マップ/Invasion of Crete 16

Last-modified: 2012-07-17 (火) 22:20:59

ミッションブリーフィング

May 20, 1941.
German Fallschirmjager are preparing the first airborne invasion to the Island of Crete under the code-name Unternehmen Merkur ("Operation Mercury").
The Battle of Crete was unprecedented in three respects: it was the first-ever mainly airborne invasion, it was the first time the Allies made significant use of intelligence from the deciphered German Enigma code and it was the first time invading German troops encountered mass resistance from a civilian population.
In light of the heavy casualties suffered by the parachutists, Adolf Hitler forbade further large scale airborne operations.
However, the Allies were impressed by the potential of paratroopers, and started to build their own airborne divisions.

 

1941年5月20日
ドイツ軍降下猟兵は作戦名Unternehmen Merkur(マーキュリー作戦)を実施、
クレタ島へと、初めての空挺降下による侵攻を開始した。
クレタ島における戦いは以下の3点においてこれまでにないものだった。
・史上初の空挺降下を主とした侵攻作戦であること
・連合軍がドイツ軍のエニグマ暗号を解読して得た情報を大いに活用したこと
・侵攻したドイツ軍が市民による激しい抵抗に遭遇したこと
降下したパラシュート兵が多数の死傷者を出したことから、
アドルフ・ヒトラーは以降大規模な空挺作戦を行うことを禁じた。
一方、空挺部隊の持つ可能性を強く印象づけられた連合軍は空挺師団の創設にとりかかるのだった。

 

・背景
バルカン半島における戦いで勝利をおさめた枢軸軍ではあるが、
対ソ開戦を控えるドイツ軍にとってはクレタ島に残存するイギリス軍はバルカン半島ににらみがきき、
地中海の制海権にも影響を与えうる、まさに後門の虎にあたる存在であった。
そのため、対ソ開戦後を想定してクレタ島の占拠が必要であると判断が下り、
マーキュリー作戦発動の流れとなった。
世界初の大規模空挺侵攻作戦の結果、
ドイツ軍の所定の目標であるクレタ島の占拠とイギリス軍の駆逐は達成されたものの、
パラシュート兵4人に1人という高い死傷率、多くの航空機とパイロットの損失という大きな代償を支払い、
ヒトラーは大規模空挺作戦に否定的になっていった。
(熟練兵は短期間で育成できるものではないため、
その損失を伴う空挺作戦に否定的になるのは当時のドイツ軍の状況を鑑みるに間違いというわけではないだろう)
一方、空挺作戦による鮮やかな侵攻作戦に衝撃を受けた連合国はこれを研究、
空挺師団の創設へと動くことになる。
これが後のノルマンディや(失敗に終わったが)マーケットガーデン作戦へと繋がっていった。

 

関係しそうなwikipedia:
WikiPedia.ja:クレタ島の戦い#空挺降下

マップ

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Invasion of Crete 16_002.jpg Invasion of Crete 16_003.jpg

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