超ドイツ帝国の歴史/第二次世界大戦

Last-modified: 2024-03-13 (水) 11:48:39

戦間期の終焉-悪夢の大戦への道筋

アジアの状況・満洲事変と軍部政権の成立

時は遡り、桜暦3931年の大日本帝国。史実では、1931年から15年戦争が始まったが…この世界でも、それに相対するであろう戦いが始まりそうだ。そしてもちろん、最初に起きる事件は…
『ージージージジッー重なる鉄道妨害に続き、九月十八日、柳条湖において満鉄本線を爆破するや、隠忍自重せる関東軍は、ついに決起した。』
…今日は9月18日。満州事変の始まりだ。
この世界でも世界恐慌の影響をモロに受けたことで、日本はとんでもない財政危機に陥った。政府は何もできない。関東軍は満洲に目をつけた。そして占領、満洲国を建国。…恐らく、翌年には海軍将校による五・一五事件…いや、それに相対するであろう事件が発生すると思う。史実と比べると、いろいろと異なる部分があるから、多分その事件も差があるのだろう。…あるといいが。
3932年、関東軍は満洲国の建国を宣言。清朝のラストエンペラー溥儀を執政にした。もちろん国連は非難。まして日本の政府が承認することさえなかった。…雲行きが怪しいな。
今日は5月15日。多分その時が来る…と思っていたのだが、来なかった。あれ?
『ージージージジッー本日未明、海軍将校が決起し、犬養首相が凶弾に倒れ、その他官邸が占拠された。』
あ起きるんかい。6月6日だから六・六事件とかいうなんか縁起の悪い事件になっとる。それは置いといて、どうやらこの事件で将校たちを減刑する嘆願書的なやつ(アレの名前なんだっけ)が大量に届いてたらしいが、海軍大臣は普通に却下したらしい。まぁそうだよな、陛下の秩序脅かそうとしてた奴らなんやし。ただ結果的に満洲国は渋々承認されることになったらしい。で翌年に国連脱退という明らかに史実と同じ道を辿っている日本であった。…次は3年後か?そういえば、決起した海軍は全員処刑されたから陸軍では事件が起きないんだっけか。まぁ、普通に2月26日通り過ぎてるしな。知らんけど。
…どちらにしろ、そろそろ中国との全面戦争が始まりそうだ。
→『満洲へ進め、そして産めよ拓けよ』

日伊の友好条約・南イタルト王国の承認

時は遡り桜暦3933年。第二次独伊戦争に敗北したイタルト王国は超ドイツとの条約で南イタルト王国となっていた。
日本は南イタルト王国に接近し、日伊友好不可侵平和条約を締結した。これにより南イタルト王国は日本に承認され、国際的にも認められる国となった。なお、この条約には後に超ドイツ帝国も参加し、三国同盟と呼ばれるものに発展した。
南イタルトはこれによって信頼を得ることができ、更に日本も中華侵略を進めることが可能になった。超ドイツ帝国はイタルトに対しては不信感を覚えつつも、日本がいるなら安心できる、そう思い、条約に参加した。国際連盟の常任理事国だった日伊の2カ国が国連を脱退してしまったため、その穴埋めをどうするか議論が行われていた。そして、議論の結果サヴォールが連盟に加盟し、超ドイツ帝国と共に常任理事国となった。しかし、その超ドイツ帝国は日伊の2カ国と条約を結ぶこととなり、結局連盟は破綻することになる。
→『連盟よさらば!我が代表堂々退場す』

三国の防共協定と中華民国のクーデター

3936年、日本と超ドイツは共産インターナショナルに対する防衛協定を結んだ。いわゆる防共協定である。後にイタルトが参加し、日独伊三国防共協定へと発展した。この協定は主にサヴォール連邦とモンゴル人民共和国などの共産主義国家に対するものとされている。また、この後には満洲国や中華民國南京国民政府、ボラグルア共和国、カンダリー王国、ラバキ共和国、フィンランド共和国、ローミネア王国などが加盟した。
→『不気味だ。』
日独伊の三国が防共協定を結んでいる中、中華民國では軍閥との内戦を戦っていた。正式な政府は南京に首都を置き、一次大戦でも活躍した蒋介石が率いる国民党政権と呼ばれるもの。戦っている軍閥としては、毛沢東が率いる共産主義の中華ソビエト共和国臨時政府、閻錫山が率いる山西軍閥、中華ムスリム・回族が率いる西北三馬、東トルキスタンに位置する新疆軍閥、更に竜雲などが率いている雲南軍閥、中華からの独立を目指しているチベットなどがある。また、過去には北洋軍閥や、その分派である奉天軍閥直隷軍閥安徽軍閥なども存在していた。しかし、奉天軍閥以外のほとんどは北伐によって消滅、さらに生き残っていた奉天軍閥も軍閥を指揮していた張作霖が3928年に日本軍によって爆殺されてしまい消滅した。どちらにしろ、軍閥との戦いは未だに続いている。しかしその後の満洲事変によって日本の中華侵略が始まると、それに対抗するために共産党は第二次民族統一戦線を結成した。これには多数の軍閥が加盟したのだが、中華民国政府の蒋介石は特に何かすることもなく、軍閥との戦闘に挑んでいた。そんな中、元奉天軍閥を指揮していた張作霖の子である張学良が西安で蒋介石を軟禁し、クーデターを起こした。このクーデターは西安事件と呼ばれている。軟禁された蒋介石とクーデターを起こした張学良の二人が何を話していたのかはわからないが、軟禁が解かれた蒋介石は共産党との第二次国共合作に踏み切ったという。しかし、国民党内の共産党不信はあまり変わらず、この合作成立には長い時間を要した。
→『軍閥同士が協力なんてできるのか?』

アジアの状況・日中戦争の始まりと国連の破綻

あぁ、時にして3937年7月7日。
日本軍が中国で演習をしていると、中国軍に兵士が撃たれる事件が発生した。盧溝橋事件の発生だ。
事件の発生後、軍は中国への侵攻を開始し、華北事変に発展した。中国側はこれに対し各軍閥と協力体制をもってして挑んでいる。しかし、日本政府内では華北での戦闘のみにしようと工作したり、戦線不拡大や、時の内閣総理大臣である近衛文麿の発表した第一次近衛声明により、国民政府を対手とせずという方針もだしていた。
だが、翌8月に発生した第二次上海事変によって、華北事変は支那事変へと発展。遂に両国による日中全面戦争が始まった。
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当初、日本軍は中国の首都であった南京を占領し、中国を降伏させたと思い込んでいた。しかし、中国側は首都を武漢へ移し、更に重慶へと移し、日本軍と戦い続けた。日本軍は中国本土の大きさに疲れ果て、さらに中国のゲリラ戦に苦戦しており、戦線は膠着してしまった。
だが、ここで中国にとって最大の仲間と思われていた超ドイツ帝国が日本と防共協定を結び、中国から撤退を始めてしまった。元々、中独合作をしていた中国にとって、超ドイツ帝国の支援はとてもありがたいものであった。そんな支援が突如として断ち切られてしまい、中国側は弱体化することになってしまった。
日本軍は超ドイツとイタルトからの支援を少しだけ受ける事ができ、それによって重慶へと迫っていた。重慶への攻撃は爆撃機による空襲が主であり、後にこれは第二次中華大陸大爆撃と呼ばれることになった。これに対し政府は、第二次近衛声明をだし、日中戦争の継続を発表した。そしてもう一つ、とても重要な声明がこの時発表されている。その時の資料がここに残されている。
昭和十三年十一月三日付
今や、陛下の御稜威に依り、帝国陸海軍は、克く広東、武漢三鎮を攻略して、支那の要城を戡定したり。国民政府は既に地方の一政権に過ぎず。然れども、同政府にして抗日容共政策を固執する限り、これが潰滅を見るまでは、帝国は断じて矛を収むることなし。帝国の冀求する所は、東亜永遠の安定を確保すべき新秩序の建設に在り。今次征戦究極の目的亦此に在す。
この新秩序の建設は日満支三国相携へ、政治、経済、文化等各般に亘り互助連環の関係を樹立するを以て根幹とし、東亜に於ける国際正義の確立、共同防共の達成、新文化の創造、経済結合の実現を期するにあり。是れ実に東亜を安定し、世界の進運に寄与する所以なり。
帝国が支那に望む所は、この東亜新秩序建設の任務を分担せんことに在り。帝国は支那国民が能く我が真意を理解し、以て帝国の協力に応へむことを期待す。固より国民政府と雖も従来の指導政策を一擲し、その人的構成を改替して更正の実を挙げ、新秩序の建設に来り参するに於ては敢て之を拒否するものにあらず。
帝国は列国も亦帝国の意図を正確に認識し、東亜の新情勢に適応すべきを信じて疑はず。就中、盟邦諸国従来の厚誼に対しては深くこれを多とするものなり。
惟ふに東亜に於ける新秩序の建設は、我が肇国の精神に淵源し、これを完成するは、現代日本国民に課せられたる光栄ある責務なり。帝国は必要なる国内諸般の改新を断行して、愈々国家総力の拡充を図り、万難を排して斯業の達成に邁進せざるべからず。
茲に政府は帝国不動の方針と決意とを声明す。
→『東亜新秩序を確立せよ』
国際連盟の常任理事国たちは日中戦争について不介入を貫くことを発表しており、中国はそれに抗議している。中国も常任理事国であるため、抗議に関しては各国へ声明を出す事ができている。しかし、メルアやイグルサ、フラソードなどが中国の追放に賛成し、中国は国際連盟から追放されてしまった(イルベヌイ決議)*1。これを受けて、超ドイツ帝国が新しく常任理事国になる事が検討されたが、後述する事件によって超ドイツ帝国は連盟脱退を表明した為、代わりとしてサヴォール連邦が常任理事国となった。
しかし、依然として連盟が破綻しているのは目に見えており、連盟はいずれ完全に崩壊するだろう。
→『世界が混沌としている』

超ドイツクーデター・帝国解放主義過激派

時は日中開戦から遡り3936年11月25日。この日、日本と超ドイツは共に防共協定を結んだ。超ドイツは元々帝国主義になったような日本との協定に乗り気ではなかったのだが、軍国主義を名乗っていたため、渋々協定を結んだ。だが、翌月の12月16日、超ドイツ帝国の首都ヴュディンヴェルング州で軍部によるクーデターが発生した。このクーデターは一向に帝国主義から解放されない世界に痺れを切らした陸軍の急進解放主義者グループである闘劇派が主となって起こしたもの。闘劇派は各大臣の官邸を襲撃し、殺害した。だが、皇帝陛下がクーデターの鎮圧を直々に命令し、クーデターを起こした闘劇派は降伏し、後にその闘劇派は処刑された。
しかし、闘劇派以外にも皇閥派という派閥が存在しており、その派閥は闘劇派と敵対しており、今回の事件で皇閥派は勢力を増した。更に、政府内での発言力も大きくし、超ドイツ帝国は軍部主導で軍事的帝国解放主義を推し進めていくことになった。
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南イタルトのファシズム政復古

第二次独伊戦争-イタルト王国はこの戦争によって大敗を喫し、当時の政権は完全に瓦解した。独裁的で国粋主義を掲げたファシスト党は、内部や外部の状況を良くすることなく、かえって大戦以降続いていた王国の完全な崩壊を招いた。だが、時の国王であるヴィットーリオ・エマヌエーレ3世の努力によって王政の崩壊は免れ、国王による親政で王国は再建された。ファシスト党は統帥のベニート・ムッソリーニやその他要人の処刑によって完全に消滅したとされていた。しかし、残党勢力や黒シャツ隊の隊員だった者がファシズムの復古を願っており、その勢力を拡大させていた。その活動は段々と過激になってきており、遂にファシスト党を復活させた。国際連盟の諸国はこれを非難しているが、既に日中戦争や超ドイツクーデターなどによって国際連盟は崩壊しかかっている。今やイタルトでファシスト政権が復活してもなにもできないだろう。
復活したファシスト党は遂にクーデターを起こして政権を無理矢理奪取した。国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世はこれに対し戒厳令を布告し鎮圧を要請したが、最終的にクーデターは成功を収め、国王はイグルサへ亡命することとなった。国王が空位となった以上、その地位は息子のウンベルトに継がれるはずだったが、ウンベルトは継承を拒否し、結果的に国王のいない共和国になりそうになった。しかし、ファシスト党の副党首が摂政となったため、実質的に王国が存続することとなった。*2
→『世界の分断への最後の欠片だ。』
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ファシズムが復活したイタルトは早々にフロンソードへ侵攻し、これを併合した。イタルト領東アフラーカとなったフロンソードは、皇帝がイグルサへ亡命したことによって事実上空位の帝国となった。なお、3941年ごろに再度独立を果たすが、イタルトの再侵攻によって敗北し、独立の夢は潰えることになった。
→『東アフラーカはイタルトに支配される』
なおイタルトは超ドイツとの親善のために鋼鉄協約を結び、遂に三国同盟結成に向けて議論が始まることとなった。

バラドリア併合・超ドイツのアンシュルス

バラドリアと超ドイツは歴史的に見ても同じ人種と言語を扱う国家だったが、神聖ラーモ帝国*3崩壊後、両国はそれぞれ別の国家としての道を歩み始めた。
第一次世界大戦によって敗戦したバラドリア帝国は、共和政の国家へと変貌し平和な道を歩んできた。しかし、超ドイツ帝国やイタルトで発生したファシズム運動に扇動され、超ドイツとの統合運動が激化し始めた。
そして桜暦3938年、超ドイツ帝国は遂にバラドリアへ進軍し、併合を要求する国民投票を投じた。結果は賛成多数で可決し、超ドイツ帝国はバラドリア共和国を併合、オストマルク帝国大管区を設置した。この事件は後にアンシュルスと呼ばれ、以降バラドリアは超ドイツの一部としての道を歩んでいくことになった。
→『次の狙いはチェス・ラバキだな。』
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バルカン半島の独裁政治

バルカン半島では、カンダリー、ローミネア、ボラグルアが親独的な政治を展開していた。特にローミネアでの鉄衛団による独裁政治が主であり、とある人種を大量虐殺しているという情報もあった*4。カンダリーやボラグルアでは、第一次世界大戦の敗戦による混乱と世界恐慌の影響で独裁政治が強まっていったが、独裁政治とは言っても要は超ドイツ寄りの外交を展開していただけであって別にローミネアみたいな化け物独裁ではない。
そんなこんなで3938年、バラドリアを併合した超ドイツはカンダリーとローミネアに迫っていた。ここで3カ国の首脳はウィーンでとある決定を下した。
元々、カンダリー王国というのはハプスブルク帝国の内の一つの諸侯であり、その領土はバラドリア帝国よりも広大であった。しかし、第一次世界大戦の敗戦に伴って各領土は周辺国に割譲、さらに敗戦の混乱期に発生したカンダリー革命によって社会主義国と化したカンダリーは、革命戦争によってローミネア、ヨーグシロヴァ、チェス・ラバキなどの周辺国にボコボコにされた結果、国家の存亡の危機になっていた。そこでカンダリーの軍人ホルティ・ミクローシュがクーデターを起こして社会主義政権を打倒、カンダリー王国を打ちたてた。依然として領土は縮小されたままであったが、なんとか平和を保っていた。しかし世界恐慌によってそれは崩壊してしまった。メルアやイグルサなどの大国に比べればマシではあるが、やはり世界恐慌の影響は防ぎきれなかった。結果的に超ドイツ寄りの外交を展開していくことにしたのだが、元はバラドリアとの再併合を目的として外交を展開しており、そろそろバラドリアカンダリーが再婚(?)できそうなところまで行っていた。しかし3936年に発生した超ドイツクーデターによって超ドイツの政権が変化すると、超ドイツはカンダリーに圧力をかけてバラドリアとの距離を置くようにさせた。結局超ドイツがバラドリアを併合したため、計画は全て頓挫してしまった。この外交によって超ドイツとの関係が悪くなると思っていたカンダリーだが、前述したウィーンでの会議にて、ローミネアに占領されていたトランシルヴァニア地域を獲得し、それを要求した超ドイツとの関係を再度取り戻そうとした。
…そういえば、このウィーン裁定と呼ばれた決定の後、超ドイツとカンダリーはとある秘密条約を結んでいたことがメルアのスパイによって暴露されたらしい。だがその条約の内容は把握できておらず、メルア政府も大々的に公表することはなかった。一体どんな条約だったのだろうか?
なおボラグルアはとりあえずグレスャとヨーグシロヴァとローミネアに報復したかったので超ドイツ側の外交をした。*5
→『全体主義が広がっていく…』
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ノーラ会談とズデートナー割譲

チェス・ラバキはかつてバラドリアカンダリーの支配下にあり、工業地帯として活動していた。第一次大戦終結後、バラドリア革命などの混乱に乗じて独立を宣言。元はチェス単体での独立だったが、色々あってラバキと合併して独立した。そんなチェス・ラバキだが、超ドイツがこの国に対してズデートナーの割譲を要求した。この地域には超ドイツ系の民族が多数住んでおり、また元々は超ドイツの領土でもあった。その領土返還を要求したが、英仏はこれに対し非難を通告。遂に第二次大戦が始まるのか?というところまで行ったが、超ドイツ、イタルト、イグルサ、フラソードの首脳がノーラで会談をし、超ドイツ側が最後の領土割譲と表明したため、英仏は譲歩して割譲を許可した*6。3939年3月、ズデートナー地方は超ドイツに割譲され、超ドイツによる併合が宣言された。
→『…まだ戦争の始め時ではないだろう。』

チェス・ラバキ解体と大欧州解放論

ズデートナー割譲から1ヶ月しか経たない3939年4月、超ドイツは先月に締結されたノーラ協定を破ってチェス・ラバキへ侵攻した。これによりチェス・ラバキは完全に解体され、新たにベーメン・メーレン保護領*7ラバキ共和国が成立した。両国は共に超ドイツの傀儡国という解釈を国際社会からされているが、実際にはカンダリーとオストマルク帝国大管区(バラドリア)の支配下であり、超ドイツは全く関係ない。ちなみにこの解体事件にはカンダリー、ローミネア、パーレンダ(超ドイツ支配下)も参加していた。
国際社会からはこの行動に対し非難の声が殺到したが、超ドイツ側は『チェス・ラバキの帝国主義を解放しただけだ』と主張している。ちなみにイグルサは特に声明を出さなかった。やっぱりどんな世界でもブリカスくんはブリカスくんなんだね。
→『…次はフラソードの土地を返してもらうか。』
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チェス・ラバキが完全に解体された後、超ドイツの政府や軍人政治家(主に国防軍の兵士、将校)達はさっさと大戦を起こして欧州を解放した方が良いという案が提唱されていた。しかし、皇帝も民衆もそんなことは望んでおらず、ましてや国防軍の元帥たち(一部除く)や軍事顧問団、クーデターを実行した主犯たちでさえもそんなこと起こすべきではないと主張していた。国防軍は大戦終結後や世界恐慌の混乱期に軍拡を推し進め、二度目の大戦が始まっても英仏を速攻で破壊できるレベルの軍事力を手に入れていた。しかし、政府の首脳と皇帝が勅令を出して大戦はまだ始めないことが決められ、少しは平和が訪れたように見えた。
→『…まだだ、まだ始める時ではない。』

枢軸国たちの世界新秩序設立案-生存と共栄

VOLKISCHER🌐BEOBACHTER
枢軸3カ国の首脳会議
超ドイツ帝国首相『ハインツ・フォン・カーネリアン』、イタルト王国統帥『スカラブリーニ・セレンディ』、大日本帝国内閣総理大臣『近衛文麿』の三人は、日本の傀儡国・満洲国にて史上初の枢軸3カ国による首脳会談を行った。この会談では、『満洲国、カンダリー国、ローミネア国、ボラグルア国、エスパノ国、パラテゴル国、フィンランド国の防共協定加盟』『第二次世界大戦に関する規定の確認』『日独伊三国による新世界秩序*8の形成』について話し合った。この内、世界秩序の形成について情報を入手している。大戦に勝利した後の講和において、超ドイツ帝国は『帝国解放生存圏』を、日本は『大東亜共栄圏』を、イタルト王国は『ラーモ帝国における不可欠な領域』という3つの勢力を樹立させることを明確にした。『帝国解放生存圏』は、超ドイツ帝国によって支配された地域で帝国主義からの解放が行われ、その後超ドイツとの民主化(?)に励むもの。『大東亜共栄圏』は植民地化された東南アジア一体から欧米列強の軍隊を追い払い、日本を盟主とした共存共栄の勢力を樹立しようとするもの。『ラーモ帝国における不可欠な領域』は、かつてラーモ帝国が支配していた地域の内、超ドイツ以南の地域を制圧して再度ラーモによる支配を行うというもの。この3つの勢力において、どこにも新大陸に関する領土は記載されていない。その為、メルア合衆国などの諸国はこの3勢力に支配されることなく大戦を凌げると予想される。しかし、メルアが生き延びたところで世界に残るのは恐怖の勢力圏のみで、いくら工業力が強く民主主義を重んじるメルアと言えど、大戦終結直後の混乱は凌ぐ事ができないと専門家は指摘している。
『この恐怖から抜け出すことはできるだろうか?』

*9*10*11

第二次世界大戦-世界秩序の再構築

フラソードへの侵攻とイグルサの参戦

桜暦3939年9月1日*12
史実でいえば、西暦1939年9月1日だろうか。独仏の国境には多数の軍隊が集結しており、恐怖のオーラが周囲を包んでいた。
『……陛下、準備が整いました。ご命令を。』
『全軍、フラソード国境を越境せよ。以前の戦争で為し遂げられなかった帝国主義からの解放を、今度こそ成し遂げるのだ。』
超ドイツ軍がフラソードへ進軍を開始。大戦の火蓋が切って落とされた。フラソードは超ドイツとの戦争を覚悟して軍拡を強要し、そしてイグルサと同盟を締結していた。その為、イグルサがこの戦争に参戦。遂に第二次世界大戦が始まった。
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史実ではポーランドへ侵攻して始まったこの大戦だが、この世界でそれに相当するパーレンダは既に分割されている*13。侵攻するならフラソード一択であった。しかし超ドイツ帝国は、約1ヶ月でフランスを屈服させた第三帝国とは異なり、フラソードの完全占領に4年という時間をかけてしまった。これは元々フラソードへあまり軍を展開していなかったことや、第三帝国の計画したマンシュタインプランによる低地諸国への進撃が超ドイツでは上手くいかず、加えて軍部がフラソードよりもノルウェーやアフラーカなどの占領を優先したことからこのような結果となってしまった。結果的に開戦日から3943年までの間、西部戦線では史実の一次大戦のような塹壕戦が展開されることとなった。
年が明けて3940年1月、イタルトがフラソードとイグルサへ宣戦布告。北イタルトを通ってフラソードのアルパイン線へ迫った。しかし、あれだけ軍拡の期間があったというのにも関わらずイタルトの軍備は非常に弱小であり、アルパイン線を越えるどころか、最前線は到達するまでに師団が壊滅してしまうほどであった。
3940年5月、超ドイツ帝国はデンマークとノルウェーへ進撃し、両国を即座に制圧した*14。これによってイグルサとの海戦が激化し始めることとなった。同年6月、超ドイツ軍は西部戦線へ更に軍隊を増加し、ベネルクスやフラソードの北部を占領した。そして、フラソード沿岸のダンケルクにおいて激戦が展開されることになった。ダンケルクの戦いではイグルサがダイナモ作戦を発動して撤退を開始していたが、超ドイツはその軍隊も容赦無く潰していった。この戦闘で英仏は壊滅的な被害を被ったが、意外にもメルアの支援でなんとかなっていた。
地中海ではイタルト海軍と英仏の艦隊が激戦を繰り広げており、なんと貧弱かに思われていたイタルト側が優勢であった。エジプトのスエズ運河を制圧すれば、地中海の英仏艦隊は無力化される。史実では成し得なかったこの偉業を、この世界のイタルトは成し遂げようとしていた。しかし、運悪くヨーグシロヴァとグレスャが連合国側で参戦し、突然の参戦への対応ができず敗北しそうになっていた。超ドイツは急いで軍隊をバルカン半島に集結させ、ヨーグシロヴァへ侵攻を開始した。元々この国は多民族が暮らす国家であったが、1つの国家としての顔を持たせようとしていたスレブイに反発している民族が度々反乱を起こしていた。その影響で国内は分裂寸前であり、大戦への参戦によって遂に王国は瓦解した。
そのまま超ドイツ軍はグレスャへ雪崩れ込みこれを粉砕。両国の艦隊は全てイタルトに接収されることとなった。しかし、ヨーグシロヴァやグレスャと戦闘をしている中でイグルサは地中海へ増援を送り続けており、スエズ運河の制圧という目標は遥か先の話となってしまった。
→『地獄の戦争が続いていく…。』

アジアの状況・強引な仏縁進駐と東亜新秩序

アジア-エンダシナ半島
ここはフラソードの植民地、仏領エンダシナ連邦。かつてフラソードから大幅に搾取され、国力が大きく低下していた。しかし、時代が進むにつれて石油・ゴムなどの資源が戦争で必要になってくると、そのような資源が豊富に眠っている南・東南アジアなどは有益な輸出国として発展する事となった。
そんな利益を欧米列強は独占しており、日本には全くと言っていいほど利益が来なかった。もちろん貿易によって石油などは受けられたが、その対価が余りにも高すぎる。さらに欧米諸国は日本が中国に進出してるといちゃもん(?)をつけて完全に孤立させようとしていた。日中戦争が始まるとその制裁は苛烈なものとなり、日本側はなんとかその状況を打開しようと3939年後半(第二次大戦開戦直後)よりメルアとの交渉を開始した*15
メルアやイグルサなどからしてみれば、中国の利益を日本に独占されたくないので日本は中国から出ていって欲しかった。しかし、日本側はこれに対して、『ならばあなた方欧米諸国もアジアから出ていくべきだ。もしそうするのであれば、我々も撤退しよう。』と主張。しかしこれに反発したフラソード政府は日本だけが即座に出ていくように通告した。
これを受けて、フラソードとの国交を破棄した日本は仏領エンダシナ北部へ進駐することとなった。史実では降伏していたフランスだが、それに相当する(?)フラソードは未だ欧州で戦闘をしていたため、この仏縁進駐では大規模な紛争が発生した。しかし日本軍は植民地軍を余裕で圧倒し、これを成功させた。進駐してきた日本軍に対し、現地民は歓声を上げたが、同時に日本に対する憎悪も湧いてくることになった。
この仏縁進駐によって、日本軍は日中戦争における援蒋ルートの一つを遮断することに成功。しかし、米英などとの関係は悪化の道を辿るばかりであった。なお、本来であれば南部への進駐も行う予定だったのだが、補給の問題から北半分のみの進駐に留まった。
仏縁植民地政府はこれを受けて南部へ撤退したが、軍人の死亡や敗北などを恐れて宥和的な政策を採った。この宥和政策の開始も含めて、後にフラソードやその植民地では仏縁事件と称されることになったらしい。
そして時は流れ3941年、日米の交渉は限界を迎え始めていた。
7月下旬、日本軍は遂に南部への仏縁進駐を果たし、仏領エンダシナ連邦は解体されることとなった。その領土は一時的に日本に編入され、縁堕支那県が戦争終結まで設置されることとなった。
この事態を受けて、メルアは日本との交渉を一方的なものにしようとしてきた。主に仏縁からの撤退、中国からの即時撤収及び賠償支払い、満洲国解体と日本軍の解体などであった。これは明らかに日本を崩壊させようとしており、引いては日本という国家と民族を滅ぼしかねない要求だった。勿論日本は反論するが、メルアは段々と軍事力を見せつけてくる。
とにもかくにも、日本による仏縁進駐は成され、エンダシナ連邦は日本に併合されることとなったのであった。
→『…鬼畜米英共め、いつか制裁をしてやる。』
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日独伊三国同盟・英仏中三国連合

3940年。史実でいえば1940年だろう。この年に発生したことといえば、日独伊三国同盟の成立。この世界でもまた、日独伊の三国による軍事同盟が成立した。この3カ国はのちに枢軸国と呼ばれることになる。
それに対抗するように、英仏中の三カ国は連合国宣言を発令し、英仏中三カ国による連合国が結成された。中華民国は民族統一戦線を作り上げているが、あくまでそれは他の軍閥と協調するためのものとしている。この3カ国はのちに連合国と呼ばれることになる。
この二つの同盟成立により、世界は完全に二分される事になった。
→『枢軸国か、連合国か。』
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メルアはどちらにも属さずにいるが、現状連合国よりの政策をとっており、枢軸国はメルアの支援をなんとか断ち切ろうとしていた。
ヨーロッパで戦争を続ける超ドイツ帝国とイタルト王国は、バルカン方面と北欧で戦線を展開し、奥地へと進撃していった。
中国との全面戦争を戦い、メルアとの交渉を続ける日本では、三国同盟の締結によって更に状況が悪化していった。中国との戦線では、南京、武漢、重慶と首都が奥へ遷都されていき、陸軍は疲弊していった。メルアとの交渉でも、三国同盟の破棄を要求するなど、メルアからの一方的な交渉を求められていた。
このような悲惨な行為に対し、国際連盟は連合国軍を編成して解体された。既に連盟は壊滅しており、連合国軍の編成という平和とは真逆の行動によって完全に解体されてしまったのであった…。
→『………。』

独サ不可侵条約と日本の南方進出作戦

時は遡り3939年、第二次世界大戦が開戦する前。超ドイツの外交官はサヴォールへ訪問していた。この時の超ドイツ帝国は反共主義政策をとっており、またサヴォール側も超ドイツの独裁体制を批判していたため、両国の関係は良くなかった。しかし、超ドイツからしてみれば大戦を始めた時にサヴォールから侵攻されることを恐れていたため、3937年からは公に反共主義をせずに妥協していた。そしてこの日、遂に超ドイツとサヴォールは不可侵条約を締結し、後顧の憂いを断つこととなった。
その事実は世界に衝撃を与え、各国の外交状況が揺らぐこととなった。特にその衝撃が強かったのは日本であり、元々日独で協力してサヴォールを倒すということが予想されたいたのだが、こんな事になってしまってはできないとして、北進を断念することとなった。また、時の平沼内閣はその責任を踏まえて(?)総辞職した。
陸軍主導の北進を断念した日本は、変わって海軍主導の南進をすることを決定した。北のシベリアよりも、南の蘭縁にあるパレンバン油田などの獲得を目指して行った。しかし、それらを獲得するためには邪魔な米空母艦隊を撃滅する必要があった。遂に日本は米国を撃滅するべく行動を開始していった。開戦日は3941年12月8日とされた。
→『ニイタカヤマノボレ1208』

バトルオブブリテン・英本土への総攻撃

英仏海峡の沿岸にあたる地域一体を占領した超ドイツは、イグルサとの海峡に沿岸防衛隊と大陸間弾道砲(列車砲)を配備し、英国への攻撃準備を進めた。さらに、大量に爆撃機を製造し、空爆計画も進めていった。この頃イグルサでは、ダンケルクでの作戦失敗によって戦意が削がれつつあった。しかし新たに首相となっていたウィンストン・チャーチルは国民を鼓舞し続け、その戦意を取り戻した。そうして国民は団結し、恐ろしい超ドイツの侵略に対抗するようになった。超ドイツ側は爆撃によってイグルサの工場を破壊していたが、とある航空機が誤って首都のランデンに空爆をしてしまった。イグルサは報復として超ドイツの首都ノーラ市を爆撃した。これに激怒した超ドイツの皇帝*16は、ランデンへの大空襲を命じた。しかしこの決断は結果的に失敗に終わる。というのも、それまで工場などを爆撃して生産力を低下させていたのだが、それをやめてまでランデンを爆撃したものだから、イグルサ側の航空戦略は増加し続けている。最終的にその戦力は元の2倍にまで膨れ上がった。その後イグルサへの攻撃を断念し、陸戦での勝利を目指して超ドイツは方針を転換していくこととした。
→『やらかしたなこれは…』

北アフラーカ戦線-砂漠の狐と恐れられた者

その頃、イタルト国内ではウンベルトが渋々国王に戴冠したため、副党首は摂政の仕事を終了した*17

太平洋戦争-そして日の丸は洋上に翻る

戦況の転換点・メルアへの宣戦と真珠湾大空襲

桜暦3941年12月8日。
その日、ハワイに多数の航空機が飛来し、空爆を行った。
メルアの太平洋艦隊は戦艦・空母全てが壊滅し、更にハワイにある石油の貯蔵庫まで破壊された。メルアへの奇襲は成功したのだ。
しかし、日本はこの奇襲で早期講和を持ち込めると思っていたが、現実はそう甘く無かった。メルアの国民は、日本が突然ハワイに奇襲攻撃を仕掛けたとして激怒している。しかも、宣戦布告すらされていなかったことから卑怯な攻撃をされたと思っている。実際、メルアの日本大使館に宣戦布告の通達が到着したのは12月8日の午前11時頃(メルア時間)であった。真珠湾攻撃が行われた明確な時間は不明だが、兎にも角にも宣戦布告もせずに攻撃を受けたメルアの国民は対日感情を爆発させ、戦争に躍起になるという結果となった。日本の早期講和作戦は失敗となってしまった。
メルアの大統領『フランクリン・ルーズベルト』は演説を行い、議会では賛成多数で日本へ宣戦布告した。だが、メルアの軍隊はすぐには行動できなかった。あれだけの軍事力を保有し、日本との戦争が差し迫っているにもかかわらず戦闘配備が全く間に合っていなかったのだ。その為、メルアの対日参戦から数ヶ月後にようやく本格参戦することになった。
メルアが本調子ではない中、日本はそのまま米領のフィリピン、グアム、サイパン、セイフォン、さらに英領のマレーや蘭領エンダネシアを占領していった。太平洋艦隊を壊滅させた以上、日本の脅威はほとんどないだろう。
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太平洋の戦況・マレー沖大海戦と英海軍の敗北

マレー半島へ進撃を続ける日本軍は、マレー沖にて英海軍と接敵する。そこで日本軍は航空機を活用して海戦に勝利した。この時沈没した英軍の戦艦は『レパルス』と『プリンス・オブ・ウェールズ』という最新鋭にしてイグルサ最大と言われていたものだった。これが日本軍に沈められた事は、本国での士気低下に繋がった。

アジアの戦況・満蒙の紛争と日サ中立条約

太平洋の戦況・アリューシャン方面の戦い

三国同盟の強化とフラソード・イベリアの降伏

イベリア連合の方に関しては何故かずっと内戦していたため占領して統治しようってな事になり侵攻したところ、あっさりと占領できたためそのまま大戦が終わるまで平和維持のために占領し続けた。なんだったんだあの二国は。

皇帝の戴冠・南イタルト帝国の成立

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アジアの戦況・日中戦争の終結とエンダ大攻勢

太平洋の戦況・恐ろしきメルアの工業力

アジアの戦況・日本クーデターの勃発と改革

による軍事クーデターが勃発した。
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太平洋の戦況・セイフォン島陥落 東亜の夜景

日本がクーデターによって混乱している中、メルアは工業力をフルに活動させて海軍力を増強させた。さらに飛び石作戦を展開し、太平洋の島々を転々として日本本土へと近づいていった。次第にその範囲は拡大し、グアム、パラオ、サイパンが陥落した。サイパン島が陥落すると、メルアはセイフォン島へ目を向けた。サイパン島の北西に位置し、日本本土への空爆が容易になると考えていた。本来ならサイパン島からの空襲が可能であったのだが、中国の降伏によってそれは不可能になってしまい、空襲後の対応ができなかった。その為、メルアの爆撃機が一回で往復できるセイフォン島が選ばれたのであった。
→『…セイフォン島?』*18
[添付]

太平洋の戦況・秋水は東京の夜空に輝く

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太平洋の戦況・神域に至った聯合艦隊の戦い

アジアの戦況・スエズ運河に煌めく日の丸

地中海でイグルサとの海戦を続けるイタルトは、メルアの参戦によって敗走を続けていた。既に主力艦隊は殲滅され、民間の船を武装させて戦闘させている始末であった。次第に連合軍はイタルト半島に迫り、シチリアへの上陸を開始しようとしていた。
-紅海

太平洋の戦況・メルア軍の特攻とハワイ沖大海戦

大戦の転換点-帝国は大陸を制する

D-DAY・ノルマンディー上陸作戦

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オーヴァーロードとドラグーンの激戦

太平洋の戦況・メルア上陸作戦と停戦

勝たねばならぬ欧州戦争・決死の制空権奪取

バルカン半島の大攻勢とサヴォールの参戦

超ドイツとの国境紛争を繰り返し、停戦も起きないままでいたサヴォールはその辺に転がっていた(?)衛星国のタンヌ・トゥヴァを併合し、欧州戦線に参戦した。
→『タンヌ…なんだって?』

ヴュディンヴェルング州の壊滅と臨時政府

その時、メルアでは原爆の開発成功が話題になっていた。
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米英の新兵器・恐怖の原子爆弾と爆熱の決戦

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日本の圧力に屈するメルアの軍隊

思いもよらぬ軍事援助と帝国の復活

メルアの撤退・イグルサ本土上陸作戦

[添付]

ランデン陥落と大英帝国の崩壊

連合軍の敗北-転身する帝国同盟軍

 『まさか、彼の国に攻撃なんて…。』
→『腐った納屋は、扉を一蹴りするだけで崩壊する。』

絶滅戦争-共産主義はファシストを潰す

恐怖の絶滅戦争・枢軸=サヴォ戦の始まり

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→『我々の人的資源は無尽蔵だ。』

レニングラード・スターリングラード攻防戦

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サヴォール連邦最高司令部
「大変です同志!建国の父同志レーニンの名を冠したレニングラードと、前最高指導者同志スターリンの名を冠したスターリングラードが包囲されました!」
「…。」
「既にドイツ軍が迫っており、我らの軍隊は壊滅中、さらに補給が届いておりません!」
「…。」
「どういたしましょうか…?」
同志ステラーブルクは遂にこう言った。
→『血の最後の一滴が流されるまで戦え。』
 『ここは一度撤退しよう。』

超ドイツ軍はレニングラードとスターリングラードを同時に包囲し、脅威の速度で占領しようとしていた。だが、サヴォールの軍隊は恐ろしく、既にこちらの軍隊も壊滅している。だが、優勢なのは明らかだ。作戦を止めることはできない。
→『双方の完全占領をするのだ。』

日本軍は極東でサヴォールの大軍を蹴散らしており、このまま極東ロスタを落とせば確実に超ドイツも大攻勢を掛けられるだろう。
だが、貧弱な満洲国軍の防衛している蒙古方面からサヴォール軍が進撃しており、もしそこが突破されたら折角極東を攻めている軍隊が包囲殲滅されてしまう。それだけは何としても阻止しなければ…
→『極東に平和を」
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満洲関東軍の敗北・極東戦線の瓦解

第二次日本海海戦-日本本土には上陸できない

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バルカン半島の陥落とバルカンの赤化

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驚異的な超赤軍・まさかの枢軸軍敗北

本土へ近づくサヴォール軍を前に、超ドイツ帝国は降伏を宣言したとの情報が日本に伝わった。
→『ドイツ…嘘だよな…?』
厭戦気分の高まる日本も、これ以上の戦闘継続は不可能であると判断し停戦を要請した。

枢軸国(+サヴォール)による恐怖の支配

三国同盟の失効と大戦の講和条約

追加の講和条約と新陣営の設立

設立された陣営の一覧

西欧・中欧・北欧超ドイツ帝国による帝国解放生存圏
東欧・全シベリア地域サヴォール連邦による正式な第四インターナショナル*19
南欧・アナトリア・イベリアイタルト・トリカ・イベリア連合による三頭連合
東アジア・東南アジア日本による大東亜共栄圏
英語圏メルア・イグルサ・キネダによる合衆王国
その他アラブ諸国による反共軍事同盟
独立しているアフラーカ諸国による汎アフラーカ共同体
中南米諸国による対メルア大同盟*20

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*1 後々わかったことだが、イグルサやフラソードなどは中国の国連脱退に反対していたのだが、メルアが脱退に賛成票を投じ、その他の反対票も賛成票に入れ替えた事で追放されてしまったらしい。メルカスがヨォ
*2 ここから先、副党首は仕事がとても増えて死にかけます。早く王位継承してくれや。
*3 史実と同様、神聖でもラーモでも帝国でもない何かとなっておりまs
*4 超ドイツからしてみればこんなやつと仲間だと思われたくないのでもう少し民主的な政治をするように呼びかけているが全く効果がない
*5 ところでその超ドイツ勢力にはローミネアも入ってますがいいんでしょうか
*6 ノーラ協定
*7 ボヘミア・モラヴィア
*8 The New Order
*9 ところでイタルトくんは超ドイツ以南の地域と主張してるから北イタルトも自国領にしようとしてるらしいけど不可能やぞ。あとラーモ北イタルトに持ってかれてるけどええんか?
*10 共栄圏の説明、あれであってる?
*11 ※メルアは物理的に民主主義を重んじている
*12 みっくみっくにしーてあげる
*13 えっと…そういえばなんで一次大戦後に独立しなかったんだい?
*14 デンマーク:5時間、ノルウェー:約4週間
*15 なんかこの文章だけ右に偏りすぎてるな
*16 という名目だが実際には軍部、それも圧倒的強硬派の人。多分シェ◯ナーとか。
*17 これ以上仕事をさせると過労死するかもしれなかったので党首は長期休暇を与えたそうな。
*18 本当は史実のサイパンポジだったのになんかこういう島になってしまった
*19 正式を強調してるのは、トロツキーが作ったガバガバなものではなく、スターリンやステラーブルクが設立した強力なものであることを表している。
*20 秘密協定的な感じらしい。実は現在も続いている。