エジプト戦
アンティパトロス、アンティゴノス、リュシマコスは既に滅び、セレウコスは長年に渡る内紛でガタガタ。
我らエピルスを除けば唯一その勢力を維持しているディアドコイのひとつプトレマイオス。

現君主のプトレマイオス4世は、100年以上前に嫁いでいったピュロスの姉、デイダミアから数えて5代目の子孫に当たります。
我らがアイアキド王家の親戚筋とも言える国ですが、アレクサンダー大王の後継者となれるのは一人だけ。
正面切ってぶつかり合う日がとうとうやってきました。
こちらに不利な点として、エジプトには西地中海の覇者カルタゴが付いています。
一方で南のクシュと交戦中なようなので、チャンスと言えばチャンスなのかもしれません。
カルタゴ軍の襲撃に備え、イタリアに1万、マケドニアに2万の兵を配備。
また、ペルシア湾側にエジプトの飛び地があるため、そちらにも兵を分けての二正面作戦となります。

まずはパレスチナ方面の各砦を一斉に攻撃。
敵がやってくるであろう南側には主力を配備。
突出を避け、慎重に進めます。
飛び地側はなぜか砦が一つも無く、早々に占領できました。
こちらから湧いてくる敵は少ないため、大きな問題は無さそうです。

565年2月
戻ってパレスチナ方面。
敵が姿を見せないまま、最初の砦Gadara陥落。
軍を更に南に進めます。

と、目を離してる隙にメソポタミア方面では敵軍がこちらの兵を迂回して後方に回り、
砦のない州を陥落させて回ってました。
二正面作戦だとどうしても片方が疎かになりがちですね。
急いで追撃させます。
パレスチナ方面では次の砦、Sychem攻略に着手しました。
敵の急襲に備えて後詰の部隊を寄せておきます。

再びメソポタミア側。
いまだ敵の小部隊を捕捉できていません。
あっち見てこっち見てだと、敵の動きについていけないため、味方部隊に委任行動を取らせることにします。

ひとまず国境防衛を選んだのですが、果たしてこれで合ってるのやら。
委任はイマイチ使い慣れていないため、これで狙った動きをしてくれるのか謎です。
その頃地中海ではコルシカ島のエトルリア領がカルタゴ軍に襲われていました。
これは海からではなく、南のサルデーニャ島から来た部隊のようですが、
やはり制海権を押さえられていると気が抜けません。
565年11月
パレスチナ方面2つ目の砦、Sychem陥落。
更に南に軍を進めつつ、エジプトの属国、ユダヤ王国の砦も囲みます。

メソポタミア側で委任した部隊は選んだ目標が悪かったのか、狙っていたような動きはしてくれず、
結局手動操作で敵兵を撃破しました。
討ち漏らした敵部隊がいるため追撃します。

合流成功し兵数では有利になったのですが…いきなり出目が悪すぎる。
能力差以上の出目の差でグイグイ押し込まれます。
566年8月、3つ目の砦、Charakmoba陥落。
4つ目の砦を包囲します。
先ほどのような事態を避けるため、包囲部隊を手厚くしています。
メソポタミア方面は敵敗残兵によるいたちごっこ状態に。
状況がひっくり返る事は無いと思いますが、トドメも刺し切れず逃げ回られています。

イタリア、マケドニア方面は特に動きなく、カルタゴによる目立った攻撃は無い状態です。

567年5月、4つ目の砦、Petra陥落。
更に南へ。紅海沿岸の州へ兵を進めます。
567年12月、5つ目の砦。Leuke Komeも陥落。
戦争開始から3年が過ぎましたが、シリアからエジプトにかけては砦が多く占領地が中々広がりません。
戦争目標からの戦勝点は既に上限に到達していたため、ひとまずここらで手打ちにします。
パレスチナ方面を奪うのか、あるいはメソポタミア側の飛び地を奪うのか。
悩みましたが、また二正面作戦になるとキツイのと、更に東へ進むためには飛び地が邪魔と言うのもあり、
今回は飛び地側を奪う形としました。

次へ
カルタゴと組んでいるだけあって、戦勝点を稼ぐのも一苦労です。
やはり艦隊を整備して、制海権を押さえなければいけないのでしょうか。
とりあえず長くなってきたので、続きはまた次回に。








