【ナドラス】

Last-modified: 2018-03-17 (土) 22:29:59

DQ4(PS版)

移民として登場する【神父】の一人。【マスタードラゴン】に謁見後に登場するようになる。
移民の町の特殊形態では、【大聖堂】を作る上で役立ってくれる。
 
伝説の勇者の役に立てと夢でお告げを受け、話しかけると勇者たちだと理解している。
自分に何かできることはないか聞かれ、移民の町を紹介することになる。
移民の町に紹介されるだけで不思議に思っても、勇者の役に立てるのならと移民の町に向かうことになる。
移民の町に到着後、自分がこの町に来たのも勇者に深い理由があったからだと考え、勇者の役に立てると思うとここでの暮らしにも自然とハリが出てくると話している。
 
彼をはじめとする神父・シスターは大聖堂を作る上では結構な人数を要求される。
その必死のスカウトの末に無事大聖堂を建てると集めた神父・シスター達からは「世界一信仰心の高い町に住めて幸せ」、「高位のシスターになれた」、「これまで月に一回しかどくのちりょうができなかったのにこの街にきてから18回もちりょうできるようになった」、など皆素直にご満悦なのだが、
彼のセリフはちょっと勇者(プレイヤー)の心にグサリとくる。
 
大聖堂になった際に、彼に話しかけると、自分は教会を建てるためのアタマ数としてここに呼ばれたのかと疑い気味に尋ねられる。
大聖堂自体は特にそれこそどうしても作りたいというほどの旨味もほとんどない、
移民の町のシステムを楽しむためだけの、もっぱら趣味の領域なので好きな人でなければ狙って作らないが…。
自分の好きな街の形というのは、作りたい人は作りたくなるものである。
全形態コンプリートを狙っている人も作らざるをえないだろう。
そして彼もその大聖堂を作るためのアタマ数として集めたはずである。
なので、この人の言っていることはあながち間違いではないはずだ。
 
すぐ直後に聞かれるきっと何か深い理由があるのですよね?は、そんなプレイヤー心理に深く突き刺さる。
深い理由もなく、大聖堂を作るためのアタマ数として、深く考えずに適当に集めたうちの一人にしか過ぎないのであればなおさらだ。