北の地で
460年4月
北側に軍を移動させている最中にイベントが・・・

トラキアやマケドニアを蹴散らしたアンティゴノスが死にました。
息子のDemetriosは領土を維持できず、大部分を放棄してマケドニア方面に退却したようです。

↓

マケドニア領接収後、国境を接していたのでひやひやしていましたが、ここまで弱体化したら怖くありません。
むしろ機を見て攻め込む事を考えても良いかもしれません。
そんなこんなで移動も終わり、次の戦いの準備ができました。
さらに461年2月、Cavia戦を封建国に任せ、Epidaurumに開戦。

どちらも大した敵ではありません。
462年9月、Pieria併合。Epidaurum、Issaは1区域の封建国に。

順調です。
またしても
時間をちょっと戻して、Epidaurum戦も終盤に差し掛かった462年7月のこと。
アンティゴノス王国から再度の軍事通行権の要請が。

あれ?
アンティゴノスってこんな色だっけ・・・?
まぁいいか、許可してや・・・ん?

おや? おやおやおやおや?
よく見ると反乱勢力からの要請ではないですか。
あらー、思いっきり行きましたねぇ。
マケドニア方面が丸ごと反乱勢力の手に落ちてます。
マケドニア戦と同様に、漁夫の利が狙えそうな気がしてきました。
北での戦いが決着次第、兵を南に戻しましょう。
463年12月
いよいよアンティゴノス反乱勢力への侵攻準備が整いました。
今回は傭兵も雇っています。

毎月の収支が+4前後なので3.56の維持費はかなり厳しいのですが、ここで惜しんで好機を逃す訳には行きません。
攻撃は3方面同時に開始します。
北のマケドニア方面軍は先ほど雇った傭兵を主力とする8,500。
中央軍は召集兵中心の3,500でピュロスが指揮を執ります。
南方はエピロスの第一軍団主体の4,000。

これに属国軍10,000を足した、総兵力26,000。
恐らく敵兵力は約15,000~20,000程度と思われます。
なお、開戦相手は反乱勢力ではなく、反乱勢力と同盟を結んでいるAmphissaになります。
これは請求権作るのが間に合わなかった・・・と言うより忘れていたためですね。
以前に請求権を作っておいたのが役に立ちました。

さぁ、開戦です。
最初の激突はマケドニア方面で発生しました。
敵軍約1万。川を渡っての攻撃です。

対するこちらは8,500。
兵力だけなら不利ですが、傭兵隊長の軍事能力が光ります。

中央ではElateaとDelphiの計4,000が布陣。
流石のピュロスでも兵数的にも地形的にも厳しい相手に挑みかかる真似は出来ません。睨み合いです。
南方軍は順調にAmphissaの包囲を進めています。
早くこれを下して中央軍と合流したいところ。

再びマケドニア方面。
敵方の砦を包囲し始めました。
敵が主力を立て直す前に落としたいところ。

中央軍の近くに集まってきた属国軍が、先走って攻撃に向かってしまいました。
見殺しにする訳にもいかず、急ぎ後を追います。
(手前でマケドニアが戦ってて分かりにくい…)

分かっていたとは言え、山岳地帯で待ち構えてる敵に突っ込むのは流石に辛い。
地形ペナルティで軍事能力差のボーナスが相殺されました。
こうなると兵数差が響きます。早く援軍来てくれ…。

そんな中、南方軍がAmphissaを落としました。
急ぎ中央軍の支援に向かわせます。
と、南方軍を待っている間に、他の属国軍が中央軍の支援に。
兵数で逆転し、そのまま押し返すことに成功しました。危なかったー。

そのままDelphoi攻略を属国軍に任せ、中央軍はElateia包囲、南方軍はマケドニア方面の支援へ。
464年4月、マケドニア方面軍、Thessalonikeを攻略。

敵反撃前に落とすことに成功しました。そのまま東のAmphipolisに向かいます。

その後、
464年12月、Elateia陥落。
465年2月、Amphipolis陥落
465年3月、Delphoi陥落
465年6月、残りの区域も押さえて終戦です。
南の3ポリスは全て封建国に。
アンティゴノス反乱軍の領地は全て併合しました。

一部アンティゴノスに取られましたが、それでもマケドニア地方の大半を奪取することに成功です。
マケドニア平定
こうなると、残った土地もさっさと奪い取ってマケドニア地方を統一したくなるのが人のサガ。
466年10月、マケドニアに開戦です。

開始時点では脅威だったマケドニアも、もはや相手ではありません。
うろうろしてる敵兵をプチッと。

468年8月
あまりに余裕だったので、戦争中にも拘わらず別の戦争を開始してしまいました。

468年12月
ギリシア地方におけるマケドニア側の最後の拠点が陥落しました。

Athenes、Argosは主要な土地を奪った上で封建国とし、
マケドニア領は併合です。

マケドニア自体は小アジア側の領土があるため滅亡を免れましたが、
マケドニア、ギリシア地方からは完全に駆逐されました。
469年9月
ついでに始めたMessenia戦も終戦です。
一部領土を奪いつつ、全て封建国化です。

20年経って
スコアではTOPですが、区域数やPOP数ではまだまだセレウコスやプトレマイオスに追いつけません。

次男の方に「野心的」の特性が現れました。
能力面では期待できそうですが忠誠が低下するので内乱の火種にならないか心配です。

他、ディアドコイ達も第一世代は姿を消しつつあります。
存命なのはセレウコス、リュシマコスの2人です。
エジプト、プトレマイオスは2代目です。
ピュロスの姉の旦那さんです。

アンティゴノスは2代目デメトリオスが既に52歳になっています。

マケドニア、アンティパトロスは早くも3代目。
名前だけは大層なアレクサンドロス5世です。

東の方はセレウコスとプトレマイオスの2強が一進一退を繰り返しています。

さて、周りに大きな敵がいなくなった我らがエピルス。
次はどう動いたものか…。














