粟鹿神社

Last-modified: 2013-04-28 (日) 07:40:39
 

粟鹿神社
あわがじんじゃ
あわが8.jpg
(参拝日:平成24年3月18日)
住所:兵庫県朝来市山東町粟鹿2152mapionlogo.gif
主祭神: 彦火々出見命(日子坐王・阿米美佐利命)
一宮:但馬国一宮
社格:式内社、県社、別表神社
主な祭礼:10月17日(秋季例大祭)
但馬五社:粟鹿神社、出石神社、養父神社、小田井縣神社、絹巻神社

あわが1.jpg
↑本殿↑
(由緒:パンフレットより)
景行天皇の御代、熊襲を征し給ひし時、勅して社殿を造営される。(約一九〇〇年前)

天武天皇の四年、大旱百姓飢ゆ、朝使清原冬満至自、本祠域一丁五段草莱の地を開き
天神地祗を祭り祈念す、後五穀豊穣。(七七六年)

清和天皇の貞観十六年、勅使倭朝臣兼直至自、天下疫癘の治まることを祈願。(八七四年)

後宇多天皇の弘安四年、蒙古九州に寇す、因て我社に勅使卜部兼直卿を遣し祈願し給ふ時に
神徳顯る々を以て神階を進め、宸斡の額を納め給ひ、祭田を賜る。(一二八一年)

あわが2.jpg
↑鳥居↑
あわが3.jpg
↑日の出門↑
あわが4.jpg
↑勅使門↑
あわが5.jpg
↑絵馬堂↑
(以下、余談)
豊岡市街から車を走らせること小一時間、播但連絡道路と舞鶴若狭道を繋ぐ、
遠阪トンネル近くに神社はあります。

出石神社と共に但馬国一宮と称しています。
余談ですが、同じ日に出石神社を訪れていたのですが、祭礼・神事のために神主様が不在でした。
どちらも雰囲気ある古い神社ですね。極彩色な装飾もいいですが、こういった素朴な神社は安心します。

『粟鹿大明神元記』や勅使門から、朝廷からの信頼が篤かったことが想像できます。
国家の大難に対して、4度も勅使が派遣されたそうです。
勅使門には、透かし彫りの欄間、羽目板には鳳凰、 頭貫には唐草模様と、非常に細かな彫刻が見られました。