マップ/El Alamein 64

Last-modified: 2016-02-11 (木) 14:26:03

ミッションブリーフィング

In July 1942, Erwin Rommel and the Italo-German Panzer Armee Afrika were only 70 miles from Alexandria.
El Alamein was a last stand for the Allies in North Africa.
To the north of this apparently unremarkable town was the Mediterranean Sea and to the south was the Qattara Depression.
El Alamein was a bottleneck that ensures that Rommel could not use his favoured form of attack - sweeping into the enemy from the rear.
A violent series of assaults between July & early September were bravely repulsed.
Rommel's nose had been bloodied and now Monty's 8th Army would take up the offensive.
The gruelling fight lasted from October 23rd to November 3rd 1942.

 

1942年7月、エルヴィン・ロンメルと麾下のイタリア・ドイツアフリカ装甲軍は
アレクサンドリアからほんの70マイル(およそ112km)というところにまで迫っていた。
エル・アラメインは連合軍の北アフリカにおける最後の抵抗拠点であった。
この特にとりたてて話すものもない町の北は地中海、南はカッターラ低地である。
エル・アラメインは隘路であり、ロンメルお気に入りの戦術である、
敵背後に回り込んでの攻撃は確実に使えない場所であった。
7月から9月初頭まで続いたドイツ軍の猛攻撃は連合軍によって勇敢にも跳ね返された。
ロンメルの部隊の先鋒は傷つき血に染まり、今や攻勢に出ているのはモンティの第8軍であった。
激戦は1942年の10月23日から11月3日まで続いた。

 

・追記
ガザラでの勝利・トブルク陥落と勢いにのったドイツ軍はエジプトまで進軍したが、
補給線が伸びきり部隊の消耗を補えないほぼ限界という状態であった。
ロンメルは速攻での決着に活路を見いだすも連合軍に察知され失敗。
逆に部隊を再編した連合軍が攻撃の主導権を握るようになり、10月末とうとう一斉に反攻に出た。
この戦いの主要期間においてロンメルは不在であり、それも枢軸軍の効果的な抗戦を難しくさせたとも言える。

なお、この戦いで連合軍がかなり苦労させられたのは、
火炎瓶と地雷しかまともな装備を持たないイタリア軍歩兵部隊による肉薄攻撃だと言われており、
彼らの勇敢な戦いっぷりはチャーチルをして賞賛させしめた程のものであったという。

この戦いの後の枢軸軍はまさに転げ落ちるように敗戦へと突き進むこととなった
「エル・アラメインの前に勝利無し、エル・アラメインの後に敗北なし」
と後に語られたほどの戦局の分岐点となる戦いであったという事は間違いないであろう。
ちなみにエル・アラメインが隘路というのは、南のカッターラ低地は標高が海面以下の場所が多く、
南方を回り込む戦術は相対的に高所であるエル・アラメインの英軍に狙い撃ちされることに依拠する。

 

関係しそうなwikipedia:
WikiPedia.ja:エル・アラメインの戦い

マップ

El Alamein 64_001.jpg El Alamein_64_10.jpg

El Alamein_64_12.jpg El Alamein_64_13.jpg

コメント

  • ドイツ軍3拠点vs英軍1拠点なマップ。ドイツ軍の対戦車砲、88は榴弾砲で潰して行くと楽。 -- 2012-02-20 (月) 10:23:35
  • 偵察機で空挺するのもいいが、落下傘を開くのが早いと狙い撃ちされるだけなので注意。分隊長がD4崖上りを知っているとあっさりmiteiriyaが落ちる・・・。 -- 2012-02-20 (月) 10:26:32

その他備考

Ver2.45で兵器の追加、置換、削除が行われた。
両軍のベースにはセーフゾーンも設定され、敵軍が進入すると戦闘エリア逸脱のペナルティを受ける。

拠点の制圧順序は決められておらず、全拠点、単独で制圧できる。
チケット自然減は過半数の拠点を制圧していれば発生する。

司令官砲撃は両軍とも使用可能。
砲撃内容も共通で、危害半径30mの砲弾12発が半径35mに、大サイズ煙幕弾1発が半径10mに着弾する。

 

開始時には中立拠点であるDeir el Dhibをドイツ軍が制圧すると、
Marder III x1
SdKfz 251/1 Ausf. C x1
Fiat 626 Ammo x1
PaK 38 x2(固定)
Breda 35 20mm x1
Flak 18 88mm x1
弾薬キット x1
が出現する(イギリス軍が制圧した場合は何も出現しない)

 

D4あたりの崖は北側から戦車で登ることができる。
file位置

 

イギリス軍がMiteiriya Ridgeを制圧するとドイツ軍ベースにMc.202が、
同様にKidney Ridgeを制圧するとJu87D 'Stuka'が出現する。

兵器・キット初期配置図

file兵器・キット初期配置図 ← 旧版(Ver2.4)
ページ末尾の変更点(Ver2.45)と合わせて補完されたし。

ドイツ軍の初期配置リスト

拠点名キットもしくは兵器数量備考
Kidney RidgeSdKfz 251/1 Ausf. C1
Fiat 6261
MG15銃座1
MG34銃座2
PaK 385固定
Breda 35 20mm1
Granatwerfer 341設置済み迫撃砲
PzB39キット1Geballte Ladung
弾薬キット1
Miteiriya RidgeSdKfz 251/1 Ausf. C1
Fiat 6261
Breda 35 20mm1
MG15銃座1
MG34銃座3
PaK 384固定2、可動2
Breda 35 20mm2
Flak 18 88mm2
MG34キット1
PzB39キット1Geballte Ladung
メディックキット1
Deir el AbyadMc.2021
Ju87D 'Stuka'1
Fieseler Storch1
PanzerIV F23
PanzerIII Jl1
PanzerIII L5
Marder III1
SdKfz 2311
AEC 'Dorchester'1
VW Type 82E1
Fiat 6261
Fiat 626 Ammo1
Fiat 626 20mm2
PaK 381固定
FlakVierling 381
Breda 35 20mm2
Flak 18 88mm1
LeFH 181榴弾砲
K98K ZFキット2
パイロットキット7
メディックキット2

イギリス軍の初期配置リスト

拠点名キットもしくは兵器数量備考
Tell el Makh KhadCrusader Mk.III1
Chevy 30CWT2
Lewis銃座2
6 Pounder NA5固定
Bofors 40mm1
3in Mortar1設置済み迫撃砲
Bren Mk1キット1
弾薬キット1
El AlameinSpitfire MK.Vb1
Hurricane Mk.IID1
P-40 'Kittyhawk'1
Beaufighter Mk.I1
Piper J-3 Cub1
Churchill Mk.III2
Sherman II NA3
Crusader Mk.III3
Daimler Mk.I1
AEC 'Deacon' Bofors 40mm1
AEC 'Dorchester'1
Willys MB SAS1
Chevy 30CWT1
Chevy AA1
Chevy 30CWT Ammo2
Bofors 40mm2
Bishop2自走榴弾砲
Thompson M1928sキット220発マガジン
P14 Sniperキット2
パイロットキット5
メディックキット2

中立拠点の初期配置

拠点名キットもしくは兵器数量備考
Deir el Dhib無し

変更点(Ver2.50)

III号戦車?の1つをSemovente 75/18?に置き換え