黒歴史bot活動系譜

Last-modified: 2022-08-14 (日) 23:28:54

本記事では、首脳なりきり界隈黒歴史botの活動の系譜について掲載する。

概要
首脳なりきり界隈黒歴史botとは、bot運営者、モンストを楽しむ安倍晋三、ミッカミカヅキの3人の黒歴史bot陣営の協議のもとで運営されたアカウントである。
ミッカミカヅキが迪宮に活動のあらましを伝えたことにより、黒歴史bot陣営のメンバーが明らかとなった。

本文
プレリュード
4月下旬、安倍晋三騒動を経たモン安倍のスペースを、bot運営者が訪ねた。この際、モン安倍とbot運営者はいろいろと界隈に対する愚痴をこぼした。
2~3日後、モン安倍のスペースのもとにミッカミカヅキとbot運営者が集まり、界隈に対する愚痴がこぼされた。
価値観が共有されたモン安倍は、5月上旬*1「反首脳なりきり界隈」なるDMグループを作成し、これに2人を招待し、何かあった時のために使うことにした。
しかし、しばらくの間このグループは何も使われることはなかった。
また、bot運営者は、新たな首脳なりきり垢(イラクのサリフ)を作成し、いざというときに使用するためにそのアカウントのフォロワーを増やす努力をした。
また、このアカウントはDMグループであるなりきり全体グループにも追加された。

第一幕 復讐

第一場 作成
5月22日夜、bot運営者は、以前モン安倍によって作成されたDMグループである「反首脳なりきり界隈」にて、「首脳なりきり界隈黒歴史bot」を作ることを提案した。
bot運営者は、首脳なりきり界隈の完全なる破壊を目論んでおり、これを提案したものである。
これを受けてモン安倍は、「この活動によって首脳なりきり界隈が崩壊したらボリスに申し訳がない」としてこの提案に躊躇したが、「しかし元G20の奴らに安倍晋三騒動の復讐をしてやらんことには腹の虫が収まらない」として、「元G20への復讐のためになることには協力しても、界隈自体の破壊は密かに足止めしよう」としてこの提案を受諾した。
またミッカミカヅキも、黒歴史botの作成に賛成した。
bot陣営者は翌23日午前、首脳なりきり界隈黒歴史botなるアカウントを新設した。

第二場 界隈民による認知
黒歴史botは23日午前、投稿を開始した。
モン安倍は23日午後、新G20にて「こんなアカウントが出来てます。特に変なことしない限りは放置で良いですね?」と、黒歴史botの存在を報告した。また、bot運営者も自身の持つなりきり垢を用いて全体グループにて黒歴史botの周知活動を行った。
23日当初はなりきり達は成り行きを見守る者が多かった。

24日、前日である23日に黒歴史botが開催を表明した「嫌いななりきり選手権」をホーが発掘して共有し、「これはなりきりの分断を図るものだ」としてこれを危険視し、またメキシコとクロアチアに投票するよう呼び掛けされた。
しかしこの投票においては、リトアニアへの投票が殺到した。これはリトアニアのサブ垢による自演であった。この中にはヒギンズ垢もあったので、これを受けて、蔡英文による「ナウセダとヒギンズが同一人物であるというリーク」の前に、黒歴史bot陣営は二人が同一人物であることに勘づいた。
また、その時までモン安倍は「パブロ」「豆板醤」をホーのサブ垢であると認識していたが、その認識を改めた。
これらについては、N11について「雑談グルになったところで本質はなんらっ変わったいなかった(原文ママ)」と、N11の中にいなければ言いにくいことをパブロが言っていたことなどによる。

14:55、全体グループのトークを黒歴史botが晒していることが判明。これは黒歴史bot陣営の何者かがなりきりとして全体グループに紛れ込んでいることを意味するため、犯人として怪しい者を考察する推理が始まった。
しかし、全体グループには50人以上が在籍していたこともあり、うまいこと不安や疑心暗鬼は増殖し、次第に界隈民たちは黒歴史botを脅威と見なし始めた。
こうして、当初モン安倍は「黒歴史botなるアカウントを作っても、界隈民から相手にされなければ意味がない」として、その効果を疑問視していたが、彼の予想に反して界隈民は黒歴史botに翻弄され始めた。

また、新たな刺客として、ミッカミカヅキは「菅直人なりきり」を作成した。

また、ナウセダはなぜか全体グループで「黒歴史botは自分のサブ垢である」と幾度も主張した。
これは他のなりきりからはネタとして扱われていたようであった。また黒歴史bot陣営は、この狂言は撹乱になると判断して放置した。

第三場 リアル人狼
黒歴史botが何度も全体グループのトークを晒しツイートしたことに伴い、犯人捜しが本格化した。
しかし黒歴史bot陣営は、協力してお互いを撮影し合って投稿するなどして、難なく犯人捜しを躱し、手玉に取った。

これらの事態を受け、ゴルバチョフは「本格的な対策は、筒抜けの全体グループではダメだ」として、彼が信頼出来る人や浮上している人のみを集めたDMである「シン・タイサクカイギ」を作成した。*2
しかしモン安倍やbot運営者もそのグループに入れられたので、これは全く意味をなさなかった。また、彼らにこのグループは安全だと思い込ませるため、このグループのトークを晒すことは当分の間自粛された。

また、界隈民どうしの疑心暗鬼を増進するため、「なりきりにスパイがいます」という強調が盛んに行われた。
そこでジューシー安倍は黒歴史botに対し「スパイは誰ですか?」と質問したところ、bot運営者は「2人以上います」と返した。
この「スパイ」というのは、黒歴史bot陣営の3人のことではなく、黒歴史botへの情報提供を行った者を指したと考えられる。

また、黒歴史botに対抗した「白歴史bot」なる、首脳なりきりの良い歴史を呟くアカウントも登場したが、影響力の低さを鑑み、黒歴史bot陣営はこれを無視した。

このころ、ジューシー安倍が「そちらのスパイは誰ですか?」と黒歴史botに質問した。これに対し黒歴史botは、回答を行わなかった。

第四場 黒桜との大円舞曲
24日午後、「さて、我々は最近、首脳なりきり界隈といいながら首脳のなりきり要素が少ない。問題行動をとる者もいる。黒歴史botは実は、こうした現状に喝を入れるために出来たのでは?黒歴史ということは、黒歴史を出さなければ問題ないわけだし。これを機に、外部の人も交えて今一度なりきりについて議論するべきではないか?」という意見が出された*3
この意見の出現を受け、これに沿った「黒歴史botが善を名乗るプラン」も陣営内で少し検討されたが、3人のうち誰もこれに賛成しなかったので却下された。
19:00頃*4、エニミアが、外部の人を交えて首脳なりきりについて議論するDMグループを作成した。その時刻に浮上していたなりきりはほぼ全てそのグループに入れられた。
また、外部の人の勧誘は、そのツイートにて行われた。

これにより、外部の人が入ったグループで議論が進められた。
しかし、そもそも「首脳なりきりという存在自体を快く思っていない人々」なども入り、なりきりに関する議論や黒歴史botへの対策どころか荒れに荒れ、また次々と「黒桜」に所属する人々が追加され、荒れ具合に嫌気がさしたなりきりがそのグループを抜け、1分間に100のトークが投下されるような事態となり、エニミアはこのグループの作成が失敗であったと認識するに至った。

また黒歴史bot陣営では、「この騒動を利用し、黒桜と首脳なりきりで戦わせる、または黒桜と同盟を組む」という案も提唱されたが、これにミッカミカヅキが猛反発し、これは却下された。
またこの時点でbot運営者は、「いかがでしょう、もっと荒らして収集が付かなくし、界隈を崩壊させますか?」と提案したが、モン安倍は「我々の負担が大きくなるし、今は既に大荒れである。崩壊も時間の問題であるので我々が手を汚すことはない。」としてこれを差し止めた。
これをもって、しばらくの間、首脳なりきり界隈の荒れ具合は成り行きに任されることとなった。

20:00ころ、「「界隈を批判する人を首脳なりきり達がムキになって攻撃している」
という構図を作ることが例のbotの目的なのではあるまいか」とレ一ガン氏が推測した。黒歴史bot陣営内では、レ一ガン氏のシナリオのように装うか議論されたが、却下された。

20:13、ゴルバチョフが「黒歴史bot対策グループが乗っ取られた」とツイートの形で報告した。これと前後関係は不明であるが、ゴルバチョフは話し合いグループから何者かによってブロ解追放された。この犯人は現在も不明である。
なおこの一連の流れについて、黒桜サイドでは、「乗っ取ってないのに乗っ取ったと言いがかりをつけられた」などと認識していた模様である。

また、黒桜所属のジュラ氏とゴルバチョフは、ほどなくしてタイムラインでも口論を行った。この記事の執筆当時、ゴルバチョフの言葉のみ残っており、ジュラの言葉は残っていなかったが、「黒桜のさとぬこ氏が黒歴史botに対し「DMから送れというならDMを開けろ」と言っていることから、さとぬこ氏と黒歴史botは近い関係にあるのではないか」などと疑いを抱いていたことが判明している。

この一連の流れにより、シン・タイサクカイギにおいては、黒桜に関して黒歴史bot関与疑惑が大きく高まったものの、表面的には黒桜と停戦するに至った。

翌25日は、黒歴史botは大規模な活動をしなかったが、継続して晒しツイートの投稿を行った。

第五場 秩父宮の作戦
5月25~26日にかけて、秩父宮は「黒歴史botが暴れ回っているから、自分でその活動をすれば古い方のアイデンティティーはなくなるのでは?」と思い、「首脳・歴史人物なりきり黒歴史bot」(@bot74703442)を自身も作成した。
この登場を受け、黒歴史bot陣営はこれを危惧した。黒歴史botの影響力が下がり、活動に支障が出る虞が大きかったからである。

そこで、緊急で会議を行い、作戦を練った。
モン安倍の復讐対象に秩父宮はいなかったため、彼は直接の個人攻撃は避けたがったが、黒歴史botの活動に支障が出ることを阻止することを優先するよう残り二人が説得し、最終的に対秩父宮作戦を認めた。

実行に移されたのはミッカミカヅキの案であった。ミッカミカヅキは秩父宮とレスバを行っており、秩父宮の主張における論理性に対し著しい矛盾を感じており、3人のうちで一番乗り気であった。
その案とは、「モン安倍が、秩父宮黒歴史botを誘き寄せる、なんの変哲もない質問形式のメンションツイートを行う。秩父宮は旧黒歴史botに対する正当性を主張したいであろうから、必ずそれに誘き寄せられてやってくる。そうしたら、秩父宮のツイートを非表示とし、用済みとなった誘蛾灯ツイートも削除する。
そうしたらミッカミカヅキが、「秩父宮黒歴史botが、モン安倍に対し著しい暴言を吐いているというコラ画像」を作成し、それを黒歴史botが「何者かの提供を受けた」という形で投稿し、秩父宮黒歴史botの信用を失墜せしめる」というものであった。

5月26日19:25頃、モン安倍は「両黒歴史botへの質問ですが、晒す基準を教えていただけますか?」という誘蛾灯メンションツイートを投稿した。ほどなくして秩父宮黒歴史botはこれに対し返信をした。
モン安倍はこのツイートにいいねをした。
そして彼は、「黒歴史botを無視するべきだと忘れていた」とし、その用済みとなった誘蛾灯ツイートを削除した。
同時並行で、ミッカミカヅキによるコラ画像の作成が5分ほどで行われた。
そして、ミッカミカヅキがその画像を「こんなことを言ってる奴がいました」と個人DMから提供する形で、それは黒歴史botの手に渡った。

数分後、一計を案じたモン安倍は黒歴史bot陣営に対し次のように述べた。
「私が秩父宮さんの返信を非表示にしてもなお私が善の立場でいることが出来る、適当な理由がない。
首脳なりきり界隈の対黒歴史bot作戦を一から十まで知る必要がある私としては、この方法をとることは出来ない。」とし、また
「私は秩父宮のツイートにいいねを付けてしまった。秩父宮にも通知が行ったはずであり、彼から「私の返信はどのような内容であったか?」と聞かれれば、私は正直に答えざるを得ない。何故なら、そこで「黒歴史botのツイートの通りである」と偽れば、秩父宮からの信頼を失い、彼の作戦に何ら介入出来なくなる。そればかりでなく、最悪の場合、界隈民が秩父宮を信用すれば、必然的に私が黒歴史botと繋がっていると露見してしまう。」とし、更に「私はツイートを非表示にするやり方を知らない。」と虚偽を述べた。
こうして計画は、モン安倍の発言により軌道が変更された。

黒歴史botのコラ画像投稿から数分後、蔡英文は「これコラ画像じゃね?」と述べた。
またヤシンはモン安倍に対し、DMで「これ嘘ですよね?」と確認をとった。モン安倍はヤシンの質問に対し、「嘘です。こんな返信ではなかった。」と回答した。
同時並行で秩父宮本人にも質問がなされたところ、「コラ画像ですね。誰の仕業やら。」と返答があった。
こうして、秩父宮黒歴史botの発言捏造による失墜作戦はほぼ失敗に終わり、黒歴史botはこれまでの「もしかしたら、界隈を変えようとする有志かも知れない」という評価が完全に失墜するという結果となった。
また、ほどなくして黒歴史botはそのコラ画像ツイートを削除し、「あれコラ画像だそうです。コラ画像を送らないで下さい。」と抗議声明を発表した。

だがこの一件により、秩父宮は新G20に迎え入れられ、そこで機密性の高い対黒歴史bot作戦を話し合うようになったため、結果としてモン安倍は彼の対黒歴史bot作戦の全貌をほぼ知ることが出来るようになった。

第六場 黒桜危機再び
黒桜危機も参照せよ。

bot運営者は黒歴史bot垢によって「文句があるなら提供者様へ」と言っていたこともあり、様々ななりきりのDMグループで、この提供者とは誰なのかという話題となった。

黒歴史bot自身の作成ではないかという意見もあったが、黒歴史botは情報提供という形でツイートしたこともあり、その説はほとんど支持されなかった。

そのような状況の中、2日前の24日に発生した第一次黒桜危機についての「黒桜と黒歴史botが繋がっているという疑惑」もまだ解消されておらず、更に新たな黒桜のリプが黒歴史botのリプ欄に確認されたことから、「あのコラ画像を作って提供したのって黒桜じゃねえの?」という疑惑が界隈民の間に浮上した。

そこで、「なりきりサイドもコラ画像作ろうぜ」ということで、黒桜と黒歴史botを揶揄する画像が制作された。これは、ミッカミカヅキ作成のものに似せ、「ツイート文面と返信を改竄したコラ画像」の形がとられた。
なりきり達は騒動の激化を恐れ、そのコラ画像を表に出さないよう注意したが、ゴルバチョフによって投稿され、黒桜の目に入ることとなった。
黒桜はこれに激怒し、黒桜と首脳なりきり界隈は全面戦争寸前までの緊張状態に陥った。

結局のところ両者の間で合意がなされ、全面戦争は回避された。

なお、黒歴史bot陣営によるこの危機への関与であるが、黒歴史bot陣営は対秩父宮作戦や旧な計画変更やなんやらで3人とも疲弊していたため、介入は議論すらされなかった。
後になりきり界隈の間で「黒歴史botが黒幕となって煽った」という説が流布したが、これは第一次第二次とも誤りである。 

第七場 秩父宮の悲劇
ミッカミカヅキと秩父宮は、「晒しツイートの基準」についてレスバトルを行った。
当初秩父宮は「政治的発言にとどめる」としていたが、ミッカミカヅキはその晒す判断基準、あるいは秩父宮のみが判断することを問題視した。
これらの結果、秩父宮は、なりきり外部もメンバーに含めた、「晒すかどうかの話し合いを行うDMグループ」すなわち「問題発言評議会」を作成した。
このDMグループにはモン安倍やミッカミカヅキ、そして菅直人も入った。
なお前述の通り、菅直人はミッカミカヅキである。

やがてこのグループ内に、政治的な発言をしたなりきりの画像が共有された。
ところがこのグループに入った人の浮上が遅かったりして、審議は遅々として進まなかった。また、菅直人やミッカミカヅキによる秩父宮に対する議事妨害もなされた。なお、ミッカミカヅキは黒歴史bot陣営にて、「あまりにも秩父宮の理屈が稚拙である」などと言っていたので、彼にとっては議事妨害が主目的というよりも論破して打ち負かすことが目的だったと考えられる。
さらに、この議事妨害というか吹っ掛けた議論に対し、評議会内の界隈外部民も何人かが同調するにいたった。
これらによって、「評議会」は事実上の機能不全となった。

さらにミッカミカヅキは「この隙に、議論中のネタを我々が横取りして先にツイートしてしまえば、秩父宮黒歴史botはパクツイという形になるので権威の失墜を図れる。」と提案し、これは採用され、実行に移された。ミッカミカヅキは議論中の画像をbot運営者に提供し、黒歴史botからその画像が投稿された。ほどなくして秩父宮黒歴史botも同じ画像を投稿したが、時刻では黒歴史bot陣営に後れを取った。
これを見た一部の外部民は、黒歴史bot陣営の狙い通りに「秩父宮はパクツイをしている」と勘違いし、秩父宮にこれを指摘した。当然ながら秩父宮はこれを否定した。

どこかのタイミングで秩父宮はミッカミカヅキに対し「黒歴史botさん。」と、ミッカミカヅキを黒歴史botだと断定した発言を行った。これは陣営のメンバーが悟られた最初のケースであったが、「はたから見ると秩父宮が言い過ぎた断定をしているように見える」という理由により、これは危険視されなかった。

やがて、秩父宮が投稿する前に黒歴史botが横取りするという事態が再度発生し、「評議会」にスパイが潜んでいることがほぼ確実となり、また秩父宮が界隈外部からひっきりなしに叩かれるようになった。
モン安倍は新G20にて、他のメンバーたちと共に秩父宮を慰め、信頼を得る役割を負った。

やがて6月6日、ついに秩父宮は精神的に参ってしまい、アカウントを削除するにいたった。
その間際に秩父宮はトゥハチェフスキー垢を作成し、黒歴史bot垢やミッカミカヅキに対し執念深く口撃をしたが、この中身はG20で共有されていたため、モン安倍のリークにより黒歴史botは陣営はこの中身を知っており、これを受け流した。
こうして黒歴史bot陣営は秩父宮に対し勝利をおさめたが、彼はモン安倍の復讐対象外であったため、のちにモン安倍が黒歴史bot陣営から距離を置こうとするきっかけとなった。

第八場 内通者のジレンマ
ルカシェンコ=野々村騒動アイルランド大使館危機も参照せよ。

6月6日、蔡英文からモン安倍宛てに、「ナウセダ=ヒギンズ=パブロという自白をナウセダやヒギンズがG20にて行っているスクショ」の提供があった。
これは、以前から黒歴史bot陣営内で有力視されていた「ナウセダ=ヒギンズ疑惑」を、確固たる証拠があるものと変えた。

6月11日、界隈アンチであるTODOが出現し、ルカシェンコとレスバトルを行った。
この結果、ルカシェンコは、理由が不明であるが*5、なりきり界隈の問題発言について話し合うDMグループである「評議会」を作成した。
このあたりのタイミングでルカシェンコは野々村竜太郎なりきりへと転生した。(この後も便宜上、ルカシェンコと呼称する。)
この評議会にはモン安倍は入らなかったが、bot陣営者が入った。「漏洩があるグループにはモン安倍がいる」という状況を避けるためである。

ゴルバチョフやナウセダは、この評議会に非常に反発し、ひそかに反ルカシェンコ、親黒歴史botのDMグループを作成した。このグループにはモン安倍が入った。
彼らは様々な親黒歴史bot発言をし、黒歴史botへの情報提供も示唆した。そこでモン安倍は「彼らを、黒歴史botと繋がっているという理由で失脚させられないか?」と考えたが、「黒歴史bot側から内通者を明かしたら不審に思われてしまう。彼らどころか自分が失脚し兼ねない。」として思いとどまった。モン安倍は、このジレンマについて長く悩んだ。
そこで、とりあえずモン安倍は、新G20にてその評議会における彼らの発言のスクリーンショットを流した。この際、黒歴史bot陣営としてではなく、善良なモン安倍としての告発という形となり、彼は満足した。
なお、このナウセダらの内通については、しばらくの間公にされなかった。

また黒歴史bot陣営では、以前から「ヒギンズとナウセダは同一人物ではないか」と推測されていたが、蔡英文がモン安倍に、旧G20において彼が「アイルランドとリトアニアは同一人物」と発言していた画像をひそかに渡したため、この疑惑は黒歴史bot陣営にて事実として認定された。

同日、ヒギンズに対してTODOが、アイルランド大使館のメンションを行った。
これにヒギンズは狼狽し、即座に非公式アイルランド広報となり、またDMグループにて相談を募った。
この時、ナウセダ垢も非常に目立って動揺していたので、モン安倍は彼に「自分がメンションされたわけでもないのになぜそんなに動揺しているのか?」と質問した。これに対しナウセダは「全員の危機だから」と答えた。モン安倍はこれを深く追及しなかった。

また、そのグループには黒歴史bot陣営が全員いたので、「将来への影響」「法的措置」「住所氏名特定」など、巧妙にヒギンズの恐怖が煽られた。
しかしこの影響で、多数のなりきりがなりきりから転生するなどした。この時の転生者はチセケディ、ケサダなどである。

6月14日、ルカシェンコは彼が作成した「評議会」にて、「週末にTODO一斉通報キャンペーンをやります」と発言した。これに対し、多くのなりきりが苦言を呈した。
この件について、bot運営者は黒歴史botにてルカシェンコを大量に晒した。これは合議によるものではなく、モン安倍とミッカミカヅキはこの件に関して無関心であった。

ルカシェンコはこれらの騒動により、なりきり垢での活動をほぼ停止した。ただしサブ垢の「うまい棒」は現在活発に浮上している。

第九場 対エドモンドホー

6月13日以降、黒歴史botはホーの晒しを劇的に増やした。
ホーはモン安倍の復讐対象であったものの、この増加はモン安倍の意図したものではない。
モン安倍は「たしかにホーの攻撃はしたいけど、あまりやりすぎると私が疑われるからほどほどにして欲しい」と考えていた。

6月13日、ホーは一度鍵垢にこもった。この理由について彼は、黒歴史botからの自衛だと説明した。
「エドモンドホーかエドムンドホーか」に関する、「Wikipediaにはエドムンドとあるが彼はエドモンドを使っている」という晒しが原因の一つであった。なお後の調査によると、どちらも正しいようである。
なおこれについては、黒歴史bot陣営外からの提供であった。モン安倍は反ホーの同志を集めようとしたが、特定は出来なかった。
またこの日、ホーはアカウントを一時期に削除した。
この削除について、彼のサブ垢からは「これは垢消しによって黒歴史botがどう出るか反応を見るために行ったものだ」「翌日正午に復活の予定である」と声明が出された。

6月14日8:06、ホーは「特に大きな事件がなければ鍵は外しておきますのでよろしくお願い致します。」として、鍵を解除した状態でアカウントを復活させた。
この時、ホーは「昨日言った、反応を見るというのは見栄だった、本当はとても動揺していたから心を落ち着けたかったのだ」という声明を発表した。
これ以降、黒歴史botによるホーへの攻撃は全く効かなくなった。

しかし、モン安倍のホーに対する「安倍晋三騒動の時の私の気持ちを思い知れ」という復讐心は部分的に満たされた。これは、彼が「垢消しまでするということはこたえたのだろう」と推測したためである。

6月16日、ホーは「別人の写真を蔡英文の若いころのものだと勘違いをした投稿」を行い、2000いいねを獲得するも、その後勘違いを指摘されてツイートを消すに至った。
これについて黒歴史botは晒しを行ったが、これまでのような効果を与えることはなかった。

またこの頃から、ホーはエドモンドホー垢ではなくまかおぼーる垢で浮上するようになった。

第十場 ゴルバチョフの自滅

このころ、「アラスカ不審者なりきり」なるアブドゥルアズィーズの別垢から、「そちらには何人のスパイがいるのですか?」と質問があった。これに対しbot運営者は「3人です」と答えた。
この事後報告を受けたモン安倍はbot運営者に、「もうちょい盛っても良かったんじゃないの」と述べた。
また、同じくアラスカから「そちらの目的は何ですか?」とも質問が来た。これに対し「復讐」と答えるわけにはいかないため、「適当に答える」という対処をすることと決定された。
当該質問に対しbot運営者は「世界征服です。」と答えた。
アラスカは「ごめんなさい言い方が良くなかったです。あなたは首脳なりきり界隈についていかなる目標を持っているのですか?」と重ねて質問した。bot運営者はなおも「世界征服です。」と答えた。
この一連のやり取りが黒歴史bot陣営に共有され、ミッカミカヅキは「ひっでえwwwww」と感想を述べた。
ちなみにアラスカは、「界隈を牛耳る」ということを世界征服と形容しているのだ、と解釈した模様であった。bot運営者はそういうことにしておいた。

6月20日ころ、黒歴史botが「首脳なりきりとは名ばかり」とツイートしたところ、なりきり界隈民*6から「ではまず君が改名しなさい」と言われたため、「首脳なりきり(国家代表アイコン馴れ合い)界隈黒歴史bot」と改名した。

同日、エリザベス2世から黒歴史bot宛に、「この文面をツイートしてくれ」という依頼があったため、ツイートした。
エリザベス2世の引退声明を参照せよ。

6月21日、ゴルバチョフは、秩父宮とまったく同じ動機で、すなわち「アイデンティティーを奪う」という目的で、「公認黒歴史bot」なるアカウントを作成した。「公認」と付いている理由は「ゴルバチョフがとあるDMグループ*7内のなりきりに聞いたところその目的を認めてくれたからであり、及び公認とつけることによって最初の黒歴史botの正統性をなからしめるため」であった。
このアカウントは、「割りとけっこうどん引き」という文字の書かれた、スーパーの割引シールを模したアイコンをしていた。

黒歴史bot陣営は、このアカウントの出現を見て、何らかの対策を取るべきかを話し合った。そこで、その当該botの過去のツイートを見てみると、「ちんぽー」「おちんちん」なるツイートがあった。そこでbot運営者は、そのツイートを晒した。

しかし、公認黒歴史botに対しては、首脳なりきり界隈民からも「私は公認した覚えはない」「その趣旨に反対である」「余計なことを」などと、これを好ましくなく思う者が次第に現れはじめた。なおこの界隈内世論に関する工作を、黒歴史botは行っていない。

これらを受け、ゴルバチョフは公認黒歴史botに鍵をかけた。
しかしながら、元から黒歴史bot陣営は別垢でこれをフォローするなどしており、全く支障は無かった。
さらに一般界隈民からもますます公認黒歴史botに対する批判の声が高まったため、公認黒歴史botは活動を停止することを表明した。

このようにしてゴルバチョフの策略は、わずか数時間で、すなわち彼のアカウント作成から活動停止までわずか数時間で、打ち砕かれた。

またゴルバチョフは、界隈からの引退を表明した。
これは本当に実行されたが、数ヵ月後にゴルバチョフは復活して再びなりきりを続けることとなった。

第十一場 勇猛果敢なりし哉うまい棒

6月下旬、ホーは「英語の解説」の目的でポーランドボールの絵を投稿した。
「ドイツとロシアが縦に半分に分かたれたポーランドをそれぞれ皿に取り、「This stake*8 is very delicious!」「Year!*9」とそれぞれ発言している」というネタである。
おそらくはそれぞれ「steak」「Yeah」と言いたかったのであろうが、これは黒歴史botの格好の餌食となった。
黒歴史botがこれをネタにすると、これに若干の外部民が同調した。これに伴い、ホーはその当該ツイートを削除した。

2021年7月3日、ルカシェンコの別垢であるうまい棒は、首脳なりきり界隈黒歴史botの扱ったネタのうち2つ、すなわちコンゴ民主共和国の国旗ならびに件の英語ネタについて、「無知乙」と揶揄を行った。

黒歴史botはこれに反応し、うまい棒とレスバを行った。内容については概要のみ記す。
1、黒歴史botの「2つ目に関して「無知乙」というのは、英語が正しいということですか?」という質問に対し、うまい棒は明瞭な回答をしなかった。
2、うまい棒の「その英語PBを作ったのは誰ですか」という質問に対し、黒歴史botは「知りません」と虚偽を述べた。
3、うまい棒の「PBの転載は問題では?」という指摘に対し、黒歴史botは開き直った回答をした。
4、黒歴史botの「号泣会見まだですか?」という質問に対し、うまい棒は「いやそもそも私は障害者差別発言、嫌がらせ等Twitterポリシーに反した発言を通報しようと言っただけなので、謝罪する必要性はありませんよ。」と回答した。
5、黒歴史botの「あなたもこれを転載していますよね」という質問に対し、うまい棒は回答を行わなかった。
6、黒歴史botの「stakeという単語は存在しません」という指摘に対し、うまい棒はweblio辞書を引用して、存在すると主張した。これに応じ黒歴史botはGoogle翻訳を用いて「存在しない」という主張を展開した。うまい棒はこれについて「Google翻訳の制度を100%だと思っているのか?」と質問したところ、黒歴史botは肯定した。*10
7、黒歴史botは4のうまい棒の回答に対し「らしいです。皆さん。人の名前を借りて、通報グルに仕立て上げることは認められているらしいです。ただでさえ、会話内からでさえ批判があったのに」と述べたところ、うまい棒は「らしいです。皆さん。人のPBを作成者を載せず転載することはよくないと指摘されたら逃げるらしいです。ただでさえ、何もかも晒しているのに」と応戦した。

8、また、黒歴史botが昭和天皇の「ナチスは悪」という発言を政治的発言として晒したところ、外部民からその晒しについて批判を受けたので、黒歴史botは「提供を受けたので」と明かしたところ、うまい棒は「黒ボついに自分が芯のある意思持ってないことを自供してて草」と述べた。これに対し黒歴史botは「うーん、意思がないのはず前から言ってるような🧐」と回答したところ、うまい棒は「追記 明確な意思を持たず晒し行為をしていることも自供」と更に述べた。黒歴史botはこれに対し、「過去に何度も言ってるので、追記もくそもないですよ」と述べた。なお、黒歴史botが提供のみで成り立っているというのは虚偽である。提供も多く存在したが、黒歴史botが主体的に集めたネタも多く存在した。

9、うまい棒はホーとの会話において、首脳なりきり界隈の衰退の原因について「なりきり界隈廃れたの黒歴史botが空気悪くしたせい」「少なくとも新規減と引退増加とDMグル等の非活性化はbotが要因」と述べた。これに対し黒歴史botは「新規を受け入れる気がないだけでは?」と反論した。*11

これとは別件で、秩父宮の別垢であるトゥハチェフスキーが黒歴史botとレスバを行った。秩父宮は新G20にて自身の正体を明かしていた。モン安倍はこれを知っていたが、黒歴史bot陣営に共有することはなかった。また、このトゥハチェフスキーと黒歴史botのレスバについては、トゥハチェフスキーのアカウントが消えているため、調査は不可能であった。

7月上旬、bot運営者は「晒しの元ネタのいいね数をIQとして併記しよう。12いいねならIQ12と書こう。」と陣営内で提案した。残り2人が賛成したため、これは実行にうつされた。
ただし数日で打ち切られた。 

7月7日、今上陛下のなりきりアカウントが出現した。
同日21:58、黒歴史botはその出現ツイートを晒した。
ただし、今回の件ではいつもと違い、黒歴史botと同じ側、すなわち今上陛下なりきりを批判する立場の人が通常よりも多かった。ただし首脳なりきり界隈民には、今上陛下なりきり擁護派も存在した。
22:08、ミッカミカヅキの菅直人なりきりもこのアカウントの出現を批判した。これは何ら策略ではなく本心であったとのことである。

また、これとは同時期に、黒歴史botはトゥハチェフスキー垢を、「なりきりと言いながら元ネタ要素は皆無である」と指摘したツイートを行った。

このころ、菅直人なりきりとうまい棒は、日本の天皇という地位が皇帝であるか等という論点でレスバを行った。これは策略ではなくミッカミカヅキの本心であった模様である。
菅直人なりきりがうまい棒に対し文末で「野々村さん*12」と呼び掛けると、うまい棒はこれに対し文末で「黒ボさん」と返答した。
このうまい棒の返信を受けて黒歴史bot陣営は話し合ったが、「おそらくこれら一連のやり取りを見て菅直人なりきりを黒歴史botだとみなす人はいないだろう」という結論に達した。

第十二場 ジェルミナール18日のクーデター

第一幕第八場において述べたように、ナウセダは黒歴史botに一部内通しており、モン安倍はこれに対して「本来首脳なりきりの敵であるはずのアカウントにひそかに好印象を持っているとは」と呆れていたが、この内通は黒歴史botしか知らないはずであり、従ってモン安倍自身がこれを暴露すればそれはモン安倍が黒歴史bot陣営であることを意味するためナウセダの追い落としどころではなくなる。かといって黒歴史botがナウセダの内通を暴露すると、一貫性の無さから非常に不自然であり、最悪の場合はナウセダを追い落としたい勢力が疑われる。
よってモン安倍はこの情報を巧みに使うことが出来ずにしばらく悩んでいた。

ところが、ルカシェンコ野々村騒動の際、ナウセダは問題発言評議会において黒歴史botに好印象を抱いていると発言していたことをここでモン安倍は思い出した。これは6月末から7月上旬にかけてのことであるが、正確な時期は不明である。
この情報は仮にモン安倍が黒歴史botと何も関わりがなくとも入手することが可能であるため、モン安倍はこれを利用することを閃いた。

新G20においてモン安倍は、ナウセダの当該発言を共有し「大っ嫌い」と添えるなど、界隈内にその価値観を共有する反ナウセダ派閥を作ろうとした。
これはある程度成功をおさめた。

7月14日、モン安倍は自身のサブ垢である「極秘会議」にて、「ナウセダとヒギンズが同一人物であるという自白をしているスクショ」を公開した。
ナウセダは、「アイルランドは今年4月ごろに他人に譲渡した。今は別人である。」と反論した。
しかし、明確な証拠をもって反論をするならば黒歴史bot陣営でなければ得られない情報を用いなければならないため、ナウセダの意見に対して反論は行われなかった。
なおこの「情報」とは、5月末に黒歴史botが行った「嫌いななりきり投票」において、ナウセダの別垢から4票も「ナウセダ」への投票が集まっており、その中にヒギンズ垢も含まれていたことである。このことがあったために黒歴史bot陣営ではこの時からナウセダ=ヒギンズ説を確実視していたのである。

7月16日、ナウセダはその別垢である「エッジワーズカイパーベルト」を用いて、全体グループにおいて、今上陛下なりきりを批判した。」

7月17日、全体グループにおいて、今上天皇なりきりとナウセダ(アカウントはアイルランド非公式広報)が、政治発言の許容範囲についての論争を行った。この際、問題発言とされたルワンダのカガメを、今上が批判し、ナウセダが擁護した。なおこのカガメの発言は、「ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は同じ神を信仰しているとされる。その神の名前を答えなさい」という、当時流行していたドラゴン桜コラであった。
この際ナウセダは、沿ドニエストルなりきりの病み発言などについて、「この際全員裁こう」などとし、全体グルに沿ドニエストルをいれた。
なおこの沿ドニエストルの発言とは、「はーまじこわい。しねないむりむりむり。」のようなものである。このツイート投稿時には沿ドニエストルはなりきりではなかったが、すぐに元に戻り、依然として削除されていなかったものである。

この一連のトーク画面を、bot運営者がスクショし、晒しツイートを行った。

ここでbot運営者は、封じていた「ナウセダ晒し」を解禁した。
なおbot運営者がこの晒しを行ったことについてはモン安倍の予定外であったが、結果的にこれは吉であった。
またbot運営者は、「どっちが悪い?」とアンケートを実施した。
このアンケートは、アイルランドが悪いと選んだ人が67%となった。
このアンケートに関してナウセダの別垢であるパブロが黒歴史botに「アイルランドを悪く見せようと切り取っていないか?」と抗議したが、黒歴史botは取り合わず、躱した。

また、この騒動の最中、7月17日、「なりきり君さあ…」なるアカウントが登場した。このアカウントは、登場初期はアイルランドを悪く言うことに特化していたが、次第に一般のなりきりをも罵倒し始めた。

そこで一計を案じたモン安倍は、新G20において、この「なりきり君さあ…」なるアカウントの中身がナウセダである、と認識させようとした。通常時であれば投稿などから類推して違うと結論が出されてもおかしくは無かったが、状況が状況であったためにこの扇動はこの上ない成功をおさめた。

18日11:11、蔡英文は「台湾の「豆板醤」です!!!!!!!! 」という投稿を行った。これは明らかにナウセダのサブ垢である豆板醤を揶揄したものであった。モン安倍やチセケディもこれに同調し、「ヨーロッパの政治家に人気」「特にアイルランドやリトアニアの政治家に人魚姫」などとコメントした。

同日14:00、モン安倍は、ナウセダに関わる情勢が動いている今こそナウセダを攻撃するチャンスだと認識した。
そこで、これまで手札として伏せてきた「ナウセダがアイルランドのヒギンズと同一人物であることの自白画像」を投稿し、「私がこの画像を持っているのはなぜか」と挑発する形で質問した。
これに対しゴルバチョフ、ホーなどが特に強く反応を示した。

またホーとモン安倍の仲については、この騒動の直前に首脳なりきり界隈Wikiによって急速に和解へと進んでいたこともあり、対ナウセダ共同戦線を構築することが可能となっていた。

14:17、なりきり君さあ…はクロメキアの「どーせあんな奴アオハルしたことない陰キャやろ」という煽りに対し、画像付きで「彼女は居ないけどアオハルしてるぞ笑」と反論した。
ところが、このツイートは新G20に持ち込まれ、主にレーニンの手によりこの写真の撮影場所の特定作業が進められた。その結果、1時間半ほどでこれは特定され、また制服などにより高校の候補も挙げられた。
ただし、駅は特定されたものの、高校については、候補を2つに絞ることが出来たに過ぎなかった。
黒歴史bot陣営でも独自に特定作業を行ったが、同様の結果となった。
またモン安倍は、「駅名を隠すような画像加工をわざわざしているということは近所の可能性も十分高いが、遠出先での撮影である可能性も否定出来ないため、高校の特定云々は意味が無いと思われる」と黒歴史bot陣営にて結論付けた。
16:12、レーニンによる公表に先駆けて、クロメキアから「これって△駅?」との投稿がなされた。
17:07、レーニンにより、「完全に△県△駅ですね。制服も出てますし高校も特定出来たのですが、まぁ言うのはやめておきましょう。ね、××高等学校の「なりきり君さぁ……笑」くんwwww」と、なりきり君さあ…の当該画像付きツイートに対し引用リツイートを行った。なお本家では△△は開示、××は伏せ字である。また上記のように、高校を特定出来たというのはブラフである。

17:17、なりきり君さあ…は、「答え合わせの時間です。このアカウントの中身はナウセダでした。それでは皆さん良いなりきり生活を」と投稿した。後の考察によりこれは「なりきり君さあ…の中身である今上陛下が、なりきり君さあ…の中身がナウセダであると界隈民に思われていることを利用し、論敵に擦り付けた」ものだとされている。
17:31、ナウセダはそのなりきり君さあ…のツイートに対し「そういうことらしいのでそういうことにしておきます。まぢかよ」と引用リツイートをした。これは、「ナウセダがこの中身である」という界隈民の認識にますます拍車をかけた。

また、この段階で、モン安倍はbot運営者とミッカミカヅキに対し、「界隈Wikiを荒らして欲しい、あたかもナウセダがやったかのようにして欲しい。私のことは心配いらない」と依頼した。しかしミッカミカヅキとbot運営者は、面倒だし悪いからと言ってこれを断った。
この時点での界隈Wikiはページ数も文字数も極めて少なかったため、このような依頼をしてもモン安倍の修復の負担はそれほど大きくなかったためである。

18:26、レーニンは「その学校にカラーコーン送ってやろうかなあ」と発言した。モン安倍はこれを見るなり直ちに新G20にてレーニンに確認を取ったところ、「本当にやるわけねえだろ」とのことであった。

7月19日午前、ホーが、首脳なりきり界隈wikiが荒らされていることを発見した。これは彼によってただちに編集者に共有され、モン安倍は11:53、容疑者を指名せずに抗議を行った。
しかし、なりきり界隈民たちは、誰もがこの犯人をナウセダだと認識した。
なお、現在の本記事執筆者の見解は、これはおそらく今上陛下なりきりでは無いか、というものである。

bot運営者やミッカミカヅキが行いそうな荒らしとは異質であると認識しつつも、モン安倍は「この前お願いして一旦は断られた荒らし、やって下さったんです?」と彼らに質問した。
無論二人ともこれを否定した。

この件を受け、蔡英文やホーの反ナウセダ姿勢はさらに激しくなった。
この頃、ナウセダは、多くの界隈民をブロックないしブロ解した。
さらに、アイルランド非公式広報なるアカウントが削除された。ナウセダは「ふざけんな。アカウント返せ。」と言った。これについては、誰もが自演を確信した。

また、これら「明らかに同一人物であるアカウントについても別人だと言い張っている」様子が、同じく彼の後の主張である「なりきり君さあ…は自分ではない」という主張の説得力を著しく損なった。

7月20日、ナウセダは「学校にカラーコーンが届きました」と発言した。一定数の界隈民らはこれを真に受けたようであったものの、学校の特定が実はなされていない上にレーニンもこれを否定したということで、その他の主要なる界隈民の印象は逆に悪化した。
またこの日、ビンラディンなりきりが誕生したということで、界隈民の注目はこちらに注がれ始めることとなった。

7月21日、ナウセダは界隈アンチを公言し始めた。蔡英文やホーやモン安倍の更なるナウセダへの反論などにより、ほぼ完全にナウセダの失脚は成し遂げられた。

これを受けてモン安倍の黒歴史bot参加への動機である「安倍晋三騒動において自らに仇なしたG20メンバーへの復讐」は成し遂げられた。

第十三場 蛍の光

7月27日、モン安倍は黒歴史bot陣営内にて、ミッカミカヅキとbot運営者の2人に、「これまで述べていたような、G20への復讐という当初からの目的は達成された。そして私は謀略に次ぐ謀略で疲れた。私はこの活動とは少し距離を置きたい。」と告げた。

ミッカミカヅキは首脳なりきり界隈そのものにそれほど興味は無かったとのことで、「まあ私もぶっちゃけそんな興味無いし」など、特に反応をしなかった。
bot運営者は「わかりました。」と返した。

モン安倍は「反首脳なりきり界隈」から退出することは無かったが、少しの間、黒歴史botと距離を置くこととなった。

幕間劇 大転換

8月上旬、モン安倍がスペースを開催中していたが、そこにbot運営者が参加した。早朝で他に誰も聞いていなかったということもあり、黒歴史bot陣営に関する話題となった。
彼はそのスペースで「自分は界隈を潰そうと思っていた。だが、活動を続ける過程でなりきり垢を作ったりして情が移るうちに、何か彼らに申し訳ないような気がしてきた。何か償いをしたいが、良い方法はないか。あなたはG20への復讐も完了したということだし、今なら言っても良いと思った」とモン安倍に提案した。
モン安倍はこれに驚き、次のように答えた。
「あなたがそのように考えているとは知らなかった、全くそれと思わせる態度が無かったから。しかしながら、言いづらかったであろうに、よく気持ちを伝えてくれた。」

またモン安倍は続けて、「元々我々の目標は界隈の破壊であったが、本来その使い方を正しくすれば、問題発言を取り締まる役割が期待出来る。また、こちらから何も言わなければ、界隈民はこちらを敵と認識しているから、我々黒歴史bot陣営を敵とみなして団結させる効果も期待出来る。そのように動いて界隈を再び貢献することにより、償いとしてはどうか。」と提案した。bot運営者はこれを承諾した。

また、すでにこのころからミッカミカヅキは黒歴史bot陣営に顔を見せることが減っていたうえに、「そんな興味無い」と言っていたということもあり、方針転換について彼への報告は行われなかった。

第二幕 陰ながら

第一場 コラ画像

7月30日、bot運営者の元に1枚の画像が送られてきたということで、その画像が投稿された。
しかしその画像は、「イラクのサリフ垢がまるで情報提供者であるかのような加工がなされている」と、サリフ本人が抗議した。この抗議を受けてbot運営者がその画像の提供者に確認したところ、その提供者は黒歴史botをブロックし、返事をしなかった。
これにより黒歴史bot陣営では「おそらくコラ画像であろう」と見解が一致し、bot運営者は「コラ画像を送り付けないで下さい」と声明を出した。

なお、この提供者は捨て垢であった。黒歴史bot陣営内はこのアカウントの正体を突き止めようとしたが、ほどなくして提供者は垢消しを行ったため、この正体は現在まで不明となっている。

第二場 平穏

7月下旬、「首脳なりきり界隈アンチ界隈黒歴史bot」なるアカウントが登場した。このアカウントはその名の通り、界隈アンチの発言などを晒していた。しかし、その過激な発言から、徐々になりきりからも疎まれていった。

このアカウントに関して、黒歴史bot陣営は当初このアカウントを警戒していた。しかし、「これはもしかしたら、なりきり側に立った過激発言をすることでなりきりの立場を貶めようとするものではないか」という見解が、陣営では有力となった。
やがて、このアカウントは低浮上となり、忘れ去られた。

8月は、基本的に首脳たちの問題発言を晒すことにより彼らの意識の改善を狙うとともに、モン安倍も黒歴史botの存在を理由として問題発言を控えるように説得する、という方針が取られた。

8月23日、「界隈民はメキシコのオブラドールを黒歴史botだとして認識している」ということが陣営内で話題となった。この根拠は、「投稿画像上部がオブラドールのものと黒歴史のものとで一致している」というホーの発見による。
モン安倍はこの誘導は困難であるとして放棄し、代わりに「ではメキシコはいかなるなりきりとして活動しているか」とする犯人捜しに誘導する方針を提案した。
しかしこの方針は、「そうなったら7月下旬の事例かてサリフが疑われる」とするオブラドールの反対により撤回された。

9月2日、ケサダが、黒歴史botがネタツイにいいねしているのを発見した。これはモン安倍によって報告された。協議の結果、無視とすることが決定された。なお、そのbot運営者のいいねが「アカウントを間違えたことによるもの」かどうかは話題にされなかった。

9月8日、「黒歴史botという立ち位置からなら、モン安倍の界隈wikiを荒らしたのがラムダかどうかわかるだろう」ということで、bot運営者が黒歴史bot垢によってラムダに接触を試みた。
bot運営者は「モン安倍のwikiのパスワードを教えてくれませんか?」と彼に打診したが、彼は知らないと返した。

これ以降、方針転換が行われたということもあり、大きなイベントは発生しなかった。細々とした問題発言晒しは、その目的を変えて行われた。
またモン安倍は、「黒歴史botからいろいろやられないように、政治発言問題発言などは控えよう」という啓蒙活動に邁進した。

12月21日、ミッカミカヅキが旧グループから退室していることが発見された。
このころモン安倍とミッカミカヅキは仲が遠ざかっていた。ミッカミカヅキは「世界史界隈の人たちとの繋がりを断ち切りたかった」「モンストを引退したい」「モン安倍が原神をしている際の態度に嫌気がさした」などの理由だ、と説明した。このような経緯があったため、モン安倍はミッカミカヅキが黒歴史bot陣営を裏切るのではないかと危惧した。しかしながらこれはbot運営者との協議により放置された。

2022年1月中旬、トランプが「自連」なるグループを作成したいと発言した。これは「なりきりから悪とされたものを徹底的に攻撃する」という趣旨のものであった。
黒歴史bot陣営においてもこれについて話し合われたが、何か特別な対策を練るといった決定はなされなかった。

1月21~23日ころ、新グループからミッカミカヅキが蹴られた。これは「そろそろミッカミカヅキが危なくなってきたかもしれないから万一のことを考えて蹴ろう」というモン安倍の判断による。

最終場 グランドフィナーレ

詳細は新G20騒動を参照せよ。
1月25日、ゴルバチョフが新G20の存在を広く暴露した。
モン安倍は、ゴルバチョフの説明を受けてG20やモン安倍に対し反感を覚えた迪宮に対し、DMで接触し、説得を試みた。しかしながらこれは、迪宮の反感を更に強くする結果となった。
ゴルバチョフはマ連*13においてもモン安倍やG20への糾弾を行った。モン安倍もゴルバチョフに対し反論を行ったが、モン安倍の反論のみ、「別界隈の騒動を持ち込むな」としてこれを禁じられた。

1月26日、一連の騒動に関してモン安倍らに苦言を呈していた迪宮に対し、ミッカミカヅキが「まああの人すべての黒幕やし」と伝えた。
その後彼は、更に情報を求めた迪宮に対し、DMにて「モン安倍は黒歴史bot陣営であること、しかし運営者は別の人間であること」などを伝えた。この情報は迪宮によってすぐにゴルバチョフにも共有された。
モン安倍による総会での説明は功を奏し、そこにいるなりきりはモン安倍の発言に同情的になるに至った。

1月27日、ゴルバチョフと迪宮はトランプに、モン安倍が黒歴史bot陣営であることを伝えた。同日、「G20ii」なるDMグループが迪宮によって作成され、モン安倍を除く数々のなりきりが追加され、「モン安倍は黒歴史bot陣営の一員である」と彼らに伝えられた。
トランプはこれを受けてモン安倍をブロックした。この結果モン安倍は総会から追放された。トランプは「G20を悪用するやつは許さん」などとコメントした。

1月28日、モン安倍は「G20について説明すべき」という声に応え、旧G20と区別するため「新G20」として本wikiに記事を作成した。

1月29日、エニミアによって新G20の記事の存在が迪宮やゴルバチョフに伝えられた。彼らは当該記事を見て激しく憤慨した。なお、なぜ憤慨したかという理由については不明である。

この日午後、トランプは総会にて、「モン安倍は黒歴史bot陣営である」という趣旨の暴露をした。しかしながら、証拠に欠けるという理由から、多くのなりきりがこの説を信じなかった。
岸田文雄はこれを受けて、モン安倍のDMに「あなたは黒歴史botと繋がっているのか」と質問した。モン安倍は界隈の沈静化を図るためこれを認め、簡易的な文書を彼に渡した。モン安倍は同じ文書をエニミアにも渡し、総会に共有するよう依頼した。

1月30日、エニミアがモン安倍の文書を総会に共有した。総会はこれを受けて沈静化し、以降その場でモン安倍と黒歴史botに関して話題となることはなかった。

1月31日、モン安倍の当時の最深部に通されていた迪宮らが中心となり、その最深部でモン安倍により繰り広げられていたモンスト界隈民への悪口を、その対象となっている本人に伝えるというリークが行われた。リークを受けたモンスト界隈民はこれを公にツイートした。モン安倍はこれを受け、「いろいろ反応して安倍晋三の名を貶めないため」として、その後一ヶ月半にわたって浮上の自粛を行った。

エピローグ

モン安倍はその活動を、2022年1月31日をもって自粛した。以降しばらく、3月中旬までは別垢で活動をしていた。
モン安倍に勝利をおさめたゴルバチョフであったが、これまでのモン安倍路線に対する界隈の改革を行うことはなかった。

黒歴史bot陣営は解散となった。

2月24日、何者かによりゴルバチョフの住所が特定され、ツイートされるにいたった。ゴルバチョフはこれを受けて即座に垢消しを行った。ただし後に復活した。
この件に関して黒歴史botは一切の関与をしていないものである。

3月上旬、迪宮とミッカミカヅキが仲違いをした。政治的な意見の相違とみられる。

3月9日、モン安倍が再びモン安倍垢でツイートをした。数日後、本格的な活動を再開した。なお、ボリスの復活も同時期である。

3月18日、新G20騒動の記事が作成された。新G20の記述がゴルバチョフらを刺激したことを受けてそれまで控えられてきたが、もう問題ないと判断されてのことであった。

4月下旬、モン安倍は「すでに黒歴史botに関する一切はこれを秘密にする必要がなくなった」として、黒歴史bot活動系譜を書こうと思い立ち、bot運営者にこれを打診した。bot運営者はこれを快諾したため、以降数ヶ月にわたりモン安倍はこの執筆を行った。

6月30日、モン安倍はbot運営者にコンタクトをとり、資料収集のためにログインを行った。

8月13日、黒歴史bot活動系譜の執筆が終了した。所要期間は3ヶ月半である。


*1 8日か?
*2 後に「キャプテンちんぽぉ」に改名された
*3 提出者は忘れた
*4 当該ツイートは削除されていたが、その他ツイートを捜し回った結果推定した。誤差は3分以内であろう
*5 執筆者が本人に取材をしたところ覚えてないとの答えがあった
*6 誰かは不明
*7 不明
*8 原文ママ
*9 原文ママ
*10 なお、執筆者は、「stakeという単語は存在する」という意味ではうまい棒に分があるが、「stakeという単語にはステーキという意味がないため、うまい棒の擁護は見当外れであった」。「しかし黒歴史botはその見当外れの論点ずらしを正さなかったため、結果黒歴史botも間違った主張をする羽目となった。」という立場をとる。
*11 黒歴史botの出現と首脳なりきりへの新規参入者の壊滅的な減少とに相関関係があるのは統計学的な事実である。主要な原因の1つではあろうが、しかしこれが無ければ衰退していなかったかと言えばそれは違うと思われる。様々な事柄が絡み合った結果の衰退であると執筆者は考える。
*12 ルカシェンコ即ちうまい棒は野々村と同一人物である
*13 ホーが作成した架空国家。2021年12月~2022年5月に存在。