大改修は行っておらず、流星は量産型まで含めてB7A1 流星一一型であり、B7A2は発動機を誉二三型に変更した性能向上型の機体略号であるという指摘がされている。軽量化のため一部の設計を変更したことと量産に備えて設計図面の様式を変更したことが誤って伝えられたのではないか、と手記に記している。
この事実が証明できるならば当機はB7A1 流星一一型ということになる。戦後の混乱・武装解除・旧日本軍による資料処分・および連合軍による資料の接収などにあい、なおかつ戦後60年以上もたってしまった今ではもはや調べるすべはない。なお流星一一型は後期生産型は発動機がより強力な型に換装しにもかかわらず、制式名称が変わっていない。終戦直前の混乱のせいと思われる(※換装したものは流星一二型と呼称すべき)。
当wikiではB7A2 流星一一型とする。米軍に接収された4機のうち1機が米スミソニアン博物館にて分解状態で眠っている。流星は誕生時期の遅れた世界最高水準の艦攻である。 - スペック
全長 11.49 m 全幅 14.40 m 全高 4.07 m 自重 3614 kg エンジン 中島 誉一二型空冷複列星形18気筒(1670hp)×1(初期型)
中島 誉二一型空冷複列星形18気筒(2000hp)×1(後期型)最大速度 542.6 km/h 航続距離 3037(最大) km 武装 13mm機銃×1(後上方)
20mm機関砲×2(翼内)爆装 500~800kg爆弾×1 or 250kg爆弾×2(胴体)
30or60kg爆弾4発(翼下)雷装 850~1060kg航空魚雷×1 実用上昇高度 8950 m 乗員 2 名 乗員内訳 パイロット1名,射手1名 派生略号 名称 詳細 B7A1 試製流星 誉一一型(1650hp)発動機搭載の試作機 B7A2 流星一一型 別名[流星改]。誉一二型(1670hp)発動機搭載の量産型(後期型は誉二一型) B7A2 ?? 米資料によると試験的に誉二三型換装した機体とのこと B7A3 試製流星改一 三菱 ハ43 一一型(2200hp)発動機搭載。計画のみ ↓↓尾崎紀男技師の手記によると↓↓ 派生略号 名称 詳細 B7A1 試製流星 誉一一型発動機搭載の試作機 B7A1 流星一一型 誉一二型発動機搭載の量産型(後期型は誉二一型) B7A2 流星改 誉二三型発動機搭載の性能向上型 B7A3 試製流星改一 三菱 ハ43 一一型発動機搭載。計画のみ
キ48 九九式双発軽爆撃機一型乙
開 発 LV | 速 度 | 機 動 | 攻 撃 | 防 御 | エンジン 温度 | 上 昇速 度 | 下 降速 度 | 機 銃 | 機関砲 | 後 方 | 武 器 スロット | 爆 弾 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
20 | 3 | 2 | 5 | 6 | 9 | 6 | 8 | 1 | 0 | 2 | 6 | 6 |
高高度 | 攻+10% | 中高度 | -- | 低高度 | -- |
- 史実の記録
愛称:なし
略称・呼称:九九式双発軽爆、九九双軽、双軽
九九式というと空母で運用されていた海軍の九九式艦上爆撃機を連想する人が多いことであろう。だが当機は陸軍の九九式爆撃機である。
登場時は中国戦線で任務をこなした。敵戦闘機を振り切る速さをみせた当機だったが、太平洋戦争が始まる頃にはその速度はすでに遅いものとなっていた。そのため発動機をより強力なものに換装した二型が誕生した(二型の登場によりそれより前の九九式を一型と呼ぶようになった)。残念ながら二型も優れた性能は出せず、陸軍の旧式の宣告により、太平洋戦争末期に特攻機仕様に改造されてしようされる運命をたどった。
なお当機の主翼の基本設計は大変優れていて、のちにキ45改 屠龍の制式採用に貢献している。キ48とキ45改は多くの部品を共通しており、生産設備を小変更しただけで生産可能であった。
HIS機体紹介ページの発動機から、当機は一型甲でも二型でもなかったので、恐らくだがキ48 Ⅰ型乙と推定される。断定は今のところできない。
なお制式採用された場合は基本キ番号は呼称しないが、当wikiではわかりやすくするためにそのまま記述する。 - スペック(キ48 一型[赤字は二型の性能])
全長 9.21 m 全幅 12.10 m 全高 3.80 m 自重 4550 kg エンジン 瑞星ハ26-2 空冷複列星型14気筒×2 最大速度 424 km/h 航続距離 2400 km 武装 12.7mm機銃×2(翼内)
7.7mm機銃×1(後方旋回式)実用上昇高度 10100 m 乗員 4名 乗員内訳 パイロット1名,爆弾手1名?,射手2名? 派生略号 名称 詳細(名称は九九式双発軽爆撃機を省略) キ48 -- 中島「九九式」(ハ25:公称950hp)発動機搭載の試作機 キ48-I甲 一型甲 初期量産型。7.7mm機銃×3、爆弾400kg キ48-I乙 一型乙 一型後期生産型。一型甲の装備品変更、細部設計修正 キ48-II 二型 中島「二式」発動機搭載の性能向上型原型 キ48-II甲 二型甲 爆弾搭載量を800kgに増加させた二型初期量産型 キ48-II乙 二型乙 主翼下に急降下用制動ブレーキを装備した機体 キ48-II丙 二型丙 機体は二型乙に準ずるが12.7mm機銃×1、7.92mm機銃×3に変更したモデル キ81 -- 武装と防御装甲強化型の提案。計画中止のため製作されず キ174 -- 単座特殊攻撃機型案。計画未着手(担当は立川飛行機を予定)
キ49 一〇〇式重爆撃機
開 発 LV | 速 度 | 機 動 | 攻 撃 | 防 御 | エンジン 温度 | 上 昇速 度 | 下 降速 度 | 機 銃 | 機関砲 | 後 方 | 武 器 スロット | 爆 弾 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
30 | 3 | 3 | 6 | 7 | 9 | 4 | 4 | 2 | 1 | 2 | 6 | 8 |
高高度 | 攻+10% | 中高度 | -- | 低高度 | -- |
- 史実の記録
愛称:「呑龍(どんりゅう)」
略称・呼称:一〇〇式重爆,百式重爆
皇紀2600年に制式採用。海軍がこの年に制式採用したものを零式(零戦など)に対し、陸軍は一〇〇式としている。ゆえにこの年の陸海軍の機体名称は見分けがつけやすい。海軍が紫電や烈風などが制式名称なのに対し、陸軍はあくまで愛称であり、正式名称ではない。
キ49は開発開始こそ皇紀2600年であるが、実は制式採用は皇紀2601年である。なので本来は一式だったのだが、皇紀2600年(1940年)がめでたい年で全国的に祝賀ムードであったため、これを記念して一〇〇式重爆撃機と名づけられた。愛称の呑竜は「龍を呑む」という勇ましい名称だが、実際には江戸時代に貧乏人の子弟を養育した心優しい浄土宗の僧「呑龍」の名前からとったものである。製作を担当した中島航空機の工場があった群馬県太田市に「子育て呑龍」と呼ばれた大光院があったこににちなむ。
一〇〇式重爆撃機は、九七式重爆撃機の後継にあたるので、戦闘機の護衛を必要としない高速性能と重武装を併せ持った重爆撃機として設計された。残念ながら同時期に出現した敵戦闘機に比較して高速と言える程の性能に至らず、実戦においては常に味方戦闘機の護衛を必要とした。1943年6月20日のポートダーウィン爆撃ではスピットファイア46機にによる猛烈な防空を受けるが、一式戦闘機「隼」の護衛があったとはいえ18機中16機が帰還に成功しており、当機の重武装が高評価されている。余談だがこのとき帰還した機体はほぼすべて大破状態であり修理不能で破棄されている(これ以後ボートにたいして爆撃は行われていない)。
結局のところ重武装すれば生存性があがるというのは間違った思想であり、護衛戦闘機無しで爆撃任務ができるというのは机上の空論に過ぎなかった。高速で動き回る単座戦闘機を旋回機銃ごときで容易には撃墜できない問うことである。米軍の傑作高性能戦略爆撃機B-29ですら、護衛戦闘機がないときは、少なくない数が撃墜されてしまっている。
なお一〇〇式重爆撃機は重武装なので乗員も8名と多い。
HISにおいては一型か二型かの判断がつかないので、そちらについては記述しない。実際には6門(前方も合わせると)ある後方機銃は2門しか再現されていない。なお機体名称は「百式重爆撃機」でも正しい。 - スペック(キ49 一型)
全長 16.80 m 全幅 20.42 m 全高 4.25 m 自重 6070 kg エンジン 中島 一〇〇式(ハ41)空冷複列星形14気筒(1260hp)×2 最大速度 490 km/h 航続距離 3400 km 武装 7.7mm機銃×5(前方,後方,後下方,胴体左右側方各1)
20mm機関砲×1(後上方旋回)
爆弾最大1000kg実用上昇高度 9000 m 乗員 8名 乗員内訳 パイロット1名,爆弾手1名?,射手6名 派生略号 名称 詳細(名称は一〇〇式重爆撃機を省略) キ49 -- ハ5改(離昇950hp)またはハ41発動機搭載の試作機 キ49-I 一型 一〇〇式(ハ41)発動機搭載の初期量産型 キ49-II 二型 二式(ハ109:公称1440hp)発動機搭載の改良型原型。ラチエ電気式3翅ペラ キ49-II甲 二型甲 二型生産型。7.7mm機銃を7.92mmに変更。後下方機銃を連装化 キ49-II乙 二型乙 防御用7.7mm機銃のうち3丁(後に全部)を12.7mm口径のものに変更した機体 キ49-II丙 二型丙 武装を廃止しタキ1電波警戒器を搭載した哨戒機型 キ49-III 三型 ハ107(公称2200hp)発動機搭載の性能向上型。武装は二型乙と同じ。試作のみ キ58 -- 二型をベースに機銃武装を強化した掩護戦闘用機体。試作のみ キ80 -- 二型をベースにした爆撃隊指揮官搭乗用の航路先導機。試作のみ -- -- 16人程度の客席を備えた輸送機改造型。計画前段階で中止
キ67-I甲 四式重爆撃機一型甲
開 発 LV | 速 度 | 機 動 | 攻 撃 | 防 御 | エンジン 温度 | 上 昇速 度 | 下 降速 度 | 機 銃 | 機関砲 | 後 方 | 武 器 スロット | 爆 弾 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
56 | 5 | 3 | 10 | 8 | 10 | 4 | 6 | 1 | 1 | 4 | 8 | 10 |
高高度 | 攻+10% | 中高度 | -- | 低高度 | -- |
- 史実の記録
愛称:[飛龍]
呼称・略称:四式重爆,ロクナナ
四式重爆撃機(以下飛龍と記す)は日本陸軍が最後に開発した双発重爆撃機である。日本航空機開発技術の集大成と呼ぶに相応しい傑作機であった。重爆撃機でありながら爆弾の搭載量は少なかったが、飛龍はそれを補って余りある飛行性能を有していたため、爆弾を搭載していなければ曲技飛行も可能であったとされる。機体も運動性に相当する強度を持っており、重爆撃機にもかかわらず急降下爆撃用の急降下速度計が装備され、600 km/h以上を示しても何ら異常は無かった。なお愛称の由来は不明。
四式戦闘機[疾風]とともに「大東亜決戦機」とも呼ばれた。
海軍向けに雷撃機型も派生型に存在する。海軍指揮下の飛龍雷撃機型部隊を「靖国部隊」を称し、飛龍のことを[靖国]と呼んでいた。これは海軍における非公式な愛称。
飛龍は大戦末期に誕生したため、生産は思うように進まなかった。B-29による工場壊滅。追い討ちをかけるかのごとく東南海地震により中京工業地帯壊滅。工場の疎開などで生産ははかどらず生産数は635機にとどまっている。
飛龍は開発にあたった三菱は一式陸攻の経験を本機に盛り込んでいる。陸海軍の違いはあるが、設計的に見ると飛龍は一式陸攻の後継機と表現してもおかしくはない。
派生型の説明文はキ67-Ⅱに記述する。
HISでは後方機銃4門とのことなので、四式重爆撃機一型甲と思われるが断定はできない。 - スペック
全長 18.70 m 全幅 22.50 m 全高 5.70 m 自重 8649 kg エンジン 三菱 四式(ハ104)空冷複列星形18気筒(1810hp)×2 最大速度 537 km/h 航続距離 3800 km 武装 13mm旋回機銃×4(前方、胴体左右、尾部)
20mm機関砲×1(後方上部旋回)
航空魚雷×1 or 800kg爆弾×1
or 500 kg爆弾×1 or 250 kg爆弾×3 or 50kg爆弾×15実用上昇高度 9740 m 乗員 6~8名 乗員内訳 パイロット1名,爆弾手1名?,射手5名? 派生略号 名称 詳細(名称は四式重爆撃機を省略) キ67 -- 開発当時名称 キ67-I甲 一型甲 初期量産型。魚雷搭載可能機は製造番号160以降 キ67-I乙 一型乙 後期量産型。尾部銃座が20ミリ機関砲×2に変更 キ67-I改 一型改 武装強化型。排気タービン装備のハ104ル発動機を搭載。試作のみ キ67-II 二型 キ67-II参照 靖国 海軍指揮下にあった陸軍雷撃隊における雷撃装備型の海軍呼称。非公式な通称
キ67-II 四式重爆撃機二型
開 発 LV | 速 度 | 機 動 | 攻 撃 | 防 御 | エンジン 温度 | 上 昇速 度 | 下 降速 度 | 機 銃 | 機関砲 | 後 方 | 武 器 スロット | 爆 弾 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
84 | 5 | 5 | 10 | 9 | 11 | 4 | 6 | 1 | 1 | 4 | 8 | 10 |
高高度 | 攻+10% | 中高度 | -- | 低高度 | -- |
- 史実の記録
エンジンをハ214(2150hp)に変更した改良型。試作のみに終わる。
キ67は優秀機であったため多くの派生型をもつ。
中でも特徴的なのが史実画像の[ト号機] と[キ167 桜弾機]である。
ト号機とは800kg爆弾を胴体に2個格納した特攻機型キ67である。機首に伸びている長い棒のようなものは特攻した際、爆弾が起爆するための信管である。これらのト号機部隊は[富嶽隊]と呼ばれ、実戦投入されているが戦果は確認されていない。
「桜弾」とは、本機専用の直径1.6m、重さ2.9tの対艦用超大型爆弾で、爆発威力は「前方3 km、後方300 m」が吹き飛ぶをいうものであった。なおこの桜弾機は沖縄戦に参加したとの記録はあるが、出撃後に行方不明となっており戦果は不明である。その後も何機かが特攻に向かっているが、いずれも戦果は不明となっている。 - 戦後のエピソード
戦後、本機の開発に関った小沢久之丞は名城大学理工学部教授に就任。夢の弾丸列車と呼ばれた新幹線の車体設計・開発に関っている。本機と海軍の爆撃機、銀河のデザインは共に新幹線「0系」の車体設計の際参考にされ、本機で培われた技術は戦後復興に貢献している。 - 派生型(キ67を基とした)
派生略号 名称 詳細 キ67 撃装備実験機 増加試作機に雷撃装備を搭載したもの。雷撃装備は後に標準化された 電波警戒機実験機 電波警戒機タキ1-IIを搭載した実験機 電波高度計実験機
(低空用)電波高度計タキ13を搭載した実験機 電波高度計実験機
(高々度用)電波高度計タキ11を搭載した実験機 十型爆撃照準具実験機 墜落機から回収した米国製ノルデン照準器を国産化したものを搭載 滑空機曳航装置装備機 ク7グライダー曳航用装置の実験機 「ト」号機 機体内に800kg爆弾×2を固定した特攻専用機。実際に使用された キ167 桜弾装備機 指向性爆弾『桜弾』(2900kg)×1の搭載専用に改造された機体 -- 照射機装備機 後上方銃座に40cm探照灯を搭載した機体。キ109乙夜間索敵機の試作機 特殊航続延長機 燃料搭載量増加改修機。マリアナのB-29基地攻撃のために改修された 特殊遠距離襲撃機 航続延長機同様の機体だが,爆撃の代わりに下向20mm機関砲×5装備 誘導弾母機 イ号一型甲誘導弾の搭載装備を持つ発射母機改修型 空中運転機 試作エンジン(ハ104ルやハ214フ)の試験用機 キ69 -- 爆撃装備を撤去し射撃装備を増やした編隊掩護機。計画のみ キ97 -- 胴体を再設計した輸送機型。キ97の項参照。試作中止 キ109 -- 特殊防空戦闘機型 キ112 -- 全木製化計画機。計画のみ
キ74 試作遠距離偵察爆撃機
開 発 LV | 速 度 | 機 動 | 攻 撃 | 防 御 | エンジン 温度 | 上 昇速 度 | 下 降速 度 | 機 銃 | 機関砲 | 後 方 | 武 器 スロット | 爆 弾 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
102 | 5 | 6 | 10 | 11 | 11 | 5 | 6 | 2 | 2 | 4 | 8 | 10 |
高高度 | 攻+10% | 中高度 | -- | 低高度 | -- |
- 史実の記録
キ74は当時まだ仮想敵国であったソ連に対する、遠距離司令部偵察機として1939年に開発が始まった。その後太平洋戦争が勃発。キ74は米本土(パナマ運河)を攻撃するための遠距離爆撃機として開発方針が変わった。ちなみにこの作戦が発動していたらどんなに燃料を満載に積んでも片道分の燃料しかなく、帰還できない特攻機となってしまっていた。爆撃後、乗員はゲリラ戦を行うなどという恐ろしい計画であった。結局爆弾搭載量的に戦果をあげれるかが疑問視され(といっても1トンも搭載できるんだが・・・)、すでに陥落し、本土空襲の拠点のひとつとなっていたサイパン島のB-29基地に目標が切り替わっていた。
なお、当機は燃料漏れの話はなく、主翼のインテグラルタンクの技術は確立していたといわれる。なお内翼の燃料タンクには防弾もされていた。
結局当時の日本工業力では排気タービン付のエンジンや与圧式キャビンの実用化に非常に手間取り、開発は遅れに遅れ、試作1号機が審査可能になったのは終戦直前の1945年1月のことであった。さらに試験飛行にいたっては同年5月である。制式採用されていれば、五式双発爆撃機または五式重爆撃機的な名称が(もし1945年に制式採用されていたらの話)ついたであろう。
当機は試作機どまりだが、マリアナ偵察を行ったとする文献もある。軍の記録を含めこの偵察記録は詳細不明である
終戦時には4機が現存(その他は軍の命令で破壊されたとされる)し、米軍によりその4機は接収。そのご1機を除きスクラップ。残る1機は博物館に保存される予定であったが、なんとその後行方不明となっており現在もその行方はわかっていない(管理人の予想だが連山と同じく朝鮮戦争の混乱に巻き込まれたものと思われる)。
当wikiでは、試作機どまりの当機をキ74 試作遠距離偵察爆撃機とする。 - スペック
全長 17.65 m 全幅 27.00 m 全高 5.10 m 自重 10200 kg エンジン 三菱 ハ104ル空冷複列星形18気筒(1810hp)×2 最大速度 570 km/h 航続距離 7200 km+2時間 武装 12.7mm機銃×1(尾部遠隔銃座)
爆弾最大1000kg実用上昇高度 12000 m 乗員 5名 乗員内訳 パイロット1名,不明3名,射手1名?
キ74 Ⅱ
開 発 LV | 速 度 | 機 動 | 攻 撃 | 防 御 | エンジン 温度 | 上 昇速 度 | 下 降速 度 | 機 銃 | 機関砲 | 後 方 | 武 器 スロット | 爆 弾 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
120 | 6 | 7 | 10 | 11 | 11 | 6 | 6 | 2 | 2 | 4 | 8 | 10 |
高高度 | 攻+10% | 中高度 | -- | 低高度 | -- |
- 史実の記録
HISにおいての仮想機体。
キ74の改良型だが、史実のキ74は試作のみで終わっているので存在はしない。
- スペック
仮想機体のためデータなし。