源九郎稲荷神社
住所:奈良県大和郡山市洞泉寺町15
主祭神:宇迦之御魂神
主な祭礼:4月3日(例祭)
↑鳥居↑
(由緒:現地案内板より)
歌舞伎・文楽「義経千本桜」でおなじみの「源九郎狐」(白狐)を神の使いをしています。
今より八百年前、源九郎判官義経は鎌倉の征夷大将軍である兄、
源義朝に協力し「源氏」に勝利をもたらしました。
歌舞伎・文楽「義経千本桜」でおなじみの「源九郎狐」(白狐)を神の使いをしています。
今より八百年前、源九郎判官義経は鎌倉の征夷大将軍である兄、
源義朝に協力し「源氏」に勝利をもたらしました。
その後、兄頼朝と仲たがいし、奈良の吉野山をへて東北の平泉
(落ちのがれるおり、この武運強い義経を影ながら守ってきた武将
佐藤忠信は実は、この神社の「白狐」の化身だったのです。)
そこで義経は奥羽に下るとき、この白狐と別れる際自分の名である
「源九郎」の名を与え「源九郎狐」と名のることを許しました。
その後、豊臣の時代には豊臣秀吉の弟で郡山城の城主である豊臣秀長は
築城にあたって、この源九郎稲荷をお城の守護神と定めました。
その後も歴代城主の柳澤家の殿様や町家にも信仰深く現在に至るまで、
この神社を手厚く崇敬されてきました。それゆえ、日本三社稲荷の一つとされています。
↑社殿↑
↑源九郎大神の歌碑↑
(以下、余談)
大和郡山市街地の南側に鎮座します。周辺は住宅が密集していて、奥まったところに神社があります。
かつては伏見稲荷や豊川稲荷と並んで日本三大稲荷とされていたそうです。
社名は源義経の「源九郎判官義経」という本名(?)から来ています。
兄頼朝との戦に際し、義経は幾度もこの稲荷に助けられたことから「源九郎」の名を贈りました。
翁の姿をした源九郎狐が僧・宝の夢枕に立ち、「郡山城に自分を祀ると城の守護神になると伝えました。
宝譽は豊臣秀長に伝え、城内に稲荷が創建されました。
小さなお稲荷さんですが、歴史のある神社ですね。