跡取り
アクノニウスが磔にされ、王家断絶の危機に陥って5年ほど経った日のこと、
642年12月、待望の王子、アクノニオス誕生です。
この時バルダン47歳、配偶者のティモストレートは46歳と、かなり高齢でしたがやってくれました。
ちなみにこの時点でも妹のアーキストレートがまだ継承者になっています。
早くアクノニオスを後継者に指名したいのですが、正統性が低いため後継者指名が出来ません。
正統性が貯まるのを待ちましょう。

しかし悲しいかな。
648年3月、後継者指名が可能になる前に国王バルダン逝去。
マケドニア包囲網
その後も拡張を続け近隣諸国を滅ぼしてきたマケドニアですが、
651年10月、カルタゴから攻撃を受けます。
遂にはLusonia、エジプト、Mediomatricia、Psyllia、Mauretaniaと、主だった西側の国が全て参戦。
エピルス包囲網を形成し、地中海の西と東に分かれてぶつかり合う形となりました。
(赤枠部がカルタゴ側参戦国)

主力である傭兵部隊や常備軍は遥か東のインド側。
取って返す時間はありません。
全兵力を動員して迎撃します。

エジプト側でも全兵力を防衛に向かわせますが、こちらはエジプトが大きく弱体化していたこともあり、
そこまで危険は無さそうです。
ガリア側では一進一退の攻防が続きますが、エジプト側は敵がいないも同然。
占領地を広げ戦勝点を稼ぎます。
653年11月、長引いて東征に支障が出るのが嫌だったため、
十分な戦勝点が貯まったところで終戦としました。
ナルボネンシスとその近辺を奪います。

セレウコスの終焉
帝国などと名乗っていても、弱りに弱ってもはや戦う力はありません。
何とか1万弱を動員して抗いますが、もはや時間の問題でしょう。

こうしてペルシア帝国。いや、ディアドコイ中最大の領土を有していたセレウコス朝もエピルスの軍門に下りました。
ペルシア帝国から取り込んだ人たちに、セレウコスの血を引く者がいます。
年齢的にも丁度良いので、数年したらアクノニオスの配偶者としましょう。
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ディアドコイも残るはプトレマイオスただ一国。
長かったこのAARもいよいよ終わりが近づいて参りました。






