側高神社

Last-modified: 2013-10-05 (土) 15:02:29
 

側高神社
そばたかじんじゃ
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(参拝日:平成25年5月4日)
住所:千葉県香取市大倉1mapionlogo.gif
主祭神:(不明)
社格:郷社
主な祭礼:髭撫祭(1月第2日曜日)
関連:本社 香取神宮

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↑参道↑
(由緒:パンフレットより)
側高神社は元来が香取神宮第一の摂社であるから、側高神社の由緒は香取神宮の由緒でもある。
香取神宮の由緒は側高神社の由緒でもある。このことは香取神宮鹿島神宮との関係についても言へる。

一口に"香取鹿島"という様に、香取神宮(祭神・経津主大神)と鹿島神宮(祭神・武甕槌神)とは左右一体の神で、
両神は神代の昔、天照大神の勅命を奉体して相共に国土平定の大任を成就せられた建国の大功神である。

従って香取鹿島両神宮の間には密接不離なる関わりのあることは申すまでもなく、各摂末社のことについても又同様である。
そこで両武神が何故この東国の香取鹿島の地に御鎮まりになられるのか、その理由について考えてみたい。

二柱の神は単なる武力の神ではなく、天神奉齋の重責をも兼任された祭祀の神でもあった。
経津主大神は別名を齋主神と申し上げる如く天神を側高の地に奉齋され、武甕槌大神は"高天原"と呼ばれる
聖地に天神を奉齋され、祭祀の大使命も成し遂げられたものと考えるのが至当であろう。

香取神宮の側高山、鹿島神宮高天原両聖地共に両神宮の東北東約二粁半ばかりの所に位置していることも偶然の符合ではない。

そして、更に東北東という方向は高千穂(宮崎県)や大和地方(奈良県)よりしても略同方向である。
このことは瓊々杵尊以来、御歴代の天皇が天神遙拝せられた方向、即ち地上に奉齋された高天原の方向であったことを示す。

経津主神社三十六ヶ深秘書に"遙宮側高之山也"と記されていることに依っても古代祭祀の形態は明らかである。
斯く両武神は聖地守護の大命を遂行して香取鹿島の地に御鎮りになったものである。

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↑社殿↑
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↑力石↑
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↑四季の甕↑
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↑御神木↑
(以下、余談)
香取神宮の境外摂社です。場所は東関東道・佐原PAに隣接しています。

御祭神は古くから「言わず語らずの神」とされていたので、不明になっています。

氏子による祭り当番引継の儀式「髭撫で祭」は毎年1月10日に行われます。
新旧当番が向かい合って座り、大きな碗で御神酒を酌み交わすというものです。