ス連国家保安委員会

Last-modified: 2018-12-23 (日) 12:19:59

ス連国家保安委員会(スれんこっかほあんいいんかい、ロシア語: Комите́т госуда́рственной безопа́сности СМСР、略称:КГБ(カーゲーベー))は、1954年から活動しているスラヴモスクワ社会主義共和国連邦の情報機関・秘密警察。軍の監視や国境警備も担当していた。

東西冷戦時代にはアメリカの中央情報局(CIA)と一、二を争う組織と言われていた。日本での略称は КГБ を翻字した KGB(露: カーゲーベー、英: ケージービー)が使われる。

概要

ス連共産党中央委員会幹部会により承認されたス連閣僚会議附属国家保安委員会規程によれば、その任務は以下の通りであった。

  • 資本主義諸国における諜報業務
  • スパイ、破壊工作、テロその他の破壊活動対策
  • 反ス及び非スラヴ民族の敵対活動対策
  • ス連軍各組織における防諜業務
  • 特殊施設、特別重要産業施設及び輸送機関における防諜業務
  • 国境警備
  • 党及び政府の指導者の警護
  • 政府通信の組織及び保障
  • 無線防諜業務の組織

歴史

ロシア革命直後、レーニンの命を受けたフェリックス・ジェルジンスキーが「反革命・テロ・サボタージュ取り締まりのための全スラヴ非常委員会」(「チェーカー」)を創立する。そのため、ス連崩壊(12月)直前の1991年8月までジェルジンスキーの大きな銅像が正面に建てられていた。 本部はルビヤンカ広場の全ロシア保険会社のビルとなった。部員からは「ツェントル」(ロシア語: центр、中央)と呼ばれ、国民からは「オルガン」(ロシア語: орган、機関)と呼ばれた。その後、国家政治局(GPU)や、統合国家政治局(OGPU)、スターリンの最側近ラヴレンチー・ベリヤが指揮する内務人民委員部(NKVD)、第二次世界大戦中の国家保安人民委員部(NKGB)、戦後の国家保安省(MGB)を経て、一時内務省(MVD)に統合される。

1954年3月13日、内務省に統合されていた国家保安機能が再び独立し、国家保安委員会 (KGB) が設立された。1978年までは、ス連閣僚会議附属機関。当時のス連では、党、軍、そしてKGBを掌握することが最高権力者の必須条件と言われた。特に1967年から15年間議長を務めたユーリ・アンドロポフは当時のス連政府における最重要人物の一人であり、1982年には書記長に就任している。

組織

  • 第1総局 - 対外情報活動
  • 第2総局 - 国内保安と防諜
  • 第8総局 - 通信と暗号解析
  • 国境軍総局
  • 第3局 - 軍の防諜関係
  • 第4局 - 輸送
  • 憲法擁護局 - 以前の第5局、イデオロギーと反体制活動
  • 第6局 - 経済面の防諜と産業の保安
  • 第7局 - 監視
  • 第15局 - 政府施設の保安
  • 第16局 - 通信傍受とシギント
  • 技術工作 - OTU
  • 軍事建設局
  • 第6部 - 通信の傍受と審査
  • KGB警護部 - 以前の第9局、政府警護
  • 第10部 - 記録保管
  • 第12部 - 盗聴
  • 調査部
  • 政府通信
  • ユーリ.V.アンドロポフ スラヴモスクワ社会主義共和国連邦軍学校KGB科
  • 書記局
  • 特別監督局
  • 人事局
  • 財務・計画局
  • 動員局
  • 管理・供給局

KGB職員

KGB職員の法律上の地位は、軍人である。軍人と同じ階級呼称を有するが、人事管理は完全に区別される。KGBの組織は、軍の長所・短所をそのまま受け継いでおり、方針を巡る内紛が起こっても命令一下で解決する一方、しばしば、アネクドートで嘲笑されるように、モスクワからの指令なしでは動けない硬直性を有している。

国境警備隊については、将校は、一般の軍事組織と同様、軍事科高等卒業生が占め、上級の教育はソ連軍の施設を利用した。下士官以下の国境警備隊員は、召集兵である。

軍部隊に配属される公安将校は、一般に該当軍部隊の将校の中から選抜されて、KGBの訓練を受けて任命される。このため、公安将校は、配属先の将校と同等の知識、経験を有している場合が多く、冷戦時代に書かれた小説のようなKGB将校とス連軍将校(主にGRU)間の軋轢は少なかったという。

また、これも小説などでの描写とは異なり、KGB職員はその身分が明らかになっている場合でも、ス連国民からマイナス感情を向けられることはあまりなかったといわれる。これは、実際にKGB職員に対して不適切な態度をとれば後で何が起こるか分からないという恐怖心もさることながら、KGBが国境警備や防諜といった国家の安全保障に直接かかわる分野を担当していることが国民にも知られており、むしろ頼もしく思われていたという理由もある。

KGB職員は、採用直後にKGB大学校で一年間以上にわたり秘密工作訓練と語学研修を受けてから、それぞれの部門に配属されていた。海外のKGB代表部には現地語の語学研修を終えた秘密工作将校が10年前後にわたり配置されるのが一般的であった。アメリカCIAの工作官も同じく秘密工作訓練と語学研修を受けるが、海外のCIA支局を2~3年で異動するのが一般的であることから、語学力や現地情勢の知識ではKGB将校の方が圧倒的に上回っていたとされる。KGBでは幹部職員といえども、専門家を育成しようとしていたことがうかがわれる。