鳩騎士団解散争議

Last-modified: 2024-02-10 (土) 05:52:04

概要
鳩騎士団解散争議とは、ジョージ6世によって(判明次第追加)に作成されたグループを彼が解散させる際に発生したいざこざである。

詳細
鳩騎士団は、ガーター騎士団として設立された。だが内部にネオナチがいたため不死鳥騎士団と改められ、さらに過疎が深刻になったことで鳩騎士団と改められた。

1月4日、鳩騎士団のメンバーの急激な凍結が相次いだため、同じDMグループ内部のメンバーから凍結が伝染していると考えたジョージ6世は、これ以上の凍結を防ぐ目的で急いで騎士団を解散させた。
しかし、コンラートはこれをあまりに性急すぎるし説明が不十分であるとして反対し、一悶着が発生した。

これについてのジョージ6世の主張は「ゆっくり報告してたら皆が凍結されてしまうだろうからその時間が無かったが、その後しっかりと解散の理由は説明した」というものである。一方コンラートの主張は「そのような説明は、のちのモン安倍の仲裁によって初めて耳にした」というものである。本記事執筆者はこの両論の扱いに困ったので併記する。

これによって、以前から不和があったコンラートとジョージ6世の間に決定的な亀裂が生じた。

1月11日、コンラートが鳩騎士団後継グルにおいて、ジョージ6世の帰還を望む旨の発言をしたため、モン安倍はジョージ6世に打診したところ、コンラートとの一悶着が明かされて、ブロックしていると告げられた。

モン安倍は詳しい事情を把握しきれていなかったが彼を戻したがったため、相互にその話題を出すことを禁じて蓋をする解決策をとり、ジョージ6世のブロックは解除された。よってジョージ6世はコンラートとの戦争状態が解けるとともに、なりきり全体グルにも復帰した。

ところが、事情を把握しきれていなかった仲裁がモン安倍によって行われていたため、互いの感情は水面下で燻っており、それがのちの新憲法騒動に繋がった。