マップ/El Alamein 16

Last-modified: 2012-07-17 (火) 23:21:00

ミッションブリーフィング

In July 1942, Erwin Rommel and the Italo-German Panzer Armee Afrika were only 70 miles from Alexandria.
El Alamein was a last stand for the Allies in North Africa.
To the north of this apparently unremarkable town was the Mediterranean Sea and to the south was the Qattara Depression.
El Alamein was a bottleneck that ensures that Rommel could not use his favoured form of attack - sweeping into the enemy from the rear.
A violent series of assaults between July & early September were bravely repulsed.
Rommel's nose had been bloodied and now Monty's 8th Army would take up the offensive.
The gruelling fight lasted from October 23rd to November 3rd 1942.

 

1942年7月、エルヴィン・ロンメルと麾下のイタリア・ドイツアフリカ装甲軍は
アレクサンドリアからほんの70マイル(およそ112km)というところにまで迫っていた。
エル・アラメインは連合軍の北アフリカにおける最後の抵抗拠点であった。
この特にとりたてて話すものもない町の北は地中海、南はカッターラ低地である。
エル・アラメインは隘路であり、ロンメルお気に入りの戦術である、
敵背後に回り込んでの攻撃は確実に使えない場所であった。
7月から9月初頭まで続いたドイツ軍の猛攻撃は連合軍によって勇敢にも跳ね返された。
ロンメルの部隊の先鋒は傷つき血に染まり、今や攻勢に出ているのはモンティの第8軍であった。
激戦は1942年の10月23日から11月3日まで続いた。

 

・追記
ガザラでの勝利・トブルク陥落と勢いにのったドイツ軍はエジプトまで進軍したが、
補給線が伸びきり部隊の消耗を補えないほぼ限界という状態であった。
ロンメルは速攻での決着に活路を見いだすも連合軍に察知され失敗。
逆に部隊を再編した連合軍が攻撃の主導権を握るようになり、10月末とうとう一斉に反攻に出た。
この戦いの主要期間においてロンメルは不在であり、それも枢軸軍の効果的な抗戦を難しくさせたとも言える。

なお、この戦いで連合軍がかなり苦労させられたのは、
火炎瓶と地雷しかまともな装備を持たないイタリア軍歩兵部隊による肉薄攻撃だと言われており、
彼らの勇敢な戦いっぷりはチャーチルをして賞賛させしめた程のものであったという。

この戦いの後の枢軸軍はまさに転げ落ちるように敗戦へと突き進むこととなった
「エル・アラメインの前に勝利無し、エル・アラメインの後に敗北なし」
と後に語られたほどの戦局の分岐点となる戦いであったという事は間違いないであろう。
ちなみにエル・アラメインが隘路というのは、南のカッターラ低地は標高が海面以下の場所が多く、
南方を回り込む戦術は相対的に高所であるエル・アラメインの英軍に狙い撃ちされることに依拠する。

 

関係しそうなwikipedia:
WikiPedia.ja:エル・アラメインの戦い

マップ

El Alamein_16_01.jpg El Alamein_16_10.jpg

El Alamein_16_11.jpg El Alamein_16_12.jpg

コメント

その他備考

ドイツ軍の初期配置リスト

拠点名キットもしくは兵器数量備考
The Axis HQMG34銃座1
Granatwerfer 341設置済み迫撃砲
PzB39キット1

イギリス軍の初期配置リスト

拠点名キットもしくは兵器数量備考
Devil's GardenLewis銃座1
Vickers Tripod銃座1
3in Mortar1設置済み迫撃砲
Boys Mk1キット1

中立拠点の初期配置リスト

拠点名キットもしくは兵器数量備考
Miteiriya RidgeMG34銃座1
Miteiriya Pass無し